2012-09-30

イエスとの出合い(19)天路歴程・地路歴程20


【月がなかったら】

9/29 東京新聞の夕刊記事「筆洗」に興味深い記事が掲載されていた。

静かの海。そこには、人類が初めて月に降り立った足跡が、今なおくっきりと残っている。

行けそうで行けないところ、手が届きそうで届かないもの。そんな目標がないと、人間は大きな挑戦ができない。月がなかったら、果たして人類は宇宙に乗り出しただろうか

米国の天文学者カミンズ博士の『もしも月がなかったら』(東京書籍)によると、月のない地球は、こんな世界だ。月の引力がないために地球の自転はずっと速く、一日は八時間

潮の満ち引きは太陽の引力だけで引き起こされることになるので、規模は三分の一に。命の揺りかごといわれる干潟のような地は狭くなるから、生命進化の歩みは遅くなるだろう

自転が速いために、猛烈な風が吹き続ける。台風ともなれば秒速八〇メートル。騒々しく猛々(たけだけ)しい世界だ。花はのんびり咲いておられぬ し、鳥のさえずりもかき消される。そんな環境なら、植物も鳥も違った進化の道を歩むはずだ。人類が誕生しても、やたらせっかちで甲高い大声で話す人ばかりになったかもしれない

あすは中秋の名月。花鳥風月のある世界に感謝しつつ、<名月やしづまりかへる土の色>許六。

人類で初めて月面に立つ宇宙飛行士アームストロング船長(1969年7月)

月面に残る宇宙飛行士の足あと


毎日何気なく見ている月がなかったら夜は一年中暗く、恐ろしい地球になってしまう。

月があって当たり前はわたしたち人間の無知に対する神様の贈り物だと思う。


【人間の愚かさ】

地球を襲う「火山の冬」

9月29日、土曜日、東京新聞朝刊記事を見て、驚いた。

火山噴火の過去の記録である(後日改めて転載します。)

最近、いつ富士山が噴火してもおかしくないと火山学者、地震学者たちが言い始めた。

古代、地球上に存在した恐竜たちの絶滅の原因は、隕石が地球に衝突し、空高く舞い上がつた塵が、太陽の光りを遮り氷河期に突入し恐竜たちは絶滅した。

寒さに加え食糧が尽きた。

わたしたち人間の力ではどうにもならない自然界の脅威を忘れてはならないと思う。

絶滅した恐竜

人間は自然界に謙虚でなければならない。

危機に対する学習能力の欠如は、残念なことに、大多数の政治家、原子力産業者、その取り巻きの村人、官僚、金儲けに抜け目のない営利主義者、財界人種によく見られる。

自然界の警告を無視すれば必ずしっぺ返しが来る。

また、人間の脳の奥底に原始的な凶暴なワニの性質が隠されていると聞いたことがある。

最近の人間の無惨な争いを見ると凶暴性剥き出しの殺しあい、際限のない憎悪に身の毛が立つ。

領土権の摩擦、覇権主義、戦争の噂、マスコミの煽りたて、何かが狂っている。

ワニ

人間が暮らせるのは、平穏な地球があっての話ではないか。

ワニに叱られるかもしれないが、人間は残酷なことを平気で犯す。

原爆を落とした国家が民主主義を名乗り。

原爆被災者の行く手に立ちふさがる。

沖縄はアメリカと日本本土に軍事利用されっぱなしである。

生け贄である。

この国はアメリカの何番目の州にあたるのか?

皇室(天皇陛下・皇后美智子様)は別格として、国の風格も尊厳も失ってしまったのか?


【平和運動】

普遍的な平和運動の基本はお互いの人格を尊重する人間愛から生じる。

他人を踏み躙り幸せであるはずがない。

安心して暮らせる平凡な生活を建設したい。

穏和な人々こそいつの世にも求められる人々である。

しかし、権力者はそれを許さない。

私はもどかしさをどうにも出来ない無力な自分に腹が立つ。

できることをやるしかない。


干潟

園山俊二作「はじめ人間ギャートルズ」

愛の樹オショチ†

今週の聖句 9月30日〜10月6日

詩篇67篇
聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせた歌、さんび

どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、
そのみ顔をわれらの上に照されるように。〔セラ

これはあなたの道があまねく地に知られ、
あなたの救の力がもろもろの国民のうちに
知られるためです。

神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、
もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。

もろもろの国民を楽しませ、
また喜び歌わせてください。
あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、
地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。〔セラ

神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、
もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。

地はその産物を出しました。
神、われらの神はわれらを祝福されました。

神はわれらを祝福されました。
地のもろもろのはてにことごとく
神を恐れさせてください。

2012-09-28

義人ヨブ記(job)40

ヨブに答えて、主は仰せになった。

全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。
神を責めたてる者よ、答えるがよい。

ヨブは主に答えて言った。
わたしは軽々しくものを申しました。
どうしてあなたに反論などできましょう。

わたしはこの口に手を置きます。

ひと言語りましたが、もう主張いたしません。
ふた言申しましたが、もう繰り返しません。

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。

男らしく、腰に帯をせよ。
お前に尋ねる。わたしに答えてみよ。

お前はわたしが定めたことを否定し
自分を無罪とするために
わたしを有罪とさえするのか。

お前は神に劣らぬ腕をもち
神のような声をもって雷鳴をとどろかせるのか。

威厳と誇りで身を飾り
栄えと輝きで身を装うがよい。

怒って猛威を振るい
すべて驕り高ぶる者を見れば、これを低くし

すべて驕り高ぶる者を見れば、これを挫き

神に逆らう者を打ち倒し
ひとり残らず塵に葬り去り
顔を包んで墓穴に置くがよい。

そのとき初めて、わたしはお前をたたえよう。

お前が自分の右の手で
勝利を得たことになるのだから。

見よ、ベヘモットを。

お前を造ったわたしはこの獣をも造った。

これは牛のように草を食べる。

見よ、腰の力と腹筋の勢いを。
尾は杉の枝のようにたわみ
腿の筋は固く絡み合っている。

骨は青銅の管
骨組みは鋼鉄の棒を組み合わせたようだ。

これこそ神の傑作
造り主をおいて剣をそれに突きつける者はない。

山々は彼に食べ物を与える。
野のすべての獣は彼に戯れる。

彼がそてつの木の下や
浅瀬の葦の茂みに伏せると
そてつの影は彼を覆い
川辺の柳は彼を包む。

川が押し流そうとしても、彼は動じない。

ヨルダンが口に流れ込んでも、ひるまない。

まともに捕えたり
罠にかけてその鼻を貫きうるものがあろうか。

お前はレビヤタンを鉤にかけて引き上げ

その舌を縄で捕えて
屈服させることができるか。

お前はその鼻に綱をつけ
顎を貫いてくつわをかけることができるか。

彼がお前に繰り返し憐れみを乞い
丁重に話したりするだろうか。

彼がお前と契約を結び
永久にお前の僕となったりするだろうか。

お前は彼を小鳥のようにもてあそび

娘たちのためにつないでおくことができるか。

お前の仲間は彼を取り引きにかけ
商人たちに切り売りすることができるか。

お前はもりで彼の皮を
やすで頭を傷だらけにすることができるか。

彼の上に手を置いてみよ。
戦うなどとは二度と言わぬがよい。

(ヨブ記 第40章)

後二回で終了します。

愛の樹オショチ†

アルブレヒト・デューラー「ヨブと妻」(1504)


