2012-12-27

年の瀬!天路歴程・地路歴程27


年の瀬を迎えいろいろ自己反省しきりです。年の初めに決めたことの半分にも満たない自分との約束。

†神の使命に反しミッションが思うよに出来なかったり。

健康管理にしても、度々の病院通いが続きました。我が身一つを持て余してしまいました。

師走に入り、低悪性リンパ腫の進行(右首筋のリンパ節の硬化)

原因究明のために、慈恵医大本院の、耳鼻咽喉科で6日に濱先生の生検を受けました。

鎖骨の近くに大きな塊が何箇所かあり、血管、神経などが複雑にある箇所でしたから、生検と言っても本格的な手術になりました。

麻酔医から肝臓、残った左腎臓(右腎臓、胆嚢摘出して、無し)の負担を考えて、
局部部麻酔でやりますと告げられ覚悟しました。

切り口は約四センチ。

途中、痛みを感じ二回麻酔を足して貰いました。

塊を切り取るとき、焼き肉の匂いがプーンとしました。初めての経験です。

午前中は泌尿器科で半年に一度の左尿管カテーテルの交換を済ませました。
一日で、午前中と午後の手術は、これも初めての経験でした。

生検の結果20日に悪性リンパ腫のリッキサン治療が再開されました。治療回数は8回で、私の体調などいろいろ考慮して頂き、隔週毎に1回リッキサン治療が決りました。

主治医の島田 貴先生の治療はリッキサンのみです。他の抗がん剤を併用すると、現在、2000そこそこの白血球が危険水域まで下がりますから、精一杯の治療ですが、まだ治療方法があるだけ幸せです!

話は変わりますが、身近な方々が今年も天国に旅立ちました。

命あるものの命は何時か尽きると、理性ではわかっていますが離別は哀しい体験です。

よく聞かれるのですが、教会で祈りを捧げ、素晴らしい説教を聞き、綺麗な賛美歌を歌いますが、しばらく経つと、現実に引き戻されて「不安で堪らなくなる。わたしは不信仰者でしょうか?」

天国を信じているのに心のどこかで、"永遠"などと虫のいい話が本当ににあるわけがない?時々不安になります。

冬の夜空を見上げていると時々流れ星を見ます。

星にも初めと終わりがありますが、又新しい命に生まれ変わるでしょう!

命の時間は、純粋に科学的なものでもあり、宗教的な興味深い、永遠の謎解きだと思います。

私は信じます。

新しい命に生まれ変わり新たな世界の存在を!

幸せは推理や概念ではなく、新らたな生命へ生まれ変わる事実だと確信しています!

佳い新年をお迎えください†

愛の樹オショチ†

2012-12-23

今週の聖句 12月23日〜29日

ルカ2:1〜20

そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。

これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。

人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。

それは、すでに身重になっていたいいなづけの妻マリヤと共に、登録をするためであった。

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、

初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。

すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。

御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。

きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。

あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。

するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、

「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。

御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」
と、互に語り合った。

そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。

彼らに会った上で、この子について自分たちに告げ知らされた事を、人々に伝えた。

人々はみな、羊飼たちが話してくれたことを聞いて、不思議に思った。

しかし、マリヤはこれらの事をことごとく心に留めて、思いめぐらしていた。

羊飼たちは、見聞きしたことが何もかも自分たちに語られたとおりであったので、神をあがめ、またさんびしながら帰って行った。

2012-12-19

今年も後わずかですが!


「目の前の一つ一つを越えて行く/生きる力は/あなたから」拙句

今年も後わずかです。いろいろな出来事がありました。

私事ですが身体中満身創痍ですが、まだ神の平和伝達の使命がありますから生きています。

今年も身近な人、著名な方々が逝去され、人の命の儚さも味わいました。

年末の総選挙で大勝した政党には、憲法違反のまま、国民の総意は反映されず、白けた後味の悪い結果になりました。

息を吹き返した政権には、軍事国家になる危険性を予感します。

平和国家の実績をかなぐり捨て、平和憲法(9条)の改正も現実味を帯びて来ました。

"取り戻す。取り戻す。日本を取り戻す"

安倍晋三総裁のキャツチコピーです。

民主党が政党のイロハも識らず、政権を担い、惨憺たる有様で、マニフェストに違反して、増税企み、国民を騙した罪は天地人が裁くでしょう!

しかし、棄権が増えた総選挙は異常事態です。

日本人に相応した政治しか持てないことを世界中に知らしめたのは、反面教師の役割かもしれませんが?

話しは変わりますが、太平洋戦争の末期、豊後水道から、日田の田舎にまで、アメリカの艦載機が飛来し、たまたま麦畑の近くに居た、私と幼なじみのしげちゃんが標的になりました。

飛び込んだ麦畑の数百メートル先の松の木に小型爆弾を落とし、艦載機は山の向こうに飛び去りました。

凄い爆発音がして、大きな松の木は根っこから吹き飛ばされ無惨な姿を曝していました。

麦畑には機銃照射の跡が残っていました。

しげちゃんと顔を見合せたとき顔面蒼白になっていました。

戦争のダメージは、はかり知れぬ恐ろしさをわたしたち子どもに刻み込みました。

隣国、中国、韓国、との様々な摩擦が大変気掛かりです。

個々人と親しくなると優しい人びとが、国の問題になるとガラリと変わってしまう?人間の不可解さに戸惑います。

子々孫々のために平和国家として優れた外向性を培って、宝物として残して欲しいと願います。

新しい年が不穏な年にならぬ様に、御子生誕が危険回避の祝福となります様に、切に祈ります†

愛の樹オショチ†

2012-12-16

今週の聖句 12月16日~22日

ルカ1:39~80

そのころ、マリヤは立って、大急ぎで山里へむかいユダの町に行き、ザカリヤの家にはいってエリサベツにあいさつした。

エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、その子が胎内でおどった。エリサベツは聖霊に満たされ、

声高く叫んで言った、「あなたは女の中で祝福されたかた、あなたの胎の実も祝福されています。

主の母上がわたしのところにきてくださるとは、なんという光栄でしょう。

ごらんなさい。あなたのあいさつの声がわたしの耳にはいったとき、子供が胎内で喜びおどりました。

主のお語りになったことが必ず成就すると信じた女は、なんとさいわいなことでしょう」。

するとマリヤは言った、
「わたしの魂は主をあがめ、

わたしの霊は救主なる神をたたえます。

この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました。
今からのち代々の人々は、わたしをさいわいな女と言うでしょう、

力あるかたが、わたしに大きな事をしてくださったからです。
そのみ名はきよく、

そのあわれみは、代々限りなく
主をかしこみ恐れる者に及びます。

主はみ腕をもって力をふるい、
心の思いのおごり高ぶる者を追い散らし、

権力ある者を王座から引きおろし、
卑しい者を引き上げ、

飢えている者を良いもので飽かせ、
富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます。

主は、あわれみをお忘れにならず、
その僕イスラエルを助けてくださいました、

わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを
とこしえにあわれむと約束なさったとおりに」。

マリヤは、エリサベツのところに三か月ほど滞在してから、家に帰った。

さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。

近所の人々や親族は、主が大きなあわれみを彼女におかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。

八日目になったので、幼な子に割礼をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。

ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った。

人々は、「あなたの親族の中には、そういう名のついた者は、ひとりもいません」と彼女に言った。

そして父親に、どんな名にしたいのですかと、合図で尋ねた。 ザカリヤは書板を持ってこさせて、それに「その名はヨハネ」と書いたので、みんなの者は不思議に思った。

すると、立ちどころにザカリヤの口が開けて舌がゆるみ、語り出して神をほめたたえた。

近所の人々はみな恐れをいだき、またユダヤの山里の至るところに、これらの事がことごとく語り伝えられたので、

聞く者たちは皆それを心に留めて、「この子は、いったい、どんな者になるだろう」と語り合った。主のみ手が彼と共にあった。

父ザカリヤは聖霊に満たされ、預言して言った、
「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな。
神はその民を顧みてこれをあがない、

わたしたちのために救の角を
僕ダビデの家にお立てになった。

古くから、聖なる預言者たちの口によってお語りになったように、

わたしたちを敵から、またすべてわたしたちを憎む者の手から、救い出すためである。

こうして、神はわたしたちの父祖たちにあわれみをかけ、その聖なる契約、

すなわち、父祖アブラハムにお立てになった誓いをおぼえて、

わたしたちを敵の手から救い出し、

生きている限り、きよく正しく、
みまえに恐れなく仕えさせてくださるのである。

幼な子よ、あなたは、いと高き者の預言者と呼ばれるであろう。
主のみまえに先立って行き、その道を備え、

罪のゆるしによる救を
その民に知らせるのであるから。

これはわたしたちの神のあわれみ深いみこころによる。
また、そのあわれみによって、日の光が上からわたしたちに臨み、

暗黒と死の陰とに住む者を照し、
わたしたちの足を平和の道へ導くであろう」。
幼な子は成長し、その霊も強くなり、そしてイスラエルに現れる日まで、荒野にいた。

クリスマスの贈り物

聖夜
クリスマス・アドベントの、
オムニバス風物語です。人間も、まんざらではありません


この小さなお話は神戸で実際に起きた物語です。

ご紹介します。
神戸市内でバス
ドライバーをしている弟子から知らせくれました。


心温まるお話しの内容が、アメリカの短編小説家、O・
ヘンリーに似ているので敢えて掲載致しました。
暗い夜道の灯火を願っています

【その一

今日ラジオで、いい話を聴きました。

会社で仕事上のトラブルが発生し、何時に帰れるかわからない事態になりました。

すると上司が、この書類を奈良の得意先に届けてくれないか。
そして君は、そのまま直帰してもいいからと言いました。

今から奈良までは1時間以上かかります。
そのまま直帰してもいいからと言っても帰宅したら22時頃になります。

受け取った書類を確認しようとしたら、確認は車の中でしなさい。
早く行きなさいと言われました。

あわてて車に行き、封筒の中身を確認したら、一枚のメモ書きがありました。

それには、『一回目の結婚記念日おめでとう

今夜は早く帰ってあげなさい
そう書かれていました。
帰宅して妻にメモ書きを見せると、妻は号泣したそうです』。

いい上司ですね。
トラブルの事は、他の社員に任せて、誰にも知られないように帰してくれたのです。

粋な上司に感激しました。

【その二

実は もう一つ

同じ番組で……

小学生の頃に、男の子に思いを告白しましたが、見事にフラれ、泣きながら帰りました。

帰る途中で、工事現場のおじさんが、どないしたんや?
大丈夫か?と聞かれましたが、恥ずかしいから黙って通り過ぎました。

次の日、同じ道を歩いていたら、また工事現場のおじさんが、昨日のお嬢ちゃんやな。
大丈夫か?
元気出しや!って言ってくれました。

すぐ横で、ホースで水を撒いていた別のおじさんが、これ見てみと言って、ホースの水で虹を作ってくれました。
そして、辛いことかあっても、この虹を見ながら、胸を張ってしっかり歩いて行きや!って言ってくれました。

