2013-07-30

真夏の夜の夢

昨夜、ある駅のオーバーブリッジを歩いていま時です。ハット!する不思議な光景を目にしました。

今年の春3月末、内科外来患者さんの診察が終わり、帰宅途中、病院を出た直後、倒れて、あっという間にご召天された、親しい先生が、お孫さんらしい青年と歩いていました。
まさか?と思い急ぎ足でついて行きましたが、そっくりさんでした。背筋がぴんと伸びて品の良い独特な風貌のお方でした。世の中には他人の空似が、3人は居ると聞いてはいましたが、たまげました。視覚、触覚、聴覚、などの感覚で大体、予想はつきますが、先生に似たお方には、なんとも言えない透明感があり、まさか?と思いました。具体的な説明は不可能ですが、
わたしたちがこの世で縁をもち、この世で培った愛、友情、信頼感などは時を超える価値を持ちそれは、突然わたしたちの目の前に姿を現す?

肉眼には見えない世界が隣り合わせにありますよ!「私にはすべてが見えていますよ。」 と、伝えてくださった様な気持ちがしました。真夏の夜の夢でおわらないことを願いながらバスに乗りました。
愛の樹オショチ†

2013-07-28

聖日礼拝

【使徒たち、パウロを受け入れる】
  その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。
 
 
 
「最初の殉教者ステパノ
石打の無惨な死刑に怖れず立ち向かった青年の捨て身の信仰に、パウロは、殺意を捨て、やがてキリストに従う…が偽物にてこずり苦闘する」
 
 
潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。おもだった人たちからも強制されませんでした。──この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。──実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。
 
 
「ステパノの死後キリストの光りに打ち倒されたサウロ→使徒パウロ」
 
(ガラテヤの信徒への手紙2章1-10節)
 
 