2012-09-27

イエスとの出合い(18)天路歴程・地路歴程19

【ミッション】

正直な話し、私はミッションが苦手であった。

しかし使命を与えられたからには、神の使命は、果たさなければならない。

心は重かった。

恩師、吉村騏一朗先生との約束も心から離れない。

自分の心の葛藤と闘っていたある日、アメリカ人(氏名は失念)の宣教師の話しを聞き、それまでの自分流の小さな、みみっちい、ミッションの在り方、過ちに気付かされた。

彼は単身、アフリカの未開の地にミッションに入った。

長い間ミッションを続けたが、成果もなく風土病に倒れた。

一人の信者も得ないまま、ジャングルで息を引き取ったのである。

誰も彼の心中は、はかれないが、キリストの福音に身を投げた事実は残った。

「単身、孤独の殉教者」だと私は思った。

その篤い信仰心と純粋な使命遂行に畏敬の念を抱いた。

到底、私の出来ることではない。

その後日談がある。

彼の死は無駄死ではなかった。

彼の跡に続く若い宣教師達が現れた。

信仰心に火を点けたのである。

遼原の火のように燃え盛った。

若い宣教師達の使命感は自ら進んで困難なミッションに立ち上がった。

中には危険を省みず中国に入り中国人にキリストの福音を伝えた。

福音はやがて国境を越えて韓国人にも伝わりキリスト教会が建ちはじめた。

我が国には、フランシスコ・ザビエルがキリストの福音を伝えた。

アフリカのジャングルで目的を果たせず孤独死した宣教師の蒔いた一粒の種は後の日に多くの実を結んだのである。

私の使命を深く考え直す機会になった。

【サン・ピエトロ寺院】

ローマのバチカン宮殿「サン・ピエトロ寺院→聖ペテロ寺院」

世界に冠たる巨大宗教寺院の立役者はイエスの筆頭弟子の、ペテロである。


エル・グレコ「聖ペテロの涙」(1600-1605年頃)

無学な、ガリラヤの漁師ペテロがイエスに出会わなければローマのバチカン宮殿は存在しない。

世界中に信者を持つ巨大宗教(中国、インドの人口に匹敵する)は、一人の漁師、ペテロの逆さ磔(はりつけ)の殉教死の跡に建てられた。

ローマ法王は神の代理者として10数億の信者の頂点に立つが?

イエスを最後に裏切りユダヤ人の大祭司カヤパの官邸で、イエスを知らないと言った、弟子ペテロを抜きにして、ローマ法王もバチカン宮殿も存在しない。

サン・ピエトロ寺院

【イエスの裁判】

ユダヤ民族の最高の法的、宗教的権威を持っていたのは、エルサレムの議会サンヘドリンであった。

このサンヘドリンは七十人又は七十一人から成立していたが、小人数のサンヘドリンもあった。

イエスの裁判はここで行われた。

当時の議決の仕方は、いくつかの意見を対立させ、例え少数意見でも異論を称える者があるならばその異論と対比させ、正論が証明されるまで裁判をやる。

だから全員の意見が一致することはまず考えられない。

もし意見が一致するようなことがあれば、それは偏見か、興奮によるものと見なされて無効になるか、一日置いて裁判をやり直した。

当時のユダヤ人の死刑は石打の刑であり神を冒涜する者は誰であれこの処刑にされた。

しかし大祭司カヤパはそれを執行せず直接には関係のないローマ総督ポンティオ・ピラトにイエスを引き渡し死刑にするように仕向けた。

ローマの死刑は十字架刑であった。

総督ポンティオ・ピラトはイエスの罪を見出だせなかったが、周りのユダヤ人の扇動に負けてやむを得ず死刑の判決を出した。

不当なサンヘドリンの判決に最後まで、自信が持てなかった大祭司カヤパは、ローマの政治力を借りてイエスを処刑した。

死後の霊界で、ローマの総督ポンティオ・ピラトは「私には罪は無いと言い。手を洗い続けている」と言う不思議な逸話もある。

【ペテロの号泣】

律法学者、長老たちが集まってイエスの扱いを協議した。

イエスの後を追って、ひそかにカヤパ官邸に入ったペテロは家人に見咎められ、イエスの言葉通り、鶏が三度鳴く前に、イエスを知らないと否定した。

外に出てイエスの言葉を思い出して号泣した。

イエスはペテロを咎めず愛の眼差しをペテロに向けた。

「カヤパたちは、あなたは神の子キリストなのか?と問い、ついに死刑に相当すると断定してローマの総督ポンティオ・ピラトに引き渡した」。

臆病者、ペテロは、イエスの死後、良心の呵責から殉教を覚悟して、ローマを目指したたが恐怖心に駆られて又、逃げ出した。

アッピア街道で、イエスに出会い驚愕する。

ペテロの口から出た言葉は「主よいずこえ?→クオ・バディス?」

イエスはペテロよ!お前の代わりにわたしがローマに行くと言われて再びローマに引き返し逆さ磔にされ殉教死した。

 クオ・バディス教会

【ペテロ】

ルーベンス「聖ペテロ」(1614)
 
先に述べたがもう少し説明したい。

ぺテロはイエスの12人の筆頭弟子である。

性格は衝動的、情熱的、活動的で、断固たる決心と瞬間的臆病との間を動揺することが多くあり失敗談が伝えられている。

人間らしい弟子で彼に「聖」 は似合わない。

ガリラヤ湖北岸ベッサイダでシモンと呼ばれていたペテロは父ヨナ,弟アンデレらと共に漁夫(漁師) であった。

ガリラヤ湖辺でイエスと出会い召命された。

人間をとる漁師にしてあげようとの言葉にただちにこたえ弟子となった。

イエスのみもとにいて特に重んぜられたグループ(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)のひとりであった。弟子代表としてイエスと深くかかわりを持ちその言動は知られている。

特に、ピリポ・カイザリヤ途上でのイエスへの信仰告白でペテロは教会の基としての岩(ペトラ)と呼ばれた。

イエスが復活した初代教会の指導者となり信仰的指導を託された。

イエスの昇天と聖霊降臨(ペンテコステ)を通して、ペテロは「ケパ」として呼ばれた。(ケパ→岩→アラム語のケーフアーの音訳。ギリシヤ語のペテロ)

彼は後にローマ教会の大監督として活動的役割を果たすが、ローマ皇帝暴君ネロの手にかかり逆さ磔の刑死を遂げた。

サンピエトロ寺院の聖人像(中央がイエス、右がペテロ、左がパウロ)


愛の樹オショチ†

2012-09-25

イエスとの出合い(17)天路歴程・地路歴程18

これは友人へのレクイエムです。

【機関車】

私の親しい方が亡くなられた。

頑丈でたくましいお方であった。

昨日まで親しく会話を楽しんでいたのに、今は姿が見えない。

気配は感じるのだが姿が見えないのはトテモトテモ淋しい。

今日は何をしましたか?と、聞かれて勉強と答えると「ほうほう!」と、頷いた。

何の勉強ですか?

私の勉強てすか?

人生勉強です。

生きてる証に文字を連ねているだけのことです。

気持ちが崩れかけた時に、書きます。

書くことで安心します。

書くエネルギーは?。

自分のなかの、私を引っ張る機関車ですと?訳の分からない返事をした。

「ほうほう!」と、頷いてくれたお方の声は消えない。

機関車はこの世の終着点まで私を引っ張ってくれる。

ガタガタゴト身をゆだねて今日も人生の線路を走る。

人々の人生に幸あれ!!

