2009-05-25

試練の日に〜枯れた骨の復活

あなたの境遇がどんなにつらくても、必ず幸せを噛み締める時は必ず訪れます。

神は試練を与えますが、また逃れる道を備えて下さいました。

わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。
途方にくれても行き詰まらない。
迫害にあっても見捨てられない。
倒れても滅びない。
いつもイエスの死をこの身に負うている。
それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
コリントⅡ4:8-9

だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからである。
コリントⅡ4:16-18

わたしはたくさんの人々に出会い、様々な人生ドラマを目にし、人間が描き出す模様に接してきました。

悲しい出来事、素晴らしい喜び、悲嘆、感動!生きた命に触れました。

どの出来事も生きている証しでした!

望んでも肉体になれない命があります。

肉体に神の霊が宿る時人間は生き物になる!

これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。
見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。
わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。
すると、お前たちは生き返る。
そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。
エゼキエル37:5-6

イスラエルでも我が国でも、古代人は生きて、子孫を残すために神を敬い、神に聞き神を相談相手に生きる知恵を身に付けて来たのだと教えられます。

謙遜、謙虚な人間の生き方を神は人間に教え諭し導き、だから人間はここまで生き続けられたのです!

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