2013-06-30

今週の聖句 6月30日〜7月6日

詩篇101篇

ダビデの歌

わたしはいつくしみと公義について歌います。
主よ、わたしはあなたにむかって歌います。

わたしは全き道に心をとめます。
あなたはいつ、わたしに来られるでしょうか。
わたしは直き心をもって、わが家のうちを歩みます。

わたしは目の前に卑しい事を置きません。
わたしはそむく者の行いを憎みます。
それはわたしに付きまといません。

ひがんだ心はわたしを離れるでしょう。
わたしは悪い事を知りません。

ひそかに、その隣り人をそしる者を
わたしは滅ぼします。
高ぶる目と高慢な心の人を耐え忍ぶ事はできません。

わたしは国のうちの忠信な者に好意を寄せ、
わたしと共に住まわせます。
全き道を歩む者はわたしに仕えるでしょう。

欺くことをする者は
わが家のうちに住むことができません。
偽りを言う者はわが目の前に立つことができません。

わたしは朝ごとに国の悪しき者を
ことごとく滅ぼし、
不義を行う者をことごとく主の都から断ち除きます。

2013-06-29

聖日礼拝・み言葉

【安息日に麦の穂を摘む】 そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。
そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」


【手の萎えた人をいやす】
イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。
すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。


(マタイによる福音書 12章1−14)

み言葉

【安息日に麦の穂を摘む】 そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。ファリサイ派の人々がこれを見て、イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。
そこで、イエスは言われた。「ダビデが自分も供の者たちも空腹だったときに何をしたか、読んだことがないのか。神の家に入り、ただ祭司のほかには、自分も供の者たちも食べてはならない供えのパンを食べたではないか。安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、と律法にあるのを読んだことがないのか。言っておくが、神殿よりも偉大なものがここにある。もし、『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』という言葉の意味を知っていれば、あなたたちは罪もない人たちをとがめなかったであろう。人の子は安息日の主なのである。」


【手の萎えた人をいやす】
イエスはそこを去って、会堂にお入りになった。
すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。そこで、イエスは言われた。「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」そしてその人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、もう一方の手のように元どおり良くなった。ファリサイ派の人々は出て行き、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。


(マタイによる福音書 12章1−14)

心の旅路

−アイの受難−
すでに町田を出て、アイン号は2000km以上走っていた。車の激しい振動と連日のハードスケジュール、環境の変化から、少しずつアイの体調に心配していた悪い兆候が出始めていた。二人共、薄汚れて少々くさい。それはまあ我慢出来るとして、アイはどうも食欲もないし元気がなく、ぐったりしている。それが心配だ。

2、3時間走っては、オシッコをさせ、水を飲ませ、ストレス解消に気を使ってきたが、もう限界らしい。気になりつつも、その間にもトラクトを民家や、小、中学校に配ってまわった。

この小さくて優しくて、物言わぬ愛すべきパートナーの事がひどく気にかかる。連れて来るんではなかったと後悔したが、今はそれどころではない。

アイは黒いつぶらな瞳で時折じっと私を見つめるだけで何も言わない。
「どこが辛いの?……」
何か物言いたげに目をしばたかせて訴えてくる。彼女なりに一生懸命何か耐えているように感ぜられて、不憫でならない。思わず抱きすくめて頬ずりをした。

「ゴメンネ。アイの事、決して忘れたわけじゃないけれど、つい自分の事ばかり考えて。この仕事、伝道も大切だけれど、アイはもっと大切だよ」
と、話しかけた。アイは相変わらず、唯黙って私を見つめている。

かえって私の事を気づかってくれているのかもしれない。
「これから少しペースを落としてアイにあわせるから、早く元気になってね」
祈りながら走り続けた。稚内がとても遠く遠く感ぜられた。途中で休み、丸一日かかってようやく稚内に入った。

アイの容体が急変したのはそれから間もなくだった。口から白いアワを吹いて、体全体がこきざみにけいれんしている。スタンドに飛び込んでタオルを水でぬらし、口元を拭いて、体を冷やした。何とかしなければ。心が焦った。アイの病院を必死になって探した。

登り坂の橋にさしかかった時、ちらっと○○動物病院の看板が目にとびこんできた。「助かった!」100mばかり行き過ぎたが、アイン号を急いでそのまま急バックさせ、病院に飛び込んだ。国道の横道からそれた細い路地の住宅地の中に「アイの救いの神」が待っていた。

−稚内の高田犬猫病院− 院長・獣医師 高田光男の看板が目についた。「どうしました」。60過ぎの目付の優しい先生が、アイを見てすぐあがれという。

体温をはかり、聴診器をアイのお腹にあてたり、機敏に診療して下さった。それに注射を2本、その他いろいろ手当てをして下さった。「体温が少し高いですね」と言う。

どこから来たのかと聞かれ、ありのまま説明すると、しきりにうなずいておられたが、「よく助かりましたネ」と言われた。この間も、遠くから来られた方がこのくらいの小さい犬を連れて来て、殺してしまったという。

「間一髪であった」
私の応急処置も多少効果があったのかもしれない。とにかくアイは、危うく稚内で死ぬところを不思議に救われ、命拾いをした。私は心の底からアイに詫びた。自分一人はこれで満足かもしれないけれど、アイを道連れに、犠牲にする権利は私にはない。本当に申し訳ない事をしたと思った。

それにしても、この小さな体でよくぞ耐え、よく生きて助かってくれた。稚内でアイを死なせてしまって、見知らぬこの地に、一人淋しくアイの死体を残してゆくなどとても耐えられない事だった。

「ゴメンネ、アイ!」
アイよりもむしろ私が救われた。
「主よ、またあなたに救われましたね」

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

2013-06-28

シカゴのえりさんへ

「おめでとうございます〓
ライオンズクラブのチャイターナイトは
新しいクラブの結成式。つまりえりさんが新しいライオンズクラブの役員に選ばれ、認められたこと。シカゴ市民のための慈善活動を始めることになりますね。政治亡命者の不安定な生活が一変するでしょう!又、シカゴフィリピン合同教会の主教としても信頼感が高まるでしょう!
アメリカは、グループ社会ですから、特にボランティア活動は高い評価を受けます。人格に関わる評価もグループ社会の重要な要素です!

仲間がしっかりしている市民ですから!
アメリカ市民権獲得の第一歩になると思います。身元引き受け保証人制度が厳しさを増していますから、その意味合いもあります!

「自由、知性、平等、平和を守ると言う精神がLIONS」。

リバティ、インテリジェンス、アワーネーションズ、セフティーのイニシャル。

アメリカ市民権獲得の第一歩はプレシーの渡米の第一歩(えりさんご夫妻)に希望がもてる予感がします!
愛の樹オショチ†
と、皆より〓


「Congratulations Eli-san! for your induction to the Chicago Jose Rizal Lions Club as president.
We are so pleased that you are acknowleded and start the new step to work for the citizens of Chicago. Your unstable situation will be greatly changed!
Besides, as a leader of your church, as Bishop, the people will have trust in you even much more!
The societies consist of groups in the US,and so epescially the voluntary charity activities will get high opinion and also a man of character will get high opinion in those societies.
And they think much of fellowship.
We think you will surely make a firm step forward to acquire American citizenship. Thinking of the recent tendency that the requirement of the guarantor has become much severe, it has a great meaning!
The mind of the Lions Club is to protect 'Liberty, Intelligence, Equality, and Peace' !
LIONS stands for Liberty, Intelligence, Ournations Safety.
The first step for acquirement of the American citizenship is the first step for Precy's coming to the US! We have a premonition about the hopeful future for you two!
Ainoki Oshochi and all」


P.S.from Kazuko To our sorry, we only could view the first page of the newsletter.