愛の樹オショチ†

 
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道」(1844)

2012-09-24

義人ヨブ記(job)39

お前は岩場の山羊が子を産む時を知っているか。
雌鹿の産みの苦しみを見守ることができるか。

月が満ちるのを数え
産むべき時を知ることができるか。

雌鹿はうずくまって産み
子を送り出す。

その子らは強くなり、野で育ち
出ていくと、もう帰ってこない。

誰が野生のろばに自由を与え
野ろばを解き放ってやったのか。

その住みかとして荒れ地を与え
ねぐらとして不毛の地を与えたのはわたしだ。

彼らは町の雑踏を笑い
追い使う者の呼び声に従うことなく

餌を求めて山々を駆け巡り
緑の草はないかと探す。


野牛が喜んでお前の僕となり
お前の小屋で夜を過ごすことがあろうか。

お前は野牛に綱をつけて畝を行かせ
お前に従わせて谷間の畑を
掘り起こさせることができるか。

力が強いといって、頼りにし
仕事を任せることができるか。

野牛が穀物をもたらし
実りを集めてくれると期待するのか。


駝鳥は勢いよく羽ばたくが
こうのとりのような羽毛を持っているだろうか。

駝鳥は卵を地面に置き去りにし
砂の上で暖まるにまかせ

獣の足がこれを踏みつけ
野の獣が踏みにじることも忘れている。

その雛を
自分のものではないかのようにあしらい

自分の産んだものが無に帰しても
平然としている。

神が知恵を貸し与えず
分別を分け与えなかったからだ。

だが、誇って駆けるときには
馬と乗り手を笑うほどだ。


お前は馬に力を与え
その首をたてがみで装うことができるか。

馬をいなごのように跳ねさせることができるか。
そのいななきには恐るべき威力があり

谷間で砂をけって喜び勇み
武器に怖じることなく進む。

恐れを笑い、ひるむことなく
剣に背を向けて逃げることもない。

その上に箙が音をたて
槍と投げ槍がきらめくとき

身を震わせ、興奮して地をかき
角笛の音に、じっとしてはいられない。

角笛の合図があればいななき
戦いも、隊長の怒号も、鬨の声も
遠くにいながら、かぎつけている。


鷹が翼を広げて南へ飛ぶのは
お前が分別を与えたからなのか。

鷲が舞い上がり、高い所に巣を作るのは
お前が命令したからなのか。

鷲は岩場に住み
牙のような岩や砦の上で夜を過ごす。

その上から餌を探して
はるかかなたまで目を光らせている。

その雛は血を飲むことを求め
死骸の傍らには必ずいる。

(ヨブ記 第39章)
後三回で終了します。

愛の樹オショチ†

フィリップ・ジェイムズ・ド・ラウザーバーグ(1740-1812)画

2012-09-23

イエスとの出合い(16)天路歴程・地路歴程17

アントニオ・チゼリ「この人を見よ(Ecce Homo)」(1871)

【避けられぬ運命】

母からの最大の贈り物は「情け」だった。

人情味の深い母は、生来の気質に自分が体験した苦労が加わり、気の毒な人を見捨てられない人だった。

封建的な九州のしきたり、家風、家の格式が生活に及ぼす弊害が私自身生まれた時から付き纏った。

父と母の結婚も親同士が決めた、庄屋同士の政略結婚。

ただ従うしかないのが実状であった。

父は庄屋の次男坊であったが、長男が若死にしたので、嫌々跡継ぎを承諾した。

ただし条件付きであった。

その条件とは?、当時日田でもあまり見かけない、アメリカ製のT型フォードの車を買って父に与えること。

祖父母はさぞびっくりしたと思うが、負けて買い与えてしまった。

ある日、下の街までドライブに行くと言い、車に乗って家を後にした父はやがて音信不通になった。

我が家系は、庄屋同士の政略結婚だらけで、愛情や人の情けは存在しなかった。

ただ家の都合が最優先して、個人の尊厳は無視された。

母はお腹にいる私を大事にして婚家の(血縁関係あり)離れ屋から逃げ出せず、籠の鳥同然であった。

そのうち父はふらっと帰って来る、皆、勝手に考えていたが依然として音信不通、消息不明であった。

堪り兼ねた母の実家から非難の声が出た。

父の実家は息子の家出を母の未熟のせいにした。

母の実家は父を甘やかした、ろくでなしと非難した。

離縁話の障害は、私を誰が引き取り育てるか?になった。

母の実家は、私の養育の責任は父方にあるから、母一人を引き取り再婚を考えていた。

父方は拒否した。

妥協案は、同じ庄屋で酒造りの井上の、子どもに恵まれない一族の養子縁組みであった。

私と井上準之助の関係は彼の姉が私の祖母であったことと深く関わる。

しかも井上家に一時的にしろ養子縁組みをさせられた。

準之助の隔世遺伝子を私はかなり引き継いでいると親戚中に言われた。

井上と父の実家古後家は母方から敵視された。


【愛情と面子】

母は私を不憫に思い、自殺まで考えたと聞かされた。

しかし幼い私の無心な笑顔を見てはとても自分の手には掛けられない。

母は私を抱えて秘かに上京する決心をした。

母の妹が私たち親子を必死に支えた。

しかし家出は、ばれて母の長姉の家に引き取られた。

また、籠の鳥同然の生活が始まった。

しばらくして驚く知らせが届いた。

消息不明の父は北海道にいた。

日田の堂尾(どうの)から丁型フォードを走らせて何とか北海道の十勝郡池田町に着き、タクシー会社を立ち上げたと父方の祖父母に知らせてきた。

田舎は大騒ぎになった。

迎えに行くとか?私たち親子を北海道に連れて行くとか?

婚家同士の面子ばかりが問題となり、私たち親子は蚊帳の外に置かれていた。 


【母の決断】

囚われ同然の家の主は九州でも有名な腕の立つ表具師であった。

その弟子に神戸の美術学校を卒業した若い男がいた。

愛川高一。

絵を描き、バイオリンを弾いた。

私から見れば義理の叔父当たる木藪忠義は、母が信頼した数少ない身内だったと聞かされた。

その弟子と母は再婚を決意して北海道行きを断った。

運命に従うしかない選択。

母の決断がなければ、今の私は存在しなかったし、ましてや牧師になり苦しい人々のサポート役などあり得ないと思う。


【母の死】

私一人のために自分を犠牲にして運命を自然体で受け入れた母から人の情けがいかに大切なものかを身を持って知らされ、体験した。

母は日田の我が家、柿の木の見える二階で54年の短い生涯を静かに閉じた。

母から伝えられた財産、情けを私は大切に守って生きてきた。

損得勘定ではないが人情が時には誤解され疑われ、非難されたこともあるが、これで良かっと思う。

どや街でもそうだったが、ほんのちょっぴりした心遣いがラザロさんたちの生きる力になったし、人間関係を円滑にするには、"人情→情緒"が欠かせない。



【私の仕事】

心身ともに望まない境遇に不本意に閉じ籠められた心は情けー人間の情緒力で助かる。

人を癒す力は温かい心から出る。 

宗教の出発点は難しくない。

温かい心から出るのだから!