今週の聖句 7月28日〜8月3日

詩篇 105篇

主に感謝し、そのみ名を呼び、
そのみわざをもろもろの民のなかに知らせよ。

主にむかって歌え、主をほめうたえ、
そのすべてのくすしきみわざを語れ。

その聖なるみ名を誇れ。
主を尋ね求める者の心を喜ばせよ。

主とそのみ力とを求めよ、
つねにそのみ顔を尋ねよ。

そのしもべアブラハムの子孫よ、
その選ばれた者であるヤコブの子らよ、
主のなされたくすしきみわざと、
その奇跡と、そのみ口のさばきとを心にとめよ。

彼はわれらの神、主でいらせられる。
そのさばきは全地にある。

主はとこしえに、その契約をみこころにとめられる。
これはよろず代に命じられたみ言葉であって、

アブラハムと結ばれた契約、
イサクに誓われた約束である。

主はこれを堅く立てて、ヤコブのために定めとし、
イスラエルのために、とこしえの契約として

言われた、「わたしはあなたにカナンの地を与えて、
あなたがたの受ける嗣業の分け前とする」と。

このとき彼らの数は少なくて、数えるに足らず、
その所で旅びととなり、

この国からかの国へ行き、
この国から他の民へ行った。

主は人の彼らをしえたげるのをゆるさず、
彼らのために王たちを懲しめて、

言われた、「わが油そそがれた者たちに
さわってはならない、
わが預言者たちに害を加えてはならない」と。

主はききんを地に招き、
人のつえとするパンをことごとく砕かれた。

また彼らの前にひとりをつかわされた。
すなわち売られて奴隷となったヨセフである。

彼の足は足かせをもって痛められ、
彼の首は鉄の首輪にはめられ、

彼の言葉の成る時まで、
主のみ言葉が彼を試みた。

王は人をつかわして彼を解き放ち、
民のつかさは彼に自由を与えた。

王はその家のつかさとして
その所有をことごとくつかさどらせ、

その心のままに君たちを教えさせ、
長老たちに知恵を授けさせた。

その時イスラエルはエジプトにきたり、
ヤコブはハムの地に寄留した。

主はその民を大いに増し加え、
これをそのあだよりも強くされた。

主は人々の心をかえて、その民を憎ませ、
そのしもべたちを悪賢く扱わせられた。

主はそのしもべモーセと、
そのお選びになったアロンとをつかわされた。

彼らはハムの地で主のしるしと、
奇跡とを彼らのうちにおこなった。

主は暗やみをつかわして地を暗くされた。
しかし彼らはそのみ言葉に従わなかった。

主は彼らの水を血に変らせて、その魚を殺された。

彼らの国には、かえるが群がり、
王の寝間にまではいった。

主が言われると、はえの群れがきたり、
ぶよが国じゅうにあった。

主は雨にかえて、ひょうを彼らに与え、
きらめくいなずまを彼らの国に放たれた。

主は彼らのぶどうの木と、いちじくの木とを撃ち、
彼らの国のもろもろの木を折り砕かれた。

主が言われると、いなごがきたり、
無数の若いいなごが来て、

彼らの国のすべての青物を食いつくし、
その地の実を食いつくした。

主は彼らの国のすべてのういごを撃ち、
彼らのすべての力の初めを撃たれた。

そして金銀を携えてイスラエルを出て行かせられた。
その部族のうちに、ひとりの倒れる者もなかった。

エジプトは彼らの去るのを喜んだ。
彼らに対する恐れが彼らに臨んだからである。

主は雲をひろげておおいとし、
夜は火をもって照された。

また彼らの求めによって、うずらを飛びきたらせ、
天から、かてを豊かに彼らに与えられた。

主が岩を開かれると、水がほとばしり出て、
かわいた地に川のように流れた。

これは主がその聖なる約束と、
そのしもべアブラハムを覚えられたからである。

こうして主はその民を導いて喜びつつ出て行かせ、
その選ばれた民を導いて歌いつつ出て行かせられた。

主はもろもろの国びとの地を彼らに与えられたので、
彼らはもろもろの民の勤労の実を自分のものとした。

これは彼らが主の定めを守り、
そのおきてを行うためである。
主をほめたたえよ。

2013-07-26

聖フランシスコと、吟遊詩人と旅芸人

アシジの聖フランシスコ教会  

聖フランシスコ

聖フランシスコはキリストに最もよく似た人物と語り伝えられるた人物です。
彼のどこが?何がキリストに似たのか?伝説を交えて簡略に記述して見ます。

かたや、イギリスの片田舎に生まれ、小学校卒業の、ジョン・バニヤンとの共通点は、
聖霊体験、回心と、深い祈り。徹底した神への信頼でした。

聖フランシスコの回心体験は、聖ダミアノ教会の十字架像の前にひざまずき、十字架につけられたキリストから
「フランシスコよ行ってわが家を建て直しなさい」と言う言葉を聞いたとき、心の中に全き変化が生じたと言われます。

フランシスコは自分を無学者と呼んでいますが決して文盲ではありませんでした。
中世では大抵男の子は司教座聖堂ゃ小教区に付属する小学校で、初等教育を受けていました。
彼は旧約聖書から39回、19の新約聖書から200回引用しています。


彼は自宅からさほど遠くない、アシジの聖ジョルジオ教会の付属小学校で受けました。
彼がどのくらいの期間学んだのか?先生達のこと、学力の程度はわかりませんが、彼の真価は意外な人達との接触によって磨がれました。

その人達とは、吟遊詩人(トウルバードール)。旅芸人(ジヨングラー)です。

吟遊詩人とは詩の創作者で、騎士的な愛ゃ偉業などの詩をプロバンス語で歌っていました。
旅芸人は創作者ではなく、他人の詩、吟遊詩人の詩を歌うだけでした。しかし、吟遊詩人も旅芸人も当時の生活に大切な役割を果たしていました。

というのは、宮廷や城、あるいは街角の十字路や公衆広場などに余興のためにいつも招かれていたからです。

彼らの歌は、シヤルル大帝、聖杯(キリストが最後の晩餐に用いたもの) ギニヴエル姫、メリーンなどです。彼らは当時の大衆向き話家であり、一般民衆の渇望していた文化形態を人々に提供していました。


かたやフランシスコの父親、ピエトロ・ベルナルドーネは、織物商人として財を成していました。息子をひとかどの商人になれるように訓練しましたが、ある日回心父親の望みを振り切り家を出ました。


彼は神に従いました。内的な衝動と人間の本性について深い知識を知るにつけ、彼は後を慕う弟子達のためにとって価値あるもの、人間に不可欠なものは何か?真摯に追及し、具体的に生活に反映させました。
彼が書いた一つの書き物《太陽の歌》は後の多くの詩人、あの偉大な詩人ダンテに深いインスピレーションを与えるほどの詩的高みにまでのぼりました。

アシジの聖フランシスコの生涯の小品集より(一部意訳)紹介

2013-07-25

海軍の麦飯

舞鶴要港部兵食献立調理講習記録 (作成: 坂西 美津雄)
昭和七年二月
舞鶴要港部兵食献立調理講習記録
舞鶴要港部経理部

明治生まれの親父の形見、何故か子供心でも興味が有り、持ち出して実家の火事から逃れた一品。
内容の充実さには驚くばかりである。
講師も恐らくは当時の名の有る人物と想像が付く。
解読、再版を心みるが昔字、漢字混じりのカタカナ書きは難しく頓挫。
処どころを読んで要約納得の行く事もあり。
日本帝国海軍の食の部分、生活の風景が想像できます。
又、中には坂西英雄、親父の名も有り。