パスクワプレシー

*愛なるオショチが素敵に見えます。
この写真(エリサン)を掲載していただき、ありがとうございます。
(プリシラ ミズパ サンティラナ)

*神様は素晴らしく、その恵みには境界がありません。アーメン
(プレシー マナロ パスクア)
*エリさんのためのとてもやりがいのある役割、神様が彼のミッションを祝福して下さいます。(プレシー)

*you look great dear Osho
thanks for posting this picture!

(Priscilla Mizpah Santillana)


*God is good and His grace knows no boundaries! Amen!

*Precy Manalo Pascuaa very challenging role for Eli-san... God Bless his missions...

子育てに悩んでいるお母さんへ贈る言葉

恥ずかしい自分史ですが何かお役にたてたら幸いです。

【悪ガキの改心】

私は子供の頃、悪ガキと呼ばれていた。親戚中の嫌われ者であった。なぜ、悪ガキと言われたのか、恥ずかしいけれど告白しなければ話は先に進まない。顔をしかめるような話であるが、何しろ、悪ガキの事だからお許しいただきたい。

私はあまりケンカは強くはなかったが、よくケンカをふっかけられた。目があうと相手にカチンとくるらしかった。他愛のないことでとっくみあいが始まった。

いつも勝つとはかぎらなかった。服はボロボロ、体中アザだらけで帰って、家族に見つからないようにそうっと始末をしたことであった。

ある日、悪童仲間を二人、家に連れてきて、前庭の柿の木をよじ登り、二階の屋根に登ると、下に向って放水した。

時折、うまくいくと小さな虹が出来た。そこを近所の人に見つかって母親に告げ口された。

「二階の屋根から下に向かってオシッコするなんてとんでもない!」
その夜、母親にこっぴどくしかられた。

秋になると、あたりに真っ赤な柿がたわわに実った。どうしても家の柿より隣の柿がおいしそうに見えて、片っぱしからたたき落として味見をした。「なんだ。こりゃ。渋柿か。見かけによらんばい」

運悪くその現場を押さえられ、「渋くて悪かったな。このガキ」と、にらみつけられた。その夜もまたこっぴどく母にしかられた。

今度はおもしろいことを考えた。柿の木のこんもりしげった上の方に登って、そこにオバケのお面をひもでつるし、通りがかりの人の上にいきなり落としてびっくりさせておもしろがっていた。

これでは人に好かれるはずがない。とうとう堪忍袋の緒がきれた母親に、ある夜、柿の木に両手足をきつく縛られ、「そこで自分のやったことを反省しなさい」と言われ、一晩、放置されてしまった。

足元からアリがはい上がってくる。が、どうにもならない。そのうち腹もすいてきた。無性に腹が立つ。自分の不始末を棚に上げて、私は心の中で母をののしっていた。
「今に見ちょれ。きっと仕返ししてやるバイ」

何とか縄をほどこうともがいてみたがますます食い込んでくる。痛くて悲鳴を上げそうになったが、それだけはやめた。
もうこうなったらなるようにしかならない。

私はふてくされて「こんちくしょう。どうにでもなれ!」と思ったら、不思議に腹がすわって眠くなってきた。

どのくらいたったのか。「カタッ」と小さな物音がした。ふと人の気配を感じた。暗闇に目をこらすと、ぬれ縁に黙ってすわっている母の姿が目にとび込んできた。

私はハッと胸をつかれた。母が泣いていたのだ。声も立てずに。暗闇の中で柿の木に縛りつけた悪ガキの息子の将来を深く深く憂えていたのだ。
母は黙って私を見つめた。この瞬間である。私の心にいいようのない感動が走った。それは言葉にならない。が、しかし、深い、あたたかい母の温もりであった。

母は一晩中、私の側にいてくれたのだった。私はそれに気付かなかった。この母の愛の懲らしめが、私を悪ガキから救い出してくれたのだ。今にして思えば、これこそ、母の無言の真実の教えであったと思う。

この夜、縄をほどかれ、許された私は、母の前に両手をついて心の奥底から「ごめんね」とあやまることが出来た。その後の成長は、母を抜きにしては語れない。

果てしない人間の深い業を思う。人は「オギャー」と生まれた時から業につきまとわれる。それゆえ、つまずいたり、過ちをおかしたりもする。だが、私は決して落胆しない。

失敗だらけのどうにもならないこの私が、母のひたむきな愛の力で、立ち直ることが出来たのだから。

心身共に堕落して生きる値打ちもないような者にさえ、いのちを救い上げる力が優しさの中にあると私は確信している。人はこれを慈しみ、あるいは愛と呼ぶ。

私はこの経験を今でも忘れない。私のそれからのいのちの回復の道は母の力によったのだから。


「舞いおりた天使たち」より抜粋

2013-06-27

シカゴのえりさん

愛あふれる人格のある心優しい方すね。
オーラが、でています〓写真ありがとうございます。恵子

シカゴのえりさんから嬉しい知らせです

シカゴ、えりさんから嬉しい知らせです!

6月27日
題:ニュースレターの修正された最終草案。

オショチと和子さんへ

シカゴ ホセ リサール ライオンズ クラブ のニュース レターをここに添付します。よく見えることと思います。

私達は6月28日のチャーター ナイトに出席する予定です。

オショチさん 和子さん、どのようにしたら十分に感謝を表すことが出来るでしょうか? 皆さまは再びちょうど良い時期にプレシーに祝福を送ってくださいました。

お二人と愛の樹家族に感謝を、そして神様に賛美を捧げます。
神様が皆さまをさらに祝福して下さいますように。

敬具
エリ

(添付書類に、エリさんが写っている写真がありました。エリさんもこのクラブの役員です。

「おめでとうございます〓
ライオンズクラブのチャイターナイトは
新しいクラブの結成式。つまりえりさんが新しいライオンズクラブの役員に選ばれ、認められたこと。シカゴ市民のための慈善活動を始めることになりますね。政治亡命の不安定な生活が一変するでしょう!又、シカゴフィリピン合同教会の主教としても信頼感が高まるでしょう!
アメリカは、グループ社会ですから、特にボランティア活動は高い評価を受けます。人格に関わる評価もグループ社会の重要な要素です!

仲間がしっかりしている市民ですから!
アメリカ市民権獲得の第一歩になると思います。身元引き受け保証人制度が厳しさを増していますから、その意味合いもあります!

