2011-06-30

病める姉妹へ

オショチ様
ご心配させると思い、メールしませんでしたが、27日に、また入院しました。
食べられず、飲めずで、点滴と栄養剤で3日間を過ごし、食道のところの炎症、痛みがやっと薄らいだので、今日胃カメラ検査した結果、食道にやけどの後が見られるとのこと。熱いお茶や、カレーなどの刺激物を食べたため、炎症ひどくなったとのこと、原因わかりほっとしました。
食欲がないため、カレーを食べたのが、良くなかったと思います。これからは、熱いものや、刺激物は、避けて、注意して食べるようにします。体重も37キロ台になり、爪も色が変わりふらふらすると思ったら、栄養失調とのこと。
栄養剤をおなかに入れたら、元気になりました。今日昼より3分粥始まり、半分食べれました。
まだ胸焼けがありますが、頑張って食べて、元気になります。
先生もくれぐれもご自愛ください。
ありがとうございます。
SK
追伸:感謝します。もう一踏ん張り頑張って食べて、立ち止まらず、生きてみます。心配するひとがいる限り。今が、地の底だと感じます。頑張って這い上がります。ありがとうございます。

本当に大変な闘病生活の毎日ですね。

しかしあなたには勇気があります。


愛する命のために、何としても苦しい病に立ち向かう勇気があります。

生きるのは大変なことばかりですが、諦めたらそこで終わり()ですね。

だから諦めない。

死んで、重たい肉体を脱ぎ捨てて霊体になれば、どれほど軽やかになれるでしょうか!

私も時折、もう神様との約束(誓願)は果したし、この世に未練はないから、早く天に帰りたいと思うこともあります。

しかし願いはなかなか聴かれません。

人間は自分自身を持て余す存在ですね。

自分自身を自らの業で縛りつけます。

その挙げ句、さ迷い続け果てしなく彷徨う。

これが人間のあるがままの姿でしょう!


私は、自分自身すら救う力の持ち合わせが無いことに最近、気付きました。

時々ブログに掲載する【天路歴程・地路歴程】は、求道者の終わりのない旅の正直な信仰告白です。

その告白から、いろいろ気付かされました。

無力感のどん底で、神の救いの御手が差し伸べられると心底感じました。

「弱いときに神の力が働く」。

聖書に示されています†

さ迷い彷徨う人間の魂の帰り行く「魂のふるさと」は神の御手の中に飛び込んで初めてわかるものです。

実存、実体的、救いの世界→天国です†

しかしそこに到る路には、様々な苦難、困難、魂が煉獄で焼き尽くされ、精錬される試練の炎を潜り抜けねばなりません。

お互いボロボロの身体でしか無いけれど、愛する命のために力尽きるまで神に信じて生き抜きましょう!

それが私たちに与えられた恵みですから。

終わりに一筆書き添えます。

あなたが、とても息苦しい時、心がどうしょうもないとき、身体が悲鳴を上げそうになった時に、あなたは独りぽっちじゃないことを思い出してください。

神は生きてあなたの身近に居られます。あなたに、愛の眼差しを注いでおられます。

あなたの回復を信じて祷ります。

神に愛された、あなたへ。

あなたの友!