坂井 陽
貴重な書物ですがよく読めないのが残念。


坂西 美津雄
見る方が見れば読めるのでしょうが、残念私では無理です。(*_*;

河塚 憲明
写真の白米飯、パーミーライスは、パーミー迄が、北京語の白米。ライスは英語。東郷肉じゃが戦争の舞鶴らしい史料ですね。

坂西 美津雄
河塚さん 東郷肉じゃがや東郷カレーなんて言うのは後付、嘘です。当時の日本軍は支那料理を推奨しています。

愛川 おしょち
海軍の麦飯

京慈恵会医科大学。
明治14年1881年5月1日創立・創立者・
高木兼寛博士。
創立以前は海軍の軍医を務め、海軍将兵が、悩まされた食事には、ビタミンが欠乏していることを突き止めました。脚気病で戦意喪失する兵士が続発します。
危機感を抱いた博士は海軍食の欠点を麦飯にすることで解決しましたが、最後まで反対したのは海軍軍医総監の森鴎外でした。

高木博士は一歩も退かず、麦飯が行き渡ると兵士の体力も回復しました。見届けると博士は海軍から身を引き、東京慈恵会医科大学を創立しました。今でも病院の入院食は麦飯が出されます。

海軍食の隠れたエピソードです!
坂西さんの父上の遺された貴重な記録に敬意の念を表します。
いい

2013-07-23

心の旅路

その私が何の因果か「聖職者」となって、この北海道の地に、特別誰から頼まれたわけでもないのに、痛んだ体を運び、アイと二人で立っている。

歓迎するかのように爽やかな風が吹き抜ける。

家を出る時、心配してくれる皆に笑顔を見せつつも、正直言って自信もなく悲壮感があった。再び生きて帰れるだろうか。

それまで縁もゆかりもなかったフィリピンの小さなハンセン病の島、クリオン島に住む恵まない家族と、その子供たちの教育支援活動を立ち上げた。1988年、近くの病院の医師からは肝硬変の末期で、余命三ヶ月の宣告を受けていた。
私と弟子一人。、

名称は「フィリピン・クリオン島を助ける愛の会。略称、アガペ教育プログラム」

立ち上げた責任に背中を押されてここにいる。

子供時代周りの影響からだと思うが、訳もわからず、私はキリスト教を嫌った。よく知らなかったが、唯遠くから日曜学校にゆく友達を好奇心のまなこで眺めていた。

「鋸屋の目立の子供(クラスメート)がヤソ教の所へ行くそうな」と母に聞いた事があった。私も鋸屋の友達がもらってくる、綺麗なカードが欲しかったがあきらめた。

しかし、あのチャペルの鐘の音に不思議に胸がときめいた。後年、長崎に伝道に行った時、日曜日の朝、長崎市内のあちこちから聞こえてきた聖日礼拝のアンジェラスの鐘の音に感動した。


神に仕える、しもべと変えられた我が身を思い、母の苦労にひたすら、頭(こうべ)をたれ、感謝の祈りを捧げたことであった……。

今にして思えば、しばらくは西光寺の老和尚の言う、又、母の願った心は育たなかったかもしれない。しかし目に見えぬ何かとてつもなく大きな不思議なものには心が強くひかれていた。

長じて、親しい友人から神学校へ行かないか、と熱心に誘われたが、自分には不向きだと考えて辞退した。宗教はどうも苦手だったし、それに私のガラに似合わないと思った。

それでも神の干渉の手はのびてきた。それも無視し続けた。逃げられるところまで逃げて行けば、そのうち神様の方から諦めて下さるに違いないと、たかをくくり勝手に一人決めこんでいた。

ところがどっこい、そうはいかなくなった。すべて私の進む道に障害物が置かれ、退路が次々に断たれていった。残された道は一つしかなかった。一番嫌った伝道者(牧師)への道だった。召命を受けた後、私は夜、神学を必死に学んだ。夜遅くまで。

しかし、私は心底、神を恨んだ。「なぜですか!」。神に向かって抗議もした。恵まれていた建築家の仕事も財産も信用も何もかも奪われ(一応、自分の意思で捨てたことになっている)、気がついたら、義人ヨブ記のヨブのように体もメチャメチャになり、素裸にされていた。

そこから実に信じ難い、ドラマが展開してゆく。あのロマ書の「神は愛する者を不従順の中に閉じこめたのである」私は神に手足を縛られ、パウロのように見えない不自由順の囲いに閉じ込められたのである。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