「自由、知性、平等、平和を守ると言う精神がLIONS」。

リバティ、インテリジェンス、アワーネーションズ、セフティーのイニシャル。

アメリカ市民権獲得の第一歩はプレシーの渡米の第一歩(えりさんご夫妻)に希望がもてる予感がします!
愛の樹オショチ†
と、皆より〓

バベルの塔

バベルの塔
石油で国家財政が潤い財政豊かな、アラブ系産油国・ドバイは人口島にスカイツリーを遥かにしのぐ現代のバベルの塔を建設しました。
ビルのイメージは各階が回転して姿を変える!
イタリア人建築家・ デビット・フイッシャー氏の設計ですが、いつか老朽化する物体は、メンテナンスを含めて、維持費が膨大になります。

加えて、ヒューマンエラーが付きまといます。広島、長崎に落とされた原子爆弾から、転用された原発しかり、軍事産業から民間に転用された技術は取り返しのつかない破壊力をも秘めています。その裏面を見逃すことは出来ません。

地球に穴を掘る。際限もなく、やりたい放題文化に危惧しています。ステルス戦闘機一機で、どれだけの飢えた子供達が助かることか、人間共通の敵は
貧困と不平等です。
何処かで過剰な利便性と決別する時が来るでしょう!
バベルの塔は不要で危険な代物です。

愛の樹オショチ†

2013-06-26

今日のスケッチ

散歩すると、いろいろな草花を目にします〓あーあ頑張っているんだなあーと!

心がはずみ、わたしも元気をもらいます。

すてきな写真ありがとうございます。自愛ください。K

試練を越えて

皆の魂がそれぞれの
試練を乗り越えて成長して行く姿を心に感じたときに、嗚呼!良かっ〓と、幸せを噛みしめる〓

嫌われることがオショチ†の仕事だと思うが
結果良ければ全てよし†

今日のスケッチ

朝、霧雨の中、何時もの散歩道を歩き、
近くのクリニックで
肝臓の治療(強力ミノファーゲン-強ミノ)の静脈注射を受けてきました。
毎週水曜日に一回ですが肝硬変を悪化させない治療です。


主治医の先生のお話しではこの季節は体調不良の患者さんが多いと聞きました。

わたしの年代の方は
特に持病がある場合
なかなか体力維持が難しいようです。

「それにしても、若いですね!此処までしっかりしていられるのは、使命感でしょうか!」励ましの言葉を頂きました〓


散歩道は手入れのよく行き届いた公園のようです。

歩くとき気を付けています。小さな蟻たちがせっせと働き、仲間と細いアンテナをピクピクさせてコミュニケーションをとっているようです。

しゃがみこんで見ていました。

小さな蟻や虫たちが安心して住める生活環境は我々人間と密接に関わっていますから大事に守りたいです。

彼らが絶滅すれば、
人間も生きては行けません。

誰かが背中を軽く突いた感じがして振り向きましたが松、椎の樹、欅などの林の中を微かな風が吹き抜けて行きました。


ネット教会は白血病で亡くなられた病友との約束を守り立ち上げました。
KSさんの嬉しそうな
お顔が目に浮かぶのです。「小さな約束を守ってくれてありがとう〓」

その他、親しい友の声を身体が感じ取ります。いつの間にか、
テレパシーで交信していたのです。
数枚の写真を画素数の少ない携帯カメラに収めました。なんとなく。

まだわたしは、成長を目指しています〓
親しい友の後押しに応えて〓
今日のスケッチでした。
幸せをお祈りしています〓

愛の樹オショチ†

2013-06-25

創世記

【バベルの塔】
世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。
「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」

主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

(創世記11章1〜9節)



The tower Babel

And the whole earth had one language, and the same words.

And it came to pass as they journeyed from the east, that they found a plain in the land of Shinar, and dwelt there.

And they said one to another, Come on, let us make bricks and burn them thoroughly. And they had brick for stone, and they had asphalt for mortar.

And they said, Come on, let us build ourselves a city and a tower, the top of which may reach to the heavens; and let us make ourselves a name, lest we be scattered over the face of the whole earth.

And Jehovah came down to see the city and the tower which the children of men built.

And Jehova said, Behold,the people is one, and have all one language; this have they begun to do. And now will they be hindered in nothing that they meditate doing.

Come, let us go down, and there confused there language, that they may not understand one another's speech.

And Jehovah scattered them thence over the face of the whole earth. And they left off building the city.

Therefore was its name called Babel; because Jehovah there confused the language of the whole earth. And Jehovah scattered them thence over the face of the whole earth.

(Genesis:Chapter 11:1ー9)

心の旅路

心が弾み、つい歌が出た。アメイジング・グレイスだ。

「作詞者のジョン・ニュートン牧師」。彼は元、たちの悪い奴隷船の船長だった。そのたちの悪い船長が、英国とアフリカを行き来していた時、大嵐で難破しそうになって突然、無意識的に「神様、助けて下さい」と祈っていた。

「神様など信じていなかったのになぜ? これは、神様の啓示だったのではないか」と彼は悟る。それから少しずつ変わっていった。39歳で牧師になったジョン・ニュートン(1725〜1807)は、奴隷にされた黒人たちが、船底で口ずさんでいたメロディーに詩をつけた。それが、アメイジング・グレイスのいわれである。

♪おどろくばかりの めぐみなりき
この身のけがれを しれるわれに

♪めぐみはわが身の おそれを消し
まかする心を おこさせたり

♪危険をもわなをも さけえたるは
めぐみのみわざと いうほかなし

♪みくににつくあさ いよよたかく
めぐみのみかみを たたえまつらん
アーメン!

彼の墓碑銘には「主の深き慈悲によって許されし男、神のしもべとして、福音を伝えるべくして生まれ変わりし者……」と刻まれているという。

この讃美歌は、今やアメリカで愛唱されているばかりか、全世界の愛唱歌になっている。私たちは、この元奴隷船の船長の魂のうたに力づけられて、留萌めざして若駒のように、勢いよく国道をひた走った。「おどろくばかりのめぐみなりき」……。

−留萌の祈り−
夕闇の迫る留萌は静かな漁港都市だった。カメラ店、駅の案内所などで、クリオン島のトラクトがまるで生き物のように手元から離れていった。素朴なこの街に、いつの日か「足長オジサン、オバサン、お兄さん、お姉さんが与えられるかも知れない」。

ここはあの独裁者、スターリンに率いられた旧ソ連軍が、北海道の分割占領を企んで、真先に上陸しようとした地で、悲劇をまぬがれた歴史的に古い漁村だった。不思議な運命のなせるわざか、不幸からのがれられた奇跡の土地である。

二度とこのような不幸が企てられないように、漁港の灯台の近くの岩場で、私は対岸のロシアに向かって、人類平和のための祈りの叫び声を上げてから、留萌を後にした。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

2013-06-23

今週の聖句 6月23日〜29日

詩篇100篇

感謝の供え物のための歌

全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。

喜びをもって主に仕えよ。
歌いつつ、そのみ前にきたれ。

主こそ神であることを知れ。
われらを造られたものは主であって、
われらは主のものである。
われらはその民、その牧の羊である。

感謝しつつ、その門に入り、
ほめたたえつつ、その大庭に入れ。
主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。