愛の樹オショチ†


今週の聖句 9月23日~29日

詩篇66篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせた歌、さんび

全地よ、神にむかって喜び呼ばわれ。

そのみ名の栄光を歌え。
栄えあるさんびをささげよ。

神に告げよ。
「あなたのもろもろのみわざは恐るべきかな。
大いなるみ力によって、あなたの敵はみ前に屈服し、

全地はあなたを拝み、あなたをほめうたい、
み名をほめうたうであろう」と。〔セラ

来て、神のみわざを見よ。
人の子らにむかってなされることは恐るべきかな。

神は海を変えて、かわいた地とされた。
人々は徒歩で川を渡った。
その所でわれらは神を喜んだ。

神は大能をもって、とこしえに統べ治め、
その目はもろもろの国民を監視される。
そむく者はみずからを高くしてはならない。〔セラ

もろもろの民よ、われらの神をほめよ。
神をほめたたえる声を聞えさせよ。

神はわれらを生きながらえさせ、
われらの足のすべるのをゆるされない。

神よ、あなたはわれらを試み、
しろがねを練るように、われらを練られた。

あなたはわれらを網にひきいれ、
われらの腰に重き荷を置き、

人々にわれらの頭の上を乗り越えさせられた。
われらは火の中、水の中を通った。
しかしあなたはわれらを広い所に導き出された。

わたしは燔祭をもってあなたの家に行き、
わたしの誓いをあなたに果します。

これはわたしが悩みにあったとき、
わたしのくちびるの言い出したもの、
わたしの口が約束したものです。

わたしは肥えたものの燔祭を
雄羊のいけにえの煙と共にあなたにささげ、
雄牛と雄やぎとをささげます。〔セラ

すべて神を恐れる者よ、来て聞け。
神がわたしのためになされたことを告げよう。

わたしは声をあげて神に呼ばわり、
わが舌をもって神をあがめた。

もしわたしが心に不義をいだいていたならば、
主はお聞きにならないであろう。

しかし、まことに神はお聞きになり、
わが祈の声にみこころをとめられた。

神はほむべきかな。
神はわが祈をしりぞけず、
そのいつくしみをわたしから取り去られなかった。

2012-09-20

イエスとの出合い(15)天路歴程・地路歴程16

【召命と現実】

神の召命を受けてはいたが、私自身極貧の時代で狭い借家に住み、その日暮らしに明け暮れていた。

その貧しい私に腹を減らした人々が食べ物を求めて来た。

我が家の食べ物はいつもかつかつの有様であった。

その上狭い部屋に泊めてくれと言う人が来て、下の車庫に置いてあるぽんこつの車に泊めたりもした。

大男は、部屋からベランダに足を出して寝せた。朝起きると足は蚊に血を吸われて赤く腫れていた。

かゆみで悲鳴をあげていたが、それでも泊りにきた。

少しずつ弟子が集まりはじめたが、やむなく狭い部屋を聖日礼拝所にしていた。

公私の区部は全部吹き飛んでしまった。

だんだん増えてくる人々を受け入れる余裕がなくなっていた。

私は原則として、献金を受け取らなかった。

貧しい生活者の生活を知り尽くしいたから、僅かな献金が彼ら自身の命に繋がる。

彼らの自尊心にも気を配った。

教会のトラクトは手書きをしたが印刷代に困っていたある日、はじめての弟子が東電の株券を現金に替えて持参してくれた。

50万円也は今から40年前は大金であった。

これが私の伝道の力になったのは言うまでもない。

それから時々、弟子たちの住まいが聖日礼拝所になった。

世田谷ではある大学の学生が増えて、彼らの求めて居るものの違いを感じ、思い切って集会を解散した。

【ふるさとの家】

私は祈って先行きを考えた。

心ある信仰の友、弟子たちと、神との道行きを如何に為すべきか。

貧しい中で、ラザロさんたちへの協力を惜しまなかった弟子たちの信仰生活が悔いを残さず、幸せであるように、願いながら難題に挑戦した。

わたしたちの信仰生活の基盤となる「ふるさとの家」建設である。

しかし先立つ資金が無い。

私を信じて後をついてくる弟子たちの老後を考えた。ユダヤ人はシナゴーク(会堂)を建てた。

神聖な祈りの場であり、子どもたちの学舎、医療施設、共同生活の場所がシナゴークの必要性を高めた。

私の考えた「愛の樹ふるさとの家」の基本的な建物であった。

神奈川県。静岡県。東京。埼玉県。群馬県。あらゅる土地を弟子の戸村裕司と見て回った。

数え切れない。

到底入手不可能と思われた土地が、わたしたちの終の住み家として奇跡的にあたえられた。

資金が集まりはじめた。皆が立ち上がった。

それぞれの身の丈にあった貴重な建設資金を掻き集めた。

神奈川県足柄上郡中井町松本(俎原)1026-16、高台の見晴らしの良い場所である。

ダビデの故事に倣ってここをダビデの丘と呼んでいる。

ここでわたしたちは「神の大いなる祝福を受けた†」


雪の積もった庭から丹沢山系を見る

北に丹沢山系が連なり四季折々の眺めは素晴らしい。

雨上がりの丹沢山系はシナイ山のように蜜雲が垂れ籠め、神秘的な姿に変わる。

南に目を転ずれば、キラキラ光る、湘南海岸が見える。因みに海抜は約150メートルある。

明かりの点いたふるさとの家日田の夜景

ここは、安心して子育てが出来る場所。人生の幸せを感じられる場所。

そして安心して老い行ける最後の終の住み家である。

全景

一見、教会には見えない。

普通の民家が敷地の中に大、中、小の三棟で構成されている。

本館の1階に聖日礼拝所を設けた。

聖日礼拝所

二階の屋根裏部屋に聖所を設けた。

二階屋根裏祈りの部屋

今はわたしたちの大事な神と交わる至聖所である。

雪降る中に立っキリスト聖像

庭に十字架と、イエス・キリストの聖像が立っている。

丹沢に向かって祝福の両手を広げている。

聖像の下の台に置かれた水は、雀たちの格好の水飲み場であり、屋根は彼らの憩いの場所となっている。

偶々私はキリストの聖像に向かって帽子を脱ぎ、胸に当てている姿に感動したことがある。

今は中井町松本のランドマークになっている。

小さな子羊の群れにも地域に根付く仕事の必要性があるとしみじみ思う昨今である。

愛の樹オショチ†

マリア像とパウロ像
ゲッセマネの祈り(ステンドグラス)


2012-09-16

今週の聖句 9月16日~22日

Ⅰコリ15:50~58

兄弟たちよ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。ここで、あなたがたに奥義を告げよう。わたしたちすべては、眠り続けるのではない。終りのラッパの響きと共に、またたく間に、一瞬にして変えられる。というのは、ラッパが響いて、死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。なぜなら、この朽ちるものは必ず朽ちないものを着、この死ぬものは必ず死なないものを着ることになるからである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。
   「死は勝利にのまれてしまった。
   死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。
   死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」。
死のとげは罪である。罪の力は律法である。しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。 だから、愛する兄弟たちよ。堅く立って動かされず、いつも全力を注いで主のわざに励みなさい。主にあっては、あなたがたの労苦がむだになることはないと、あなたがたは知っているからである。

2012-09-15

イエスとの出合い(14)ー天路歴程・地路歴程15

【夢の中で】

先日霊的な夢を見た。二人の天使に付き添われ、聖母マリアの願いにより、イエスがはじめて奇跡を行ったカナの村に立っていた。

婚礼のたけなわ、祝いに振る舞われた葡萄酒が足りなくなった時、イエスは、母マリアの願いで、水を上等の葡萄酒に変えられた。あのカナの婚礼の土地である(ヨハネ2:1-2)。

村の背後になだらかな山が見えた。

次に連れて行かれた山は モーセが神に十戒を授けられた、シナイ山である。

頂は雲に隠れて見えなかったが、山を離れて暫らくたっと霊山が姿を現した。

荘厳の一語に尽きる。

山肌の切れ目が人間の血管に見えた。

ゴツゴツした山肌が柔らかな皮膚に感じられた。

あの山は確かに息づいている。

預言者モーセの時代と、わたしたちの時代を隔てる時空の壁はないと実感した。

【聖母マリア】

聖母マリアの消息は未だに謎だらけである。

マリアはイエスの処刑後、イエスの弟子たちと共に暮らし、イエスの教えに従い、弟子たちに加わり信仰生活を送り、死んだと伝えられているが、終焉の場所は定かではない。

繰り返しになるが、イエスの母、聖母マリアの生涯については伝説があるだけで、弟子のヨハネに伴ってエペソに住んだとか?イエスの死を看取ったのちエルサレム留まったととも、言われている。

