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2009-05-24

自殺、殺人者は救われるのか?

古代イスラエルにとって死は蔭府(よみ)に下る恐ろしいこと、暗闇と沈黙の場所。

神との関係を断ち切られて影のようなものとして存在し続けなければならないと考えられていました。

ヨブ記 10:21-22また新約聖書にも、罪の償いはしなければならないことが、はっきり語り、引き継がれています。師イエスを裏切り、わずか銀貨20枚でユダヤの大祭司らと取引した12弟子の一人ユダは、良心の苛責から、アケルダマ(血の谷)に飛び込み自殺しました。

彼が死後救われるたか、どうか?は疑問ですが?しかし、キリストになられた(メシヤ⇔救い主)イエスは†字架の死と引き替えに人間の持つ罪の許しを神から得ました。

以後、人類は罪の重い縄目から解放された。

これが、キリストのもたらした新約の福音です!

キリストに信じて「自分の人生を委ねる⇔任せる⇔転がす。キリストを介して、神の側に自分の全てを、あるがまま、罪のそのままの体を転がす」あとは聖霊が働きわたしたちを危険からお守り下さる。

これを信じるか?否か?は個人の選択に委ねられているのです!

わたしは困難試練の時に、キリストに投げ身して人生の全てをお任せしました。

このブログは目の前に展開する不思議な光景をリアルタイムで書かされています。

霊は神からの賜

旧約聖書エゼキエル書に、霊についての記述があります。
わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。わたしはまたわが霊をあなたがたの内に置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。
エゼキエル36:26ー27
霊は神からの賜です。

人間の所有ではないのです。

魂は肉体に宿るもの、はっきり区別されています。

イスラエル人は魂は、人間を具体的な一個の統一的、人格として考えていました。

イエスは、体は殺しても魂を殺すことができない(マタイ伝10:28)と言い、また全世界にも代ええない命(魂)の価値を説かれました(マタイ伝16:26より)。

昨日、お隣の韓国で 悲しい出来事が起きました。

前大統領の自殺です。ショツキングな悲劇です。

彼は遺書を残しました。

生も死も一つだと、言う意味の言葉を残し、誰も恨まないように等、残された人々への配慮がにじんでいました。

自殺の動機はいろいろ取り沙汰されていますが?、キリスト教徒の真摯な彼が死を思い詰めるまでの心の葛藤が、余人には、量りがたいものであったことは察しがつきます。

自殺は神に恵みを投げ返すことです。

さらに殺人は、神のご意思を阻害することです。

神に与えられた命を粗末にすることはイエスの御心に反します。自殺、 殺人いずれも罪を犯す事に変わりはありません。

たとえ全世界の財産を手にしても、自分の命(魂)を失えば何の益があろうか?イエス様の溜め息が聞こえて来ます。

世界中が平気で殺し合う!神無き世界は暗黒です!

わたしごとき、小さな者の声は喧騒の渦に巻き込まれてしまうかも知れませんが、やはり 叫ばずにはいられません!

「命を魂を大切に!」と!