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2009-11-07

人間の書き物とこのブログ(2)

さて!いつものことばかりですが、身近な話題です。

オショチは一昨日の悪性リンパ腫の4回目の治療で、体が今朝は少し、厳しくなりました。医師と二人三脚の悪性リンパ腫との闘いです(闘病→実は人生の友)。

悪性リンパ腫の仲間がバタバタ倒れています。抗がん剤投与で、不便なことは、小さな携帯電話の取り扱いか、極めて困難になることです。

一仕事です。左右両手の麻痺痺れがありますから。痺れはそのうち消えますが…

ホームページ制作は苦しい中で助け合い、励まし合つた病友との約束がきっかけでした。
仲間が先に召天して彼はホームページを見ることは叶いませんでした。

血液内科に入院して見ると、如何に“血液”が大切なことかと、しみじみ感じました。
見事に白血病から、舞台に復活した、歌舞伎の市川團十郎は凄い方です。

やはり天職を全うする使命感が溢れていますね。


見習い頑張ります。

オショチの治療は闘病生活の全てを、公開する約束を病友と交わしました。諦めない!絶望しない!医師との深い信頼感を大事にします。

医師と患者を繋ぐ虹の懸け橋になれたらと、希望を抱いています。

まだまだ、患者側に強い不信感を感じました。相談される仲間の悩みはそこにあります。

治療を受ける立場と医師の間に小さな齟齬が生じます。


そこを解きほぐすのがオショチの役目のように感じました。

オショチブログはミッションになりました。

先生方にははじめから治療について、出来るだけ詳しく書きますと、話しました。従って治療に有益な話題は支障がないがぎり掲載します。

コメントしかりです。

病は皆さんに共通する、身近な問題点ですから。

あしからず、ご了承ください!

11月7日
愛川オショチ
開設半年、この投稿が200件目にあたります。ご愛読を感謝します。

2009-07-27

天路歴程(22)暑い夏


親愛なる我が病友も、この暑さに必死に耐えています。

今年の夏は殊更厳しい夏になりそうです。

右腎臓と胆嚢摘出後、初めて迎える、3ヶ月経過中の夏です。

主治医から術後3ヶ月は気をつけて、水分の補給を十分摂るように、また休息を勧められました。

許すかぎり気をつけています…

病も、生きる友と考えて見ると、
正に生きている恵みそのものの証だと、しみじみ感じられる今日この頃です。

自然の成り行きとして受け容れています。

また、神様からの幸せの知恵を借りて、
弟子たちを幸せな人生に導く私の使命を果たす絶好のチャンスでもあります!

辛い、今だからこそ、
掛け値なしの真実が心の奥底から沸き上がってきます。

愛する弟子たちに、残せる言葉が与えられ、
そのままを伝えました。

先週の土曜の夜と、日曜日の朝に。

病むことで、生かされている意味が、さらに深められ生きる意味が一層理解出来るようになりました。

限り在る命の日々を思わずにはいられません。

伝える価値の在るものは見逃さず余すことなく、
伝える使命があることを確認しました。。

弟子たちの、信仰を養う以前、肉体を持った人間としての在り方。

心身の自己管理の仕方。

生活習慣の誤った過ごし方の修正など交えて。

自分で摂生が出来ず、後々思わず落ち込む病の罠の恐ろしさ等々、

我が身の健康を損ない、人の幸せを願うことも出来ましょうが、
やはり心身共に健康であるべきです!

具体的に私の、今までの体験をつぶさに語りました。

良くも悪くもなし。

これが私の事実だと伝えました。

愛の樹の使命は、私の死で終わるものでは、ありません。

これは、始まりです。

神が人の幸せを願う新しいシナリオに基づくドラマの幕開けです。

弟子たちの育成は、その大事な役目を引き継いでもらうために、
欠かせません。

私に課せられた使命です。

昨日は珍しく、教会の夏休みでした。

がらんとした、小さな礼拝堂に、残っていた3人の弟子たちを集め、キリストがその昔、弟子たちに親しく語りかけられた様に私も語り掛けました。

「人間の幸せとは何か?簡潔明瞭に!」

「人の幸せを、自分の幸せと確信して尽くすこと!