主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、
そのまことはよろず代に及ぶからである。

2013-06-22

聖日礼拝

【バラムとろば】

ところが、彼が出発すると、神の怒りが燃え上がった。主の御使いは彼を妨げる者となって、道に立ちふさがった。バラムはろばに乗り、二人の若者を従えていた。

主の御使いが抜き身の剣を手にして道に立ちふさがっているのを見たろばは、道をそれて畑に踏み込んだ。バラムはろばを打って、道に戻そうとした。主の御使いは、ぶどう畑の間の狭い道に立っていた。道の両側には石垣があった。ろばは主の御使いを見て、石垣に体を押しつけ、バラムの足も石垣に押しつけたので、バラムはまた、ろばを打った。

主の御使いは更に進んで来て、右にも左にもそれる余地のない狭い場所に立ちふさがった。ろばは主の御使いを見て、バラムを乗せたままうずくまってしまった。バラムは怒りを燃え上がらせ、ろばを杖で打った。

主がそのとき、ろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。
「わたしがあなたに何をしたというのですか。三度もわたしを打つとは。」
バラムはろばに言った。
「お前が勝手なことをするからだ。もし、わたしの手に剣があったら、即座に殺していただろう。」
ろばはバラムに言った。
「わたしはあなたのろばですし、あなたは今日までずっとわたしに乗って来られたではありませんか。今まであなたに、このようなことをしたことがあるでしょうか。」
彼は言った。「いや、なかった。」

主はこのとき、バラムの目を開かれた。彼は、主の御使いが抜き身の剣を手にして、道に立ちふさがっているのを見た。彼は身をかがめてひれ伏した。主の御使いは言った。
「なぜ、このろばを三度も打ったのか。見よ、あなたはわたしに向かって道を進み、危険だったから、わたしは妨げる者として出てきたのだ。このろばはわたしを見たから、三度わたしを避けたのだ。ろばがわたしを避けていなかったなら、きっと今は、ろばを生かしておいても、あなたを殺していたであろう。」

バラムは主の御使いに言った。
「わたしの間違いでした。あなたがわたしの行く手に立ちふさがっておられるのをわたしは知らなかったのです。もしも、意に反するのでしたら、わたしは引き返します。」
主の御使いはバラムに言った。
「この人たちと共に行きなさい。しかし、ただわたしがあなたに告げることだけを告げなさい。」
バラムはバラクの長たちと共に行った。

(民数記 22章 22〜35節)

添付写真は御使とろば

2013-06-21

わが青春に悔いなし

若い日
日田の田舎もんが憧れた東京に出てきたとき、未知の大都会は若者に成功を約束してくれる夢舞台に見えました。
後に幻影に過ぎなかったと気付きますが。

大した学歴も資格も無い若者が最後まで握りしめていたものそれは「夢」でした。

田舎を出るときひそかに渡された大学進学の月謝は、渋谷駅の井の頭線のガード下の居酒屋で一年がかりで消えていました。

しかし収穫がありました。親しい飲み仲間が出来ました。水道屋の倅、風呂桶の職人。
詩人を目指している
若い女性など、様々な若者達です。

ある日彼らに誘われて今まで知らなかった人々を紹介されました。
それは詩人の西條八十先生の門下生でした。

凝り性のわたしは、
渋谷通いを止めて、
詩集を手当たり次第に買い求め、世田谷上馬にあった母方の大伯父の 屋敷に居候していました。

いろいろ読みながら、合間に西條八十先生の門下生の末席に座っていました。

ある日彼ら門下生には詩才があり、わたしには無理だと考え、抜けました。

しかし詩に憑かれて
、毎日二階の自室で明けても暮れても紙くずになる原稿用紙に向かっていました。

久しぶりに飲み仲間に誘われて渋谷駅のガード下の居酒屋に行き仲間の顔を見てほっとしました。

「どうだい又、詩人の仲間に入らないかい?」
わたしは丁重に断りました。

「詩人ってなんだい?」
わたしの質問に答えてくれる仲間はいませんでした。自棄気味のわたしに呆れて仲間は去りました。

夜遅くタクシー(当時は小さなルノー) の
ドライバーに都電のレールからタイヤを外さないで世田谷上馬まで行けたら運賃を倍にすると話し掛けると、
本当にに片方のタイヤを都電のレールにぴったりくっけて家に着きました。

あの頃は全てがおおらかで、タクシーを玄関脇に止めて、ドライバーを部屋に招き入れました。

大伯父は呆れ顔でしたが、「済まんね!この馬鹿たれのために!」と言うと、ドライバーに茶菓子をすすめてくれました。無論わたしは約束した運賃を倍にしてドライバーに渡しました。

別れ際、お兄ちゃんあんたは、なんだか知らんが変り者だね?
見込みがあるね!と投げ言葉を残して走り去りました。

後で待ち構えていたのはおばちゃんの嫌みでした。


自室に戻ると変なようすです。部屋が綺麗に片付いていました。
嫌な予感が的中しました。長い間かかって書き溜めた詩の原稿用紙が見当たらないのです。

おばちゃんに尋ねました。僕の書いた原稿用紙は何処にあるの?

「なんだか知らないが汚いから庭で燃やしたよ!」

急いで庭のドラム缶を見ると灰だけが残っていました。

ガックリしているところに大伯父がきて

「下らん物を書くお前が悪か!」

と怒鳴られ家出を決めました。

後で家出先が見つかりますが。

「詩人ってなんだ?」
いろいろ読みましたが、心に響いたのは
あまりありませんでした。

日本人のわたしの感性に、身近に感じた詩人は、お馴染みの、北原白秋、島崎藤村、石川啄木、北村透谷、フランスの詩人、ジャン・コクトウ、シヤルル・ボウドレーヌ、アルベール・サマン。(記憶違いがあるかも?)
でした。

|詩は言葉の切れ端|ではない!人生経験から迸る叫びだと後で気付きますが。

わたしの心を強く捉え魂を握り締めた♪シャンソンがあります。

有名なな枯れ葉です♪詩:ジヤック・プレウ゛ェール 曲:ジヨセフ・コズマ
歌:イブ・モンターン
(エデイット・ピアフも?)
辛い時には自然に
♪メロディーと詩人の心を身近に感じます。皆さんお休みなさい〓
愛の樹オショチ†

2013-06-19

心の旅路

−秩父別のルデアさんと奴隷船の船長−

旭川から国道12号線を、神居古潭(カムイコタン)に向かって走ると石狩川にぶつかる。前日の豪雨で、石狩川は赤く濁って増水していた。更に下ると、川の流れに添って深川市から国道が右にそれて、233号線の深川国道に出る。

どこまで行っても信号機はないし、道の両側に広がっているのは豊かな牧草地であったり、ビート畠、小豆、それに白い花をつけたジャガイモ畠である。ゆったりと時間が流れている。定速で走っていると、オバアサンの運転する軽自動車が百キロ近いスピードで追い越していった。

時折、放牧された乳牛の群れを見た。アイに刺激を与えようとけしかけてみたが、初めて近くでみる牛に驚いてシッポを巻いて身をすくめている。

アイン号をパーキングエリアに止めて近くの牧草地に寝ころんで空を眺めた。夏草のむせかえるような懐かしい大地のにおいだ。久しぶりの母のにおいだった。幼い日、大分県の日田市の田舎の、あの土手の草ムラに寝ころんではクンクンかいだ懐かしいにおいがした。