エルサレムにはマリアの墓というものがある。

カトリック教会が主張するマリアの永遠の処女性、無原罪、昇天などについての教義は、聖書に基づくものではない。

カトリック教会の独自性からだと言われる。

聖母マリアは謎にみちた存在であり続ける。

その謎がマリアの神秘性を高める。

古典的画家たちはその謎、神秘性に魅せられて様々な宗教的名画を生み出した。

マリアとはヘブライ語で「ミリアム」である。 モーセの十戒の姉もミリアムであった。

ユダヤ人の女性にミリアムと言う名の人が多い。

話は変わるが、画家ヤン・ファン・エイクで知られる油絵の故郷ブルージュは、フーゴー・ファン・デル・グースの【聖母の死】を、世に送り出したことでも有名である。

私が見たファン・デル・グースの「聖母の死」に感動した訳は、聖母マリアの、わが子、イエスへの母の痛ましいく深い悲しみ。

目閉じるでもなく少し見開いている表情。

眼は遥か彼方の在りし日を回想している眼に見えた。

フーゴー・ファン・デル・グース「聖母の死」(1480)

【ヴィア・ドロロサ】

イエスが最後に歩かれた十字架への道、イエスは十字架を負わされ、刑場ゴルゴタの丘に向かわれた。

身体中傷つき、棘の冠を頭に載せられ、血だらけの姿は痛ましいく目を覆いたくなる。

その姿を間近に見て十字架からおろされたイエスをどんな思いで看取ったのか?

想像を絶する。

ヴィア・ドロロサ(ラテン語で悲しみの道)全長約500メートル。

この道には14のステーションがあり、イエスがローマ総督ピラトに死刑宣告を受けてから十字架に処刑され、墓に納められるまでを物語っている。


現在のヴィア・ドロロサ

母マリアの悲痛は、現在の残虐な殺傷に明け暮れる紛争地の母の嘆き悲しみに通じる。

【聖母の死】は、衝撃的である。

マリアの枕元に昇天された息子イエスの母を見守る姿が見える。

母マリアを待ち受けている天国の風景描写は、わたしたち観るものに復活の希望を与える。

死を乗り越える力になる。

ヴィア・ドロロサのキリスト

現在、私自身が病に侵され、気力を失ってもイエスに我が身を託して、仕事に励むのは来世の希望があるから。

イエスは、死して後、復活し母マリアを救い、マリアの死を悲嘆にくれ、その死を見送った人々をも救った。

さて!天使は更にイエスの変貌の山に連れて行った。(ヘルモン山?)

新約聖書に記されている。

それから六日後、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネの三人の弟子を連れて、高い山に登られた。この時、イエスの顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。そしてエリヤガモーセとともに現れて、イエスと語り会った(マタ17:1-8)

私に残された仕事は限られている。

私の拙い体験を記録しているだけであるが、何かのお役に立てたら幸せである。合掌†

愛の樹オショチ†

イエスの墓所とイエスの墓

イエスの降誕

愛の樹教会のマリア像

2012-09-14

義人ヨブ記(job)38

【主なる神の言葉】
主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。

これは何者か。
知識もないのに、言葉を重ねて
神の経綸を暗くするとは。

男らしく、腰に帯をせよ。
わたしはお前に尋ねる、わたしに答えてみよ。

わたしが大地を据えたとき
 お前はどこにいたのか。知っていたというなら
 理解していることを言ってみよ。

誰がその広がりを定めたかを知っているのか。
誰がその上に測り縄を張ったのか。

基の柱はどこに沈められたのか。
誰が隅の親石を置いたのか。

そのとき、夜明けの星はこぞって喜び歌い
 神の子らは皆、喜びの声をあげた。

海は二つの扉を押し開いてほとばしり
 母の胎から溢れ出た。

わたしは密雲をその着物とし
 濃霧をその産着としてまとわせた。

しかし、わたしはそれに限界を定め
 二つの扉にかんぬきを付け

「ここまでは来てもよいが越えてはならない。
高ぶる波をここでとどめよ」と命じた。

お前は一生に一度でも朝に命令し
曙に役割を指示したことがあるか

大地の縁をつかんで
神に逆らう者どもを地上から払い落とせと。

大地は粘土に型を押していくように姿を変え
すべては装われて現れる。

しかし、悪者どもにはその光も拒まれ
振り上げた腕は折られる。

お前は海の湧き出るところまで行き着き
深淵の底を行き巡ったことがあるか。

死の門がお前に姿を見せ
死の闇の門を見たことがあるか。

お前はまた、大地の広がりを
 隅々まで調べたことがあるか。
そのすべてを知っているなら言ってみよ。

光が住んでいるのはどの方向か。
暗黒の住みかはどこか。

光をその境にまで連れていけるか。
暗黒の住みかに至る道を知っているか。

そのときお前は既に生まれていて
人生の日数も多いと言うのなら
これらのことを知っているはずだ。

お前は雪の倉に入ったことがあるか。

 霰の倉を見たことがあるか。

災いの時のために
戦いや争いの日のために
 わたしはこれらを蓄えているのだ。

光が放たれるのはどの方向か。

東風が地上に送られる道はどこか。

誰が豪雨に水路を引き
稲妻に道を備え

まだ人のいなかった大地に
無人であった荒れ野に雨を降らせ
乾ききったところを潤し
青草の芽がもえ出るようにしたのか。

雨に父親があるだろうか。
誰が露の滴を産ませるのか。

誰の腹から霰は出てくるのか。
天から降る霜は誰が産むのか。

水は凍って石のようになり
深淵の面は固く閉ざされてしまう。

すばるの鎖を引き締め
オリオンの綱を緩めることがお前にできるか。

時がくれば銀河を繰り出し
大熊を子熊と共に導き出すことができるか。

天の法則を知り
その支配を地上に及ぼす者はお前か。

お前が雨雲に向かって声をあげれば
洪水がお前を包むだろうか。

お前が送り出そうとすれば
稲妻が「はい」と答えて出て行くだろうか。

誰が鴾に知恵を授け
誰が雄鶏に分別を与えたのか。

誰が知恵をもって雲を数え
天にある水の袋を傾けるのか。

塵が溶けて形を成し
土くれが一塊となるように。

お前は雌獅子のために獲物を備え
その子の食欲を満たしてやることができるか。

雌獅子は茂みに待ち伏せ
その子は隠れがにうずくまっている。

誰が烏のために餌を置いてやるのか。

その雛が神に向かって鳴き
食べ物を求めて迷い出るとき。

(ヨブ記 第38章)

後、四回続きます。

愛の樹オショチ†

イエスとの出合い(13)ー天路歴程・地路歴程14

【幸せの基準?】

どや街は人生に敗れた人間の吹き溜まりの様に見られ勝だが、あながち、悲惨な面ばかりではない。

人生の落後者。

吐き溜めの様に世間の人々は言うが、人間同士の、ラザロさんたちの中には、一般市民とは形の異なる人情があり、暖かい人間同士の助け合いがあった。

ここは国や大企業の経済的、調整弁の損な役割を無理強いされている場所にも見える。

私の間違いならよいが?