己の幸せは、人の幸せを願う、そのただ中にある。

生きる力はこの中にある!私はキリストに従い自分の生涯を閉じるが、悔いは一切ない!

尽くし切り、充足感と幸福感に浸っている!」と。

時折、自問自答します。

もし?自分だけのこと、利己的なことしか、眼中に無かったと、仮定したら?。

私の人生は、虚無感、孤独感、敗北感に襲われて、ここ迄は、
生きられなかった?と、実感しています。

改めてキリストの、僕(しもべ)で居られた事に感謝の思いは尽きません!

トルストイではありませんが「幸福とは他人のために生きることである」。

人の幸せを願い、人の幸せな姿を見て、
自分が無常の歓びによって生きられる。

生きる力と勇気を得た。険しい人生を生き貫く。

これは天の摂理だと観じます。

天界は愛の故郷です。

人の幸せを願う魂に自然に宿るそのために心を尽くす。

弟子たちは昼夜二度にわたる話を真剣に受け止めくれました。

険しい人生の峠道に差し掛かり、病を恵みと思いながらも、
まだ果たしきれない使命の一旦を伝えられ、至福のひとときでした。

40年間私に付き添い、キリストとを信じて、不肖の師を見限らずに、今も天路歴程を共にする、弟子の真心に応える道はまだ遥か彼方です!

2009-07-20

弟子へ



身体は本当に大変だが、心は別だよ。

時に神は黙して語らずだから。

応答が無いときは静かにしていればよい。

必要は要求しなくても与えられる。

身体の苦しみは、精神的な苦しみから見たら、たいした問題じゃないと思う。

オショチは最近初めて、無理やりな、自分流の生き方にとどめをさして、身体の叫びに耳を傾けるようになった。

これが自然の生き方だと、遅まきながら、気が付いたから。

神様さえ見失うことがなければ、必ずや聖霊が働き知恵と力を与えてくださる。

自信を無くしても聖霊がまた力を取り戻しくださる。

聖霊は困難にある人を助けたい、何とかその人のために役立ちたいと願っている。

助け主、キリストの力を信じて疑わないオショチより

アーメン・ハレルヤ†

2009-07-02

天路歴程(8)気の長い神

ある友人の無神論者から度々絡まれたことがありました。

特に酒に酔っばらうと決まって、「おい!牧師さんよ。神様が、あんたの言うとおり本当にいるなら何故?戦争が絶えないんだ? 人間は何故不幸になるんだ? 悪人がのさばるのは何故だ? えっ!ちゃんと説明しろ!」

彼の言葉を聞きながら、何だか彼の寂しい、やるせなさを感じて、妙に納得したものでした。

「俺は神様を信じないぞ、人間死んだらおしまいよ!どうせ死ぬなら好き勝手に生きるさ!俺に干渉するなよ!おい!わかったか?」

こんな調子の彼が酔いが醒めると別人のような姿で目の前に立っていました。

人生を捨て鉢な気持ちで生きることは、本人も心の奥底では納得していないことが良く伝わってくるのでした。

地道に生活していた友人の荒れた生活と家庭環境の変化に戸惑いながら、酒に逃げ込み彼の果てしない愚痴。

他人を呪咀する彼を、何故か憎めず、かえって、見放すことは出来ませんでした。

ある日の事でした。

珍しく素面の彼から意外な言葉を聞きました。

「牧師さんよ、俺は考えた。

あんたは黙って俺の言いたい放題を聞いてくれた。

あんたは俺を責めなかった。

あんたの神様は気が長いね。

すぐにではないがいつか死ぬ前に信じるよ。」

独立伝道を始めた頃の話でした。

2009-06-13

阿蘇・地獄谷での祈り(2)