オショチ†



2011-06-26

今週の聖句 6月26日~7月2日

詩篇19篇 
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌

もろもろの天は神の栄光をあらわし、
大空はみ手のわざをしめす。

この日は言葉をかの日につたえ、
この夜は知識をかの夜につげる。

話すことなく、語ることなく、
その声も聞えないのに、

その響きは全地にあまねく、
その言葉は世界のはてにまで及ぶ。
神は日のために幕屋を天に設けられた。

日は花婿がその祝のへやから出てくるように、
また勇士が競い走るように、その道を喜び走る。

それは天のはてからのぼって、
天のはてにまで、めぐって行く。
その暖まりをこうむらないものはない。

主のおきては完全であって、魂を生きかえらせ、
主のあかしは確かであって、無学な者を賢くする。

主のさとしは正しくて、心を喜ばせ、
主の戒めはまじりなくて、眼を明らかにする。

主を恐れる道は清らかで、
とこしえに絶えることがなく、
主のさばきは真実であって、ことごとく正しい。

これらは金よりも、多くの純金よりも慕わしく、
また蜜よりも、蜂の巣のしたたりよりも甘い。

あなたのしもべは、これらによって戒めをうける。
これらを守れば、大いなる報いがある。

だれが自分のあやまちを知ることができましようか。
どうか、わたしを隠れたとがから解き放ってください。

また、あなたのしもべを引きとめて、
故意の罪を犯させず、
これに支配されることのないようにしてください。
そうすれば、わたしはあやまちのない者となって、
大いなるとがを免れることができるでしょう。

わが岩、わがあがないぬしなる主よ、
どうか、わたしの口の言葉と、心の思いが
あなたの前に喜ばれますように。

2011-06-24

天路歴程・地路歴程(2)【天国への切符】

【天国・愛・天使】

あい【愛】
大切に思う、暖かい感情。人をしたう心。異性をしたう心。

私たちの間で自然に繰り広げられる日常的な体験です。

社会生活の大切な宝物です。

大切な家庭の、人々の宝物です。

愛し合う。

そのようすを眺めていると、幸せな気持ちになります。

外面は、その真反対を生きているケチで頑固者の年寄りがいました。

連れ合いに先立たれ、さぞかしガックリきて落ち込んでいると思い、訪ねて行きました。

町田から鎌倉の市街地の外れまでバス、電車を乗り継いで行きました。

やっと探し当てたお宅の呼び鈴を押すと、白髪頭の男性(高齢者)が顔を出しました。

どなた様ですか?

初めての来訪者に戸惑いが感じられました。

『Sさんご在宅でしようか?』

板張りの外壁に普通の瓦屋根の平屋建て、小さなお庭!は、こじんまりして質素なお家でしたが、好感の持てる佇まいでした。

主人が口を開きました。

変り者の弟でしたから、彼に友人などいるはずが無い?と、今日まで考えていました。

…いやぁ驚きました!それも牧師さん?

一体全体、弟の何処に信仰心があったのかなぁ?

弟ですが、病死しました。

昨年死にましたよ!癌でした。

…ところで貴男と弟の関係は?

ふたたび聞かれました。

『小さな教会の牧師です。ちょっとしたきっかけで親しくなりました!

近くまで来たので、お元気なお顔をみて、直ぐ帰るつもりでした』

事情が分かると、

ぜひ仏壇にお参りして頂きたい。さあーおあがりください

と仏間に通されました。

仏壇が置かれている部屋の硝子窓越しに湘南海岸の波がキラキラ眩しい光を反射しています!

静かに眺めていると、「粗茶ですが、一口召し上がれ!」と、優しく声を掛けて下さいました。

私はご位牌に手を合わせ静かに合掌しました。

キリストに興味を持たれたのかいろいろ質問されました。
何故ですか?あの嫌われ者を訪ねてくださるとは?

前代未聞です!

『私も変り者ですから!』

束の間のミッションです。

そろそろおいとまするときに、ぜひこれだけはお訊ねしたいと言われた言葉は、

弟は天国か?地獄のどちらにいますか?

でした。

私ははっきりお答えしました。『天国です†』

…何故ですか?

クリスチャンでも無かった、ひねくれ者の弟が、どのようにして天国の住人になれたのですか?わからん?

頭を抱えていました。

私には理解出来ません!

信じられない!

何か人様に善いことを、善行を施したとか?ありましたか?

私ははっきりお答えしました。

彼の外面は世俗的な評価はなきに等しい有様であったかも知れませんが、神は彼の魂の純粋さ、誠実と神の愛を心の奥深く大切に守っていたのです†

神はお見通しですから、人間の価値観や他人との比較は無意味ですね!