あの工事現場のおじさんは、今は何処で働いているのかな~?
今から20年前の出来事でした。


僕は、この二つの話を聞いて感激しました。

小麦と一緒に、いい夢が見られそうです。

おやすみなさい。

以上です
愛の樹オショチ†

2012-12-13

クリスマス†アドベントに思う!

クリスマス†アドベント(待降節)に入りました。


神が創造された地球は混沌として先が見えません。


地球人は、
相変わらず憎しみ合い、
争い、不正、不公平、不義にまみれて、
クリスマスどころでははありません。


権利者の毒性に犯され人々の呻き声は地に満ちています。


弱肉強食のシステムは健在です。
神の祝福は遥か彼方です。


人間が考えだした生存システムは老朽化しています。新しい希望の持てる生存システムは未発見です。


虚しく時間だけが流れています。

原始時代の人間から
少しは進化したはずの人間は、表面的には
少し見栄えがよくなった程度で、(借り物の文明、文化)


内面性の進化はまだまだ原始時代のままの様な気がします。


【イエスの誕生】
イエス生誕の時代も
暗闇に包まれた、
先が見えない混沌の時代でした。


全世界の人口調査をせよ、というローマ皇帝の勅令が出された時代背景を聖書は下記のように記述しています。

「その頃全世界の人口調査をせよ、というローマ皇帝の勅令が出された。

そのため、イスラエルに住む人はすべて自分の町に帰って登録をしなければならなくなり、ナザレに住む大工のヨセフも妻のマリアを連れて、ユダヤの町ベツレヘムに向かった。
すでにマリアの胎内には、神の祝福を受けた子が宿されていた。


ベツレヘムに着いたマリアは、程なくして男の子を産んだ。これがイエスであった。


【イエス生誕教会】

毎年クリスマスになると世界各地からたくさんの巡礼者が、ミサに参加するために訪れる教会があります。


イエス生誕を記念する聖誕教会は、325年に
コンスタンチヌス大帝が 建てたものだが、紀元12世紀の十字軍時代に修復され現在に至っている。

この教会は敵が攻めにくいように入り口は低く作られています。

その奥には、イエスが生まれたと伝えられる飼い葉おけの跡と、東方の博士を招いた星に因んではめこまれた銀の星が見られます。


イエスの生誕が単なる騒がしいお祭り騒ぎや商売道具にならない
時代の到来をひたすら祈り†
待ちわびています。

「神よ!人類の苦しみの流れはますます大きくなってきています。どうか人間同士の憎しみの連鎖を断ち切る力、優しさと平和を願うあなたの愛を現実に表してください†」

平和を願うあなたの
しもべより


(写真は)
います生誕の聖画と、イエス生誕教会の外観です。

2012-12-09

今週の聖句 12月9日〜15日

選ばれたひとたち

ルカ1:26~38

六か月目に、御使ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤの町の一処女のもとにきた。

この処女はダビデ家の出であるヨセフという人のいいなづけになっていて、名をマリヤといった。

御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。

この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあいさつはなんの事であろうかと、思いめぐらしていた。

すると御使が言った、「恐れるな、マリヤよ、あなたは神から恵みをいただいているのです。

見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。

彼は大いなる者となり、いと高き者の子と、となえられるでしょう。そして、主なる神は彼に父ダビデの王座をお与えになり、

彼はとこしえにヤコブの家を支配し、その支配は限りなく続くでしょう」。

そこでマリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。

御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう。

あなたの親族エリサベツも老年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、はや六か月になっています。

神には、なんでもできないことはありません」。

そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は彼女から離れて行った。

2012-12-05

愛の樹の親愛なる友エリサンへ

エリサンが様々な困難を
乗り越えて行く姿に
神の偉大さと栄光を見ます。

様々な試練、困難に
直面してもプレシイーへの愛が全うされることを信じています。

愛することが出来る
魂は成長します。


エリサンの大切な家族を
神様がほぅつておく筈がありません。

いろいろ険しい道が続くと思いますが、助け合い、祈りあって行きましょう。

エリサンの上に神の力が
働きますように祈っています。

ポスターの詳細が
よく分からないと
志朗から知らせて来ました。
写真は送れたら転送します。

オショチ†

シカゴ・パスクアさんからのメール

パスクアさんからのメール2012年12月4日

題:PAECカレンダー計画表のスポンサー

親愛なるオショチ、和子さんと愛の樹家族へ

皆様が順調であることを思い祈ります。 しばらくご無沙汰してしまいました。お互いのために祈り、そのギャップを埋めましょう。

私はここシカゴで、神様の恵みのうちに、あらゆる状況の中で最善をつくそうと努力しています。
2月13日に、私の現在の二重の立場についての、シカゴメトロポリタン協会の委員会に出席します。 皆様のお祈りを切にお願いします。

プレシーがこちらに来る件について、ビザ申請のためのよい機会とスポンサーが見つからなかったので、時が来れば決まります。 少々遅くなるかもしれません。 時などは神様にお任せして、プレシーのために動きます。


添付したのはPAECの2013年カレンダー計画表を発行するための勧誘状です。(ダウンロードできればいいのですが)  これは愛の樹家族を私が紹介できるよい機会だと思いました。 写真の広告を12月15日まで送ってください。eメールで送ってください。 どうもありがとうございます。

神様の祝福がありますように

敬具

エリ

(注)添付書類はダウンロードできましたが、まったく読めず、内容はわかりませんでした。

2012-12-02

今週の聖句 12月2日〜8日

詩篇75篇
聖歌隊の指揮者によって、「滅ぼすな」というしらべにあわせてうたわせたアサフの歌、さんび

神よ、われらはあなたに感謝します。
われらは感謝します。
われらはあなたのみ名を呼び、
あなたのくすしきみわざを語ります。

定まった時が来れば、
わたしは公平をもってさばく。

地とすべてこれに住むものがよろめくとき、
わたしはその柱を堅くする。〔セラ

わたしは、誇る者には「誇るな」と言い、
悪しき者には「角をあげるな、

角を高くあげるな、
高慢な態度をもって語るな」と言う。

上げることは東からでなく、西からでなく、
また荒野からでもない。

それはさばきを行われる神であって、
神はこれを下げ、かれを上げられる。

主の手には杯があって、
よく混ぜた酒があわだっている。
主がこれを注ぎ出されると、
地のすべての悪しき者は
これを一滴も残さずに飲みつくすであろう。

しかしわたしはとこしえに喜び、
ヤコブの神をほめうたいます。

悪しき者の角はことごとく切り離されるが
正しい者の角はあげられるであろう。

2012-11-29

朝方の夢

今朝方
眉間の十字架がビリビリし始めたので
額に指を当てていたら、突然透明感に包まれた。


辺りに清らかな空気が漂い、
全ての命が幸せの中に安心して暮らしていた。

体が軽くなり何の抵抗感もなく、思った瞬間に行きたい場所にいた。

今まで見聞きした程度の不完全な癒しとは
全く異次元の完全な癒しが在ると確信した
 モーセの十戒が授けられた、シナイ山
ホレブの故事を実感した

神は燃える芝の中に光りとして現れた

改めて永遠とは何か命とは何か

生きることとは何か透明感に包まれて
朝を迎えた


オショチ†

2012-11-25

今週の聖句 11月25日~12月1日

詩篇74篇
アサフのマスキールの歌

神よ、なぜ、われらをとこしえに捨てられるのですか。
なぜ、あなたの牧の羊に怒りを燃やされるのですか。

昔あなたが手に入れられたあなたの公会、
すなわち、あなたの嗣業の部族となすために
あがなわれたものを思い出してください。
あなたが住まわれたシオンの山を
思い出してください。

とこしえの滅びの跡に、あなたの足を向けてください。
敵は聖所で、すべての物を破壊しました。

あなたのあだは聖所の中でほえさけび、
彼らのしるしを立てて、しるしとしました。

彼らは上の入口では、おのをもって
木の格子垣を切り倒しました。

また彼らは手おのと鎚とをもって
聖所の彫り物をことごとく打ち落しました。

彼らはあなたの聖所に火をかけ、
み名のすみかをけがして、地に倒しました。

彼らは心のうちに言いました、
「われらはことごとくこれを滅ぼそう」と。
彼らは国のうちの神の会堂をことごとく焼きました。

われらは自分たちのしるしを見ません。
預言者も今はいません。
そしていつまで続くのか、われらのうちには、
知る者がありません。

神よ、あだはいつまであざけるでしょうか。
敵はとこしえにあなたの名をののしるでしょうか。

なぜあなたは手を引かれるのですか。
なぜあなたは右の手を
ふところに入れておかれるのですか。

神はいにしえからわたしの王であって、
救を世の中に行われた。

あなたはみ力をもって海をわかち、
水の上の龍の頭を砕かれた。

あなたはレビヤタンの頭をくだき、
これを野の獣に与えてえじきとされた。

あなたは泉と流れとを開き、
絶えず流れるもろもろの川をからされた。

昼はあなたのもの、夜もまたあなたのもの。
あなたは光と太陽とを設けられた。

あなたは地のもろもろの境を定め、
夏と冬とを造られた。

主よ、敵はあなたをあざけり、
愚かな民はあなたのみ名をののしります。
この事を思い出してください。

どうかあなたのはとの魂を
野の獣にわたさないでください。
貧しい者のいのちをとこしえに忘れないでください。

あなたの契約をかえりみてください。
地の暗い所は暴力のすまいで満ちています。

しえたげられる者を恥じさせないでください。
貧しい者と乏しい者とに
み名をほめたたえさせてください。

神よ、起きてあなたの訴えをあげつらい、
愚かな者のひねもすあなたをあざけるのを
みこころにとめてください。

あなたのあだの叫びを忘れないでください。
あなたの敵の絶えずあげる騒ぎを
忘れないでください。

2012-11-23

『正し給え!』天路歴程・地路歴程26

人の偽りでわななく!真からら生まれ!
魂を心底から魅了しうる、新たな時代を与え給え!