今も昔も貧乏暮らしは変わりませんが、あの時は阿蘇山に行くガソリン代がなくて、神様、ガソリン代を工面して下さいと、祈りました。

祈り求めていた数日後思いがけないお方から、伝道活動費にと献金をいただきました。

片道分でしたが、喜び勇んでぽんこつ車に乗り、一路、阿蘇山を目指してひたすら走りました。

車で仮眠をとり、あんパン一個に牛乳一本が一日分の食事です。

苦労しながらやっとたどり着き、地面に膝まずき祈りました。

地熱で足が焦げそうです。

しかしなんの応答もなく一夜が明けました。

はるばる祈りに来た私の“聖地”はただ白い湯煙にかすんでいました。

しばらく経った時、光が差し込んできました。

祈りの手を休めて、山の斜面を何気なく見た時です。

かすみの中に人影らしい姿を見ました。

空中に浮き上がって私を見下ろしています。

合掌している姿でした。

不思議な瞬間でした。

消えたあとに湯煙の音も消え、静寂に包まれていたのです。

はるばる来て良かった!涙がとまらないのです。


地獄谷に別れを告げて下山しました。

帰路、琵琶湖に行けと言われて、行き先が分からぬまま車を走らせました。

ある一軒の農家を訪ねました。

牛たちが、見知らぬ訪問者を迎えてくれました。

やがて主がUさんと言うお方があらわれ、通された部屋の仏壇に手を合わせた時、扉を開いてくれました。

中には位牌の隣に†字架が見えます。

彼が灯りをともしました。

それはクリスマスのイルミネーションでした。

ずいぶん変わったお仏壇ですね?と尋ねますと、彼は「わたしは隠れキリシタン見たいなものです」と淡々と話してくれました。

いとまごいをする時、真顔になり、「あなたが訪れることがわかってお待ちしていました」と話してくれました。

さらに「帰りのガソリンを満タンにしましょう」と言われ、予備タンクからガソリンを入れて下さったのです。

聖霊に導かれる不思議な体験の旅でした。

2009-06-12

阿蘇・地獄谷での祈り(1)

阿蘇山の麓に小さな温泉宿があります。

その裏山に地獄谷があります。

白い湯煙がいたるところからごうごう!と地響きを立てていました。

地球の赤々と燃えるマグマ、心臓の鼓動を身近にかんじられます。

ぽんこつ車に乗り、横浜の集会場から1500キロくらいありますか?

箱根にも大湧谷がありますのに、わざわざ九州の山奥まで何故祈りに来たのか?