はじめの頃はラザロさんたちの心情がよく理解できなかった。

例えば寒い冬、寄せ場に衣類、飲み物、食べ物を持参して、呼び掛けると続々と集まった。

日本は不況の真っ只中にあった。失業者が増えて人々はその日暮らしに追われ喘いでいた。

静かに見ていると、「これは、あれに似合うな?とか、これ、あいつに食べさせよう!」とか独り占めする人は見掛けない。

仲間を思いやる、話を何度も見聞きした。

人生のどん底で聞いた会話である。

どや街を吹き抜ける北風の冷たさは厳しく、淋しく、寒さが一入身に染みる。

北風に紙くずや埃が舞い上がり、街中がヒイーヒイー悲鳴を上げていた。

凍死、行き倒れ、病死、絶望、孤独、葛藤、ヤクザ、博打、マグロ師(すり)人間の不幸に関わる事象はなんでも揃っていた。

日本国憲法の定めた「国民は等しく幸せを享受する権利を有する」の、約束はどや街には存在しない。

本人の身から出た錆であれ、人の命に貴賤はないはずだが、この特殊な環境は、それを許さない。

唯一の救いは、その様な悲惨な現実にも関わらず、人の温もりがあったことである。

溜り場に集まり拾い集めた物を燃やし焚き火を囲み束の間の暖を取る。

肌を寄席合って生きる。

焚き火が人々の顔を赤く染めた。

ある日、教会のトラクトを一冊、一人の青年に渡した。

にわか雨になって手持ちのビニールシートを二人で被った。

暫らくたっと晴れ間が見えた。

私は青年に言われた。

「あんたの手作りの冊子、俺は読まないよ!」と、突き返された。

「俺は活字が大嫌い!活字が嫌いだから、ここにいるんだぞ!」

「活字はいらんが、食い物をくれ!」

私は黙って差出した。

まだ若いのに年齢不詳の容姿である。

青年が呟いた。

「やっと俺の安心できるどん底に落ちついた。あんた方にはわからんだろうね?これは自自分で選んだ道だから後悔しない!俺は自由で幸せだよ!もう気兼ねしなくていいからね!あんたもどうだ?」

どん底から黒光りする若者は、顔も頭も、肌も、衣類も垢で黒光りしていた。

【生死】

路上生活はいつも死と隣り合わせである。

私の知るかぎり、凍死や餓死、病死等は見聞きしたが、不思議なことに自殺は聞いたことが無い。

ひっそり死んで、密かに無縁仏になった人も居ると思うが、私が走り回った、大阪、西成区のどや街、名古屋の笹島、東京の千住の寄せ場。横浜の寿町、通称どや街でも自殺は聞いたことが無い。

どん底に生きるラザロさんたちは腹を据えて毎日を生きる。

ある日寄せ場に人だかりがあった。

隙間から覗くとビデオカメラが回っていた。牧師らしい人が説教を始めた。マイクにスピーカー。

"神に救われよ!洗礼を受けよ!"と、言われて何人かが洗礼を受けた。

何人かのラザロさんにマイクも向けていた。

ひとしきり話が終わると、袋に入れた食糧を洗礼を受けた人に渡し、あっという間に車で走り去った。

顔馴染みのラザロさんが「近いうちにテレビ放送されるよ!あれたちはどや街を食い物にしているとんでもない奴だ」と、吐き捨てるように言った。

人間必死に成ると、凄い生命力を発揮する。

ギリギリまで生きる何かが働いていると感じた!

愛の樹オショチ†

マルク・シャガール「天地創造の7日間」より(1971−3)

2012-09-11

イエスとの出合い(12)ー天路歴程・地路歴程13

【霊感】

断食終了後、体力、体重はがた落ちで、あばら骨が浮き出し、まるで骸骨が皮を被っている姿になってしまった。

鏡に映った姿をみてよく耐えたと我ながら感心した。

神のご加護を痛感した。

イエスは洗礼者・ヨハネから水のバプテスマを受けて直ちに誘惑の山で、四十日四十夜の断食を敢行された。

その後空腹を覚えられたと言う。

イエスも肉体の持ち主。

長い期間の断食で骨と皮ばかりの痩せたお姿が目に浮かんだ。

普通の人間には不可能である。

私は、皮を被った骸骨に、あの画家、ムンクの叫び顔を乗せた姿を想像していただくと、お分かりいただけると思う。

その代償に霊感は研ぎ澄まされていた。

体力の回復を待って私は二つのことを始めた。

【どや街行き】

昼間は横浜のどや街を回り、ホームレスの人々の相談相手になった。

あちこちに人生の問題を抱えたラザロさん(ホームレス)たちが居た。

様々な人間模様をみた。

彼らは寡黙な人々だった。

人生苦を胸の奥底に秘め、あるがままを呑み込んで現実に耐えている。

愚痴はあまり聞かなかった。

彼らとの付き合いで大事なことは、ただ一つしかない。

絶対、過去に触れることをしてはならない。

この暗黙のルールはどや街に息を潜めて暮らすお互いの身の安全に繋がる。

私は慎重に対応した。

どや街の安宿、僅か畳二畳の部屋にも時々泊まり込んだ。

私はどや街に行かざるを得なかった、元獣医の友の願いに従った。

彼を絶望の闇から救い出す道は、同じ環境に身を置いてこそ、必ず立ち直っるきっかけが掴めると考えた。

天井から吊された裸電球。小さな明り窓。

夜中は一晩中酔っぱらいの騒ぎと喧嘩の怒鳴り声が絶えなかった。

ダニや南京虫に刺されて身体中が赤く腫れたりもした。

ひどく痒い。

どん底の安宿にも朝陽が射し込む!

朝陽が小窓から射し込む頃は不思議な静けさに包まれた。

思いがけないハプニングも体験した。

私の部屋の前に住んでいた年配の男性と気があって部屋に招かれた。

二畳の奥に綺麗な分厚い座布団が敷かれその上に白い犬が行儀よく座っていた。

"俺の母ちゃん"と呼んでいた。

母ちゃんと呼び掛けるとお手をしてくれた。

人間は裏切り平気で嘘をつくが母ちゃんは信頼できると話してくれた。

孤独な人間に安心して身を委ね、癒しを与える犬の母ちゃんの存在感に胸が熱くなった。

【ローマ法王と鳶職】


ある朝、いつも行く寄せ場で、目付きの鋭い鳶職と名乗る人から突拍子ない相談を受けた。

「俺には前科がある。ローマ法王に会って罪を消してもらいたい。
ローマ法王に会うにはどうしたらよいか、あんたは牧師さんだから教えてくれと真顔で言う。」

彼に答えた。

いきなりあなたがローマ法王に会うのは無理ですよ。

今、あなたはお酒を飲んでる様子ではないし、真剣ですね!

私はあなたとたいして変わりのない人間ですが、あなたの罪は許されていますよ。

「彼は身体の刺青を見せて、こんな俺が本当に許されるのか?」と言う。

はい!身体ではなく心の問題です、あなたが真心から悔い改めて居るなら、あなたは神の許しを受けています。

「彼は更に問いかけた。それはどうしてわかるのか?」

今、あなたはの心は不安ですか?罪の呵責に苦しんでいますか?

平安ですか?なにか気持ちに変化がありますか?心に希望が持てますか?