故郷の母は、今は天国の住人になっている。草ムラで「ジーッ、ジーッ」と何か鳴いている。この道を行けば留萌に出る。私は地図を頭に描いていた。

私たちは、毎晩、パーキング・エリアのそれも森や林のありそうな国道から、少し奥まったところで仮眠をとった。爆走する大型トラックの風圧でアイン号が横揺れして、とても仮眠してはいられないからだった。気がゆるんでほっとしたのか、ウトウトしかけたその時、どこかこの先の村で、私たちを待っている一人の婦人がいると感じた。夢を見たらしい。

しばらく走ると、黄色い建物が見えてきた。「秩父別2−8 秩父別西農協」と書いてある。アイン号を横に止めて、飲み物を買った。アイの食料はないかと思い、尋ねてみると、年の頃、50歳前後の優しい顔つきの店の女主人が、アイを見て「人間の食べ物はこの子にはよくありませんよ」と親切にアドバイスしてくれた。「脂肪や塩分が強いし、それに体が小さいから、肝臓をやられますよ」とも言ってくれた。

私は嬉しくなった。よほど、心にゆとりのある心優しいお方に違いない。旭川スバルの赤川さんといい、この女主人といい、何か共通点がある。

いったん店を出て、アイン号に乗ったが、なぜか気が引かれる。彼女も同じ思いらしい。はっとして、持参した「地の塩の箱誌」とトラクト、キリスト新聞のコピー、それにグラスカードを持って店に戻った。彼女は待っていた。

「これ読んでいただけますか?」と言って、「箱誌」を差し出すと、彼女の方がビックリした。「あれ! まあー。秩父別広しと言えども、この村で江口先生のご本を読んでいるのは、私一人ですよ」と、言う。

「木綿子さんは」と、聞かれた。
「彼女はたしか、外国の方とご結婚なさったんでしょう?」
「ええ、その通りです。デイヴィッドさんですよ」
「木綿子さんのご本、読みました。朝日新聞の書評を見て心が動いたんです。私に信仰心はありませんが、何も、江口先生、あそこまでご家族を犠牲にし、ご自分を苦しめなくも。他人様のことで、あんなに辛い思いをなさって、とてもとても凡人には、まねの出来ないことですよネー」
と、ため息をついた。

それから話がはずんだ。北海道のどまん中の広大な草原のその中の、ポツンと建っている一軒家の店の女あるじが、私たちと目に見えない糸で結ばれていたとは。
「箱誌」にしろ、私たちのこの種のものは読者層も限られていて、むしろ読んで下さる方が例外者である。この出会いは偶然ではない。神の摂理が、み手が働いているとしか言いようがない。

聞くと、走ってくる私達をみとめて、何か店から出そびれていたという。事実、私が店に入ろうとした時、彼女はでかけるつもりで店に鍵をかけているところであった。真実を求めている魂の持ち主がいた。
「ああ、主よ、感謝いたします」

このひとときの出会いが、今までの長旅の疲れをいっぺんに吹きとばしてくれた。ささいな事でも、力になるものがあった。私たちは温かい見送りを受けて、お店をあとにした。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

2013-06-18

使徒パウロ

使徒・パウロ
パウロの出自、人物像に少し触れて見ます。

彼はユダヤ教徒で小アジア・キリキヤ州の
首都タルソの家庭で生まれ8日目に割礼を受けています。

成長した後、ユダヤ律法を守らない、キリスト教徒に憤り、残酷なクリスチャン狩りを始めます。キリスト教徒迫害に狂奔し、ダマスコ途上、突然天からの光りが彼の周りを照らします。

彼は地に倒れ「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞きます。

「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしはあなたが迫害しているイエスである………彼は目を開けたが何も見えなかった。……三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった」。使徒行伝・9:1〜19

回心したサウロはアナニヤと言う人に洗礼を受けます。食事をして元気を取り戻したのです。名前はサウロからパウロに変えられました。

イエスの直弟子と違った体験がイエスの教えを全世界に広めるきっかけになりました。。

人の力で出来るものではありません。

風貌はみすぼらしく、健康に恵まれず、生涯天幕造りの職人として働き、30余年の生涯は波乱に満ちたものとなりました。

驚くべき伝道活動のエネルギー源は、
「聖霊の愛」にありました。

彼はわたしの身体の刺を抜いてくださいと三度も祈りましたが、
神からの答えは?
「わが恵み汝に足れり」でした。

三度も地中海沿岸から内陸部に伝道しています。

彼の晩年は明らかではありませんが(西暦、61年から2年ごろローマ?)で殉教したと言われています。謎に満ちた人物です。

彼は弟子たち、信者に膨大な、書簡集を書き残しています。新約聖書に多く記述されています。

ロマ書、使徒行伝、コリント人えの手紙。ガラテヤ、ピリピ、コロサイ等々。
最古のものは第一テサロニケ書でだと言われています。………。

地中海沿岸から内陸部までの足跡地図と、書簡を執筆中の聖画、アナニヤの洗礼を受けるパウロの聖画を添付します。

愛の樹オショチ†

2013-06-16

今週の聖句 6月16日〜22日

詩篇99篇

主は王となられた。
もろもろの民はおののけ。
主はケルビムの上に座せられる。
地は震えよ。

主はシオンにおられて大いなる神、
主はもろもろの民の上に高くいらせられる。

彼らはあなたの大いなる恐るべきみ名を
ほめたたえるであろう。
主は聖でいらせられる。

大能の王であり、公義を愛する者であるあなたは
堅く公平を立て、ヤコブの中に正と義とを行われた。

われらの神、主をあがめ、
その足台のもとで拝みまつれ。
主は聖でいらせられる。

その祭司の中にモーセとアロンとがあった。
そのみ名を呼ぶ者の中にサムエルもあった。
彼らが主に呼ばわると、主は答えられた。

主は雲の柱のうちで彼らに語られた。
彼らはそのあかしと、
彼らに賜わった定めとを守った。

われらの神、主よ、あなたは彼らに答えられた。
あなたは彼らにゆるしを与えられた神であったが、
悪を行う者には報復された。

われらの神、主をあがめ、その聖なる山で拝みまつれ。
われらの神、主は聖でいらせられるからである。

昨日の血液検査結果

昨日(6/13)朝早く慈恵医大本院に行き、泌尿器科・主治医の山田裕紀先生から左尿管カテーテルを交換していただきました。半年に一度です。

身体に負担がかからないように麻酔時間を入れて25分で無事終了しました。出血は半日で止まりました。


その後直ぐ、
腫瘍血液内科の主治医・島田 貴先生の診察と、低悪性リンパ腫の治療(リッキサンの点滴)を受けました。

低悪性リンパ腫の治療は3ヶ月に1回リッキサン点滴を予定しています。
いろいろご心配いただき厚くお礼申し上げます。まだ自分の仕事がありますからユルリとやります。
2013/6/15
愛の樹オショチ†

聖日礼拝

【善いサマリア人】

すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。
「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」

イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」

しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。

イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。

ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。
ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』

さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」

律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」 そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」


(ルカによる福音書 10章25〜37節)

(イエスの例え話しに出てくる場所はエリコからエルサレムへ上る街道の険しい坂道。此処は今も酸化鉄のため赤く染まっている。見通しが悪く強盗が潜みやすい。現在は道路が舗装され30分たらずの距離。イエスの時代は一日ががりであったと言う。巡礼者は危険を避けて集団で行動した。)