途中で疲れて寝込んでいたときでした。

雲ひとつない青空が一転かき曇り、まもなく大粒の雨が激しく降り始めました。

山の斜面から茶色の濁り水が押し寄せてきます。

必死の思いでぽんこつ車を動かし難を逃れました。

雷が光った途端づしん、びりびりと肌に雷の放電気が伝わってきました。

見ると鳥肌が立っていました。

1時間くらい降り続きましたが、あっと!いう間に晴れ上がり、青空が見えました。

夏の日差しが眩しく、霊光に打たれた思いでした。

祈り求めてさ迷い歩いた時ですから、示されたら何処に行くのか自分でも見当がつきませんでした。

ただ素直に従うのが自分に出来ることぐらいは理解出来ましたが。


雨上がりの山道は滑ります。

やっとたどり着いた地獄谷はますます激しく白い湯煙を吹き上げていました。

足元が熱いです。

祈りました。

死を恐れない信仰(2)使徒パウロの使命

聖書は、2000年以上の長い時を経て、なお新鮮さを失いません。

旧約聖書の記述を遡れば、膨大な時空を越えなければ理解出来ません

天地創造が出発点ですから。


新約聖書の中身を一箇所取り上げても、キリストの神秘性、聖霊の働きを人間が文字で説明することは至難の技です。

パウロの布教活動は、私の能力では100年書き続けても伝え切れません。

断片的な書き込みしか出来ませんが、
ネット教会を立ち上げた以上、責任があります。

前にも話しましたが、今回の入院がきっかけとなりました。

体力の低下は否定出来ません。


腹を真横に切ると筋肉を断ち切ることになります。また神経も切断されますから、なにも感じない部分がでます。

腹の傷跡の腫れが、ある程度引いても、神経が断ち切られていますから、なかなか元には戻りにくいです。

したがって腹に力が入らないのです。

パウロの話が脱線しましたが、何か余程の理由が無いと人間に転機は訪れないようです。

パウロの転機は前にも記述しましたが、キリスト教徒の迫害が、彼の重大な人生の転換点になりました。

彼の伝道活動範囲は、イスラエルの首都エルサレムからカイザリア、昔のマケドニア、最近までの地名ではバルカン半島、ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリアからギリシヤ、クレテ、シチリア、イタリア ローマ、小アジアのアンテオケが第1回目の出発地でした。

彼はバルナバとマルコを伴いました。

使徒行伝には、エーゲ海を渡り、ヨーロッパに上陸し、マケドニアからギリシャのアテネから地中海沿岸を精力的に伝道活動しています。

幾多の迫害に遭ってもめげず、キリストの真理を確信して、30年に及ぶ伝道旅行に明け暮れました。

彼は天幕作りで生計を支えました。


伝説によると、人間的には健康に恵まれず、またその容貌もみすぼらしく、しかし信仰の豊かさにおいて人間的な欠陥は解決されたと。(コリントⅡ10:10、使徒行伝18:3、ピリピ4:11-13)に記述されています。
(つづく)
デューラー「四使徒(部分)」右がパウロ

2009-06-06

神の伝道者、吉冨愛泉先生(4)後ろ姿

当時、私が50代の血気盛んな頃は、吉冨先生の真の凄さ偉さは理解していませんでした。

若く生木のままでしたから、先生がいくら火をつけても、くすぶるばかりでした。

最近、謎解きの第三の残りの人生のスタートを切り、やっと先生の伝えたかった真意が肌に感じられるようになりました。

死の谷を越え、試練の錬獄を越えて初めて体感出来たのです。

神を知らずに危険に身を晒す人を救いたい一心」をです。

それが先生の福音伝道の基本だと気付かされました。

まだまだ使命は果たせます。

体は少し不自由になりましたが、代償の成果はネット教会の展開です

神の伝道者、吉冨愛泉先生(3)吉冨先生の死

先生は婿養子の方に遺言をしたと後でお聞きしました。
吉冨はひっそり死にたい。
誰にも通知してはならない。
私は虫の知らせで、息子さんに手紙を出しました。

受けとった返事に先生が91歳で静かに天に召されたとしたためてありました。

私への遺言は特にありませんでしたが、
もし連絡が来たら、吉冨は先に行く
と書かれていました。

思い返せば孤児同然の先生の生きざまは壮絶の一語に尽きます。

幼い日、空腹のあまり畑の土を食べて、飢えを凌ぎ、神に生涯を捧げた神の愛の伝道者でした。

私の生きざまは吉冨先生を抜きにしては語れないのです!

神の伝道者、吉冨愛泉先生(1)

鹿児島県出身の伝道者、吉冨愛泉先生は、小学校も卒業しかなかったお方ですが、達筆で学識信仰の深いお方でした。

地の塩の箱の主催者江口榛一の親しい友人で、彼を最後まで支えた耳鼻咽喉科医の故藤原哲夫先生(日田市・藤原耳鼻咽喉科院長)とも親交を結び、藤原先生から吉冨先生紹介されました。

