2014-08-24

シラ書40

【人間に共通する惨めさ】
つらい労苦は、人間だれしも避けられないもの。
重い軛がアダムの子孫にのしかかっている。
母の胎を出た日から、
万物の母なる大地のもとへと戻るその日まで。
人の悩みや心の恐れは
死の日を思っての不安。
華麗な王座に座している者から、
塵と灰の中にはいつくばっている者に至るまで、
紫色の衣装をまとい、王冠をいただく者から、
粗布にくるまった者に至るまで、
怒りとねたみ、困惑と動揺、
死の恐れ、憤り、それに争いが付き物だ。
床の中で憩うときも、
夜眠るときも、それらは人の思いをかき乱す。
休息はあってもなきに等しく、
たとえ寝ても、昼間のように疲れ果て、
戦いを前にして逃げ出した兵士のように、
悪夢にうなされる。
捕まったと思った途端に目が覚め、
何も怖がることはなかったのに、といぶかる。
人間から動物に至るまで、生あるものはすべて、
——罪人は更に七倍受けるのだが——
死と流血、争いと剣、
災難と飢饉、破滅と鞭打ちとを受ける。
これらはみな不法な者たちのために用意された。
あの洪水が起こったのも彼らのせいである。
土から出たものはすべて土に帰り、
水から出たものはすべて海に戻る。

【悪のもたらす結果】
わいろと不正はすべてぬぐい去られ、
信実な行為は永遠に続く。
不正な者が得た富は、渓流のように干上がり、
雨の中でとどろく雷鳴のように消えていく。
施しをする人は喜びに満たされ、
掟に背く者は滅びに終わる。
不信仰な者のひこばえは若枝を増やさず、
その汚れた根は切り立つ岩にしがみついている。
あらゆる水辺や川岸の葦は、
どんな草よりも先に引き抜かれる。
しかし慈しみは、祝福に満ちた楽園のようなもの。
施しは永遠に残る。

【いずれにもまさるもの】自立した生活も、雇われの生活も楽しい。
だが、いずれにもまさるのは、宝を見つけること。
子をもうけても、町を築いても、名声を高める。
だが、いずれにもまさるのは、
非のうちどころのない妻である。
酒も音楽も心を陽気にさせる。
だが、いずれにもまさるのは、知恵を愛すること。
笛も竪琴も快い調べを奏でる。
だが、いずれにもまさるのは、楽しい会話。
愛らしさや美しさを、人の目は慕い焦がれる。
だが、いずれにもまさるのは、野に生える若草。
友人や仲間との出会いはいつも楽しい。
だが、いずれにもまさるのは、
妻が夫と共にいることである。
兄弟や援助者は、不幸の時に頼るもの、
だが、いずれにもまさる助けは、施しである。
金も銀も人の足もとを固めてくれる。
だが、いずれにもまさる支えは、良い助言である。
富と力は、人の心を自信にあふれさせる。
だが、いずれにもまさるのは、主を畏れること。
主への畏れがあれば、何物にも事欠かず、
ほかに助けを求める必要はない。
主を畏れることは、祝福された楽園のようだ。
どんな栄誉にもまさって、その人を覆い守る。

【物乞い】
子よ、物乞いをして一生を送るな。
そうするくらいなら、死んだ方がましである。
他人の食卓をもの欲しげに眺める者、
その生き方はまことの人生とは言い難い。
人の食べ物で暮らすなら、彼の性根は腐れきる。
良識と教養を備えた人は、
そのような生き方を避ける。
破廉恥な者は、物乞いの気楽さを口にするが、
やがて、その腹の中で滅びの火が燃えるのだ。

(シラ書40章1〜30節)

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