あなたの重荷はローマ法王ではなく、イエスが肩代わりされます。
  
これは神に仕える私の確信です†

しばらく黙っていた彼の眼から涙が流れ、ぽたぽた地面を濡らした。

周りでわたしたちの様子を眺めていた仲間から「よかったナァー」と、呟きが出た。

「俺は必ず立ち直って社長になる!その時は献金するよ!」明るい顔を見せてくれた。
 
その後寿町で見た最後の姿であった。

私のどや街の伝道の始まりともなった。

愛の樹オショチ†

マルク・シャガール「天地創造の7日間」より(1971-3)

2012-09-09

今週の聖句 9月9日~15日

詩篇65篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、さんび

神よ、シオンにて、あなたをほめたたえることは
ふさわしいことである。
人はあなたに誓いを果すであろう。

祈を聞かれる方よ、
すべての肉なる者は罪のゆえにあなたに来る。
われらのとががわれらに打ち勝つとき、
あなたはこれをゆるされる。

あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、
あなたの大庭に住む人はさいわいである。
われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の
恵みによって飽くことができる。

われらの救の神よ、
地のもろもろのはてと、遠き海の望みであるあなたは
恐るべきわざにより、
救をもってわれらに答えられる。

あなたは大能を帯び、
そのみ力によって、もろもろの山を堅く立たせられる。

あなたは海の響き、大波の響き、
もろもろの民の騒ぎを静められる。

それゆえ、地のはてに住む人々も、
あなたのもろもろのしるしを見て恐れる。
あなたは朝と夕の出る所をして
喜び歌わせられる。

あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、
これを大いに豊かにされる。
神の川は水で満ちている。
あなたはそのように備えして
彼らに穀物を与えられる。

あなたはその田みぞを豊かにうるおし、
そのうねを整え、夕立ちをもってそれを柔らかにし、
そのもえ出るのを祝福し、

またその恵みをもって年の冠とされる。
あなたの道にはあぶらがしたたる。

野の牧場はしたたり、小山は喜びをまとい、

牧場は羊の群れを着、
もろもろの谷は穀物をもっておおわれ、
彼らは喜び呼ばわって共に歌う。

2012-09-07

義人ヨブ記(job)37

それゆえ、わたしの心は
 破れんばかりに激しく打つ。

聞け、神の御声のとどろきを
その口から出る響きを。

閃光は天の四方に放たれ
稲妻は地の果てに及ぶ。

雷鳴がそれを追い
厳かな声が響きわたる。

御声は聞こえるが、稲妻の跡はない。

神は驚くべき御声をとどろかせ
わたしたちの知りえない
 大きな業を成し遂げられる。


神は命じられる。
雪には、「地に降り積もれ」
雨には、「激しく降れ」と。

人の手の業をすべて封じ込め
すべての人間に御業を認めさせられる。

獣は隠れがに入り、巣に伏す。

嵐がその蓄えられている所を出ると
寒さがまき散らされる。

神が息を吹きかければ氷ができ
水の広がりは凍って固まる。

雲は雨を含んで重くなり
密雲は稲妻を放つ。

雨雲はここかしこに垂れこめ
導かれるままに姿を変え

命じられるところを
 あまねく地の面に行う。

懲らしめのためにも、大地のためにも
そして恵みを与えるためにも
 神はこれを行わせられる。


ヨブよ、耳を傾け
神の驚くべき御業について、よく考えよ。

あなたは知っているか
どのように神が指図して
 密雲の中から稲妻を輝かせるかを。

あなたは知っているか
完全な知識を持つ方が
 垂れこめる雨雲によって
 驚くべき御業を果たされることを。

南風が吹いて大地が黙すときには
あなたの衣すら熱くなるというのに

鋳て造った鏡のような堅い大空を

あなたは、神と共に
 固めることができるとでもいうのか。


神に何と申し上げるべきかを
 わたしたちに言ってみよ。

暗黒を前にして
 わたしたちに何の申し立てができようか。

わたしが話したとしても
 神に対して説明になるだろうか。

人間が何か言ったところで
 神が言い負かされるだろうか。

今、光は見えないが
 それは雲のかなたで輝いている。

やがて風が吹き、雲を払うと

北から黄金の光が射し
恐るべき輝きが神を包むだろう。

全能者を見いだすことはわたしたちにはできない。

神は優れた力をもって治めておられる。

憐れみ深い人を苦しめることはなさらない。

それゆえ、人は神を畏れ敬う。

人の知恵はすべて顧みるに値しない。


(ヨブ記 第37章)

追記・後5章で全42章が終わります。最後に義人ヨブの正しさが神により証明されます。

愛の樹オショチ†

イリア・レーピン「ヨブとその友人」1869

義人ヨブ記(job)36

エリフは更に言葉を続けた。

待て、もう少しわたしに話させてくれ。
神について言うべきことがまだある。

遠くまで及ぶわたしの考えを述べて
わたしの造り主が正しいということを示そう。

まことにわたしの言うことに偽りはない。
完全な知識を持つ方をあなたに示そう。

まことに神は力強く、たゆむことなく
力強く、知恵に満ちておられる。

神に逆らう者を生かしてはおかず
貧しい人に正しい裁きをしてくださる。

神に従う人から目を離すことなく
王者と共に座につかせ
とこしえに、彼らを高められる。

捕われの身となって足枷をはめられ
苦悩の縄に縛られている人があれば

その行いを指摘し
その罪の重さを指し示される。

その耳を開いて戒め
悪い行いを改めるように諭される。

もし、これに耳を傾けて従うなら
彼らはその日々を幸いのうちに
年月を恵みのうちに全うすることができる。

しかし、これに耳を傾けなければ
死の川を渡り、愚か者のまま息絶える。

神を無視する心を持つ者は

 鎖につながれていても
怒りに燃え、助けを求めようとしない。

彼らの魂は若いうちに死を迎え
命は神殿男娼のように短い。

神は貧しい人をその貧苦を通して救い出し
苦悩の中で耳を開いてくださる。

神はあなたにも
 苦難の中から出ようとする気持を与え

苦難に代えて広い所でくつろがせ
あなたのために食卓を整え

豊かな食べ物を備えてくださるのだ。

あなたが罪人の受ける刑に服するなら
裁きの正しさが保たれるだろう。

だから注意せよ
 富の力に惑わされないように。

身代金が十分あるからといって
 道を誤らないように。

苦難を経なければ、どんなに叫んでも
力を尽くしても、それは役に立たない。

夜をあえぎ求めるな。
人々がその場で消え去らねばならない夜を。

警戒せよ
 悪い行いに顔を向けないように。

苦悩によって試されているのは
 まさにこのためなのだ。


まことに神は力に秀でている。
神のような教師があるだろうか。

誰が神の道を見張り
「あなたのすることは悪い」と言えようか。

世の人は神の御業に賛美の歌をうたう。

あなたも心して、ほめたたえよ。

人は皆、御業を仰ぎ
はるかかなたから望み見ている。

まことに神は偉大、神を知ることはできず
その齢を数えることもできない。

神は水滴を御もとに集め
霧のような雨を降らす。

雲は雨となって滴り
多くの人の上に降り注ぐ。

どのように雨雲が広がり
神の仮庵が雷鳴をとどろかせるかを
 悟りうる者があろうか。

神はその上に光を放ち
海の根を覆われる。

それによって諸国の民を治め
豊かに食べ物を与えられる。

神は御手に稲妻の光をまとい
的を定め、それに指令し
御自分の思いを表される。

悪に対する激しい怒りを。


(ヨブ記 第36章)

続きます。

愛の樹オショチ†

ジェラール・セーガース「忍耐強いヨブ」 (17世紀中期)

2012-09-04

イエスとの出合い(11)ー天路歴程・地路歴程12

【断食祈祷】

箱根・大涌谷の断食を含めて、四度の断食を体験した。

人間の力ではどうにも成らなぬことがある。

生き物の死は止められないし、時間の流れも止められない。

運命と言う、不可抗力に人間は従う他はない。

その不可抗力、不可能に対応せざるを得ない事態に"わたしたち"は追い込まれた。

古い記録から引き出したメモに、日時と場所、断食祈祷の理由が書いてある。

「第一回目」
湯河原の知人。日本キリスト教団湯河原教会の故・金子益雄牧師の教会納骨堂で断食開始。
1973(昭和48)/1/31-2/10までの10日間。40歳。

