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2010-02-02

愛は命の原動力

牧師様。何時もわたしのためにお祈り下さって感謝いたします。
前のブログの獣医さんは、もう亡くなられていたのですね。でも、最後は牧師様の元で 幸せになれましたね。
牧師様の体調はいかがですか?母が今度は抗がん剤治療のため入院となりました。
長く患った方が命を絶とうとなさったのですね。その気持ち、良く解ります。病気が長ければ長いほど、治る見込みがないほどに、こころは荒みます。その方今どうされているのでしょう?ご家族は一緒でしょうか?どんなにか、おもいつめてそうされたのだと、感じます。誰でも一人は寂しいものです。こころの支えになってくれる方がいられるといいのですが・・・。
T先生は もうすっかり元気になられたようですね。
母が心配して行く度に聞いておりました。わたしは、話すのが、苦しいので聞き耳を立てているだけですけど^^;
お元気になられて、安心して居ります。どうぞ、牧師様もご無理なさらないように、ゆっくりと生きて下さいね。
出来る時に出来る事をする。それが、20年死ぬことを考え続けて生き抜いた わたしのやり方です。
M


Mさんメールありがとうございました。
あなたの活きた、苦しい体験談がどれほどつらいものか、しみじみと伝わります。
本物の痛みですから!

体験者でないと、頭の中の理解では、健康的な人にはこの痛みは、無縁なもの、程遠いですね。
言葉にならない痛苦の なかからのアドバイスには説得力があります。
アドバイス感謝します

あの獣医さんは密かに憧れの人がいました。
星空のブランコに乗り☆彡その姿にうっとり!見惚れていたと話してくれました!


人生最後の淡い恋心、彼の命の証だったかもしれないと思います☆彡
天国で一緒にブランコに乗れたら!そんな夢を見ていたのかもしれません。

人生はロマンチストにとり天国え旅立ちの素晴らしいスタートラインですね!


また、苦しい闘病生活の友は、病状は悪くなっていますが、不思議に明るくなってきました。今日、携帯電話に伝言メモがありました。

折り返し電話して話しましたが話題は私の身を案じて頑張ってくださいと逆に励まされてしまいました^ロ^;
でも、危機を一先ず切り抜けた明るさとその様子に安心しました

優しい心のまま人生の終わりを迎えられたら、最高ですね。素直な心で!
ひねくれたら悲劇的なになるかもしれませんから!
日頃の心掛けが大切だとしみじみ考えさせられました。

キリストの御言葉にあります。
「神の国はあなた方のただなかにある」と†
愛は命の原動力です†しかし人々は愛を粗末に扱うのです。悲しい気持ちです
私の闘病生活は振り返って見ると、未だ未熟な自分自身の人間性を戒める、大切な成長の糧になりました。
神様から頂いた無償の愛です†
Mさん、お大事にしてください!またメールしますお休みなさい☆彡

愛の樹オショチ†

2009-12-13

今週の聖句 12/13~12/19

イザヤ書53:1~12
メシア賛歌

だれがわれわれの聞いたことを
信じ得たか。
主の腕は、だれにあらわれたか。

彼は主の前に若木のように、
かわいた土から出る根のように育った。
彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、
われわれの慕うべき美しさもない。

彼は侮られて人に捨てられ、
悲しみの人で、病を知っていた。
また顔をおおって忌みきらわれる者のように、
彼は侮られた。われわれも彼を尊ばなかった。

まことに彼はわれわれの病を負い、
われわれの悲しみをになった。
しかるに、われわれは思った、
彼は打たれ、神にたたかれ、苦しめられたのだと。

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、
われわれの不義のために砕かれたのだ。
彼はみずから懲らしめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。

われわれはみな羊のように迷って、
おのおの自分の道に向かって行った。
主はわれわれすべての者の不義を、
彼の上におかれた。

彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、
口を開かなかった。
ほふり場にひかれて行く小羊のように、
また毛を切る者の前に黙っている羊のように、
口を開かなかった。

彼は暴虐なさばきによって取り去られた。
その代の人のうち、だれが思ったであろうか、
彼はわが民のとがのために打たれて、
生けるものの地から断たれたのだと。

彼は暴虐を行わず、
その口には偽りがなかったけれども、
その墓は悪しき者と共に設けられ、
その塚は悪をなす者と共にあった。

しかも彼を砕くことは主のみ旨であり、
主は彼を悩まされた。
彼が自分を、とがの供え物となすとき、
その子孫を見ることができ、
その命をながくすることができる。
かつ主のみ旨が彼の手によって栄える。