平和への祈り

Kさんから
将来のこどもたちが、安心して、笑顔で、過ごせる世の中になりますよう願っています。心が、ほっとする写メールありがとうございました。

平和への祈り

‖魂の本当の自由‖ 

幸せを心の底から望んでいます。未来を担う子供達のために。平和を望みます。洋の東西を問わず、貧しい兄弟姉妹と富を分かち合うべきだと思います。 とりわけ社会の中の弱い立場に追いやられている人々ために!   現代社会の深刻な、諸問題に武器を使った暴力政治に共鳴するのは天の摂理に反します。解決策としては最悪です! 大人達の精神的な成長をひたすら願っています。
オショチ†

2013-07-21

今週の聖句 7月21日〜27日

詩篇 104篇

わがたましいよ、主をほめよ。
わが神、主よ、あなたはいとも大いにして
誉と威厳とを着、

光を衣のようにまとい、天を幕のように張り、

水の上におのが高殿のうつばりをおき、
雲をおのれのいくさ車とし、風の翼に乗りあるき、

風をおのれの使者とし、
火と炎をおのれのしもべとされる。

あなたは地をその基の上にすえて、
とこしえに動くことのないようにされた。

あなたはこれを衣でおおうように大水でおおわれた。
水はたたえて山々の上を越えた。

あなたのとがめによって水は退き、
あなたの雷の声によって水は逃げ去った。

山は立ちあがり、
谷はあなたが定められた所に沈んだ。

あなたは水に境を定めて、これを越えさせず、
再び地をおおうことのないようにされた。

あなたは泉を谷にわき出させ、
それを山々の間に流れさせ、

野のもろもろの獣に飲ませられる。
野のろばもそのかわきをいやす。

空の鳥もそのほとりに住み、
こずえの間にさえずり歌う。

あなたはその高殿からもろもろの山に水を注がれる。
地はあなたのみわざの実をもって満たされる。

あなたは家畜のために草をはえさせ、
また人のためにその栽培する植物を与えて、
地から食物を出させられる。

すなわち人の心を喜ばすぶどう酒、
その顔をつややかにする油、
人の心を強くするパンなどである。

主の木と、主がお植えになったレバノンの香柏とは
豊かに潤され、

鳥はその中に巣をつくり、
こうのとりはもみの木をそのすまいとする。

高き山はやぎのすまい、
岩は岩だぬきの隠れる所である。

あなたは月を造って季節を定められた。
日はその入る時を知っている。

あなたは暗やみを造って夜とされた。
その時、林の獣は皆忍び出る。

若きししはほえてえさを求め、神に食物を求める。

日が出ると退いて、その穴に寝る。

人は出てわざにつき、その勤労は夕べに及ぶ。

主よ、あなたのみわざはいかに多いことであろう。
あなたはこれらをみな知恵をもって造られた。
地はあなたの造られたもので満ちている。

かしこに大いなる広い海がある。
その中に無数のもの、大小の生き物が満ちている。

そこに舟が走り、
あなたが造られたレビヤタンはその中に戯れる。

彼らは皆あなたが時にしたがって
食物をお与えになるのを期待している。

あなたがお与えになると、彼らはそれを集める。
あなたが手を開かれると、彼らは良い物で満たされる。

あなたがみ顔を隠されると、彼らはあわてふためく。
あなたが彼らの息を取り去られると、
彼らは死んでちりに帰る。

あなたが霊を送られると、彼らは造られる。
あなたは地のおもてを新たにされる。

どうか、主の栄光がとこしえにあるように。
主がそのみわざを喜ばれるように。

主が地を見られると、地は震い、
山に触れられると、煙をいだす。

わたしは生きるかぎり、主にむかって歌い、
ながらえる間はわが神をほめ歌おう。

どうか、わたしの思いが主に喜ばれるように。
わたしは主によって喜ぶ。

どうか、罪びとが地から断ち滅ぼされ、
悪しき者が、もはや、いなくなるように。
わがたましいよ、主をほめよ。
主をほめたたえよ。

2013-07-20

偽使徒、偽者だらけ

時代背景
イエスの時代にも偽者達は威張って威勢を張っていました。本物ぶっていました。イエスの処刑後、イエスの霊光に射たれ、弟子にされた、使徒パウロも、イエスの直弟子や信者から疑われ、ずいぶん苦労したと嘆いています。
偽者達は、自己の利益を目的とし、使徒と自称し、権威を利用する邪悪な者達がはびこりました。パウロの場合も例外ではありませんでした。使徒権への誤解を受けて大変な苦労を味わいます。その結果、本物と偽者の本質的な相違点を研究し彼の宣教活動と平行して訴え続けました。並々ならぬ苦労がありました。以下のコリントの人々に記述されています。
イエスの時代から2100年経ちましたが本質的に、人間の成長は残念ながら認められません!私は人類の精神的成長を諦めてはいません。今が偽物の跋扈する時代でも!
 