2013-06-12

心の旅路



−アイン号の休息−

旭川市の入口にさしかかって、なぜかほっとした。都市にはそれぞれの霊的な雰囲気がある。この都市は気が休まる。話は前後するが、小樽は旧いものを大切にし、古都保存に熱心であり、人々を魅了する。懐かしいものを感じさせる心の故郷のようである。

人間は新しさを求める一面、どうしても変えて欲しくない古きものに、強いノスタルジー(郷愁)を覚える。

小樽は、当エクレシアの鎌田政治郎兄(75歳)、元獣医師の懐かしい故郷でもある。体の弱い彼に代わって、私はこの心静まる古都で祈り、写真を撮り、駅でJRの入場券を1枚求めた。せめてもの、彼の望郷の熱い思いを叶えてあげたかったからである。

商都、札幌では、こう言ってはなんだが、霊気が吸い取られ、ひどく疲れてしまった。非霊的な「ベツサイダ、コラジン」のような雰囲気に包まれていて、そそくさと通り過ぎた。しかし祈りはあとに残して来た。

札幌で生まれた「ボーイズ・ビー・アンビシャス」のあの霊性はどこに消えたのか。クラーク博士のもと、内村鑑三などによって結成された札幌バンドの熱き信仰心は、この都市のいずこにありや!

話を元に戻そう。アイン号(4世号)のおなかの具合がどうもおかしい。やたらと「プス、プス」と音を立てる。とても苦しそうである。

ふと見ると、旭川スバルが目についた。早速飛び込んだ。受付に赤川さんというマリア様のようなご婦人がいた。「どうなさいました」と聞かれ、「旭川豊岡町に行くにはどう行けばよいのでしょうか」と尋ねた。

この街にクリオンの子供たちを助けて下さった教会と日曜学校のお子さん達が住んでいる。初めてなのに何年も前から知っているような、そんな懐かしい雰囲気をかもし出している街である。赤川さんも初対面のような気がしない。

クリオンのトラクトとグラスカードを渡し、来道の目的を告げた。彼女は早速、アイン号のための応急処置をしてくれた。「かなりひどいですね。でもこれで何とか走れるでしょう」と力づけて下さった。修理費を支払おうとしたが、「よろしいです」言って受け取らない。つい甘えてしまった。ついでにお茶までも。

別れぎわ、わざわざポーチから男の方と手をふって見送っていただいた。ほんの束の間ではあるが、温かい心の触れ合いがあった。

豊岡めぐみ教会に電話したが、月曜日のことで、あいにく不在だった。もし先生にでもお会いできたら、クリオン島のビデオテープを見ていただくつもりであったが、祈りの中にお礼の言葉を残し、心を残して旭川に別れを告げた。

これから先、持参した「クリオン島のトラクト」をここぞと思うところに配っていこうと心ひそかに決めていた。道北から道東へ、なぜかこの方面を重点的にトラクトの試矢を放つつもりで最初から計画していた。

旭川に入ってからというもの、不思議に体調は信じられないほど良い。あの美利河峠の苦痛がウソのように感ぜられる。

出発前、慈恵会医大の戸田教授(戸田第1内科)に北海道伝道旅行の相談をしたところ、主治医として、タイコ判を押して下さった。
「大丈夫ですよ」
この一言は、私にとって何よりのプレゼントになった。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

2013-06-09

今週の聖句 6月9日〜15日

詩篇98篇



新しき歌を主にむかってうたえ。
主はくすしきみわざをなされたからである。
その右の手と聖なる腕とは、
おのれのために勝利を得られた。

主はその勝利を知らせ、
その義をもろもろの国民の前にあらわされた。

主はそのいつくしみと、まこととを
イスラエルの家にむかって覚えられた。
地のもろもろのはては、われらの神の勝利を見た。

全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。
声を放って喜び歌え、ほめうたえ。

琴をもって主をほめうたえ。
琴と歌の声をもってほめうたえ。

ラッパと角笛の音をもって
王なる主の前に喜ばしき声をあげよ。

海とその中に満ちるもの、
世界とそのうちに住む者とは鳴りどよめけ。

大水はその手を打ち、
もろもろの山は共に主のみ前に喜び歌え。

主は地をさばくために来られるからである。
主は義をもって世界をさばき、
公平をもってもろもろの民をさばかれる。

一見元気に見えて内心困っています。体はぼろぼろです。

とにかく神様の前で立てた誓願(終生、神に仕え人に尽くす)は全うしたと願っています†

パスクワ主教の長女プレシャスからのメール

Priscilla Mizpah Santillana
i was saddened by this news, but ii admire your faith, dear reverend, not everyone has the courage to keep on serving the Lord in such a capacity. May God continuously bless you.


長女のプレシャスです
「このお知らせに悲しみを覚えています。でも牧師様、貴方の信仰に敬服しています。このような状況になっても、主に仕え続ける勇気を誰もが持てるわけではありません。神様の祝福が絶えることなくありますように」

2013-06-08

心の旅路

(聖書)
体のともし火は目と心。
(それから)、心の旅路拝見しました。
愛に、人に感謝です。いつも澄んだ目で、いられたら、心も軽くなれるのにと、自分を見つめ直しています。
ご自愛ください。
ありがとうございます。
けいこ

2013-06-07

心の旅路

−助け車、現わる−

坂道をのぼってくるエンジンの音で目が覚めた。日曜日の朝、5時45分であった。一人で日曜礼拝を守って外に出た。雨は依然強い。乗用車は皆、素通りしてしまう。なかなか止まってくれない。この雨の中、誰もトラブルに巻き込まれたくはない。私も少々心細くなってきた。

しばらく祈って、又外に出た。今度こそ、「止めて下さい!」と心に念じて手をふった。函館ナンバーの2トン車が止まってくれた。年の頃、30歳前後のがっしりした青年である。「どうしたんかい?」と聞く。 「夜中に故障して一晩ここで過ごしました。助けて下さい」と言うと、「……うん。よし、わかった。長万部までしっかり引っぱって行くべー。ウインカーあげてね。ロープあるかい?」と聞く。
「はい、けん引ロープがあります」
まさか役立つとは思わず、出発の時、何気なしに持って来た黄色いロープが、アイン号と私たちの命綱になった。
「ああ、これで助かった!」 窮地から脱出できた喜びで胸が熱くなった。

けん引されながら、昨夜の生々しい体験が不思議な感動となって、込み上げてきた。
「美利河峠よ! 北キツネの子ギツネ君よ。さようなら! 大変お世話になりました。ここの事は決してわすれませんよ!」
美利河峠が遠ざかって行く。バックミラーを見ると、雨と霧の中に消えていた。

20km近く走って、長万部のガソリンスタンドに着いた。ロープを離すと、かの青年はすぐ走り去ろうとした。私はあわてて後を追いかけた。
「少しばかり、ほんの少しばかりですが、助けられた私のこころざしです。受け取って下さい」
と言って、5千円差し出した。
「困ったときはお互い様だがネー」
と言って、どうしても受け取ろうとしない。頼むようにしてワイシャツの胸のポケットに入れると、彼はそれじゃ、と言っておさめてくれた。
「8時にスタンドはあくよ。その先にドライブインがあるから。メシ食って待ったらいいよ」