彼は自分の魂の苦しみにより光を見て満足する。
義なるわがしもべはその知識によって、
多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。

それゆえ、わたしは彼に大いなる者と共に
物を分かち取らせる。
彼は強い者と共に獲物を分かち取る。
これは彼が死にいたるまで、自分の魂をそそぎだし、
とがある者と共に数えられたからである。
しかも彼は多くの人の罪を負い、
とがある者のためにとりなしをした。

2009-12-01

アドベント、待降節

今年も、アドベント、待降節の時季になりました。

激動の時代、平和を待ち望む多くの人々に、キリスト様のご生誕の深い意味を一層強く感じます。

キリスト教と、イエス・キリスト様は切り離せませんが、キリスト様の御心が必ずしも、正しく伝えられているとは、言い難い現実、問題が多く見受けられます。

平和の君と待ち望まれながら、キリスト様のあのゴルゴタの丘の十字架の犠牲死は、一体全体誰のためだったのか?

キリスト様がお示しになられた、愛は何処に消えたのか?

人間が作り出す際限もない諸悪に、怒りを通り越して、深い絶望と哀しみに襲われることがあります。

正義の神の御名において絶えない殺しあい、略奪、搾取、暴力、謀略、等々。
大国の押し付けに反発する、途上国との争い!

見せかけの儀式、商業化してきた陳腐な、クリスマス

残念ながら哀しみの季節です。

何時の日にか、人々が心の底から真のクリスマスを、良き訪れを†共に、悦びあえる真の平和の訪れを、切に願い祈ります†

現実問題から目を逸らさずしっかり見つめて、新しい生命の芽生えのために平和の世が訪れますように†

残りの人生を賭けます。

キリスト様のしもべ

オショチ†

photo by Oshochi

2009-09-06

天路歴程(37)思い悩むな 野に咲く花



それから、イエスは弟子たちに言われた。

だから、言っておく。
命のことで何をたべようか、体のことで何を着ようかと思い悩むな。

命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切だ。
鳥のことを考えてみなさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。

だが、神は烏を養ってくださる。
あなたがたは鳥よりもどれほど価値があることか。
あなたがたのうちのだれが、思い悩んだからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。

こんなごく小さな事さえできないのに、なぜ、ほかの事まで思い悩むのか。

野原の花がどのように育っかを考えてみなさい。
働きもせず紡ぎもしない。

しかし言っておく。

栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。

まして、あなたがたにはなおさらのことである。

信仰の薄い者たちよ。

あなたがたも、何を食べようか、何を何を飲もうかと考えてはならない。
また、思い悩むな。

それはみな、世の異邦人か切に求めているものだ。
あなたかたの父は、これらのものがあなたがたに必要なことはご存じである。

ただ、神の国を求めなさい。そうすれば、これらのものは加えて与えられる。

小さな群れよ。恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。

自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。
そこは盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。

ルカ12:22-34

2009-07-09

天路歴程(13)

人間は本能的に魂の解放を、真の自由を求めます。


誰の束縛も受けたくはない生き物です。

キリストは罪の奴隷からの解放を宣言し、
神を信じる人々に霊魂の自由を与えました。

人間は古来神の掟を破らなければ、罪の束縛とは無縁の存在者のはず
でした。

創世記のエデンの園で犯した、アダムとイブの神話は人間の本質をリアルに描きだしています。

神が与えた恵みの特権を我が欲望のために捨てる。

愚かな恐ろしい
誘惑は、わたしたちの周りに毒グモの巣のように張り巡らされ、罠が仕掛けられているのです。

みすみす罪の魔手にかからないように賢く生きる知恵が求められます


人が、間違いを犯さず、清らかで、
美しいものだけを選んで生涯をまっとう出来たら幸せでしょうか?

私はそうは思いません。

キリストは自分の十字架を負いなさいと、
弟子たちにしめされました。

魂の成長は試練の火で精練されることを示唆されたのです。

様々な試練、困難を乗り越えた魂が、命の輝きを発し、人々に希望と生きる勇気を与えるのです。

話は変わりますが、聖地は立地条件の悪い険しい山岳地帯に多く見られます?


何故でしょうか?