 
物語りです。
【使徒としてのパウロの労苦】 
    もう一度言います
だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう。実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、"偽の兄弟"たちからの難に遭い、苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。
    誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。
 
(コリントの信徒への手紙二 11章16-33節)
 
 
 
 
 

2013-07-16

心の旅路続く

壮絶な人生ですね。
母親の愛と温もりが、あったから、生きて頑張っばってこられたかと胸が痛みます。 母の愛は、生きていても亡くなっていても、いつも支えてくれていますね!無理なさらず、くれぐれもご自愛ください。 あがとうございます。K

心の旅路続く

愛のない生活が破綻するのに、それほど時間はかからなかった。"政略結婚"。好きでもない者同士が両家の損得で当人の意志におかまいなしに無理強いされ、一緒になった父は嫌って、母の胎内に私がいることも知らず故郷を捨てた。

母は再婚して苦労しながら、私を育ててくれた。父は、心の広い優しい人だった。彼は、芸術家だった。ヴァイオリンをよくひいていた。

実父の血筋に井上準之助がいた。大鶴村の造り酒屋の五男坊で、冷や飯食いの一人にすぎなかった。

"準ちゃん"田舎ではこう呼んでいた。その"準ちゃん"が、1932年(昭和7年)2月9日、東京本郷、駒木小学校の民政党の演説会場を出たところで、狂信の徒に暗殺された。63歳であった。浜口雄幸に頼まれ、不人気覚悟で遺書を書き残し、 大蔵大臣を拝命した。 彼は海軍の戦艦増強に反対して軍事費を削減、日本の実体にあわせて、金本位に国家経済の舵を切った。酷い副作用が出た。貧しい農村の崩壊、若い娘の身売り等々。後々総理になる、ダルマサン→高橋是清に、外務大臣の打診があった時、 「花は野に置けレンゲ草」と、やんわり、ロンドンから電報を送っている。(城山三郎著、男子の本懐)
憎しみを一身に我が身に受けた井上準之助は、テロリストの格好の対象にされた。
暗殺を指示を出したのは、一人一殺を救国の手段と錯誤した日蓮宗の僧、井上日昭!暗殺実行犯は若い狂信徒、小沼 正27歳。
ピストルの弾を背後、約3メートルの至近距離から3発打ち込まれて即死した。雪の降る寒い日であったという。この異様な出来事に日本国内外が、そして田舎の親戚中が大騒ぎとなった。

その1年後の1933年(昭和8年)2月10日"準ちゃん"の生まれ変わりのようにして、私は「オギャー」と何も知らずに生まれてきた。祝福されない赤子であった。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

心の旅路

(悪童の懺悔)
この伝道旅行は、私の心の奥底に秘めていた様々な思い出とのめぐりあいの旅でもあった。又、私は、これから我が為すべき事について、深く考えるところがあった。限りある身に(肝硬変の末期)残された時の中で、我が果たすべき使命について、神にたずねた。

「旅に出よ。聖霊が導くであろう!」

ふと、少年の日の事を思いおこした。とにかく、私は親戚中のやっかい者、悪たれ小僧の典型であった。その悪童の私に手をやいた母は、思い余って、日田の田舎の我が家の菩提寺、西光寺に私をあずけた。浄土真宗であった。

母が尊敬していた老和尚なら、何とかしてくれる。少しは良くなると、最後の望みをかけた。母は、私の事で悩み抜いて親戚中に相談したが、なかなか相手にされなかった。

ところがである。たった一夜にして、老和尚に私は追い帰されてしまった。寺の供え物を食い、夜中に和尚をおどかし、広い堂内を所構わず走り回った。解放感にひたった。

「悪ガキがひどい。寺がメチャメチャにされる」老和尚がひどく立腹して、母に苦情を言った。
「この子に坊主を求めるのは無理じゃ。坊主に向かん。手に負えん。見込みがない」と言われて、母はがっくりと肩を落としていた。

途方にくれた様子であった。その様子を見かねて、私は母を慰めた。
「母ちゃん。そのうち何とかなるばい」
その時、「ばしっ!」と目から火が出た。母の強烈な平手打ちをくった。そこに、ものすごい形相をした母の顔を視た。

しかし、それも束の間だった。母はハラハラと泪を流し、優しく私を抱いてくれた。ポタポタと母の熱いしずくが私の坊主頭をぬらしてゆく。黙って抱き締められて、私も自分のなかに、何かとても母を苦しめている"悪いもの"があると感じて、わけもわからず泪を流した。