理由はふるさと日田の妹の失明であった。

医師にも見放された。

真冬の山中で、冷たい納骨堂のコンクリートの床にござを敷いて断食祈祷に入った。
床から冷気が突き上げ身体に突き刺さる。

ひたすら妹の目が開くように、それだけに祈りを集中した。

妹の幼い子供たちの姿が目に浮かぶ。

私の心を支えたのはイエス・キリストの奇跡の物語であった。

生まれつき目の見えない若者や、38年間病気で悩んでいた婦人を癒したことがあった。

ベテスダの池と呼ばている。(ヨハネ5:2-9)羊の門、後にトルコ時代に再建されて、ライオンの門と呼ばたが、羊のいけにえ用の動物が通過した門である。

石打の刑に処された義人ステパノの門とも呼ばれている。

この門を右に曲がると五つの柱廊のある、ベテスダの池に着く。

東西二つの水槽があり、当時は巡礼者の沐浴に使用されていた。

その池で、イエス・キリストの奇跡を目の当たりにした人々が大勢いた。

その証が聖書に詳しく書いてある。

私はその奇跡を信じて妹の目が開くように願った。

【断食の苦しさ】

昼間は、山の中腹から湯河原駅や街並みや、その先に太平洋が広がっている。眺めのよい高台であるが、周りはミカン畑と雑木林に囲まれて夜は不気味であった。

猿が近くまできて枝を揺すったりする。

見かけない侵入者を脅しにくる。

この一帯は昔、北条氏が治めた時期があったが豊臣秀吉の圧倒的な軍事力に敗れた。

激しい戦があった古戦場の中に納骨堂が建っていた。

地元の人から聞かされたのは戦で無念の死を遂げた武将や兵士の亡霊が出るから、気をつけてくださいであった。

どこから、いつ出るか分からない亡霊に気を付ける方法などありっこ無い!

地元の人たちの噂では、首の無い武将や無念の形相をし、槍を持った血だらけ、傷だらけの亡霊を、村人が見たと言う。

怖いところだから、お祈りするなら、ついでに死者の霊魂を弔ってくださいと頼まれた。

断食初日の夜中にひどい風雨に襲われた。戸の隙間から風がヒュウーヒュー吹き込む。

それはまるで何かにひどく怯えた、女性の悲鳴にも聞こえた。

正直、鳥肌が立った。

古戦場に屍となった無数の死者の霊魂、時折古い人骨が出ると、教会の施設の方からも聞かされた。

背筋が凍る。

祈らなければここには居られない。

しかし、断食前に、電話口で妹が泣いて苦しみを訴える声が響く。膠原病等も患い、最悪事態であった。

私は神に縋る以外、成すすべがなかった。

「最後の神頼み」に私の命を賭けた。

断食が一番堪えたのは5日目であった。

気がおかしくなりかけた。

「途中で無駄な断食などして何になる?イエス・キリストの奇跡など信じるな!」

変な囁きに悩まされた。

前に断食の経験者から聞いた話。

「ある教会の牧師が断食をした。動機は、教会の魂の管理者として霊的な力を得て教会を霊的に支配することだと後でわかった。
断食7日目に彼は発狂して自殺した。」

不純な動機の断食は殊に宗教家には命取りになるから慎重に対応することと、忠告されていた。

脳に栄養を与えるために脂肪が減り身体は痩せていく。

6日目の朝、不思議な体験をした。

冷たい納骨堂の中が金色に光り輝いている。

わが目を疑った。

外に出てみた。納骨堂の周辺の木々が光り輝いている。

毎朝、山の下から水を運んでくれた、金子益雄牧師が異変に気付いた。

断食の祈りが神に届いたのですね!

満願まで後4日、頑張ってください!

励ましの言葉に辛い断食がその日を機会に確信に変わった。

満願の朝を迎えた。

妹の目が開くか?どうかは神がお決めになる。私の役目は終わった。

「神よ!御心のままになさって下さい!」 と祈り納骨堂を後にした。

それから数日後、妹から報せが届いた。

「兄さん、わたしの目が見えるとよ!」

「第二回目、第三回目」

続いて、箱根大涌谷と湯河原の金子牧師の教会の仮設プレハブ小屋で
1981(S56)年5月21日〜5月28日(7日間)独立伝道の誓願断食。

湯河原、城山学園で、は、その時、22歳の初々しい、前田隆宏君(ヤコブ)にはじめて会った。

彼は家庭の事情で孤児となった、子供たちの世話を親身にしていた。

断食終了間際。

草ぼうぼうの中から一人の青年が突然現れた。

彼の願いを聞いて霊名をつけた。前田隆宏君22歳。清々しい青年であった。

「ヤコブ→創世記ヤコブの誕生てある」

(余談だが!彼は全日本けん玉チャンピオンに五回。準決勝二回。日本一のけん玉の王者になった。)

彼は按主を受け霊名を受けとり合掌して、飄々と草むらの中に消えた。

胸にこみあげる熱いものがあった。

断食開け、秋山君、小野君(その後牧師になる)と前田ヤコブと四人で聖餐式を執り行った。

パンはヤコブの手作り。

葡萄酒は山の麓の店から買った。

実に懐かしい忘れがたい思い出である。

【隠れキリシタン】

その後すぐ、6月初めから丹沢、御岳、山梨の丹波山中を祈り歩き、6月5日に奥多摩山荘、奥平正さんとの出会いがあった。彼は隠れキリシタンであった。

断食の苦しい最中だったとメモしてある。

彼一人、村人のなかのクリスチャンであった。

村人は彼の信仰を知らなかった。

「第四回目」

町田伝道所の自室で断食開始。
1981(S56)年10月1日〜21日(三週間)
旧約聖書39巻新約聖書27巻計66巻を読破。
聖霊体験する。

以上が私の独立伝道の始まりであった。

わが師、故・吉村騏一朗先生との約束の旅立ちの日となった。

今振り返ると自分独りが苦難の道を歩いた訳ではない。

眼には見えないがイエス・キリストが傍に付き添ってくださったことが実感できる。

続きます。

愛の樹オショチ†

2012-09-02

今週の聖句 9月2日~8日

詩篇64篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌

神よ、わたしが嘆き訴えるとき、
わたしの声をお聞きください。
敵の恐れからわたしの命をお守りください。

わたしを隠して、悪を行う者の
ひそかなはかりごとから免れさせ、
不義を行う者のはかりごとから免れさせてください。

彼らはその舌をつるぎのようにとぎ、
苦い言葉を矢のように放ち、

隠れた所から罪なき者を射ようとする。
にわかに彼を射て恐れることがない。

彼らは悪い企てを固くたもち、
共にはかり、ひそかにわなをかけて言う、
「だれがわれらを見破ることができるか。

だれがわれらの罪をたずね出すことができるか。
われらは巧みに、
はかりごとを考えめぐらしたのだ」と。
人の内なる思いと心とは深い。

しかし神は矢をもって彼らを射られる。
彼らはにわかに傷をうけるであろう。

神は彼らの舌のゆえに彼らを滅ぼされる。
彼らを見る者は皆そのこうべを振るであろう。

その時すべての人は恐れ、神のみわざを宣べ伝え、
そのなされた事を考えるであろう。

正しい人は主にあって喜び、かつ主に寄り頼む。
すべて心の直き者は誇ることができる