高野山遠望

古代人は神々は山に住むと考えました。


人々は敢えて困難に挑戦し、
自分たちの信仰の証として険しい人里離れた場所に、神殿を築き上げました。

日本も山岳信仰が盛んな国です。

洋の東西を問わず人間は信仰を持たなければ安心できない生き物な
んですね。

生きるための知恵は神との正しい関係から与えられます。

人類に偽り無き平和が訪れますように、今日も祈りました。

高野山遠望 photo by masaaki (Attribution-Noncommercial-No Derivative Works 3.0 Unported)

天路歴程(12)

人間の生命の存在は、広大無辺の宇宙から見たら星たちの一瞬のまばたきに過ぎないかも知れません。

肉体の死は一過性。

人間の霊魂は永遠不滅。

魂の故郷は天に在る、とわたしたちキリスト教徒は、このように受け止めています。

イエスは弟子たちに語りました。

心を騒がせるな。神を信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所にあなたがたもいることになる。


わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたは知っている。
ヨハネ14:1~4)

死の恐怖に打ち勝ち、死の陰の谷を越えた信徒たち、私の胸を深く打ちます。

永遠の生命の故郷を目指す天路歴程者に死の恐れはありません。

長崎26聖人像

かの長崎は、我が国にキリストの教えがのべつたえられた聖地です。

26聖人の殉教の地です。

あの殉教者たちの表情は、天国に帰り行く深い喜びと平安に包まれています。

死を恐れぬ姿に、イエスの約束のみ言葉が甦って来ます。

長崎の殉教の史実は、苛酷な宗教弾圧に怯まなかった信徒たちの結束と信仰の奥深さ、信仰の揺るぎなの実証です。

いくら政治権力で弾圧しても真理に根ざした人々の心まで支配出来ないことを、彼らは死を賭して実証しました。

私のおぼつかない右手で、一字一句を打ち込む度に天国を目指した人々の心情に想いを馳せます。

不思議なことに、死を目の前にした時、心に平安と生きる力が来ます。

わたしたちの信仰は世の救い主が自分の中に人としての生き方、行いに確信を与えてくださる事が大きな喜び励みになります。

神の恵みを余すところなく頂き与えられた人生を心豊かにまっとうしたいと願う毎日です。

2009-06-12

死を恐れない信仰(3)リーダー

彼の伝道活動は、復活のキリストの聖霊が愛の働きであり、この 聖霊が人々を愛の業へ導きだすと説き続けたことにあります。

今時会うことのできない人物です。


〇〇教、△△教そのものあり方が一部の信者を除き普遍性を欠き、政治に関与するやり方は国民の幸せには結びつきません。

キリストは弟子たちに

“神の物は神に、カイザル⇒皇帝の物はカイザルに”
と、はっきり区別しました。

国家と宗教の存在価値、根元的な質の違い役割の違いをはっきり指摘されたのです。

『舞い降りた天使たち』に次のように記述しました。

リーダー

徳望のある人物が、その国のリーダーとなり、国民も又、そのリーダーに絶大な信頼を与えて国家の運営を任せる。彼は地球国家と人類、国民の幸せのために全力を尽くす。

中略

彼らはその時々の歴史の中で、非常な困難と戦い、それを乗り越えた人生の勇者たちである。哲人ベルグソンの言葉をかりれば、進化の壁を突き破って、彷徨変異を遂げた人々である。
単に最善を尽くしただけではない。国家的、あるいは人類の危機に立ち向かった彼らには、熱い熱い愛があった。それゆえ、私心を捨てて人類に、国家に、社会に身を捧げることが出来たのだった。

今の青少年たちに、このような偉大な人格に接し、その優れた影響を受ける教育が是非必要であると、私は痛感している。
今、 はびこっている、私益、省益に目の色を変え、又、党利、党略にうつつをぬかす官僚や政治家たちのようなダメ人間ではなく、高潔な、高邁なしっかりしたビ ジョンをもったリーダーが待ち望まれる。私が少年の頃あこがれた偉人たちには、人々の心をひきつける特徴的な共通性があった。それは自己の利益のために何 かをしたということではない。天命というか、天の声に動かされ、その使命に全身全霊を捧げた人々である。殉教者である。とにかく立派だった。
私は単純思考の人間であるから、この先人たちの純粋な生き様に深い感動を覚える。彼らは、神や仏ではなかった。イエス・キリストや釈迦とは違う。
しかし、その生き様は、まさに聖者を彷彿とさせるものがある。
もし、一国を自分の思いのままにあやつろうとする邪な人物がいたとしても、真実でないもの、神に祝福されないものの栄華の時世は長続きせず、たちまち
過ぎ去る。

