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2009-12-30

新しい心を新鮮な器に


愛の樹の皆に

人を活かす本当の力とは!信仰とは!深い魂のどん底にある!

思い違い、誤解は勇気を出してとことん話し合いで解けば良い

氷解する†

失敗は成功の基

自分の欠点を長所に変えるチャンスだと受け止めて欲しい。

毎日脱皮を繰り返して、大きく育つ

自分の若い時は周りが手に負えない悪たれたった

今、考えると自分でもぞっとする。

悪たれだから良く分かる。人間の弱さが。

誰も人を咎め立てする資格は無いと思うが?

自身の矛盾を考えたら、偉そうな言葉は吐けないが。

しばしの師だから、我慢して、自分の信仰、キリストの愛をしっかり自分に根付かせてください†

それを見届けたい

新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れる

皆、天の高みを目指して欲しい。

聖霊が導く。邪悪な霊に取り憑かれないように、日々キリストを見上げ、祈って†

私は何者?ただの人間に過ぎない!

2009-05-30

目の前の

「目の前の
一つ々を
越えて行く
生きる力は
あなたから
合掌!」
オショチ句集:110

人間は心の支えがなければ、生きられません。

苦しい時に、絶望した時に、何かに、殊に宗教にすがる人の気持ちが良く分かります。

信仰は弱い人間に大事な役目を果たしてくれるのです。

“苦しい時の神頼み”それで良いのです。

知り合いの偉い先生が言いました。

「困っているときばかり神様にすがり自分の都合が良くなればしらんぷり。不信仰者めが!」

確かに言われる通りですが、しかし、私は無駄だとは思いません。

必ず心の片隅に感謝の気持が残ると思います。

いつの日にかまた、“苦しい時の神頼み”。

でも、苦しみを乗り越えて行けたら、その命の存在を心底喜んでくれる人がいるはずです!

命はかけがえのない尊いものです。

前にも記しましたが、イエス様も「命を失えば 例え全世界の財産を手に入れてもなんの価値があろうか」と、人々に話されました。

最後に人々は救われるのです。

イエス・キリストの御心は優しさと慈愛に満ちています。

オショチ句集の110句は、もう駄目か?と、死を覚悟したとき、生き抜ける!と、確信を頂いたとき、産まれた句でした。

神の御心は遠大です!

2009-05-24

自殺、殺人者は救われるのか?

古代イスラエルにとって死は蔭府(よみ)に下る恐ろしいこと、暗闇と沈黙の場所。

神との関係を断ち切られて影のようなものとして存在し続けなければならないと考えられていました。

ヨブ記 10:21-22また新約聖書にも、罪の償いはしなければならないことが、はっきり語り、引き継がれています。師イエスを裏切り、わずか銀貨20枚でユダヤの大祭司らと取引した12弟子の一人ユダは、良心の苛責から、アケルダマ(血の谷)に飛び込み自殺しました。

彼が死後救われるたか、どうか?は疑問ですが?しかし、キリストになられた(メシヤ⇔救い主)イエスは†字架の死と引き替えに人間の持つ罪の許しを神から得ました。

以後、人類は罪の重い縄目から解放された。

これが、キリストのもたらした新約の福音です!

キリストに信じて「自分の人生を委ねる⇔任せる⇔転がす。キリストを介して、神の側に自分の全てを、あるがまま、罪のそのままの体を転がす」あとは聖霊が働きわたしたちを危険からお守り下さる。

これを信じるか?否か?は個人の選択に委ねられているのです!

わたしは困難試練の時に、キリストに投げ身して人生の全てをお任せしました。

このブログは目の前に展開する不思議な光景をリアルタイムで書かされています。

2009-05-23

信じる心の受信機能

キリストの復活が世界中のキリスト教徒に今も、根強く信じられているのは、史実に裏打ちされた劇的な出来事、奇跡の伝承を人々が素直に受け入れた結果だと思います。

信じるか?信じないかは個人の自由です。

確かなたとえがあります。
人間は神無しで生きられても神無しでは死ねない
人間の限界を端的に表現した言葉だと思います。

何かに?すがりつきたい時には、あるがままの弱い自分を晒けだしてすがれば、救いの手が伸びてくるのです。

孤独に自分を閉じ込めて、苦悶しないで、わたしのもとに来なさい!あなたを助けようと、待ち構えておられるお方が確かに実在します。

信じる心に受信機能が与えられます。

受信機が無くては宇宙を飛び交う様々な情報や見たい映像が見られないのと、原理は同じだと、わたしは考えています。

波長を神様に合わせる事が大切なんです!
難しい事ではありません。

教会に行かなくても、聖地巡礼の旅に出掛ける必要もありません。

あなたが今おられる、その場所で、神様に(天に)呼び掛けて見て下さい!

ただし途中で、何の反応も無い!これは駄目だ!嘘だと、思わないで頂きたいのです!

必ずあなたに、神様が希望の御手を差し延べて下さいます!信じて!

2009-05-19

ダビデ王の切ない讃歌

古代イスラエルの大王と呼ばれたダビデ王(西暦前1000-961年在位)の讃歌に、胸を打たれる詩がたくさんあります。

私が独立伝道を開始した時期、約36年前、生活難にあえぎ苦難と試練の毎日でした。

当てもなく、さ迷い歩く日々でした。

何の保証も無い、支援も無し、“徒手空拳”の唯一人の孤独な伝道の道は、何時まで続くのか?

神様からの召命は自分の錯覚ではなかったのか?

日暮れて悩みは深く、道をあてどなく歩いた日々が、今は懐かしく思い出されます。

神様との道行きは苦しくても、清らかで、わたしの魂を生き返らせて下さいましたから!

しかし、魂の救いが確信出来る日までの道のりは、長く、苦しく、祈りながら読まされた詩篇をここに書き記します。
いつまで、主よわたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。
いつまで、わたしの魂は思い煩い日々の嘆きが心を去らないのか。いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。
わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え、わたしの目に光を与えて下さい。死の眠りに就くことのないように敵が勝ったと思うことのないように、わたしを苦しめる者が動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。
あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び踊り主に向かって歌います「主はわたしに報いて下さった」と。
この詩篇の記者、ダビデ王が訴えた“敵”とは?後日、自分自身に他ならぬことに気付かされますが…

神様との道行きは、イエス様が後に弟子たちに示されたように、自分の†字架を黙々と背負う厳しいものでした。

しかし、わたしのくびき(農耕のために、すきを引く家畜が首につけた道具)は負いやすいのも、体験して見ると良くわかります。

魂が光を見い出すには人間の策は全て破壊されます!

神様の救いは人間の条件の果てた末にありました。