若者が、価値ある
可能性にチャレンジ出来る新しき時代を与え給え!


若者をこき使い、
貴重な未来を搾取する輩を罰し給え!


埋もれた才能が正しく評価される時代を与え給え!

おお!神よ!

若者達が希望を抱き若い命の貴さに目覚め、自らを断つことから、立ち上がり!


希望の持てる建設的な社会を与え給え†


虚言を弄し、人々を惑わす輩を!金と権力の亡者に、神よ鉄拳を振るい給え!


チャラチャラした
軽薄な風潮に群がる権力者に正気を与え給え!

不毛の対立から生じる対立集団から
悲惨な殺しあいから、幼子、老人を守り給え!


信じあい、愛しあう心を人類に与え給え!

猜疑心に煽られ怖じ気付く国々の、軍事力に勝る叡知を政治に与え給え!

人々を戸惑わす
三文芝居。
内容のない見世物で
客集め。
主役が、国民から政治家諸君へ?


主役を侮る傲慢な
政治家諸君。官僚。
露払いの財界。神よ彼らに正気与え給え!


我が国の政治は周り舞台、速成の周り舞台!
登場人物もにわか仕立てで開幕間近。
三文芝居の役割り振りで、開幕!開幕!
もう辟易でござる!

河童

2012-11-21

詩人の魂 天路歴程・地路歴程25

久しぶりに霊魂の旅を終えて懐かしい我が家に、辿り着いた感じがします。

果てしない創造主の宇宙空間の霊魂の旅路を実感しました。

僅か数ヶ月の仕事でしたがずいぶん長い年月が経った気がします。

ラビ ベン エズラ、ロバート・ブラウニングの二人の巨人の魂を記述し終えて、ホッとしました。

二人が心の奥底で霊視し、聴いた神の言霊は、底知れぬ深さ、深遠な響きを今も響かせています。

肩の荷を降ろした感じです。

ご存知の方がおられることと思いますが、改めて二人の概略をご紹介いたします。

アブラハム・ヘシェル(1907〜1972年)ユダヤ神学校の教授

ロバート・ブラウニング
1812年5月7日イギリス ロンドンで誕生
1889年12月12日 イタリア ウ゛ェネツィアにて死没。
イギリスの詩人。
詩人エリザベス ブラウニングの夫であり、彫刻家ロバート・バレット・ブラウニングの父。
正規の学校教育を受ける機会はわずかであった。
1846年、エリザベス・バレットと結婚し、岳父の反対によってフィレンツェに移住する。
妻の死後にロンドンに戻るが、晩年にヨーロッパに渡り歩いた末にイタリアに戻り、フィレンツェで没した。

代表作としては劇詩「ピッパが通る」(1841年)が挙げられ、特にその一節「神は天に在り、世全てこともなし」が広く知られる。

これから私の仕事を再開します。

二人の巨人には到底及びませんが、「天路歴程・地路歴程」を示されたときに平易な言葉で記述します。


今、充電期間中です。

体力的には無理は禁物ですから少しずつやります。

添付写真は神秘的なブラックホールです。

愛の樹オショチ†

2012-11-18

ラビ・ベン・エズラ 5

ご多忙中に関わらず、拙いブログをお送りし失礼致しました。

これを以て最後の締めくくりにさせていただきます。

私が望んだ人生と重なった生き方に共感したのが、上田敏訳「春の朝」の作者、ロバート・ブラウニング作「ラビ・ベン・エズラ」でした。

難解な文語体に加え現代の、当用漢字にも掲載されていない古語もありますが。

日本語の乱れの中で、是非とも今一度、この優れた「詩」を美しい日本語を私なりに残したいと願いました。。

難解な詩ですがわたし達が失った大切な高い精神性が詩の中にうたわれています。

混乱に巻き込まれた人類の一助になればと切望する次第です!

ロバート・ブラウニング作
「ラビ・ベン・エズラ」

(二十七)

馬鹿な! いやしくも在(あ)りとしあるもの全ては、永久に存して 取り消し難し。

地は変わる、しかし 汝の魂と神とは確(かた)く立つ。

汝に入ったところのもの、
その在りしものは 今あり、また在らん。

時の轆轤は逆転も 休止もしよう、
しかし 陶工と土塊(つちくれ)とは存続する。

(二十八)

この円舞する 可塑性(プラスチック)の環境の
ただ中に 神は汝を固定した、

実に汝が好んで把(とら)えようとする この現在こそは、

汝の魂に性向を与え
汝を試練し 充分に刻印して
汝を送り出すために
意図せられた機械に 外ならない。

(二十九)

たとえ 当初の紋条が 底辺に
ほほえむ愛をきざみゆきて
最早とぎれず 印さずとも 何であろう?

たとえ 汝の縁のまわりに
凄(すご)い様子で 髑髏(どくろ)の形が次々と
あらわれ より厳粛な気分で
峻刻(しゅんこく)に彫り込まれるにまかすとも 何であろう?

(三十)

汝、下を見ずして 上を仰ぎ見よ!
盃(さかずき)の御用を 仰ぎ見よ!

饗宴の筵(むしろ)、ランプの閃(ひらめ)き、ラッパの響き、
新しき酒 泡立ち溢れ、

主の聖唇は もえて映(は)ゆ!

汝、天の完き盃よ、
いかで 汝に地の轆轤(ろくろ)が要ろうか?

(三十一)

されど かの時の如く今も私は 貴神(なんじ)を要す

人を造型し給う神よ。爾(じ)来、

その旋回が 最悪の時期にすらも、━━

人生の轆轤にしばられて
おびただしい形や色に 目くらみつつも━━

貴神の渇きをいやすべき
わが目的を 私は誤らなかった。

(三十二)

されば 貴神(なんじ)の作品を取りて 用い給え、
修正なし給え、潜める瑕瑾(きず)を、

素地の無理を、御意図をこえたひずみを!
わが時は 貴神の御手にあり!

御計画の如く 盃を完成なし給え!

老年をして 若き年を肯定せしめ、

死をして 老年を完からしめよ!

以上で終わらせて頂きます。

2012年11月18日
愛の樹教会
愛川英雄


追記:オショチブログは愛の樹ホームページに引き続き掲載いたします。

今週の聖句 11月18日〜25日

詩篇73篇
アサフの歌

神は正しい者にむかい、
心の清い者にむかって、まことに恵みふかい。

しかし、わたしは、わたしの足がつまずくばかり、
わたしの歩みがすべるばかりであった。

これはわたしが、悪しき者の栄えるのを見て、
その高ぶる者をねたんだからである。

彼らには苦しみがなく、
その身はすこやかで、つやがあり、

ほかの人々のように悩むことがなく、
ほかの人々のように打たれることはない。

それゆえ高慢は彼らの首飾となり、
暴力は衣のように彼らをおおっている。

彼らは肥え太って、その目はとびいで、
その心は愚かな思いに満ちあふれている。

彼らはあざけり、悪意をもって語り、
高ぶって、しえたげを語る。

彼らはその口を天にさからって置き、
その舌は地をあるきまわる。

それゆえ民は心を変えて彼らをほめたたえ、
彼らのうちにあやまちを認めない。

彼らは言う、「神はどうして知り得ようか、
いと高き者に知識があろうか」と。

見よ、これらは悪しき者であるのに、
常に安らかで、その富が増し加わる。

まことに、わたしはいたずらに心をきよめ、
罪を犯すことなく手を洗った。

わたしはひねもす打たれ、
朝ごとに懲しめをうけた。

もしわたしが「このような事を語ろう」と言ったなら、
わたしはあなたの子らの代を誤らせたであろう。

しかし、わたしがこれを知ろうと思いめぐらしたとき、
これはわたしにめんどうな仕事のように思われた。

わたしが神の聖所に行って、
彼らの最後を悟り得たまではそうであった。

まことにあなたは彼らをなめらかな所に置き、
彼らを滅びに陥らせられる。

なんと彼らはまたたくまに滅ぼされ、
恐れをもって全く一掃されたことであろう。

あなたが目をさまして
彼らの影をかろしめられるとき、
彼らは夢みた人の目をさました時のようである。

わたしの魂が痛み、わたしの心が刺されたとき、

わたしは愚かで悟りがなく、
あなたに対しては獣のようであった。

けれどもわたしは常にあなたと共にあり、
あなたはわたしの右の手を保たれる。

あなたはさとしをもってわたしを導き、
その後わたしを受けて栄光にあずからせられる。

わたしはあなたのほかに、だれを天にもち得よう。
地にはあなたのほかに慕うものはない。

わが身とわが心とは衰える。
しかし神はとこしえにわが心の力、わが嗣業である。

見よ、あなたに遠い者は滅びる。
あなたは、あなたにそむく者を滅ぼされる。

しかし神に近くあることはわたしに良いことである。
わたしは主なる神をわが避け所として、
あなたのもろもろのみわざを宣べ伝えるであろう。

2012-11-14

天国と一日のおわり!