吉冨先生のすごいところは、四国をくまなく単身徒歩で伝道を果たしたことでした。

また農業に詳しく、当時としては珍しく一本のトマトの苗木から100個近い実を収穫したり、種無しブドウの種の作り方を農家の人々に教えて、神の福音を伝えました。

あだ名はホラ吹き愛泉でした。

彼は陰口を一向に気にせず、貧しい農民を呼び集めては、毎晩、農作物の増収の話を熱心に続けました。

少しずつ先生の話した成果が現れて来ました。

その時がお別れの時でした。

粗末な衣服貧乏のどん底を歩き続けましたから、ご自分でも「けちの吉冨」と、人々に言いふらしていましたが、先生は慕われました。

九州伝道に町田からよく行きました。

先生の質素な藁葺き屋根の小屋を訪ねた時、囲炉裏の前に座り静かに聖書を読んでいた首に黒い何か?巻き付いています。

側によって見ると黒ねこでした。

「温いばい!」質素の極みです!

2009-05-29

敵を愛しなさい

しかしわたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛しあながたを憎む者に親切にしなさい。
悪口をいう者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう片方の頬をも向けなさい。
上着を奪い取る者には下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。
あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたにどんな恵みがあろうか。
罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分に良くよくしてくれる人に善いことをしたところでで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。
罪人さえ、同じものを返してもらうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも、悪人にも、情け深いからである。
あなたがたをの父が憐れみ深いように、あなたがたにも憐れみ深い者となりなさい。
ルカ6:27-36

厳しい教訓

普通人には理解しがたい、実行不可能と思える難題です。

とてもキリストについて行けないと感じます。

私も深く悩み抜いた聖句の一つでした。

困難な要求。平凡な人間には実現不可能なことです!

おっしゃることは頭で理解出来ますが、いざとなると出来ません。

無理難題を何故?キリストは弟子たちに語られたのか?

しかし文字通り、完全にみ言葉に従い通した人物がいます。

最近では、インドのカルカッタのスラム街に身を投じたマザーテレサです。

記憶に新しい愛の使徒でした。

また、ハワイのモロカイ島のハンセン病の人々に生涯を賭けた、ダミアン神父。

あのアウシュビッッで友の身代りなり餓死したコルベ神父。

聖霊が働くとき人は捨て身になれると言う実証です。

使命感を受けた時に、平凡な人でも変えられて、人のために喜んで身を捧げます。

現世の肉の打算、人間の思惑、それらの予想を遥かに越えた力が人間に働くのです。

愛の奇跡です。

あの使徒パウロが成し遂げた、愛に根ざした伝道も、聖霊の愛に助けられた証しです。

クオ・ヴァデス? 主よ何処へ?

ローマのバチカン宮殿は、弟子のペテロが逆さ磔つけにされた死刑場の後に建立されました。

ペテロが恐怖心に襲われ逃げて行く途中、キリストに逢いました。

「ペテロよ何処に行くのか?お前が死を恐れて逃げるならわたしが身代わりになろう」

「わたしが†字架の死につく」と言われて、彼はアッビア街道を引き返し、ローマの兵士に捕われ、有罪となり刑死を遂げました。

キリストに出会わなければければ、逃亡者として彼の名は闇に葬り去られたかも知れないのです。

今でこそ 「聖ペテロ(サン・ピエトロ)寺院」大聖堂に祀られていますが、キリストの聖霊抜きに有り得ない奇跡の証しです。

日本人が初めて触れた宣教師たちの命賭けの伝道がなければ、わたしたちにはキリストの福音は伝わらなかったかも知れないのです。

私も救いに預かりました。

絶望の日々から!身を捨てる勇気を与えられました!

2009-05-19

ダビデ王の切ない讃歌

古代イスラエルの大王と呼ばれたダビデ王(西暦前1000-961年在位)の讃歌に、胸を打たれる詩がたくさんあります。

私が独立伝道を開始した時期、約36年前、生活難にあえぎ苦難と試練の毎日でした。

当てもなく、さ迷い歩く日々でした。

何の保証も無い、支援も無し、“徒手空拳”の唯一人の孤独な伝道の道は、何時まで続くのか?

