2010-12-24

クリスマスメッセージ†

愛の樹のマグナカルタ

「愛の樹」は荒野に立ち、深く大地に根を張り、葉を豊かに繁らせ、すべての生命を慈しみ、育む。その力の源は神より賜る。


「祈り・ふれあい・5つの誓」

一、「愛の樹」は、助け合い、苦しみを分かち合う家族である。

一、「愛の樹」は、決して人を裁かない。友の苦しみを共有する。

一、「愛の樹」は、個人の尊厳を大切にし、プライバシーを固く守る。

一、「愛の樹」は、個性を大切にし、創造に向かって日々前進する。

一、「愛の樹」は、人類に奉仕する。


「愛の樹」グループ愛の会は、頼れる場所造りを目指しています。

困ったときに、人間同士助けたり、助けられたりが自然の姿。

当たり前のこと。

その当たり前が希薄になり、人間関係が冷え込んで、真冬の寒さになってきました。

悲しい出来事が、後を断たず、毎日、世界中の何処かで不幸な出来事が頻繁に報じられています。

いざ!と、言う時頼り先が有れば人類は救われるはず。

今年も終わりに近づきました。

来年も、愛の樹は変わらず細やかに、精神的にも、頼りになれる場所造りを目指して行きます†

神の御導きで†

小さな命、見過ごされやすい小さな事を大事にします!

新しい年が人類の平和と幸せで満たされますように!

不可能!非現実的だと決め付けず!諦めず!祈り続けて行きます。

愛の樹†一同



2010-12-21

今年、最後の診察

今年、最後の松浦知和先生の診察を受けました。
うれしいことに!
白血球が増えていました!

【血液検査結果】
肝臓等検査含まず
*白血球2.2
*赤血球3.52
*ヘモグロビン10.9
*血小板8.9
*LYM:32.4%
*MON:10.0%
*GRA:57.6%
*LYM:0.7%
*MON:0.2%
*GRA:1.3%

以上です!

2010/12/21(火)

少し早めのクリスマスと、新年のご挨拶を贈ります†
写真は散歩道で見掛けました。白菊です。

愛の樹オショチ†


photo by Oshochi

この投稿はオショチの闘病第4信にも掲載します。



2010-12-19

今週の聖句 12/19〜25

ルカ2:1〜20

そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。

これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。

人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、

初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。

すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。

御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。

きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、

「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。

そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。

彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。

人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。

しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。

羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。

2010-12-17

"わくらば"

『"わくらば"
 哀しきほどの
    美しき』

闘病生活の日、初冬の風に吹かれて 凛と咲く 花一輪に 生きる力を感じます
"わくらば"を『病む身に』置き換えて、見ました。

オショチ


Photo by Oshochi

2010-12-16

リツキサン5回目です

今年、最後の悪性リンパ腫の治療、リツキサン5回目の点滴注射を受けました!

あと1回、来春1月6日の治療で一応終わります。

島田貴先生からお聞きしたのですが、悪性リンパ腫の治療をしても、生存年数は統計上さほど変わりがないとのこと、妙に納得しました。

人間の寿命が神の(天)の運命なら公平です!天運に慎んで我が身を委ねます。

幸い、リツキサンは私にかぎれば有り難い治療薬です!

ひどい腰痛(悪性リンパ腫の悪さ?)の予防になりますし、身体が楽になります。

お陰様で教会の仕事、ミッションも可能な限り出来ます。

これも一重に、信頼感の持てる先生に巡り合わせて頂いたお陰様です!

友人知己の中には志し半ばで倒れた病友もいます!

私なりの思いですけど、まだ神がお与えくださった仕事がありますから!

しっかり、地上で働き世の中のために務めを果たしなさい!と、言われている気がします。

キリストの弟子、聖バウロの跡をたどり、新約聖書の使徒・行伝をこの身体で書かなければなりません。

身読、身書の仕事です。

言葉では理想的なことはいくらでも言えますが?現実はなかなか思い通りには行きません。

今年も闘病生活に明け暮れましたが、しかし、病む事で未体験の世界を、学ぶ事もたくさんありました。

「神の恵み我に足れりです†」

さて、治療中の写真はこれで最後にいたします†

クリスマス・待降節・中の治療でした。




追伸:本日の島田貴先生の血液検査結果を下記に掲載いたします。

【血液検査結果】

*白血球1.5
*赤血球3.73
*ヘモグロビン10.8
*血小板5.6
*クレアチニン097
*コリンエステラーゼ10.3
*アブルミン3.4
*GOT・40
*GPT・26
*γーGTP・20
*CRP-0.04
*尿酸6.6
*血糖食後102
*好中球.49.4
*網赤血球%・0.5

以上感謝を込めて!

