ラベル ダビデ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ダビデ の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2009-06-11

死を恐れない信仰(1)

国籍を天に持つ、と信じた信徒には、ローマの皇帝ヘロデさえ驚きました。

内心、恐怖心を覚えたはずです。

我が国でも長崎の26殉教者、聖人の中には、幼い少年まで含まれていました。

さすがに見かねた死刑立ち合いの役人が、少年に死刑になることをやめて欲しいと懇願したと言い伝えられています。

幼い少年の、死を恐れぬ態度に戸惑いを隠せなかった役人たちの驚きの声が聞こえてくるようです。

あのダビデ大王でさえ、迫りくる身の危険死を恐れました。

「主よ、立ち帰りわたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしくわたしを救ってください」

死の国へ行けば、誰もあなたの名を唱えず陰府(よみ)
に入ればだれもあなたに感謝をささげません」(詩編6:5-6)

神に向かってずいぶんはっきりしたもの言いです。


まだこの時代にはヤーウエの神は恐ろしく厳しい裁きの神のようでし
た。

しかし、このダビデの末裔から神の御子キリストが出現しました。

ダビデとの血縁関係はありませんでしたが、神の予言による誕生でした。

このキリストの出現により、死の恐怖を越える力がキリストを信じる
者たちに宿り、支えになりました。

死を恐れない者はいない時代に、信じるお方に全身全霊を捧げて、殉教をものともしなかった人々は何故?信じる力信仰心がこれほど強いのか?

当時のイスラエルの司祭たち、またイスラエルを支配した強国ローマ帝国の支配者たちには理解不能、脅威でした。

聖パウロ(以下パウロと呼びます)の伝道活動は広範囲でした。
(つづく)

2009-06-01

新約聖書は大海(2)大王ダビデの嘆き

あの賢人、大王と呼ばれた詩人、軍人、政治家、ダビデは、神に、すがり、神の愛と許しと加護を熱心に求めます。

自分の内面に巣食う罪、底知れぬ罪の恐ろしさ根深さに気付いたのです。

彼がもっとも恐れたのは神との断絶でした。

神の祝福、御加護がなければ国家の生存は有り得ないことを、誰よりも深刻に捉えていたのです。

詩人ダビデにして得た、魂のうめき、叫びです。

神を称える詩は、宇宙の根元語だと感じます。

神を称える歌は美しく響きます。

「わたしは心を確かにします。神よ、わたしは心を確かにしてあなたに賛美の歌をうたいます。目覚めよ、わたしの誉れよ目覚めよ、竪琴よ、琴よ。わたしは曙をよびさまそう。」(詩編57:8-9)

詩人ダビデは琴の名手でした。

彼は、イスラエルの初代の王サウルの狂気を鎮めました。

彼の奏でる美しい琴の音で、王は正気に立ち戻ります。

話しは飛びますが、予言者サムエルはベニヤミン族のサウル青年を、王を求める民の声に押され神の指示に従い、王となる按手、神の霊を注ぎます。

少数民族出身ベニヤミン族の青年は新しい心を与えられ神の霊が激しく彼に降り、予言状態になります。

以前から彼を知っていた者は誰もが何が起きたのか驚きました。

人格転換が起きました。

2009-05-19

ダビデ王の切ない讃歌

古代イスラエルの大王と呼ばれたダビデ王(西暦前1000-961年在位)の讃歌に、胸を打たれる詩がたくさんあります。

私が独立伝道を開始した時期、約36年前、生活難にあえぎ苦難と試練の毎日でした。

当てもなく、さ迷い歩く日々でした。

何の保証も無い、支援も無し、“徒手空拳”の唯一人の孤独な伝道の道は、何時まで続くのか?

神様からの召命は自分の錯覚ではなかったのか?

日暮れて悩みは深く、道をあてどなく歩いた日々が、今は懐かしく思い出されます。

神様との道行きは苦しくても、清らかで、わたしの魂を生き返らせて下さいましたから!

しかし、魂の救いが確信出来る日までの道のりは、長く、苦しく、祈りながら読まされた詩篇をここに書き記します。
いつまで、主よわたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。
いつまで、わたしの魂は思い煩い日々の嘆きが心を去らないのか。いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。
わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え、わたしの目に光を与えて下さい。死の眠りに就くことのないように敵が勝ったと思うことのないように、わたしを苦しめる者が動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。
あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び踊り主に向かって歌います「主はわたしに報いて下さった」と。
この詩篇の記者、ダビデ王が訴えた“敵”とは?後日、自分自身に他ならぬことに気付かされますが…

神様との道行きは、イエス様が後に弟子たちに示されたように、自分の†字架を黙々と背負う厳しいものでした。

しかし、わたしのくびき(農耕のために、すきを引く家畜が首につけた道具)は負いやすいのも、体験して見ると良くわかります。

魂が光を見い出すには人間の策は全て破壊されます!

神様の救いは人間の条件の果てた末にありました。