世俗的"愛情"も、あるいは天国行きの切符と引き替えできるかも知れません

天使はあなたの傍にいます!

未知の世界の道案内役です。

では失礼しました。

あなたにも神の平安を祷ります†

不思議な一時でした†

神のしもべ



2011-06-19

今週の聖句 6月19日~25日

詩篇18:36〜50

あなたがわたしの歩む所を広くされたので、
わたしの足はすべらなかったのです。

わたしは敵を追って、これに追いつき、
これを滅ぼしつくすまでは帰らなかったのです。

わたしが彼らを突き通したので、
彼らは立ちあがることができず、
わたしの足もとに倒れました。

あなたは戦いのためにわたしに力を帯びさせ、
わたしに立ち向かう者らをわたしのもとに、
かがませられました。

あなたは敵にその後をわたしに向けさせられたので、
わたしは自分を憎む者を滅ぼしました。

彼らは助けを叫び求めたが、救う者はなく、
主にむかって叫んだけれども、
彼らに答えられなかったのです。

わたしは彼らを風の前のちりのように細かに砕き、
ちまたの泥のように打ち捨てました。

あなたは民の争いからわたしを救い、
わたしをもろもろの国民のかしらとされました。
わたしの知らなかった民がわたしに仕えました。

彼らはわたしの事を聞くと、ただちにわたしに従い、
異邦の人々はきて、わたしにへつらいました。

異邦の人々は打ちしおれて、
その城から震えながら出てきました。

主は生きておられます。わが岩はほむべきかな。
わが救の神はあがむべきかな。

神はわたしにあだを報いさせ、
もろもろの民をわたしのもとに従わせ、

わたしの敵からわたしを救い出されました。
まことに、あなたはわたしに逆らって
起りたつ者の上にわたしをあげ、
不法の人からわたしを救い出されました。

このゆえに主よ、
わたしはもろもろの国民のなかであなたをたたえ、
あなたのみ名をほめ歌います。

主はその王に大いなる勝利を与え、
その油そそがれた者に、ダビデとその子孫とに、
とこしえにいつくしみを加えられるでしょう。

2011-06-14

今!生かされている意味は、神の御心なりせばなお生て使命全うをするを欲す。今朝の言霊!

「ぼろぼろの身体が耐えている意味を改めて示された朝です!

【右腎臓、胆嚢摘出手術】

平成21年(2009年)4月11日、土曜日。
狛江市、慈恵医大第三附属病院・泌尿器科、池本庸先生、都築俊介先生、ナース植田さん。
右腎臓、胆嚢摘出手術受ける。
右腎臓に悪性リンパ腫の塊あり。卵10個分の大きさ。摘出後経過、まぁ!順調なり!

【腫瘍血液内科】
主治医、島田貴先生(スタッフ山口祐子先生)から池本庸先生、岡本友好先生へ詳細な疾患のデータ提出をして頂いた。

その後、神谷町慈恵医大腫瘍血液内科に移動された、島田貴先生から、非ホチキン系悪性リンパ腫の治療、第二回目継続中です。治療薬、リツキサン。

【胆嚢摘出】
右腎臓摘出手術の際、胆嚢同時摘出、外科、岡本友好先生オペ担当。

【左尿管狭窄症オペ】
平成19年(2007年)12月10日、多摩南部地域病院・泌尿器科、北原聡史先生、左尿管狭窄症で入院。はじめ、尿管がんを疑われたが?オペの結果、がんではなく尿管狭窄症でした。

【右腎うがん、多発性リンパ腫の疑いあり。余命一年の?宣告】
平成20年(2008年)6月3日、北原聡史先生から、術後経過観察中、右腎うがん、多発性リンパ腫の疑いの診断あり余命一年?の、宣告あり。
あれから4年間生きています!
おお!神よ不思議なことばかりですね†