一日のおわりをむなしくしないために、心の奥底まで深く満たされたいと神様に、朝、願います。

幼いころ心に描いたわくわくする夢が意外に力になります。

幼い日に見た夢は、ずっと遠い未来の夢でしたが清らかでした。

歳月がどんどん流れて幼い日に見た夢は、手垢にまみれて、高望みに思われましたが、歳をとり、考え方が変わりました。

時の流れが残酷に奪った肉体や健康。

愛する人の死は、私に天国を見る機会を与えてくれまました。

最近、気付きました。

…天国では、地上で、残酷に奪われた物は、幸せな状態で神様から返して頂けると。

昔、若者は考えました。

一旗揚げて大きなことを成し遂げようと!

若者の野心はある日、神様にすり替えられて気付いた時には、人を幸せにする生き方に変えられていました。

神様は私に幼い日に見た夢を取り戻してくださいました。

愛が最高の幸せだと!

地上で生きた人間は天国でも成長し、地上で果たし得なかったことが完成すると。

悪人でも、野心家でも神様は駄目な人間にも命の完成を与えてくださいます。

独りよがりの幼稚な幻想に過ぎなかった若者の考えは、神様に変えられ、創造の恩恵に預かりました。

今日の一日もかけがえのない一日でした!

天国の案内人


2012-11-12

ラビ・ベン・エズラ 4

毎日生きることと真摯に向き合っています。

闘病生活の中から生み出せるものがあります。

「神との霊的交わりです。霊魂不滅の希望です。」

ロバート・ブラウニングの詩、ラビ・ベン・エズラは若い日には難解でしたが、少し解りかけてきました。


(二十)

もし 義と善と無限なるものとを
汝の手を汝のものと呼び得るように

絶対的知識をもって
ここで名指し得るならば 今や十分だ、

若き日をにぎわし
汝に独自の感慨(かんかい)を得させなかった愚人どもの

あの論争(いさかい)に左右されることもないまでに。

(二十一)

一度すっかり小人輩(ばら)から
偉大なる人を 厳別せしめよ!

おのおの 過去における地位を明示して。

何れが正しきや? 世が非難せしこの私か、
はた わが魂の軽蔑したる彼らか。

老年をして 真実を語らしめ、
最後には 平安を我らに与えよ!

(二十二)

そこで 誰が裁断するのか?
十人が 私の憎むものを愛し、
私の従うものを避け、私の受けるものを軽んずる。

その十人、耳も目も私に劣らず。

我らすべては 推測するのみ、
彼らはこの事を、私はかの事を。
誰をか わが魂は信ずべき?

(二十三)

「事業」と呼ばれる 卑俗な嵩(かさ)の上に
判決を下すべきにあらず。

人目を引き 値のついたような仕事に、
低俗な世が 平俗な立場から手を置いて

直ちに気に入って 忽(たちま)ち値踏みできたようなものに、
━━判決を下すべきにあらず。

(二十四)

されど この世の粗(あら)い親指と中指とで

測りそこねて 主なる評価も
せぬままに 見過ごした全てのこと、
未だ熟さなかった全ての直覚力、

未確定の全ての志望、
それは 人の事業として秤(はか)られないが
なお その人の真価を増したものだ。

(二十五)

狭苦しき行為の中に
詰め込み得ざる思想、
言葉を破って逃げゆく空想、
私が望めど 成り得なかった全て、
私の中にあるのに 人々が無視した全て、

━━これぞ、神に対する私の価値である。

神の轆轤(ろくろ)が この壺を形造ったのだ。

(二十六)

ああ、観(み)よ 陶工の轆轤(ろくろ)を、その比喩(ひゆ)を!

そして感得せよ、なぜ時が 速やかにめぐり
なぜ土塊(つちくれ)の我らが 受身で置かれているかを。

馬鹿どもは 酒が一座をまわるとき
汝に談論して言う、

「人生はたちまち過ぎ、全ては変化である。
過去はもう去った、今日をつかめよ」と。

あと一回で終わります。
   愛の樹オショチ†

2012-11-11

今週の聖句 11月11日~17日

詩篇72篇
ソロモンの歌

神よ、あなたの公平を王に与え、
あなたの義を王の子に与えてください。

彼は義をもってあなたの民をさばき、
公平をもってあなたの貧しい者をさばくように。

もろもろの山と丘とは義によって
民に平和を与えるように。

彼は民の貧しい者の訴えを弁護し、
乏しい者に救を与え、
しえたげる者を打ち砕くように。

彼は日と月とのあらんかぎり、
世々生きながらえるように。

彼は刈り取った牧草の上に降る雨のごとく、
地を潤す夕立ちのごとく臨むように。

彼の世に義は栄え、
平和は月のなくなるまで豊かであるように。

彼は海から海まで治め、
川から地のはてまで治めるように。

彼のあだは彼の前にかがみ、
彼の敵はちりをなめるように。

タルシシおよび島々の王たちはみつぎを納め、
シバとセバの王たちは贈り物を携えて来るように。

もろもろの王は彼の前にひれ伏し、
もろもろの国民は彼に仕えるように。

彼は乏しい者をその呼ばわる時に救い、
貧しい者と、助けなき者とを救う。

彼は弱い者と乏しい者とをあわれみ、
乏しい者のいのちを救い、

彼らのいのちを、しえたげと暴力とからあがなう。
彼らの血は彼の目に尊い。

彼は生きながらえ、
シバの黄金が彼にささげられ、
彼のために絶えず祈がささげられ、
ひねもす彼のために祝福が求められるように。

国のうちには穀物が豊かにみのり、
その実はレバノンのように山々の頂に波打ち、
人々は野の草のごとく町々に栄えるように。

彼の名はとこしえに続き、
その名声は日のあらん限り、絶えることのないように。
人々は彼によって祝福を得、
もろもろの国民は彼をさいわいなる者と
となえるように。

イスラエルの神、主はほむべきかな。
ただ主のみ、くすしきみわざをなされる。

その光栄ある名はとこしえにほむべきかな。
全地はその栄光をもって満たされるように。
アァメン、アァメン。

エッサイの子ダビデの祈は終った。

2012-11-07

ラビ・ベン・エズラ 3

ホセ・デ・リベーラ「モーゼ」(1638)

ロバート・ブラウニングの詩をお届けいたします。

愛の樹オショチ†


(十三)

されば 私は老年をさし招き
青年の嗣業を授けたい、

人生を戦い果てて その終わりに達したれば。

これより私は渡りゆこう、一人前の人と認められ
発達した獣からは 永遠に解脱(げだつ)し

未だ芽生えにはあれど
一つの神として。

(十四)

されば ここに一休みして後、私は
もう一度 勇ましく 新しい
冒険の途(みち)に 出立しよう。

次の戦闘をはじめる時には
恐れまい 惑(まど)うまい、
どんな武器を択
(えら)ぼうか どんな鎧(よろい)をつけようか、と。

(十五)

青年期 終えて、今ここに

わが成敗、損益を吟味しよう。

火焔は灰に帰するも、なお黄金を残す。

その目方を量って 私は
人生を賞(ほ)めもし
咎(とが)めもしよう。

若き時は 万事が論争に埋もる、

老いてのち 真相を私は知る。

(十六)

見よ、黄昏(たそがれ)の閉ざす頃、
しかと一瞬が 仕事を仕切り

灰空から 栄光の雲を呼び出すや、
西の方から 一つの囁(ささや)きが射(い)来たる、

「この日を 他の日々に加えよ。
また取り上げて その価(あたい)を調べよ。
ここに一日が 消えてゆく」と。


(十七)

かくて 人生の闘いを超脱(ちょうだつ)したれども、
この余生ある間に 私をして
見分け、見較(くら)べ、遂に断言せしめよ、

「この憤激は 概(おおむ)ね正しく、
かの黙従は 無駄であった。
今や過去を閲(けみ)したれば、
未来に私は立ち向かい得る」と。

(十八)

今日学びし事を 明日行おうと

やっと力づけられた人に、
もう為(な)すべき業は 何も残っていない。

ここでは、主の御働きを見まもって
正しき技巧のヒントをとらえ
道具の真の使い方のこつを把(つか)めばよい。

(十九)

青年は 既成のものに安んずるよりは
その技拙(つたな)くとも 創作に向かって
励むことこそ よい。

老いては なお試みるよりは
闘いを免れて 悟ることこそ よい。

汝は老年を待った。死を待ちて 恐れるな!

小さな紫の花の命


まさか?こんなところで幸せを与えてくれる命に会うとは!

狭い部屋の片隅に何年前か?忘れましたが小鉢の紫色の花を買い窓ぎわに置きました。

枯れかかってもうダメかな?と、諦めかけていましたが、水は必ずやっていました。

先ほど、ベッドに入り灯りを消そうとした瞬間、直径1センチほどの地味な小さな紫の"花が命と一緒に"心に飛び込ん来また。

このごろ体調も優れずにいましたが、癒されました。

小さな花にも命があり、それに気づかせる力・エネルギーが在ること改めて深く思いました!