2010/12/16(木)

愛の樹オショチ†

この投稿はオショチの闘病第4信にも掲載します。

2010-12-14

今日の診察結果 12月14日

主にありて†
島田貴先生

久しぶりの本日の松浦知和先生の診察のご報告です。

【血液検査結果】

*白血球1.5
*赤血球3.30
*ヘモグロビン10.1
*血小板7.0
*クレアチニン1.09
*コリンエステラーゼ10.7
*アブルミン3.9
*GOT57
*GPT37
*γ-GTP21
*CRP-0.0
*尿酸6.8
以上です。

愛の樹オショチ†

このページは、ainoki.jpのオショチの闘病第4信にも掲載します。


2010-12-12

今週の聖句 12/12〜18

ルカ1:57〜80

さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。

近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。

八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。

ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。

人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。

そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。

ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。

すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。

近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、

聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。

父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、

「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。
神はその民を顧みてこれをあがない、

わたしたちのために救の角を
僕ダビデの家にお立てになった。

古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、

わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。

こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、

すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、

わたしたちを敵の手から救い出し、

生きている限り、きよく正しく、
みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。

幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。
主のみまえに先立って行き、その道を備え、

罪のゆるしによる救を
その民に知らせるのであるから。

これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。
また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、

暗黒と死の陰とに住む者を照し、
わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。

幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。

クリスマスと「ニセ医者と呼ばれて」

一昨日(12月9日)金曜日、日本テレビで見た、ヒューマンドラマスペシャルに心底感動しました。

新聞記事にも触れました。

見出しは!

「米国統治下の沖縄で、医師免許を持たない代用医師」

"医介輔(いかいほ)"として医療に携わってきた宮里善昌さんをモデルに描いたドラマでした。

1959年の沖縄が舞台です。

宮前(堺雅人)は医介輔として診療所を開業し、戦争の爪痕が残る中、けがや病気で苦しむ患者を献身的に治療します。

だが、医介輔ゆえに十分な治療を施せないジレンマを抱えていました。

そんな夫を、妻・ハナ(寺島しのぶ)は家計を助けながら黙って見守ります。

ある日、漁師の妻・由美(尾野真千子)が診療所を訪ねてきます。

彼女は妊娠しているのですが、夫が留守の時に黒人の米兵に暴行されたため、夫の子ではないかもしれないとおびえていました。

生まれてくる子はかけがえのない命!

宮前先生は戦争中、戦友が撃たれ、バタバタ倒れ死んでいく悲惨さを目の当たりに体験して生き延びてきました。

戦場では、銃弾にやられた戦友の介護に献身的でした。誰よりも命の貴さを痛感していたのです。

生まれてくる子の責任は、私が持つ!と、言い切り彼女に出産を促し、堕胎を望む、彼女を説得しました。

ついに運命の日がきました。

無邪気に妻の妊娠と出産を手放しで喜ぶ夫の見た子は?

肌の黒い子でした。

診療所のベットの上で茫然自失の夫婦。

夫は深い絶望的な叫び声を残して、彼らの前から姿を消してしまいました。

「生まれたこの子に、罪はない!」

宮前先生は必死に語り掛けます。

腹を空かせて泣く幼子をその母はどうしても抱けません。

宮前先生とその妻の必死の説得で、やっと決心して抱き上げた我が子に乳房を含ませ、途方にくれる母と、医介輔夫婦!

命とは何か?

生まれた子の意思にかかわりなく展開する苛酷な運命!

このヒューマンドラマは私たち一人一人に問い掛けます!

人間の幸せとは何か?

悲劇的な出来事で、突然人生を壊された若い夫婦。

敗戦国日本の、凝縮した、癒しがたい現実を。それが今も続く、沖縄の現実を!