【頸椎のオペ】
平成15年(2003年)4月10日、町田市、おか脳神経外科で頸椎のオペ。
頸椎にチタンボルト6本埋め込みました。
院長、岡伸夫先生の他、山下弘一先生、渡辺あつこ看護師長の立ち会いの下オペ。
成功する

不思議なことに?
ミッチャンの検死をして頂いた救急病院でした。
検死は、山下弘一先生でした。

あれから9年経ちました。その後、腎臓摘出、悪性リンパ腫の第二期に突入しましたが、まだまだ生きて神の使命を遂行します

【肝臓】
東京せんぽ高輪病院長になられた、戸田剛太郎先生からバトンタッチされた、肝臓の主治医、松浦知和先生、慈恵医大本院勤務(川村クリニックで毎週水曜日、外来患者の診断、治療担当)のお陰で様々な難儀な手術を乗り越えてきました。
本当に助けられました。感謝の日々を実感しています†

【歯科・内科・東洋医学の治療】

国分寺の横山歯科クリニックの横山健二郎先生。
中井の教会嘱託医、町田隆弘先生にも随分助けていただきました!
さらに年2回の左尿管カテーテル交換は、慈恵医大本院泌尿器科の山田裕紀先生にお願いしています。
また、八王子のワイズ歯科の享子先生にも大層お世話になりました。改めてお礼申し上げます。

感謝を込めて†

以上、今朝の言霊より。

愛の樹オショチ†

2011-06-12

今週の聖句 6月12日〜18日

詩篇18:25〜35
あなたはいつくしみある者には、
いつくしみある者となり、
欠けたところのない者には、
欠けたところのない者となり、

清い者には、清い者となり、
ひがんだ者には、ひがんだ者となられます。

あなたは苦しんでいる民を救われますが、
高ぶる目をひくくされるのです。

あなたはわたしのともしびをともし、
わが神、主はわたしのやみを照されます。

まことに、わたしはあなたによって敵軍を打ち破り、
わが神によって城壁をとび越えることができます。

この神こそ、その道は完全であり、
主の言葉は真実です。
主はすべて寄り頼む者の盾です。

主のほかに、だれが神でしょうか。
われらの神のほかに、だれが岩でしょうか。

神はわたしに力を帯びさせ、
わたしの道を安全にされました。

神はわたしの足をめじかの足のようにされ、
わたしを高い所に安全に立たせ、

わたしの手を戦いに慣らされたので、
わたしの腕は青銅の弓をもひくことができます。

あなたはその救の盾をわたしに与え、
あなたの右の手はわたしをささえ、
あなたの助けはわたしを大いなる者とされました。

2011-06-11

天路歴程・地路歴程

天路歴程・地路歴程

『天国は地上から始まっている!』

このブログ。

「天路歴程」を書き始めてかなり歳月が流れました。

私はキリストの外弟子。

使徒・聖バウロと、時代背景は違いますが、1628年11月、イングランドの片田舎、ベッドフォード・エルストウで生まれ育った、ジョン・バニヤンの信仰は、キリストの聖霊の愛に導かれた、真理の体現者と受け止めています。