人間が欲のために作り出したものは、何一つ永続するものはない。心に深く思うことがないから、ただ目先の利益や権威におぼれる。

すべては移り変ることを彼らはうっかり忘れているのだ。彼らを待ち受けているものは敗北である。

過去のリーダーの中で、財貨や色欲を貪り、眼前の快楽におぼれた人物やその国家、社会は滅びた。

私たちは真実の道を求める。健全な道を求める。それは朽ちることのない永遠の生命を願うからである。人間の浅はかな煩悩にふりまわされて、困っている人を助けず、その国を見捨て、神の恵みを分かち合うことを知らない私たちで終わりたくはない。

この愛する国、日本が、そこに住む私たちが、いつでも、苦しんでいる人々に手を差しのべるような国でありたい。また率先してそのことを大胆に実行出来るリーダーを持つ国になりたい。

舞い降りた天使たち 英日対訳版

2009-06-11

究極は魂の救済

いろいろ人間を生きて見ると、最後は人間の死にたどり着きます。

如何に優れた人物でも、死と時間は人間に平等にあたえられますから、避けては通れません。

怖いからと言って、目をつぶっても、容赦なく時間は進み、死が訪れます

「若い日にあなたのつくり主を覚えよ」です。

御子キリストの出現は、驚天動地の出来事です。

他人の罪を被り、他人の悪の為に†字架にはりつけになる、考えられない出来事でした。

イエス・キリストの昇天、復活後、キリスト教徒に対する猛烈な迫害、大量殺戮が起きますが、彼らは屈しなかったばかりか、勇敢に死に就きました。

2009-06-04

神は死の陰を朝に

心が暗闇に閉じ込められると、自分がどんな危険に晒されているか分からないです。

光が差し込んで初めて自分の置かれた状態が分かります。

暗黒は生命に適さない恐ろしい世界です。

キリストは、光をもたらしました。

太陽が昇ると闇は跡形もなく消えます。

アッシジの聖フランシスは歌いました。

「くちびるに神を称える美しい歌を心に太陽を!」

大賛成です!

明るい気持ちに切り替えると、周りが明るく幸せを呼び込む、不思議な力が働くのです。

愛と感動の連鎖反応が起きます。

暗闇に覆われていた心の黒雲を取り除くと、青空がさんさんと光輝く太陽がありました。

不思議な夢の話(4)ヨゼフの夢・あなたの夢

イエス・キリストの誕生に天使が夢に現れ、ダビデの子孫、大工のヨゼフに告げました。
ダビデの子ヨゼフ、恐れず妻マリアを受け入れなさい。
マリアの胎内の子は 聖霊によって宿ったのである。
マリアは男の子を産む。
その子をイエスと名付けなさい。
この子は自分の民を罪から救うからである。
このすべてのことが起こったのは、主が予言者を通して言われていたことが実現するためである。
見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。
ヨセフは眠りから覚めて天使のみ告げの通りにしました。

神のご意思に 従いました。

世の非難を浴びても、神の志をあたえられた確信は揺るぎません。

また預言者は、ときには怪訝な目でみられ、非難されますが、人々の幸せを願う神のご本願、人類救済の大事業から身を引くことはありません。

夢は雄大な神の人類愛を告げる手段です。

天変地異も、また一人の苦しめる魂の救いも真剣に求める魂に「霊夢」として現れます。

寝るとき是非祈りながら神に良い夢を求めて下さい!

私もいまから眠りにつきます!

あなたに良い夢が与えられますように!

2009-05-26

終末の徴・苦難の予告〜悔い改め

イエスのみ言葉に戻ります。

イエスの予告に

「戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞いても、慌ててはいけない。そういうことが起こるに決っているが、まだ世の終りではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである」。(マルコ13:7-8)

さらに「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」(マルコ13:24-27)

拙著『オショチ句集』の63句に記しました。

「忘れまじ
きのこ雲と
閃光の
下に
人の
暮らしあり
原爆投下の
罪、
誰が負う?」

原爆を人類史上初めて使用した、アメリカ!

広島、長崎の悲惨な光景を見て、何ら良心の苛責苦を感じないのか?

この国は キリスト教の盛んなお国です。

「汝殺すなかれ!」モーゼの十戒はなんのための神の掟、戒めなのか?悔い改めが求められているのは誰ですか?

2009-05-24

自殺、殺人者は救われるのか?