一人の医介輔を通して目にしたテレビドラマはこれからの日本人の生き方を問い掛ける、深い意味を含んでいると思わされました。

無益な戦争の犠牲になった多くの沖縄県民の戦後も現在も厳しい立場に曝されている現実が深く胸に突き刺さつてきました。

短い話しの不十分なまとめですが、救われたのは、医介輔・宮前先生の優しい笑顔でした。

どんなに辛くても、患者のために、優しい笑顔を絶やしませんでした。


ドラマホームページより


米国統治下で、特別に認められた医介輔医療制度も、正規の医師免許を持たない代用医師には、ジレンマと言う苛酷な使命を要求します。

心ない罵声、侮蔑が、医師、患者から浴びせられます。

そんな逆境を支えたのがハナでした。

ある日!子の母親は自責の念に耐えきれず、米軍基地のフェンスに縄をかけ自殺してしまいます。

「医介輔の宮前先生にごめんなさい!」と、書き置きを残して。

宮前先生の家族として育った少年はある日、自分の出生の秘密を知り、「僕は生まれなければよかった!」と、書き置きを残していずこにか姿を消してしまいます。

悲しみの連続です。

やがて年老いた、医介輔の宮前先生の診療所が閉鎖される日がきました。

診療所の看板を取り外した時、先生の妻・ハナが言いました。

「あなた、お客様よ!」

「そうか!最後の患者さんだね!」

目の前に現れたのは?日本人の奥さんと2人の子供を連れてきた、あの子の立派に成長した姿でした。

「子が言いました、先生ごめんなさい!」

たとえ世間から"ニセ医者と呼ばれても"彼にしか救えない命があった。

ヒューマンドラマスペシャルは、愛が消え失せてゆく殺伐とした現実に突き付けた人間愛の回復、愛の感動的なドラマでした。

今年も、クリスマスが訪れます†

都会の騒音と、見物人、華やかなイルミネーションに彩られた、クリスマスの騒ぎを眺めながら、御子・イエス・キリストのご生誕を、二千十年前の、ベッレヘムの馬小屋を思います†

愛の樹オショチ†


2010-12-05

今週の聖句 12/5〜11

ルカ1:24〜56

そののち、妻エリサベツはみごもり、五か月のあいだ引きこもっていたが、

「主は、今わたしを心にかけてくださって、人々の間からわたしの恥を取り除くために、こうしてくださいました」と言った。

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。

この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。

御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。

すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。

見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。

彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、

彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。

御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。

あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。

神には、なんでもできないことはありません」。

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、

ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。

エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、

声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。

主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。

ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。

主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。

するとマリヤは言った、
「わたしの魂は主をあがめ、

わたしの霊は救主なる神をたたえます。

この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、

力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
そのみ名はきよく、

そのあわれみは、代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます。

主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、

権力ある者を王座から引きおろし、
卑しい者を引き上げ、

飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

主は、あわれみをお忘れにならず、
その僕イスラエルを助けてくださいました、

わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。

マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。

2010-12-01

天路歴程(82)クリスマスと使命†

クリスマスアドベントに思う!

「クリスマスを迎える待降節(クリスマス・アドベント)→クリスマス前の第四日曜日から始まる感謝の祈りの聖なる週†」

万能を司られるお方。全知全能の神!

父なる神にすべて我が身をお委ねなさった御子イエス・キリストのご生誕と、その使命、ご生涯を深く思います。

我々人間はと言えば、世俗的な日々の中にどっぷり浸り、手垢の付いた心、傷んだ良心のかけらを自分でペロペロ舐める、そんな毎日を過ごしています。

御子ご生誕は、そんな心を改めさせ、浄めてくださり、新たな希望に向かって一歩を踏み出す希望です!

御子ご生誕のクリスマスの訪れは、愛の心を取り戻す恵みの季節です!

我々は個人的であれ、国家的であれ、何事につけ、自己優先権を密かに期待します。

不幸の元凶です。

自分たちさえ良ければ良い!分かち合う心の豊かさ、寛容な精神を喪失しています!

罪と争いの元です。

間違った暗い利己心に、囚われ、自身の幸せの光りすら遮ぎる。

とんでもない闇に世界中がすっぽり覆われています。

宗教界は対立を繰り返し、血を流し、悲しいかな、人間の模範になる手立ても知恵も見当たりません。形式的です。独善的です。

光りが見えません。

希望が見えません。

御子は己れを無にして、父なる神のご処置に甘んじて、身を投げ出されました。ゴルゴタの丘の十字架。

人類に模範を示されたのです。他者を幸せにしなければ!愛に依らなければ本当の平和も幸せも人類には訪れないと!

御子ご生誕から、二千年以上経っても人類が愛に向かって進化する気配が見当たりません。悲しいです。

それどころか!

一握りの人間による権力維持に伴う武力、暴力、人権弾圧が激しさを増しています!

一応、彼らに都合の良い。政治、支配、権力、経済。そのシステムの限界が見えて来ました。

身勝手な人間が自己優先権を振り回せば、必ず多くの人々がその犠牲者になります。

私たちはいつか神の審判を受けます。このような騒動と分裂は神の法則に適いません。

神の法則の妨害者には必ず厳しい裁きがくだります。

我々人間は、「いと高きお方」より高くはなりえません。

我々は決して悪の追従者にはなりません。平和と公正な社会、誰もが気兼ねなく暮らせる平凡で幸せな日々の訪れを信じます†

クリスマス・アドベントに感じたままを記してみました†

愛の樹オショチ†

Adoration of the Child
Giovanni Tiepolo, 1732