神様からの召命は自分の錯覚ではなかったのか?

日暮れて悩みは深く、道をあてどなく歩いた日々が、今は懐かしく思い出されます。

神様との道行きは苦しくても、清らかで、わたしの魂を生き返らせて下さいましたから!

しかし、魂の救いが確信出来る日までの道のりは、長く、苦しく、祈りながら読まされた詩篇をここに書き記します。
いつまで、主よわたしを忘れておられるのか。いつまで、御顔をわたしから隠しておられるのか。
いつまで、わたしの魂は思い煩い日々の嘆きが心を去らないのか。いつまで、敵はわたしに向かって誇るのか。
わたしの神、主よ、顧みてわたしに答え、わたしの目に光を与えて下さい。死の眠りに就くことのないように敵が勝ったと思うことのないように、わたしを苦しめる者が動揺するわたしを見て喜ぶことのないように。
あなたの慈しみに依り頼みます。
わたしの心は御救いに喜び踊り主に向かって歌います「主はわたしに報いて下さった」と。
この詩篇の記者、ダビデ王が訴えた“敵”とは?後日、自分自身に他ならぬことに気付かされますが…

神様との道行きは、イエス様が後に弟子たちに示されたように、自分の†字架を黙々と背負う厳しいものでした。

しかし、わたしのくびき(農耕のために、すきを引く家畜が首につけた道具)は負いやすいのも、体験して見ると良くわかります。

魂が光を見い出すには人間の策は全て破壊されます!

神様の救いは人間の条件の果てた末にありました。

2009-05-10

心の旅路〜あとがきから

さて話は変わりますが、愛の樹のホームページに拙著が並んでいます。

その中の北海道伝道旅行を記した『心の旅路-苦難の中に身をおいて知る 神の愛』の最後に、こんな気持ちを書きました。
今回の北海道伝道旅行に、弟子の飯田ヤコブ士郎兄が群馬県の伽葉山まで往路アイン号を運転し、見送りを兼ねてついて来てくれた。彼はこの小旅行の ノートの冒頭に「清浄、透明感につつまれる。何かが生まれ育つ予感!」と 書き残し、沼田駅で別れた。
私はかけがえのない多くの友を神から与えられた。もし人が愛し合うことをやめたら、すべての世界が、敵対するかのように思えたら、私などとても生きてはいけない。
心身共に疲れ果ててしまう。
おそらく、そのために生命を全うすることは出来ないと思う。死出の旅路は唯一人だけで寂しく、はるか遠くに行かなければならない。だが私はキリストというお方に出会ったときから、本当に変えられてしまった。
敬愛し、助け合い、慰め合うことを、主の†字架に視た。私がもしキリストに出会うことがなければ、手のつけられぬ悪人になりさがっていたかもしれない。
我が内に恨みが残り、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻みつけてしまい、生を死に変え、ズタズタな傷付いていたと思うとそら恐ろしくなる。
又、愛欲の世界に溺れ、煉獄の中に、地獄の業火に身を焦がし、救われず、その苦しみに己一人であたらなければなかった筈である。それが全く違った結果になってしまった。
キリストを知り、神の慈愛の世界にその光の中に導かれた時、私の目の前に真実の道が光り輝いてみえた。
この世は慌ただしく去って行く、私たちの目に頼りと見えたもの、力になると感じたものは私の錯覚に過ぎなかった。
私は今回の伝道旅行を通して、更に深い神のみこころにに触れた思いがする。弱い体は、恐れ、苦痛から逃げようとした。 しかし、私の内なる霊は神のみ声に従った。
私は今、改めて、あのハンセン病者、ラザロの姉、マルタに言われた、イエス様のみことばを思いおこす。
「わたしはゆみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」
(ヨハネによる福音書11章25-26)
「はい、しもべは信じます。
これが 私の道である」
アーメン!
筆者合掌

「あとがきにかえて−キリストと私」より
心の旅路