どこまで親切な青年なんだろうかと思っている間に、手を振って青年は走り去った。私は2トン車に向かって深々と最敬礼をして見送った。


−途中で考えたこと−

倶知安(クッチャン)、小樽、札幌、岩見沢を通り抜けながら街や村の入口に立っては祈った。「この街に神の祝福と平安を、この村の人々に幸せをお与え下さい。主よ、それから足長オジサンとオバサンをお与え下さい」

今までの経験から、この程度の祈りでも数年経たずして不思議にも必ず祈りが聴かれ、心の優しい人が与えられた。その事が昨日の事のように、ありありと鮮やかに思い返されてくる。

都市よりもむしろ田舎がよい。どうしたわけか、人口の少ない田舎の方が、祈りがよく届くような気がする。祈りが天に吸い込まれてゆく。実感があるのだ。

特定の人物にお逢いするのが、今回の伝道旅行の目的ではない。主イエスは「ああ、コラジンよ、ベツサイダよ」と言って、不信の都市や村の不幸を嘆かれた。街ぐるみ、村ぐるみのために祈り、そのため、愛の痛みは主イエスの心を激しく痛めた。

私も主のみ心に倣おうとした。魂にこの事が強く響き、その響きは、この証誌を書き続けている今も、響き続けている。このあと「四国、九州、山陰地方を同じやり方で"巡礼"するつもりでいる。街や村々で一人秘かに祝福と平安を祈りたい。人々の救霊のためにも」

つづく

「心の旅路」より抜粋

添付写真は美利河峠→ピリカ峠です。

2013-06-06

天国の町田隆弘先生へ


拝啓
天国の町田隆弘先生へ
天国の生活はいかがでしょうか?

時々、飯田夫妻がシオン診療所の前を通りかかると、診療所の入り口、玄関脇など一回りしています。先日は植木鉢が倒れていたので元に戻したと話していました。

それから大事にこと!先生がいつ­も肌身放さず持って居られた電磁­波測定器ですが、電磁波が人間の脳に与える悪影響­について、中井町議会で戸村裕司が先生のご­意志を継ぎ議会の一般質問で取り上げ­ました。

近くに携帯電話の基地局の建設が­予定されています。

子供達への影響が気になります。­先生が突然旅立だだれ、親身な患者のための医療がわたしたちから、遠く離れた感じがする毎日です。

居なくなられて、失った存在の大­きさを痛感しています。

先生から診察を受けた日の最後の­会話は、「死後の世界で人間はどうなりま­すか?」の話しに、お答えしました­ね!端的に言えば、肉体が無くな­りますから、重さがありません。­身軽になります。時間、空間の観­念が地上界とは異なります。」
…。
「いずれ再び別れの無い天国で再­会出来ます。」

私は、死と言うのは取り返しのつ­かない決定的な出来事とは思えな­いのです。離別の悲しみの深さは­はかり知れません。

でも、長い間離ればなれになって­いた、愛する人々と再会の喜びを­分かち合える日が用意されている­と思うと死別の意味が変わります。愛する­ペット達とも素晴らしい感動的な­出会いが待ち受けています。 神は奪わない!与え給う!

今日、先生を偲んでいました。地­上界の近況のお幸せです†

剥製の長谷川さん

長いことご無沙汰してしまっていて…
ようやく
今日午後、オショチのブログ何も用意していなかったけど、お会い出来ました
お元気でホッとしました。

色々お話伺いました。
小学校低学年の子供達に剥製を触らせながら、その動物達についての話をしたり
などされていて
子供達からの可愛いお礼状の束が宝物

また世田谷区の支援による子供達のサークルで昔の遊びや剥製との交流なども
9月から3月の間は、毎週土日だそうです!

商売お金優先では、大切なことは何も出来ないです!


また今、関東一円の野生の動物達にかいせんのような皮膚病が増えてきていて、人にはうつらないものの、大変なことになりかねない!
多分外国からの動物達からなのだろうが
無責任人間のなせる技

行政も早くに素早く動かないし!
等々伺いました


落ち着いたらオショチブログをお持ちします

お話してきました
カズコ

若くして昇華されたみ霊に贈る言葉

【レクイエム】
若くして昇華されたみ霊に贈る言葉。


−神に従う人の若死に−

神に従う人は、若死にしても安らかに憩う。
老年の誉れは長寿にあるのではなく、
年数によって測られるものでもない。
人の思慮深さこそ白髪であり、
汚れのない生涯こそ長寿である。
神に喜ばれていた人がいた。彼は神から愛され、
罪人の中で生活していたとき、天に移された。
悪が心を変えてしまわぬよう、
偽りが魂を惑わさぬよう、彼は天に召された。
悪の魅力は善を曇らせ、
渦巻く欲望は純真な魂をかき乱す。
彼は短い間に完成され、長寿を満たした。
彼の魂は御心に適ったので、
主は急いで彼を悪の中から取り去られた。
人々はこれを見ても理解せず、
心に留めようともしなかった。
〔恵みと憐れみとは主に選ばれた人々にあり
主の訪れは主に清められた人々にあることを。〕

(知恵の書 4章7〜15節)

故人の代わりに掲載しました。

2013-06-03

奇跡の会社

  奇跡の会社
(副題・ミラクルカンパニー)

昨日は、
(株)ニッセイエコ の大事な行事。
物故者慰霊祭にお招きいただきありがとうございました。
全てに、行き届いたお心遣いにたいし、厚くお礼申し上げます。


祭儀の中で、多数の
外国の研修者の、
若者達との交流も楽しいハプニングでした。

久しぶりの再会でしたが、時の流れを感じさせない濃密な交わりが奥底にあったのだと、改めて気付かされました。(中略)…。

慰霊祭前夜、他界なされた方々とのメッセージのやり取りを、改めて記述しました。

『(株ニッセイエコ』

素晴らしい会社です。今日の物故者慰霊祭
そのものがわたしたちの魂を、晴れやかな思いで満たします。
慰霊された魂は天界より繁栄を贈ります。


司式者から→物故者の方々へ。

わたしたちが明日、
為すことは、物故者の皆様の魂が、(ニッセイエコの慰霊祭を)
慈しみと受けとめ、
喜びとしているのですね。

それは、わたしたちが為すべきことを早目に果たしているのです。自分自身のためにも叉、定められた時と報いのために!』

注:急ぎ書きとめた会話です。雑文お許しください。

わたしたちのカメラにも昨日の様子が記録されています。編集出来しだいご連絡いたします。

分け隔てのない御社から、益々優れた製品が世界に向かって提供されますように祈願いたします。

ご自愛ください†

愛の樹教会・牧師
愛川パウロ英雄
教会一同

御礼

愛の樹教会
牧師 愛川パウロ英雄様
教会一同様

このたびの物故者慰霊祭は
愛川牧師のやさしさが印象的で
アジアの人との交流
また、教会皆様のお人柄で
大変心温まる式でありました
心より感謝しております

私のブログにも式典の報告をさせていただきました
また、愛川牧師様から頂いたメールも無断で掲載ささせていただきました
http://blogs.yahoo.co.jp/marasann