今にして思えば、これが回心の体験であった。私の出生に関係したのかもしれない、その秘密とは、父と母とは、庄屋同士の形式的結婚の犠牲者、すなわちスケープゴートだった(父は大分県日田市、当時は日田郡といった、五和村堂尾(どうの)の庄屋の次男坊に生まれた。母は少し離れた村の、これも庄屋の五人兄弟の三女だった)。医師の長男が亡くなると跡継ぎのお鉢が回ってきた。父は
逃げた。車を買わせて北海道に逃げた。

続く

2013-07-14

今週の聖句 7月14日〜20日

詩篇 103篇

ダビデの歌

わがたましいよ、主をほめよ。
わがうちなるすべてのものよ、
その聖なるみ名をほめよ。

わがたましいよ、主をほめよ。
そのすべてのめぐみを心にとめよ。

主はあなたのすべての不義をゆるし、
あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを墓からあがないいだし、
いつくしみと、あわれみとをあなたにこうむらせ、

あなたの生きながらえるかぎり、
良き物をもってあなたを飽き足らせられる。
こうしてあなたは若返って、わしのように新たになる。

主はすべてしえたげられる者のために
正義と公正とを行われる。

主はおのれの道をモーセに知らせ、
おのれのしわざをイスラエルの人々に知らせられた。

主はあわれみに富み、めぐみふかく、
怒ること遅く、いつくしみ豊かでいらせられる。

主は常に責めることをせず、
また、とこしえに怒りをいだかれない。

主はわれらの罪にしたがってわれらをあしらわず、
われらの不義にしたがって報いられない。

天が地よりも高いように、
主がおのれを恐れる者に賜わるいつくしみは大きい、

東が西から遠いように、
主はわれらのとがをわれらから遠ざけられる。

父がその子供をあわれむように、
主はおのれを恐れる者をあわれまれる。

主はわれらの造られたさまを知り、
われらのちりであることを
覚えていられるからである。

人は、そのよわいは草のごとく、
その栄えは野の花にひとしい。

風がその上を過ぎると、うせて跡なく、
その場所にきいても、もはやそれを知らない。

しかし主のいつくしみは、とこしえからとこしえまで、
主を恐れる者の上にあり、その義は子らの子に及び、

その契約を守り、
その命令を心にとめて行う者にまで及ぶ。

主はその玉座を天に堅くすえられ、
そのまつりごとはすべての物を統べ治める。

主の使たちよ、
そのみ言葉の声を聞いて、これを行う勇士たちよ、
主をほめまつれ。

そのすべての万軍よ、
そのみこころを行うしもべたちよ、主をほめよ。

主が造られたすべての物よ、
そのまつりごとの下にあるすべての所で、
主をほめよ。わがたましいよ、主をほめよ。

2013-07-13

聖日礼拝†

Kさんのコメント

考えていても、なかなか行動にできず、関わりを持たないよう、見てみない振りをしてしまう。日々のくらしを見直して、感謝して過ごしたい!ありがとうございました。ご自愛ください。

聖日礼拝†

【敵を愛しなさい】
「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。

敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。

あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。

あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。

自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。

また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。


しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

(ルカによる福音書6章27-36)

2013-07-09

心の旅路

−網走刑務所にて
弟子KJ兄のこと−

町田を発つ5日前の7月30日、私は、弟子と二人で横浜地裁の法廷に立っていた。6年前の秋、当エクレシア(現在、愛の樹教会)で洗礼を受けたKJ兄(当時59歳)の18回目の裁判の証人として法廷に呼ばれていた。KJ兄の罪状は住居不法浸入、窃盗未遂。16回目は川崎であった。17回目は、私の知らぬ内に、府中刑務所から手紙が来た。

年老いた彼の手錠をかけられた姿に胸が痛んだ。国選弁護人が私に尋ねた。
「KJさんの保証人になってくれますか?」
一瞬、緊張した。
「はい、無条件で」
「なぜです」

「神の子ですから。それに私の手によって彼は洗礼を受けました。洗礼名はバルナバ(慰めの子)です。その責任をとります……」
「生涯、私は彼の友であり、永久保証人となります」
「誓いますか」
「はい、神のみ名によって」

裁判官を入れて総勢10数名の小さな裁判だったが、国選弁護人が驚くほどの、温かい法廷になった。白髪まじりの裁判官が最後に言われた言葉を、私は決して忘れない。

「KJさん、起立してください。あなたは本当にクリスチャンですか?」
「なぜ繰り返し罪を犯すのですか?」
「はい、自分でもよくわかりません……」
KJ兄は、しどろもどもである。

「はっきり答えて下さい。もう一度聞きます。あなたは本当にクリスチャンですか?」
凛とした声だった。KJ兄が蚊の鳴くような声でやっと答えた。
「そうなりたいです……」

やや間をおいて、苦しそうに、はっきり「はい!」と答えた。

その答えに、むしろ後ろで聞いている私の胸が押しつぶされそうになった。針のムシロに座っているような激痛が私の心にきた。
「ああ、彼を苦しめてしまった。あの朝、もう少し間をおいて、本人の意志をよく確かめておけばよかった」

彼は窃盗未遂の罪以上の、もっと厳しい良心の、それも心の奥底の深いところで苦しみを受けて、更に今、裁かれようとしている。彼のこの苦しみを、同じ痛みとして、私が彼の心の重荷をどれだけ負えるというのだろうか?