感謝†
オショチ†

2012-11-04

今週の聖句 11月4日~10日

詩篇71篇後半

わたしの口はひねもすあなたの義と、
あなたの救とを語るでしょう。
わたしはその数を知らないからです。

わたしは主なる神の大能のみわざを携えゆき、
ただあなたの義のみを、ほめたたえるでしょう。

神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。
わたしはなお、
あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。

神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、
あなたの力をきたらんとするすべての代に
宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。

神よ、あなたの大能と義とは高い天にまで及ぶ。
あなたは大いなる事をなされました。
神よ、だれかあなたに等しい者があるでしょうか。

あなたはわたしを多くの重い悩みに
あわされましたが、再びわたしを生かし、
地の深い所から引きあげられるでしょう。

あなたはわたしの誉を増し、
再びわたしを慰められるでしょう。

わが神よ、わたしはまた立琴をもって
あなたと、あなたのまこととをほめたたえます。
イスラエルの聖者よ、
わたしは琴をもってあなたをほめ歌います。

わたしがあなたにむかってほめ歌うとき、
わがくちびるは喜び呼ばわり、
あなたがあがなわれたわが魂もまた
喜び呼ばわるでしょう。

わたしの舌もまたひねもす
あなたの義を語るでしょう。
わたしをそこなわんとした者が
恥じあわてたからです。

2012-10-31

天国の夢を見ました


【天国の夢】

出来るなら穢れない幼子に戻りたいと願いました。

出来るなら肉体に生まれる以前の清浄な霊に戻りたいと神様に話しました。

私の記憶、個性、意識。

愛の命の全てのふるさと天国†

アイデンティティーを培ったふるさと。

歳月が流れ、肉体は老いて、私はふるさとを懐かしむのです。

辛い闘病も我慢ができるし。

世俗の垢の付いた衣服も我慢して纏いましょう。

帰天の希望が心を支えてくれるなら!

瞳が緑色に変わった人を見ました。

やがて茶色に変わり、 旅立ちの間際に、
天国はと?
問われ、

緑の瞳は緑のまま、茶色の瞳はそのままに!

赤毛は赤毛のまま、お望みのまま、受け入れられるでしょうと答えました。

私の天国は、あなたはの願う天国と同じようではないかもしれない。

何故そんな風に言われるのでしょうか?

あなたが今の姿のままでいたいと望むなら、天国は、望むありのままを受け入れましょう。

天国は望みが叶う場所です。

もう少しお話しすれば、天国で失うものはなに一つない。

全てが満たされます。

老いた人は若返り、幼子は完璧に美しい若者に育ちます!

あなたに問題があれば、何が問題なのか?たちどころに顕らかとなり瞬時に悩みは解消されるでしょう。

私たちの肉体は地上では儚い。

実に儚い。

「思い悩むな!」と言われて悩みます。

「今日は生えていて、明日炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたはなおさらではないか。信仰の薄い者たちよ。」


【天国は風光明媚】

天国で神の創造にあやかることも可能でしょう!

地上では思い浮かばないアイディアを使えば宇宙の星々を、心から楽しんで造ることも可能でしょう!

惑星を彫り光る星を空にちりばめても良いのです。

銀河を造り希望の小舟を浮かべては如何でしょうか!

夢に見た天国は風光明媚、全てが幸せに満ちた生活でした!

神様の光りは天国の人々の命の全てを満たす糧なのです


オショチ†

ラビ・ベン・エズラ 2

ロバート・ブラウニングの詩をお届けいたします。全編32節で構成されています。今回は12節までお送りいたします。
格調高い文語体です。解説抜きでお届けいたします。


(六)


されば  平坦な地上に波瀾(はらん)を巻きおこす
一つ一つの挫折をも  歓迎せよ、

立つも座るも得しめず  ただ進ましむる一つ一つの刺(とげ)をも!

我らの喜びに  四分の三の苦しみあれかし!

力闘し、易々として尽瘁(じんすい)せよ。

学びて  疼痛を物ともせず、挑んで  劇痛に呟(つぶや)くな!

   (七)

それ故に  ━━ 一つの逆説だが
それは嘲(あざけ)りつつも
 慰めるもの ━━

人生は失敗と見ゆる処(ところ)にて  成功する。

私が成ろうと熱望したのに
成り得なかったその事が  私を慰める。

私は野獣となり得たであろうに

しかし  その様にまで  落ち込むを欲しなかった。

  (八)

その肉が  霊をして適合せしむるもの

手足を動かそうとしてのみ
魂が働くもの

野獣でなくして  彼は何であろう?

人間に対しては  この試験(テスト)を課してみよ ━━

その身体が最高潮のとき

如何に遠くまで  汝の魂を投射しうるや、その孤独の道に?

  (九)

されど賜物は  その効用を立証すべし。

私は認める、若き日は身技ともに

力みなぎり、いかなる場合にも完全であった。

わが目と耳とは  その分け前を受け取り、
頭脳は  全きものを貯えたものだ。

一度ならず心臓は  ときめいたではないか、

「生きて学ぶは  如何に善きかな」と。

  (十)

一度ならずときめいた、
「貴神(なんじ)に誉あれ!

私はその筋書(デザイン)の全てを見る、

かつて完(まった)き力を見た私は  今や完き愛を見る。

貴神の御計画は完全なりと
私は叫ぶ。

私は人でありしことに  感謝する!

創造主(つくりぬし)よ、改造し、完成なし給え、

貴神の為し給うことに  私は委ねまつる!」と。

  (十一)

楽しからずや、この肉は。

わが霊魂は、その薔薇色(ばらいろ)の網の中にて

つねに地に引かれつつも、安息を慕う。

ある素晴らしきものを  我らは捕らえたし、

獣の所有する  これら多彩なものに対抗せんために。

最善を尽くしたごとく、最大を得ん!

  (十二)

我らは口ぐせにも言うまい、
「この肉を顧みずに  今日まで
私は競い、精進し、概して進歩した」と。

鳥が羽ばたき歌う如くに  我らは叫ぼう、

「すべて善きものは  我らのものだ。
霊が肉を助けるように  今や肉も霊を助けるのだ!」と。

後、3回で終了します。

愛川英雄
愛の樹オショチ†

2012-10-28

今週の聖句 10月28日~11月3日

詩篇71篇前半

主よ、わたしはあなたに寄り頼む。
とこしえにわたしをはずかしめないでください。

あなたの義をもってわたしを助け、
わたしを救い出してください。
あなたの耳を傾けて、わたしをお救いください。

わたしのためにのがれの岩となり、
わたしを救う堅固な城となってください。
あなたはわが岩、わが城だからです。

わが神よ、悪しき者の手からわたしを救い、
不義、残忍な人の支配から、
わたしを救い出してください。

主なる神よ、あなたはわたしの若い時からの
わたしの望み、わたしの頼みです。

わたしは生れるときからあなたに寄り頼みました。
あなたはわたしを母の胎から取り出されたかたです。
わたしは常にあなたをほめたたえます。

わたしは多くの人に
怪しまれるような者となりました。
しかしあなたはわたしの堅固な避け所です。

わたしの口はひねもす、あなたをたたえるさんびと、
頌栄とをもって満たされています。

わたしが年老いた時、わたしを見離さないでください。
わたしが力衰えた時、わたしを見捨てないでください。

わたしの敵はわたしについて語り、
わたしのいのちをうかがう者は共にはかって、

「神は彼を見捨てた。彼を助ける者がないから
彼を追って捕えよ」と言います。

神よ、わたしに遠ざからないでください。
わが神よ、すみやかに来てわたしを助けてください。

わたしにあだする者を恥じさせ、滅ぼしてください。
わたしをそこなわんとする者を、
そしりと、はずかしめとをもっておおってください。

しかしわたしは絶えず望みをいだいて、
いよいよあなたをほめたたえるでしょう。

2012-10-25

ラビ・ベン・エズラ 1

暗い世情です。
昔、学んだ、神への感謝を込めた、人生賛歌です。数回に分けてお届けいたします。

【ラビ・ベン・エズラ】 ロバート・ブラウニング作

(一)

老いゆけよ、我と共に!
最善は これからだ。
人生の最後、そのために最初も造られたのだ。
我らの時は 聖手(みて)の中にあり

神言い給う 「全てを私が計画した。
青年はただ その半ばを示すのみ。
神に委ねよ。全てを見よ しかして恐れるな!」と。

(二)

さにあらず、百花繚乱の中にて
青春の吐息(といき)して
「何れ(いずれ)の薔薇(ばら)を摘み取ろう、
何れの百合を残して とっておきにしよう」と言うも。

さにあらず、賛美すべき星辰に
憧れては 「木星にあらず、火星にもあらず、
わが憧憬は 全ての星を併せても
いやまさりて輝く 炎にぞあれ!」と言うも。

(三)

かかる希望と恐れのために
短い青春を徒消(としょう)すべきにあらず、 となれば
「馬鹿な。とんだ見当違いだ!」と私は抗議する。

むしろ 私は懐疑を尊重したい、
懐疑なくして 下等な者たちは生存する、
出来上がったそれきりの土塊(つちくれ)は 火花に騒ぎもしない。

(四)

人もし享楽のためにつくられ
ただ 探し、見つけ、宴楽にありつくに過ぎずば、
まこと 生ける誇りのむなしさよ。

かかる宴楽の その果てに
必ず終わりが 人間には来るものだ。
飽食した鳥が 煩悶しようか?
満腹した獣に 焦心があろうか?

(五)

喜べや われらは類属す
備えても 与(あずか)らぬ者に、
実らせても
受けぬ者<神>に!