愛川牧師の平癒を願いつつ
今後の教会のご発展を
心よりお祈り申し上げます

(株)ニッセイエコ
相談役・稲村通雄

感謝をこめて

稲村通雄様
メールありがとうございます。

御社の、
春期・物故者慰霊祭の司式。
お役に立てたら光栄です。
わたしたちの愛の樹ホームページにも対話の形で掲載します。

若者を平気で使い捨てる現代社会に逆行する生き方で、繁栄する
会社は奇跡的です。
個人の命の尊厳を大切になさる御社に成長の秘密を見ました。

まして、物故者慰霊祭を春秋二回も執り行い、感謝の祈りを捧げる会社が存在すること事態に驚きと、尊厳の念を抱きました。物故者を大切にする御社です。若者が育ち、世界中に工場を作り、彼の地の若者を育て、無から価値ある製品を生み出し、分け隔てない経営者の実在に触れ。力の根源をはっきり見届けました。
これは、
平気で人間の尊厳を踏み躙り、我が懐を肥やすことに熱心なブラック企業経営者への教訓です。見逃せない事態に対する、貴重な教訓です。

何か間違ってしまった現代社会への教訓として、わたしたちから
発信します。


話しは変わりますが、アントニオ・ガウディと言う優れた建築家がスペインにいました。彼は神に召されましたが、意思は受け継がれバルセロナで現在も工事は継続されています。教会建築の形態をとっていますが樹状です。天に向かって樹が成長しているようです。天の摂理に従うアントニオ・ガウディの素直な信仰心のようです。基本は愛です!


御社に、このような姿を見ました。
愛の樹教会・牧師
愛川パウロ英雄

2013-06-02

今週の聖句 6月2日〜8日

詩篇97篇

主は王となられた。地は楽しみ、
海に沿った多くの国々は喜べ。

雲と暗やみとはそのまわりにあり、
義と正とはそのみくらの基である。

火はそのみ前に行き、
そのまわりのあだを焼きつくす。

主のいなずまは世界を照し、
地は見ておののく。

もろもろの山は主のみ前に、
全地の主のみ前に、ろうのように溶けた。

もろもろの天はその義をあらわし、
よろずの民はその栄光を見た。

すべて刻んだ像を拝む者、
むなしい偶像をもってみずから誇る者は
はずかしめをうける。
もろもろの神は主のみ前にひれ伏す。

主よ、あなたのさばきのゆえに、
シオンは聞いて喜び、ユダの娘たちは楽しむ。

主よ、あなたは全地の上にいまして、いと高く、
もろもろの神にまさって大いにあがめられます。

主は悪を憎む者を愛し、その聖徒のいのちを守り、
これを悪しき者の手から助け出される。

光は正しい人のために現れ、
喜びは心の正しい者のためにあらわれる。

正しき人よ、主によって喜べ、
その聖なるみ名に感謝せよ。

イスラエルの食べ物

イスラエルはお食事が美味しい国です。いつも行くたびに「あれ食べよう、これ食べよう」と楽しみにしています。フルーツや野菜をふんだんに使うので、結構たくさん食べることができるのです。

左はエルサレム新市街にある「マハネイ・イェフダー市場」の近くにあるファラフェルショップ。イスラエルの代表的な「ファーストフード」です。

聖日礼拝

−健康−

貧しくても健康で体力のある方が、
裕福で病気に苦しんでいるよりはよい。
健康で丈夫な体は、あらゆる黄金にまさり、
強じんな精神は、莫大な財産にまさる。

(シラ書30:14〜15)



−晴れやかな心−

悲しみに負けて気力を失うな。
あれこれ思い悩むことはない。
朗らかな心は、人を生気にあふれさせ、
喜びは長寿をもたらす。
気分を変えて心を奮い立たせ、
悲しみを遠くへ追い払え。
悲しみは多くの人を滅ぼした。
それは何の益にもならない。
ねたみや、怒りは寿命を縮め、
思い煩いは人を老けさせる。
快活な心は食欲を旺盛にし、
食べ物をおいしく味わわせる。

(シラ書30:21〜25)
添付写真は、ガリラヤ湖で獲れる、ピーターフィッシュの料理と

フルーツケーキ
いずれもイスラエルの人気商品

2013-06-01

美利河峠

美利河峠『ピリカ峠』

−北キツネの子ギツネ−

「ギャー」と突然、暗闇を引き裂くように鋭い叫び声が森の奥の方から聞こえてきた。何かが争っているらしい。漆黒の暗闇だとばかり思っていたが、天の方はかすかに明るい。そのかすかな光の中に光る目玉がある。とっさにライトをつけてみると、何と、アイよりも小さい北キツネの、それもようやく親離れしたばかりの子ギツネが獲物をくわえている。

よく見ると、蛙のようである。じーっとこちらを見つめて動こうとはしない。すごい!この小さな生き物の目にランランと輝く野生そのものの、いのちを視た。

アイをこの山中に出しては恐怖心のあまり、その生命は一夜とはもつまい。彼女は素直にぶるぶると震えている。

深夜の原生林は子ギツネのホームグランドなのだ。風も雨も稲妻も彼の大切な生活の一部なのだ。子ギツネは自由に動きまわり、この大自然の厳しさの中で鍛えられ、生きるための知恵を磨き、育てられていく。

故障しなければ、知らずに通り過ぎたこの出会いは、私に一つの啓示を与えてくれた。ここには、したたかな、生きとし生けるもののリアルな生活の営みの戦いがある。喰うも喰われるも、それが、ありのままの大自然の在り方である。理屈抜きである。不思議に思う事はない。すべてのものは「黙々と成長する」。

神の見えざるみ手の中に、すべての生命が、生死がリアルタイムでここにある。草木も石も子ギツネも、虫や小鳥やアイも私も、雨も風もすべてが揃っている。生命あるものはその生命の形式に従って動き、成長し、そして死んでゆく。そのダイナミックな自然の営みの根元に生命のもつ神秘的な意味と生の存在価値がある。

「子ギツネのエサになった目の前の蛙に平安あれ!」。私の目の前に、誰も傷つけ、損なってはならない大自然の調和がある。実に巧みに計画された絶妙なる生命界のバランスではないか。この自然を傍若無人に破壊する悪者こそ、人間という名の私たち人類ではないか。

今回の北海道伝道旅行に、私はもう一つの祈りを携えてきた。それは、もうこれ以上、人類が愚かしい自らの墓穴を掘るような大自然の環境破壊を、ただちに中止することと併せて、今まで犯し続けてきた事への、お詫びと執りなしの祈りを神に捧げることであった。

誰かが祈り、行動しなくてはならない。
私はアイに言った。
「恐ろしいから、その恐ろしさをありのまま表現して素直にぶるぶるふるえているアイは、素直で、ありのままでいいね」
「子ギツネも偉いと思うよ。人間から見て、険しさが険しいほど、彼は自由で安全なんだから。その中で、堂々と生きている」
「弱虫のアイの素直さと、北キツネの子ギツネのたくましい野生に脱帽するよ」

いつの間にか、私のひざの上で、アイの静かな寝息が聞こえてきた。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