「神よ、もし私の彼に対するあの日(1986年10月18日)の洗礼によって、彼が裁かれているのでしたら、私の苦しみ受くべき重荷を、彼の2倍にも3倍にもして下さい!」と祈らされた。

裁判官の言葉は決して威圧的ではなく、むしろ、温かい人間の心のこもった響きだった。
「申し渡します。私は一人の人間として、あなたに、お願いしたい。よく聞いて下さい。KJさん。あなたは、これから毎日、神に対して懺悔と感謝の祈りをして下さい。罪を悔いて。いいですね。懺悔と感謝の祈りを続けて下さい。それが、あなたの務めです」
「そして再び罪を犯さないように」

慈父のように、子をさとす、切々と心に訴えてくる、温かい言葉だった。後はもう書く必要がない。

「次の裁判で結審します。8月7日です」
若い検事の告発は事務的だったが、人のよさそうな温かい人物に見えた。
「全員、起立!」
約1時間の小さな裁判であった。しかし、心に残る温かい法廷。
「人が法で裁く」よりも「愛で、罪を犯した人の再起を願う」法廷であったように思う。

国選弁護人の本庄正人氏が廊下に出て、しみじみと述懐した。
「先生、こんな法廷、初めてですよ」
「KJ兄よ、どうぞお願いする。これから、主のみ見上げて、あなたの生涯を全うして欲しい」
私たちの共通の願いであった。

「主よ、彼の魂を悪しきもの、サタンからお守り下さい アーメン」

KJ兄のことを思いつつ、この旧い刑務所を眺めた。観光名所になってしまった刑務所内の、刑に服している人々の様々な人間模様の再起をかけた真剣な人生ドラマがこの中にある。祈りを残して、この地に静かに別れを告げた。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

2013-07-07

今週の聖句 7月7日〜13日

詩篇 102篇

苦しむ者が思いくずおれてその嘆きを主のみ前に注ぎ出すときの祈

主よ、わたしの祈をお聞きください。
わたしの叫びをみ前に至らせてください。

わたしの悩みの日にみ顔を隠すことなく、
あなたの耳をわたしに傾け、
わが呼ばわる日に、すみやかにお答えください。

わたしの日は煙のように消え、
わたしの骨は炉のように燃えるからです。

わたしの心は草のように撃たれて、しおれました。
わたしはパンを食べることを忘れました。

わが嘆きの声によって
わたしの骨はわたしの肉に着きます。

わたしは荒野のはげたかのごとく、
荒れた跡のふくろうのようです。

わたしは眠らずに
屋根にひとりいるすずめのようです。

わたしの敵はひねもす、わたしをそしり、
わたしをあざける者はわが名によってのろいます。

わたしは灰をパンのように食べ、
わたしの飲み物に涙を交えました。

これはあなたの憤りと怒りのゆえです。
あなたはわたしをもたげて投げすてられました。

わたしのよわいは夕暮の日影のようです。
わたしは草のようにしおれました。

しかし主よ、あなたはとこしえにみくらに座し、
そのみ名はよろず代に及びます。

あなたは立ってシオンをあわれまれるでしょう。
これはシオンを恵まれる時であり、
定まった時が来たからです。

あなたのしもべはシオンの石をも喜び、
そのちりをさえあわれむのです。

もろもろの国民は主のみ名を恐れ、
地のもろもろの王はあなたの栄光を恐れるでしょう。

主はシオンを築き、
その栄光をもって現れ、

乏しい者の祈をかえりみ、
彼らの願いをかろしめられないからです。

きたるべき代のために、この事を書きしるしましょう。
そうすれば新しく造られる民は、
主をほめたたえるでしょう。

主はその聖なる高き所から見おろし、
天から地を見られた。

これは捕われ人の嘆きを聞き、
死に定められた者を解き放ち、

人々がシオンで主のみ名をあらわし、
エルサレムでその誉をあらわすためです。

その時もろもろの民、もろもろの国は
ともに集まって、主に仕えるでしょう。

主はわたしの力を中途でくじき、
わたしのよわいを短くされました。

わたしは言いました、「わが神よ、
どうか、わたしのよわいの半ばで
わたしを取り去らないでください。
あなたのよわいはよろず代に及びます」と。

あなたはいにしえ、地の基をすえられました。
天もまたあなたのみ手のわざです。

これらは滅びるでしょう。
しかしあなたは長らえられます。
これらはみな衣のように古びるでしょう。
あなたがこれらを上着のように替えられると、
これらは過ぎ去ります。