古代イスラエルにとって死は蔭府(よみ)に下る恐ろしいこと、暗闇と沈黙の場所。

神との関係を断ち切られて影のようなものとして存在し続けなければならないと考えられていました。

ヨブ記 10:21-22また新約聖書にも、罪の償いはしなければならないことが、はっきり語り、引き継がれています。師イエスを裏切り、わずか銀貨20枚でユダヤの大祭司らと取引した12弟子の一人ユダは、良心の苛責から、アケルダマ(血の谷)に飛び込み自殺しました。

彼が死後救われるたか、どうか?は疑問ですが?しかし、キリストになられた(メシヤ⇔救い主)イエスは†字架の死と引き替えに人間の持つ罪の許しを神から得ました。

以後、人類は罪の重い縄目から解放された。

これが、キリストのもたらした新約の福音です!

キリストに信じて「自分の人生を委ねる⇔任せる⇔転がす。キリストを介して、神の側に自分の全てを、あるがまま、罪のそのままの体を転がす」あとは聖霊が働きわたしたちを危険からお守り下さる。

これを信じるか?否か?は個人の選択に委ねられているのです!

わたしは困難試練の時に、キリストに投げ身して人生の全てをお任せしました。

このブログは目の前に展開する不思議な光景をリアルタイムで書かされています。

霊は神からの賜

旧約聖書エゼキエル書に、霊についての記述があります。
わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。わたしはまたわが霊をあなたがたの内に置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。
エゼキエル36:26ー27
霊は神からの賜です。

人間の所有ではないのです。

魂は肉体に宿るもの、はっきり区別されています。

イスラエル人は魂は、人間を具体的な一個の統一的、人格として考えていました。

イエスは、体は殺しても魂を殺すことができない(マタイ伝10:28)と言い、また全世界にも代ええない命(魂)の価値を説かれました(マタイ伝16:26より)。

昨日、お隣の韓国で 悲しい出来事が起きました。

前大統領の自殺です。ショツキングな悲劇です。

彼は遺書を残しました。

生も死も一つだと、言う意味の言葉を残し、誰も恨まないように等、残された人々への配慮がにじんでいました。

自殺の動機はいろいろ取り沙汰されていますが?、キリスト教徒の真摯な彼が死を思い詰めるまでの心の葛藤が、余人には、量りがたいものであったことは察しがつきます。

自殺は神に恵みを投げ返すことです。

さらに殺人は、神のご意思を阻害することです。

神に与えられた命を粗末にすることはイエスの御心に反します。自殺、 殺人いずれも罪を犯す事に変わりはありません。

たとえ全世界の財産を手にしても、自分の命(魂)を失えば何の益があろうか?イエス様の溜め息が聞こえて来ます。

世界中が平気で殺し合う!神無き世界は暗黒です!

わたしごとき、小さな者の声は喧騒の渦に巻き込まれてしまうかも知れませんが、やはり 叫ばずにはいられません!

「命を魂を大切に!」と!

2009-05-23

霊と魂の違い

古代ギリシャでは人間の肉体と魂は別々の存在と考えられていました。

肉体と魂の二元論です。

(魂⇔精神、感情、心)

何だか別々に考えると、人間が“部品”のようで馴染めません。

さて話はユダヤに移ります。

ユダヤに現れたナザレ村(貧しい村)の大工の息子イエスが、キリストと呼ばれるまで、母マリアと父親のヨゼフと家業の大工の仕事に励んでおられた様子が伺えます。

また、旧約聖書を開くと当時の生活様式が克明に書かれています。

ユダヤの人々に敬愛されて来た族長アブラハムその子イサク、時代が下がって予言者モーゼまでの聖書の記述は神の霊との交信の記録です。

死生一如

イエス様が弟子や民衆に説かれた死生観は、死の為に全てが消え去り、無と化すと言う考え方を根底から否定し、死を生に覆すものでした!

死を突き破る考え方に、当時の人々の驚き、戸惑いが即々と身に伝わります!
死人が生き返る?常識では有り得ないことです。

現に、ユダヤのベタニヤ村で死んだ、ハンセン病のラザロは墓の中で死臭を放っていましたから。

聖書の告げる記述には、白い布に包まれたラザロがイエス様の一言で蘇ったと書かれています。

奇跡は否定出来ません。

しかし我々の日常生活で、こんな話は有り得ないと考えるのが妥当でしょう。
ラザロの蘇生