−網走刑務所にて
弟子KJ兄のこと−
町田を発つ5日前の7月30日、私は、弟子と二人で横浜地裁の法廷に立っていた。6年前の秋、当エクレシア(現在、愛の樹教会)で洗礼を受けたKJ兄(当時59歳)の18回目の裁判の証人として法廷に呼ばれていた。KJ兄の罪状は住居不法浸入、窃盗未遂。16回目は川崎であった。17回目は、私の知らぬ内に、府中刑務所から手紙が来た。
年老いた彼の手錠をかけられた姿に胸が痛んだ。国選弁護人が私に尋ねた。
「KJさんの保証人になってくれますか?」
一瞬、緊張した。
「はい、無条件で」
「なぜです」
「神の子ですから。それに私の手によって彼は洗礼を受けました。洗礼名はバルナバ(慰めの子)です。その責任をとります……」
「生涯、私は彼の友であり、永久保証人となります」
「誓いますか」
「はい、神のみ名によって」
裁判官を入れて総勢10数名の小さな裁判だったが、国選弁護人が驚くほどの、温かい法廷になった。白髪まじりの裁判官が最後に言われた言葉を、私は決して忘れない。
「KJさん、起立してください。あなたは本当にクリスチャンですか?」
「なぜ繰り返し罪を犯すのですか?」
「はい、自分でもよくわかりません……」
KJ兄は、しどろもどもである。
「はっきり答えて下さい。もう一度聞きます。あなたは本当にクリスチャンですか?」
凛とした声だった。KJ兄が蚊の鳴くような声でやっと答えた。
「そうなりたいです……」
やや間をおいて、苦しそうに、はっきり「はい!」と答えた。
その答えに、むしろ後ろで聞いている私の胸が押しつぶされそうになった。針のムシロに座っているような激痛が私の心にきた。
「ああ、彼を苦しめてしまった。あの朝、もう少し間をおいて、本人の意志をよく確かめておけばよかった」
彼は窃盗未遂の罪以上の、もっと厳しい良心の、それも心の奥底の深いところで苦しみを受けて、更に今、裁かれようとしている。彼のこの苦しみを、同じ痛みとして、私が彼の心の重荷をどれだけ負えるというのだろうか?
「神よ、もし私の彼に対するあの日(1986年10月18日)の洗礼によって、彼が裁かれているのでしたら、私の苦しみ受くべき重荷を、彼の2倍にも3倍にもして下さい!」と祈らされた。
裁判官の言葉は決して威圧的ではなく、むしろ、温かい人間の心のこもった響きだった。
「申し渡します。私は一人の人間として、あなたに、お願いしたい。よく聞いて下さい。KJさん。あなたは、これから毎日、神に対して懺悔と感謝の祈りをして下さい。罪を悔いて。いいですね。懺悔と感謝の祈りを続けて下さい。それが、あなたの務めです」
「そして再び罪を犯さないように」
慈父のように、子をさとす、切々と心に訴えてくる、温かい言葉だった。後はもう書く必要がない。
「次の裁判で結審します。8月7日です」
若い検事の告発は事務的だったが、人のよさそうな温かい人物に見えた。
「全員、起立!」
約1時間の小さな裁判であった。しかし、心に残る温かい法廷。
「人が法で裁く」よりも「愛で、罪を犯した人の再起を願う」法廷であったように思う。
国選弁護人の本庄正人氏が廊下に出て、しみじみと述懐した。
「先生、こんな法廷、初めてですよ」
「KJ兄よ、どうぞお願いする。これから、主のみ見上げて、あなたの生涯を全うして欲しい」
私たちの共通の願いであった。
「主よ、彼の魂を悪しきもの、サタンからお守り下さい アーメン」
KJ兄のことを思いつつ、この旧い刑務所を眺めた。観光名所になってしまった刑務所内の、刑に服している人々の様々な人間模様の再起をかけた真剣な人生ドラマがこの中にある。祈りを残して、この地に静かに別れを告げた。
(つづく)
「心の旅路」より抜粋
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