一つの火花(スパーク)が 我らの土塊をさわがせる。
私は信ぜずにおれようか、
受けるばかりの
その被造物よりも
与え給う神に より近く属する身なるを。

続きます。

愛の樹オショチ†

2012-10-21

今週の聖句 10月21日~27日

詩篇70篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの記念の歌

神よ、みこころならばわたしをお救いください。
主よ、すみやかにわたしをお助けください。

わたしのいのちをたずね求める者どもを
恥じあわてさせてください。
わたしのそこなわれることを願う者どもを
うしろに退かせ、恥を負わせてください。

「あはぁ、あはぁ」と言う者どもを
自分の恥によって恐れおののかせてください。

すべてあなたを尋ね求める者は
あなたによって喜び楽しむように。
あなたの救を愛する者は
つねに「神は大いなるかな」ととなえるように。

しかし、わたしは貧しく、かつ乏しい。
神よ、急いでわたしに来てください。
あなたはわが助け、わが救主です。
主よ、ためらわないでください。

2012-10-20

アブラハム・ヘシェルの随想

【はじめに】
ここにご紹介する随想文は、神学を学んでいる頃、たびたび聖書講義の合間に聞かされましたが、忘れかけていました。

しかし歳を取り身近に感じるようになりました。

高齢化社会に入り、感銘深い人生訓だと改めて思い慎んでお届けいたします。

愛川英雄拝
愛の樹オショチ†

老年は内面性の成長期
  アブラハム・ヘシェル(1907〜1972年)

 私は次のことを提案したい。
 人が変わり、成長する可能性は、私たちが思う以上に大きい。老年は停滞の年代と思われがちだが、むしろ内面性が成長する時期である。老人は病人のように扱われるべきではないし、その隠退を社会の第一線から長く退いてしまった状態、と見てはならない。
 老年期こそ、それまでに感得しそこねた高い価値、身につけられなかった洞察力、顧みなかった叡智を私たちに得させる時だ、と言ってもさしつかえない。

 その時期は実に豊かな可能性をもった人格形成期である。長い人生で知らないうちに身についた愚行をやめ、生来の自己欺瞞の偽りを見抜き、人を理解し、思いやる心を深め、誠実な心の領域を広げ、公正さへの感覚を精錬することができるのだ。

 年輪を重ねた人は、大局的に物事を見、失敗の経験を積んでいるから、偏見と既得権益への飽くなき執着心を捨てることができる。その時に、もはや仲間を自分の前に立ちはだかる競争者と見ることはないだろう。

 老人のための大学が必要である。その教育の目標は、老人を忙しくさせておくことではなく、一瞬一瞬が偉大になるための好機である、と気づかせることにある。内面の純化は、少なくとも趣味や娯楽と同じくらい重要である。心の中から、憎しみ、恨み、嫉妬の残渣(ざんさ)を取り除くことは、だれもが闘うべき確かな目標である。
 ほとんどの人は、老年を迎える準備を青年期の日々になすべきだ、ということを自覚していない。
 老年のために霊的備えをせよ。それをいかに深めるかを学べ。これは、若い時から心すべき命題である。昔から、老いた者ほど叡智があると言われてきたが、まさしくそうだ。しかし、年齢は叡智の保証書ではない。格言にいわく、
「賢い老人は、年をとるに従って賢くなる。粗野な老人は、年をとるに従って愚かになる」
(著書『The Insecurity of Freedom』より抄訳)

この後、腱鞘炎と相談しながらですが?

「ラビ・ベン・エズラ」 ロバート・ブラウニング作【第1連】

「老いゆけよ、我と共に!最善は これからだ。」
をご紹介させて頂きます。

アブラハム・ヘシェル

2012-10-18

神よなぜ? 天路歴程・地路歴程24

【イエスの弟子たち】
 
初代教会のイエスの弟子たちは文字通りイエスを愛した。

惜しげもなく愛のために命を捧げ、貧しい人々、弱い人々に尽くした(神よあなたの御心を実践しました)。

この時代の、イスラエルには様々な不正、悪がはびこり、宗教的権力集団(司祭たち)に弱者は傷めつけられ、搾取され、人々の嘆きは地に満ちた。

あなたは御子を犠牲にされた。

無償の愛が確立されたとわたしたちは思った。

弱者を人間扱いにしない権力に、果敢に立ち向かったのは武器を持たないあなたの御子、イエスの弟子たちであった。

武器は信仰のみ!

素手である。

神よあなたを信じて立ち上がった。

命懸で大切なものを守った。

皆死を覚悟した。

とりわけイスラエルの王ヘロデは残忍な性格の持ち主で、人々の血が流されるのを楽しんだ。

加えて、ローマの圧政下に人々は苦難のどん底にあった。

闇が、イスラエル全土を暗く覆っていた。

その閉塞感を打ち破ったのが、少数のイエスの弟子たちであった。

復活した、イエスは、キリストとなり、革新的エネルギーになった。

来世に蘇る新しい生命が、エネルギー源になつた。

【時代は変われど】

今の日本はアメリカ合衆国の言うがままが罷り通る。

二千年前の、ローマ帝国に支配された、ユダヤと変わらない。

現代人は、イエスご生誕の以前に逆戻りした観がある!

嘘、偽りが天下に罷り通る。

人類が精神的に進化を遂げた痕跡が証明出来ない。

むしろ人間の本質は劣化、退化しているように思われる!

高等宗教の人類救済の始まりには崇高な精神、純粋な愛があり貧しい人々の心の支えになった。

人々を奮いたたせた!

しかし時が経つにつれ教えは世俗的な権力集団にすり変わった。

キリスト教しかり。

人間の不純な心は神の意に反しイエスの犠牲を維持出来ない。

ゴルゴタの十字架の殉教死は、儀式宗教に堕落した。

イエスの死によって人類に与えられた、無償の愛は、貧しい人々に届かず、見捨てられた。

金持ちは優遇された。

【人間とは何物?】


人間の心はブラックボックスである!

闇に包まれている。

残忍な事件は日常茶飯事だし、有効な手立ては未だに見つからない。

人間には狂暴性が隠されている。

狂暴性をコントロールするには神の力が必要である。

わたしたち人間は困難に直面すると俄然力を取り戻す。

神の力が正しい人を助けると信じたい。

人々に幸せをもたらすはずの宗教が神の名において衝突を繰り返し平気で大量殺人を犯す。

わたしたちの"知らない神々の争い"が狂気を生み出すのか?。

自分たちの信奉する"神々"が他宗教に敵対し信仰の大義名分のもとで平然と大量殺人を繰り返す。

【神よなぜ?】

あなたはこのような人間をなぜ?創造されたのでしょうか?

あなたの意図された人間とは、このような生き物でしたか?

答えてください。

義人ヨブはあなたの理想的な人物でしょうか?

わたしたちは人類の狂気を正してくださる真の神をひたすら待ち望みます。

神のしもべ†
「聖ペテロの涙」エル・グレコ(1580−85)

2012-10-14

今週の聖句 10月14日〜20日

詩篇69:21~36

彼らはわたしの食物に毒を入れ、
わたしのかわいた時に酢を飲ませました。

彼らの前の食卓を網とし、
彼らが犠牲をささげる祭を、わなとしてください。

彼らの目を暗くして見えなくし、
彼らの腰を常に震わせ、

あなたの憤りを彼らの上にそそぎ、
あなたの激しい怒りを彼らに追いつかせてください。

彼らの宿営を荒し、
ひとりもその天幕に住まわせないでください。

彼らはあなたが撃たれた者を迫害し、
あなたが傷つけられた者をさらに苦しめるからです。

彼らに、罰に罰を加え、
あなたの赦免にあずからせないでください。

彼らをいのちの書から消し去って、
義人のうちに記録されることのないように
してください。

しかしわたしは悩み苦しんでいます。
神よ、あなたの救が
わたしを高い所に置かれますように。

わたしは歌をもって神の名をほめたたえ、
感謝をもって神をあがめます。

これは雄牛または角とひずめのある雄牛にまさって
主を喜ばせるでしょう。

へりくだる者は、これを見て喜べ。
神を求める者よ、あなたがたの心を生きかえらせよ。

主は乏しい者に聞き、
その捕われ人をかろしめられないからである。

天と地は主をほめたたえ、
海とその中に動くあらゆるものは主をほめたたえよ。

神はシオンを救い、
ユダの町々を建て直されるからである。
そのしもべらはそこに住んでこれを所有し、

そのしもべらの子孫はこれを継ぎ、
み名を愛する者はその中に住むであろう。

新しい人生の幕開け 天路歴程・地路歴程23

【はじめに】

人生のドラマの始まりは、些細なことが幕開けになることもある。

自分でも可笑しな、首を傾げたくなるような体験は、霊的な高次元の神の啓示ではなく、易占い師とのちょっと変わったエピソードが発端である!

続編で、聖書に記述されている占いにも触れて見たい。

【街頭の易占い師】

建築科の学生時代、今から約60年ほど前。

寒い冬の夜。

勉強不足を補い下宿に帰る途中であった。

博多駅の近くで、同級生の木村辰秀君に誘われ、老人の男性占い師を冷やかすつもりで占いをしてもらったことがある。

【筮竹→ぜいちく】

易の占いに使う細い竹の棒。
筮竹(ぜいちく)をガシャガシャ音を立て振り回し、何回か束ねて又、ガシャガシャ!占った結果を厳かに告げられた。

あなたは博多に運がない。上京しなさい。良い方向に行くでしよう。東から風が吹いています。但し条件付きです。小さな事を大事にしなさい。足元に気をつけて、それから大言壮語は禁物。あなたの生涯は宗教に関わると出ました。真剣にやりなさい!



不思議なことに木村君からは見料をとり、私の見料は要らないと言う。

木村君は

可笑しな占い師だなー?何故君が無料で僕だけ払うのか?
可笑しいなぁー?変わった易占い師だねー?
当たるも八卦、当たらぬも八卦だからなぁー?
僕は地元向きだとさ!君は上京しろよ!
後で何とか言ってたな?
「仕事の選択を誤らないようにとか?」
お互い、せっかく建築家を目指しいるんだから、あの占い師のおっさんの話は忘れろよ!君に悪いことをしたな、ごめんよ!