『彼らの信仰は本物です』

本物には強く惹かれます。

たとえ身分が低くても、彼らが身に付けていた、鋭い霊的感受性に惹かれます。

また、神学など一元的な狭い了見に捉われず、多角的に広い視野で信仰の体現者、実践者としての活躍と、実践者の裏付け、適性に驚きます。

私も、キリストの弟子の一人としての彼らの信仰の心路→(すじ)を深く学び天界の秘儀をこの身に深く刻み込みたいのです。

とりわけ、肉体を病魔に侵され、打ち砕かれ、厳しい闘病生活を余儀なくされた身には、彼らの生きざまは、私の霊的信仰体験を高めてくれました。

今回初めて【地路歴程】を加えて見ます。

実は、私はパソコン操作が苦手です。

今までのブログの原稿は、手のひらサイズの携帯電話の小さなキーボードをゆっくり操作してきました。

時間と根気比べのようです。

先月半ば頃から、利き腕の右手が腱鞘炎にかかりました。

少しずつ回復してきましたので、またブログ掲載に踏み切りました。

ゆっくり、のんびりやります。

しかし、なかなか思い通りに行かないのが現実ですが、右手を労りながらぼちぼち天路歴程・地路歴程を再開致します。

【地路歴程】を加えた動機は、若い頃、小さな学舎で神学、聖書研究から始まり難解な、旧約の原文ヘブライ語、新約の原文ギリシャ語に少し触れた時からの体験談の掲載を思い付いたからです。

ある日師から、「君たちは天国をどのようにイメージしていますか?」と、質問されました。

型通りの答えに師はため息をついていたのです!

分かっているようで実は何も知らない私たちでした。

昨今、気軽に「死んだら天国で会いましょう!」など、まるで挨拶代わりのようですが
死んで天国に行く保証はそう簡単にはいきません。

続く。
愛の樹オショチ†



2011-06-04

今週の聖句 6月4日〜11日

詩篇18:1〜24
聖歌隊の指揮者によってうたわせた主のしもべダビデの歌、すなわち主がもろもろのあだの手とサウルの手から救い出された日にダビデはこの歌の言葉を主にむかって述べて言った

わが力なる主よ、わたしはあなたを愛します。

主はわが岩、わが城、わたしを救う者、
わが神、わが寄り頼む岩、
わが盾、わが救の角、わが高きやぐらです。

わたしはほめまつるべき主に呼ばわって、
わたしの敵から救われるのです。

死の綱は、わたしを取り巻き、
滅びの大水は、わたしを襲いました。

陰府の綱は、わたしを囲み、
死のわなは、わたしに立ちむかいました。

わたしは悩みのうちに主に呼ばわり、
わが神に叫び求めました。
主はその宮からわたしの声を聞かれ、
主にさけぶわたしの叫びがその耳に達しました。

そのとき地は揺れ動き、山々の基は震い動きました。
主がお怒りになったからです。

煙はその鼻から立ちのぼり、
火はその口から出て焼きつくし、
炭はそれによって燃えあがりました。

主は天をたれて下られ、
暗やみがその足の下にありました。

主はケルブに乗って飛び、風の翼をもってかけり、

やみをおおいとして、自分のまわりに置き、
水を含んだ暗い濃き雲をその幕屋とされました。

そのみ前の輝きから濃き雲を破って、
ひょうと燃える炭とが降ってきました。

主はまた天に雷をとどろかせ、
いと高き者がみ声を出されると、
ひょうと燃える炭とが降ってきました。

主は矢を放って彼らを散らし、
いなずまをひらめかして彼らを打ち敗られました。

主よ、そのとき、あなたのとがめと、
あなたの鼻のいぶきとによって、海の底はあらわれ、
地の基があらわになったのです。

主は高い所からみ手を伸べて、わたしを捕え、
大水からわたしを引きあげ、

わたしの強い敵と、わたしを憎む者とから
わたしを助け出されました。
彼らはわたしにまさって強かったからです。

彼らはわたしの災の日にわたしを襲いました。
しかし主はわたしのささえとなられました。

主はわたしを広い所につれ出し、
わたしを喜ばれるがゆえに、わたしを助けられました。

主はわたしの義にしたがってわたしに報い、
わたしの手の清きにしたがって
わたしに報いかえされました。

わたしは主の道を守り、
悪意をもって、わが神を離れたことがなかったのです、

そのすべてのおきてはわたしの前にあって、
わたしはその定めを捨てたことがなかったのです。

わたしは主の前に欠けたところがなく、
自分を守って罪を犯しませんでした。

このゆえに主はわたしの義にしたがい、
その目の前にわたしの手の清きにしたがって
わたしに報いられました。