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2009-06-18

聖なる御方に触れて

人間、聖なる御方に触れて、人間性が、がらっと変わることを前述しましたが、最近の世情を見ていますと、その思いが強く感じられます。

話は変わりますが、昨日、長年使い慣れた携帯に別れました。

もう機能性を失いました。

身近なものとの別れは、たとえ携帯でも互いに親しみあい、助けあった仲だと淋しいですね!

これが人間の素朴な姿かな?と、感じました。

76歳になり、おまけに、大手術のあとですから、複雑な携帯電話器は、ひどく疲れます。

もう自分の限界かな?と、思いが胸の奥底に潜んでいますが、若い日に神と交わした(立てた )誓願は、いまも息づいています。

加齢による衰えは、誓願を果たす役割で補うことを知らされました!

有り難いことです。

体は確かにくたびれますが、効果もあります!

指先が活性化してきました。

諦めたらその通りになるでしょ!

私の前世は神に仕える定めにあると、時折感じます?

人間には限界がありますが、神は全能の神です!

愛の生命に触れて、人生が、がらっと変わった聖書のなかの人々の生活の息づかいを、
私なりにお伝えできたら幸いです。

今日はこれまでにします。

2009-05-25

試練の日に〜枯れた骨の復活

あなたの境遇がどんなにつらくても、必ず幸せを噛み締める時は必ず訪れます。

神は試練を与えますが、また逃れる道を備えて下さいました。

わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。
途方にくれても行き詰まらない。
迫害にあっても見捨てられない。
倒れても滅びない。
いつもイエスの死をこの身に負うている。
それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである。
コリントⅡ4:8-9

だから、わたしたちは落胆しない。
たといわたしたちの外なる人は滅びても、内なる人は日ごとに新しくされていく。
なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。
わたしたちは、見えるものにではなく、見えないものに目を注ぐ。
見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからである。
コリントⅡ4:16-18

わたしはたくさんの人々に出会い、様々な人生ドラマを目にし、人間が描き出す模様に接してきました。

悲しい出来事、素晴らしい喜び、悲嘆、感動!生きた命に触れました。

どの出来事も生きている証しでした!

望んでも肉体になれない命があります。

肉体に神の霊が宿る時人間は生き物になる!

これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。
見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。
わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。
すると、お前たちは生き返る。
そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。
エゼキエル37:5-6

イスラエルでも我が国でも、古代人は生きて、子孫を残すために神を敬い、神に聞き神を相談相手に生きる知恵を身に付けて来たのだと教えられます。

謙遜、謙虚な人間の生き方を神は人間に教え諭し導き、だから人間はここまで生き続けられたのです!