私は、何か街角の占い師に不思議な感情を抱いた。


何処の誰とも知れぬ初対面の若者に貴重なアドバイスを無料でしてくれるとは!

占い師と言うより何か私の先を既に見透している不思議な人物に見えた。

人間の姿をし、占い師に仮装した神の使いか?守護霊か?

占い師の言葉に引き込まれた訳ではないが、私はなんとなく、これから始まる運命を予感した。

【テレパシー】

占い師から発信されるテレパシーを身体全体が感じた。

五感によらず、ある人の意志や感情が(遠く離れたところにいる人にでも)他の人にも伝達される、コミュニケーション手段。

【インスピレーション啓示・神からの霊感】

人間同士のコミュニケーションの手段、テレパシーが人間の五感を超えているくらいだから、神から発信される高次元の霊感はただ事ではないと直感した。

インスピレーションは創造的な様々な過程で、神から啓示をうけ、閃くもの。

人類への神からの賜物かと思う。

但し無条件では無いはず。

人類を不幸にする発明ならいつか人間自身が神の賜物の取り扱いを誤ると自滅の危険性がある。

あの「ダモレスクの剣」である。

誤ると、王自身の頭に鋭い剣が容赦なく突き刺さる。

権力も人間が身勝手に振る舞えば自滅破壊する。

アインシュタイン、エジソン、スティーブ・ジョブズ、最近ノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥教授等々。

彼らは才能と同じ重さの責任も負わされているはずである。

人一倍の才能と努力以外に「閃き」が与えられて何かにたどり着いたがその先を深く考えなければなるまい。

【万能は神から】

使徒パウロの生涯は、キリストの聖霊の愛の助けを借りて人々の救いの手助けをやってのけた。

人間にいつか訪れる

死に対する身の処し方、肉体の死を超えた新しい生命の復活を詳細に示した。

正に人類救済の大事業の始まりであった。

愛の樹オショチ†

ピエトロ・ダ・コルトーナ「パウロの回心」(1631)

2012-10-07

今週の聖句 10月7日〜14日

詩篇68:1~20
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、さんび

神よ、立ちあがって、その敵を散らし、
神を憎む者をみ前から逃げ去らせてください。

煙の追いやられるように彼らを追いやり、
ろうの火の前に溶けるように
悪しき者を神の前に滅ぼしてください。

しかし正しい者を喜ばせ、
神の前に喜び踊らせ、喜び楽しませてください。

神にむかって歌え、そのみ名をほめうたえ。
雲に乗られる者にむかって歌声をあげよ。
その名は主、そのみ前に喜び踊れ。

その聖なるすまいにおられる神は
みなしごの父、やもめの保護者である。

神は寄るべなき者に住むべき家を与え、
めしゅうどを解いて幸福に導かれる。
しかしそむく者はかわいた地に住む。

神よ、あなたが民に先だち出て、
荒野を進み行かれたとき、〔セラ

シナイの主なる神の前に、
イスラエルの神なる神の前に、
地は震い、天は雨を降らせました。

神よ、あなたは豊かな雨を降らせて、
疲れ衰えたあなたの嗣業の地を回復され、

あなたの群れは、そのうちにすまいを得ました。
神よ、あなたは恵みをもって
貧しい者のために備えられました。

主は命令を下される。
おとずれを携えた女たちの大いなる群れは言う、

「もろもろの軍勢の王たちは
逃げ去り、逃げ去った」と。
家にとどまる女たちは獲物を分ける、

たとい彼らは羊のおりの中にとどまるとも。
はとの翼は、しろがねをもっておおわれ、
その羽はきらめくこがねをもっておおわれる。

全能者がかしこで王たちを散らされたとき、
ザルモンに雪が降った。

神の山、バシャンの山、
峰かさなる山、バシャンの山よ。

峰かさなるもろもろの山よ、
何ゆえ神がすまいにと望まれた山をねたみ見るのか。
まことに主はとこしえにそこに住まわれる。

主は神のいくさ車幾千万をもって、
シナイから聖所に来られた。

あなたはとりこを率い、
人々のうちから、またそむく者のうちから
贈り物をうけて、高い山に登られた。
主なる神がそこに住まわれるためである。

日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。
神はわれらの救である。〔セラ

われらの神は救の神である。
死からのがれ得るのは主なる神による。

2012-10-05

イエスとの出合い(20)天路歴程・地路歴程22

【献身】

昔、カトリックのシスターに、メクチルダと言う若い女性がいた。

生まれつき優しい心の持ち主で信仰心に篤かった。

しかし生い立ちは不幸で、義母から虐められ苦労の挙げ句、意に添わぬ結婚を神父に勧められた。

心の優しいメクチルダは、断り切れず、かなり年上の男と結婚した。

結婚当初から酷い仕打ちを受けたが嫌な態度も取らず真心を尽くした。

夫の遊びも酷くなり、それにも耐えた。

メクチルダは心身ともに疲れ果て病床に伏した。

心身、ぼろぼろになり死の世界をさ迷い、神のお恵みで奇跡的に回復した。

神父は、メクチルダの使命を語った。

「貴女は夫の魂を救うために神に仕えなさい。神の使命を果すのです」。

夫の素行はますます酷くなり、悪態をの限りを尽くした。暴力は日常茶飯事であったが、メクチルダは黙って耐えた。

やがて夫も病に倒れた。

メクチルダは誠心誠意、夫に尽くした。

最期の時を迎えた時である。

夫の口から思いがけない言葉が出た。

「長い間、ありがとう!済まなかった。許しておくれ!」

最期に遺した言葉にメクチルダは献身の愛を感じた。

夫は穏やかに神に召された。

そのメクチルダが、かって病床にある時、不思議な体験をした。

もう一人の自分が戦場に行き負傷者の手当てをしたと言う。

後日、手当てを受けた負傷兵が証言をしている。

この不思議な出来事は長く伏せられていたが神父がメクチルダの死後、日記の中から発見して世の明るみに出た。

「同時双身→バイ・ロケーション」と表現されている。

メクチルダ


【使徒たち】

イエスの刑死後、弟子たちはどうなったのか気に掛かる。

弟子たちは散り散りにとなりある者はどこかに去り、また多くの者たちは故郷ガリラヤに戻った。

エルサレムに残った弟子たちもいた。

信じたイエスが刑死して彼らの身の振り方が気になった。

不思議な噂が広がりはじめた。

死んだはずのイエスがあちこちに現れたと言うのである。

福音書はその「イエスの復活」と言う驚くべき出来事の記録である。

果たしてこの「復活」が事実か?どうか?

信仰の問題である。

私の知人にカトリック系の学校を出た人がいる。

神父の話しに疑問を抱いて質問したが、納得できないまま、カトリックを去った。

まず、聖母・マリヤの処女懐妊説。

イエスの復活の疑問。

私の意見を求めてきた。

私は肯定も否定もしなかった。

客観的な証明はできない。

しかし弟子たちの「復活信仰」が否定し得ない事実であることは歴史家も認めるところであると答えた。

それなくして、キリスト教は成立せず後の西欧文明の歴史もなかったであろうと答えた。

「復活信仰」とは生けるキリストに出会う信仰体験である。

復活についての最古の資料は使徒パウロの証言だと言われている。

ヴァランタン・ド・ブーローニュ「使徒パウロ」(1620)

【聖パウロ】

「キリストは葬られ、聖書に書いてあるとおり三日目によみがえりケパ→ペテロに現れ、次に、すべての使徒たちに現れそして最後に、いわば、月足らずに生まれたような私にも現れたのである」 (1コリント人への手紙15・4〜8)

使徒パウロは初代キリスト教会の伝道の中心テーマを端的に表現している。

ちなみに、文献的には福音書や使徒行伝は、パウロ書簡の後に編纂されている。

イエスの言行録や生涯は口伝で伝えられるたと思われる。

【パウロの人間像】

小男で風采の上がらない、持病を抱えた天幕作りの職人。

人間的には健康に恵まれず(癲癇とも言われている)、またその容貌もみすぼらしかった。(2コリント10・10)

生計は天幕作りで支えられた。

しかし信仰的豊かさにより人間的な欠陥は解決され、多忙にして困難な伝道の中にも主の恵みが伝えられた。

信仰が困難な人々には分かりやすく「キリストの聖霊の働きが人を愛の業へと導きだす」と説いた。

生まれはアジア・キリキヤ州の首都タルソのユダヤ人の家庭に生まれて八日目に割礼をうけ。

ユダヤ信仰の訓練を受け育った。

当時碩学ガマリエルのところで学んだ、秀才である。

ユダヤ人はシナイ山でモーセの十戒を神に授り、(トーラ→律法)をすべての規範にする。

トーラがユダヤ人の生活の中心である。

パウロは熱心なユダヤ教徒でパリサイ派に属し律法に基づく厳格な生活をしていた。

彼はキリスト教徒が律法を無視することに憤りを感じていた。

キリスト教徒迫害、ステパノの石打の刑にも立ち会っている。

キリスト教徒迫害の急先鋒に進んでなった。


【ユダヤ人とトーラ】

出エジプトから始まり、モーセ五書と言われる掟が定められた。

ユダヤ人の生活全般にわたり厳しい掟が定められたのは、他ならぬユダヤ人自身の生活の、どうしょうもない身勝手主義にあった。

偶像崇拝、放埒な生活を神は戒めた。

トーラが与えられた。

彼らが神に背いたからである。

レンブラント「契約の石板を割るモーセ」(1659)
出エジプト記を読むと、砂漠をさ迷い歩いた民衆から不満が続出して風紀は乱れ、不正不義が跋股した。

それに対する神の戒めが、 モーセの十戒である。

出エジプトの苦難を忘れないために、厳しい掟→律法→トーラが与えられた。

これは神がユダヤ人が再び罪を犯さないように仕向けられた愛の安全措置とも言える。

メシヤ誕生の下地が芽生えていた。

愛の樹オショチ†

2012-10-03

義人ヨブ記(job)42最終回

ヨブは主に答えて言った。
あなたは全能であり
御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。

「これは何者か。知識もないのに
神の経綸を隠そうとするとは。」

そのとおりです。
わたしには理解できず、わたしの知識を超えた
驚くべき御業をあげつらっておりました。

「聞け、わたしが話す。
お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」

あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。

それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し
自分を退け、悔い改めます。

◆結び

主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。

「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。

お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。

しかし今、雄牛と雄羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。

わたしはそれを受け入れる。お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」

テマン人エリファズ、シュア人ビルダド、ナアマ人ツォファルは行って、主が言われたことを実行した。そして、主はヨブの祈りを受け入れられた。

ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた。

兄弟姉妹、かつての知人たちがこぞって彼のもとを訪れ、食事を共にし、主が下されたすべての災いについていたわり慰め、それぞれ銀一ケシタと金の環一つを贈った。

主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。

ヨブは、羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。

彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ、長女をエミマ、次女をケツィア、三女をケレン・プクと名付けた。

ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった。彼女らもその兄弟と共に父の財産の分け前を受けた。

ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。

ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。

(ヨブ記 第42章・終章)

★「長い間義人ヨブ記に目を通して頂き有り難うございました。

この物語はサタンが、義人ヨブの信仰を疑い、神は義人ヨブの信仰を誇り、神とサタンの、不思議な闘いを記述した一風変わった物語です。

物語は劇詩の形をとり義人ヨブ記全体を善悪で割り切ることは難しいところです。

序曲と終曲に述べられている神への純粋の愛、真実の礼拝、無私の善が存在するか?と言う深刻な問題を問いかけています。

義人に報い、悪人に刑罰と言う、直線的な因果応報教理の大胆な否定です。

神は自由な恩恵を持って人を恵むのであり、因果律で神と人との関係を割り切ってはならないと理解されます。

真実は神のみぞ知る!

実際に苦しんだ義人ヨブは最後に神の恵みにより賜物を頂きました。

この物語は紀元前400年ころに書かれたと言われます。

舞台はパレスチナ東南エドム地方。ウヅに住む富める義人です。

聖パウロと義人ヨフには 不思議な一致点が見られます。

(義とされるのは自己義認にはなく、 神の神の許しによる。)この点で義人ヨブと聖パウロは時代を越えて信仰の本質的類似点があります。

聖パウロは天路歴程・地路歴程で触れます。

感謝をもって†

愛の樹オショチ†

ローマ、聖ペトルスとマルケリヌスのカタコンベにあるヨブの壁画(300年頃)
 

義人ヨブ記(job)41

勝ち目があると思っても、落胆するだけだ。
見ただけでも打ちのめされるほどなのだから。

彼を挑発するほど勇猛な者はいまい。
いるなら、わたしの前に立て。

あえてわたしの前に立つ者があれば
その者には褒美を与えよう。

天の下にあるすべてのものはわたしのものだ。

彼のからだの各部について
わたしは黙ってはいられない。

力のこもった背と見事な体格について。

誰が彼の身ごしらえを正面から解き
上下の顎の間に押し入ることができようか。

誰がその顔の扉を開くことができようか。

歯の周りには殺気がある。
背中は盾の列
封印され、固く閉ざされている。

その盾は次々と連なって
風の吹き込む透き間もない。

一つの盾はその仲間に結びつき
つながりあって、決して離れない。

彼がくしゃみをすれば、両眼は
曙のまばたきのように、光を放ち始める。

口からは火炎が噴き出し
火の粉が飛び散る。

煮えたぎる鍋の勢いで
鼻からは煙が吹き出る。

喉は燃える炭火
口からは炎が吹き出る。

首には猛威が宿り
顔には威嚇がみなぎっている。

筋肉は幾重にも重なり合い
しっかり彼を包んでびくともしない。

心臓は石のように硬く
石臼のように硬い。

彼が立ち上がれば神々もおののき
取り乱して、逃げ惑う。

剣も槍も、矢も投げ槍も
彼を突き刺すことはできない。

鉄の武器も麦藁となり
青銅も腐った木となる。

弓を射ても彼を追うことはできず
石投げ紐の石ももみ殻に変わる。

彼はこん棒を藁と見なし
投げ槍のうなりを笑う。

彼の腹は鋭い陶器の破片を並べたよう。

打穀機のように土の塊を砕き散らす。

彼は深い淵を煮えたぎる鍋のように沸き上がらせ
海をるつぼにする。

彼の進んだ跡には光が輝き
深淵は白髪をなびかせる。

この地上に、彼を支配する者はいない。

彼はおののきを知らぬものとして造られている。

驕り高ぶるものすべてを見下し
誇り高い獣すべての上に君臨している。


(ヨブ記 第41章)

後一章です。

愛の樹オショチ†

サルバトール・ダリ「聖書」よりヨブ記(1969)

地球を襲う「火山の冬」天路歴程・地路歴程21

【火山色々】

以下の記事は皆様、既にご存知のことと思います。

前回の、「もし月がなかったら」に続きます。

東京直下型地震、東南海地震など取り沙汰されています。

加えて国内の火山活動、噴火も危惧されます。

自然界に働き掛けることは不可能ですが、天地創造主のご意志なら小さな祈りでも、或いは?聞き届けらるかな?と願いました。

非科学的な願い事ですが、未来の命のために願わずにはいられない気持ちです。

最後に過去の火山噴火や噴火口の写真を挿入しました。

愛川英雄拝
愛の樹オショチ†


【3・11後を生きる】地球を襲う「火山の冬」
寒冷化で食料危機の恐れ

 世界には、とてつもなく大きいカルデラ火山がたくさんある。中でも米国のイエローストンの規模は、並大抵ではない。地下に巨大なマグマだまりがあって、いつ噴火してもおかしくないといわれる。本当に起きたら、人類の破滅につながりかねないという。
空中高く吹き上がる間欠泉や神秘的な青緑色の温泉湖などがあり、国立公園に指定されているイエローストン。公園の面積は日本の四国の約半分という広大さだ。その大部分が大きいカルデラの中にある。そびえたつ山体があるわけではないが、周期的に大爆発を起こしている。
 二百十万年前の噴火では二千五百立方㌔のマグマが噴出した。日本最大級の阿蘇カルデラの噴火(九万年前)の十倍以上の規模で、琵琶湖の水九十杯分に相当するマグマが一気に地表にあふれ出た。
 その後、百三十万年前と六十四万年前にも巨大噴火が起きた。六十万〜八十万年間に一回のペースだ。地下には大量のマグマがマントルから常に供給されているとみられる。そろそろ次の噴火が起きても不思議ではない。

 ■米国経済は壊滅

 今、同じような巨大噴火が起きたらどうなるか。日本大の高橋正樹教授(地質学)は 「ニューヨークやロサンゼルスなど人口が集中する東海岸、西海岸の都市は直接的な被害を免れるが、米国経済が致命的な打撃を受けるのは間違いない」と指摘する。
 火砕流と火山灰は、米国北西部を中心に壊滅的な被害を及ぼす。さらに成層圏にまで高く巻き上げられた噴煙が、「火山の冬」と呼ばれる地球規模の寒冷化現象をもたらす。
 噴煙には硫黄を含む火山ガスが混じっている。火山灰はすぐに地上に落下する一方、硫黄を含むガスは太陽光による化学反応で「硫酸エアロゾル」と呼ばれる一㍈(千分の一㍉)以下の細かい微粒子に変わる。微粒子は大気中に漂い、太陽光を反射するため、地球は寒冷化する。
  先史時代の人類は、七万四千年前にインドネシアのトバ・カルデラで発生した巨大噴火で絶滅しそうになった。これは、二百十万年前のイエローストンの噴火を 上回る規模だった。噴火後、北半球の平均気温は一〇度以上低下し、その状態が六年間も続いた。緯度が高い地域では針葉樹林の半分以上が枯れ、熱帯の植物へ も甚大な被害が出た。「急に氷河期になったようなものだ」と高橋教授。
 こうした「火山の冬」によって日本の気温が一〇度下がったら、鹿児島県が北海道のような気候になり、国内のほとんどの地域で米作りができなくなる。

 ■飢えと疫病に襲われ

有史以来、このクラスの巨大噴火は起きていない。それに準じた噴火としては、インドネシアのタンボラ火山の爆発(一 八一五年、噴出物百五十立方㌔)がある。その翌年は世界各地が異常気象に見舞われた。「夏が来なかった」といわれるほど寒冷化し、大凶作に陥った。飢饉で 人々の免疫力が下がったため、コレラや発疹チフスが大流行した。また紀元前一六〇〇年ごろのサントリーニ島噴火はエーゲ海の文明を滅亡させた。

 防災技術が発達した現代でも、巨大噴火は防ぎようがなく、対策は難しい。食料を輸入しようと思っても、寒冷化は世 界規模で起こるため、他国も状況は同じ。輸出に回せる食料はない。火砕流から生き残っても地獄が待っているのだ。高橋教授は 「極度の食料難に見舞われた戦後の日本のようになる。だが、寒冷化に備えてジャガイモなど寒さに強い作物の種を備蓄しておけば、自給自足の生活で生き残れ る可能性はある」と語る。
 人類を滅亡にも追い込みかねない脅威は、確実に地面の下に存在する。巨大噴火という大災害に私たちは立ち向かうことができるのか。まずは、そのリスクを正しく認識する取り組みが必要になる。
(榊原智康)

大噴火した 火山や噴火口の写真です。






イエローストン
イエローストン

イエローストン
アラスカ・リダット

国際宇宙ステーションから撮影した千島列島

チリ、プジェウエ火山


ハワイ・キラウエア火山

桜島

霧島山・新燃岳

以上。
ーー
戸村裕司