しかしあなたは変ることなく、
あなたのよわいは終ることがありません。

あなたのしもべの子らは安らかに住み、
その子孫はあなたの前に堅く立てられるでしょう。

2013-07-06

山上の教え

【幸いと不幸】
さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、
神の国はあなたがたのものである。
今飢えている人々は、幸いである、
あなたがたは満たされる。
今泣いている人々は、幸いである、
あなたがたは笑うようになる。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、
あなたがたはもう慰めを受けている。
今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、
あなたがたは飢えるようになる。
今笑っている人々は、不幸である、
あなたがたは悲しみ泣くようになる。
すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」

(ルカによる福音書6章20-26節)

2013-07-05

参議院選挙に寄せて

共産党の執行部の方々へ、質問です。参議院選挙が告示されましたが、自公与党の受け皿になる精算は如何でしょうか?
失礼を弁えずお尋ねいたします。共産党のイメージは残念ながら、(私見ですが)明るくありません。

どうしてもマルクス、レーニン、スターリン率いるあの時代の独裁政治、粛清、一党独裁、言論統制の暗い政治をイメージします。
中国、北朝鮮等々。国が違えばイデオロギー、文化が異なることは承知しています。

さて
あなた方の政党は他党と違い振れない党是をしっかり守ってきた
稀な政党だと思います。誤解がないように
お断わりしますが、
共産党のシンパでわありません。 平和憲法の維持が如何に大切か、先の太平洋戦争で身内を多数失った遺族の意見です。フィリピンでも犯した過ちをわたしたちは民間人として
贖罪の意味を込めて、20年間続けて居ます。具体的にはパラワン諸島の一つハンセン病の島の
恵まれない家庭の子供たちの教育支援、人権擁護活動家の支援などです。
今回の参議院選挙は
平和憲法を守れるかどうか?の激しい戦いになると思います。敗戦後、アメリカの占領軍の法律専門家、ユダヤ系アメリカ人、ケデイース達によって作られたと言われる日本国憲法を独立国の尊厳を賭けて自主憲法の制定の動きは、戦争放棄をうたった世界に類を見ない優れた長所があると言われている、憲法の放棄になるのでしょうか?
不十分な質問ですが
返答をお待ちいたします。
平和を切望する者より 

追伸:
中国、韓国との平和共存の意見もご返答いただければと願います。

2013-07-03

心の旅路

−宗谷岬に祈る−
その日の宗谷岬の夕暮れの美しさは格別であり、たとえようもなかった。アイが救われたこともあって、心ゆくまで、この岬で休息をとった。

ここは、日本最北端の地、樺太への望郷、氷雪の門がある。
「北緯45度31分14秒」
日本人悲願の北方領土返還の祈りの聖地でもある。留萌と又、異なった意味で、北方四島帰属の日を切々と祈らされた。

あの間宮林蔵の出発の地でもある。苦難を超えて、偉業を成し遂げた男の顔が、夕映えの中に、じっと立ちつくし、北方の海の彼方を静かに見つめていた。

−クリオン島のトラクト伝道−
ここでの一夜の眠りは素晴らしい朝となった。紋別に向かう途中、浜頓別、枝幸町、雄武町へとトラクトを配り始めた。

クリオン島のトラクトがパイロットファームに、民家に、そして、小中学校に、まるで羽根がはえたように飛んでゆく。祈りが天に吸い込まれ、手応えがある。いつの日か、この町々に、村々に、私たちの同志が与えられるかもしれない。よい予感がした。

アイン号も快調にエンジンの唸りをあげて生き生きと走ってくれる。アイも元気を取り戻して、じっとしてはいない。しきりに外を眺めている。

サイドミラーを見ると後輪が見えた。小さな車輪が一生懸命に廻っている。
当たり前の事だが、アイン号も「生き物」、よくもまあ、この小さな足でと思うと、胸が熱くなってきた。網走も近い。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

愛の樹の皆へ

皆、自然の摂理に従うのが一番良い〓

だからキリスト抜きの人生は、まやかし物が多い。純粋でもメシアから離れた人間は無明の闇を彷徨う〓

キリストから離れるな!
全て闇の中。
光りはキリストのみ!
オショチ†