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2009-11-28

天路歴程(44)言葉だけでなく実践

【闘病生活を通して】

愛の樹教会のネットをご覧くださる、兄弟姉妹の皆様へご返事差し上げます†

いささか常識はずれの私です。

世俗的意識に欠けているなぁー!と、時々自分自身を省みて率直に反省します。

自分への反語みたいですが?

それがなければ多分、難儀な伝道者、牧師にはならなかったはずです。

たとえ神様からお叱りを受けても!

自分自身の生活を優先順位の一番に置きます。

過去、何を言われても平気、生活を覗かれても気にしない。

これも、神様からの助けなしには実践不可能だったと思います。

あれやこれやが重なり、敢えて険しい道を選びました。

気が小さい私ですから!

これが幸いにして、神様に従う決心がつきました!

使命が続く限り、生きることが楽ではなくても、今までどおり生き抜いて、神様と皆様との大事な生きる命の恵み、辛くてもかけがえのない人生を最期まで共有できたら!と、生きることを切に願います†

まだまだこれからも生きることに、立ち向かいます。どうぞご安心下さい。

神のしもべ
オショチ†

2009-08-17

天路歴程(33)神の人

ある山道で、粗末な衣服を身にまとい、神様のみ言葉を伝えて歩く1人の老人に、若い求道者が旅先で道連れになりました。

行く先々で、老人は 寂しい家を見付けては、誰に頼まれた訳でも無いのに、寂しい人の話を聞いたり、慰め励ましたり、その人のためになることを心を込めてやりました。

老人は寂しい人が、安心したのを見届けると静かに手を合わせてから、姿を消すのでした。

若者の求道者は、その有様を、不思議な気持ちで眺めていました。

「自分よりみすぼらしく、杖1本のこの老いた御方は何者だろか?」

2人とも旅で、ホコリだらけでしたから、まるで乞食のような姿に見えました。。

ある村の入口にさしかかった時の事でした。

村人の1人が大声を上げて叫びました!

「お前たち、村に入るな!物乞いはもうたくさんだ!さっさと失せろ!」

その言葉を聞くと老人は静かに、何時もの仕草で、手を胸の前に合わせ合掌してから立ち去りました。

暫らく歩き、若者が先ほどの村を振り返って見ると、村全体が黒い雲に覆われて闇の中に沈んでいました。

「あっ!」若者の声で振り向いた老人は、大地に直ちに跪いて祈り始めました。

「あの村人たちに、罰を与えないでください。彼等は愛を知りません。無知の闇に閉ざされています。

神よ愛にまします大いなる主よ!彼等の無知を罰しないでください!

どうか、寂しい村人たちに呪いではなく、愛の目覚めを代わりにお与えください!」…

老人の祈りは真剣そのものでした。

若者の求道者は目を瞠(みは)りました。

小柄で痩せこけて、あまり風采の良くない外見から、想像も付かない神のような目を持った御方がおられる。

彼は不思議な夢を見ているのだと、錯覚しました。

目をこすり、瞼を閉じてまた開くと、老人が静かに語りはじめました。

「若者の求道者君、神はゆえなく人を罰しないで、許しの時をお与えくださる。

今が正にその時なのです。

わたしの使命は執り成しの祈りを托され村人を目覚めに導くことです!

もう、わたしの使命は果たしました。

「若者の求道者君、此処でお別れです!君が見たままが神とわたしの真実そのもの、神は愛です。

君は信じますか?神と人との深い関わりを?」

彼は答えました。

「主よあなたの御心を信じます!」

若者の求道者が目を開いた時、老人の姿は消えていました。

若者の求道者は、再びあの村に目を向けました。

あの村を覆っていた闇は消え失せて、明るく輝いていました!

優しい風に包まれて、若者の求道者は村に別れを告げて、北に向かい歩き始めました。

あの不思議な老人の温もりを肌に感じながら!



2009-07-29

天路歴程(24)運命

ふるさとの家のパウロ像

これは、宗教家としての私の独白です。

如何なる病にも振り回されたくは無い。

天運の巡る処に従う。

無論、善良な治療は大歓迎です。

私はこの命を預けて悔いなき主治医に巡り合いました。

深い信頼感があります。

その事を踏まえての闘病生活です。

人の力には限界があります。

その時に備えています。

中井に私の尊敬する聖パウロ像が長崎から来ました。

彼の信仰は並大抵ではありませんでした。

使徒としての召命感は抜きん出ています。

彼の洗礼名が私の洗礼名でもあります。

地中海のケンクレアの海岸で剃髪し、髪の毛を砂浜に埋めて、自分に別れを告げた心中は察するに余りあります。

愛は全ての命を生かす!

死んでも死なない命がある。

あらゆる人生苦を乗り越えて滅びない命が愛である。

と確信した、使徒パウロの生涯は後に続く命に困難を乗り越え、生きる力と希望、勇気を与えてくれます。

イエス・キリストに最も近かった弟子でした。

儚(はかな)い命で終わらない、わたしたちの命について、霊的に祈らされる日々の独白でした。

2009-07-22

天路歴程(19)1冊の聖書(2)

吉冨先生のご生涯は神一筋でしたから、俗人が求めるものとは、生活の質が根本的に異なりました。

むしろ非常識に近い存在者でした。

頼まれたお弟子もかなり変り者でした。

細かい説明は省きますが、余程の素質、何より神の使命を帯びて居いないと、人間の思い込みでは、信仰的に狂う危険な実体を目の当たりにしました。

明らかに師と弟子たちの信仰の質が違いました。

先生は、それを承知の上で、私に弟子たちを託されたのだと思います。

真理に根差した信仰には、打算、狂信、狂気、盲信は無関係です。

純粋です。

やたら、自己的な熱心に、“何かに”、のめり込んで、人為的に(作為的に)作り上げたものは、キリストの説かれた信仰の道筋とは全く似て非なるものです。

化け物です。

聖霊が働かない状態で、自分に特別なカリスマが在ると錯覚しますと、サタンの虜、手先に変質します。

ルシェフル、落ちた天使、サタンと化します!

あの旧約聖書の創世記に登場する、アダムとイブの子、カインとアベルの大きな違いは、信仰心の質の違いでした。

同じ行為に似ていながら彼らの隠された人の本質が試され、神の捧げ物に現れました。

神は真心からの捧げ物を祝福されたのです。

真心から出たものは神の祝福を受け、見せ掛けは否定されます。

吉冨先生の晩年は、自ら育てた弟子たちの行く末を案じて、危惧の念でした。

カインとアベルは、同じ親から生まれたにも関わらず、全く霊質が違いました。

創世記に詳しく記述されているとおりです。

「神はいるのか?いないのか?いるとすれば、どうしたら解るのか?」と、よく質問されますが、私はキリストのみ言葉をそのまま伝えます。

「神は→神の国は、あなたの心のただ中に在る」と!

聖霊に満たされた人々、神の愛に導かれた先人たちの死は、困難に打ち勝ち、苦難を乗り越えるに必要な希望と勇気を与えてくれます。

雲の垣間、日食(中井にて)

天路歴程(18)1冊の聖書(1)


鹿児島出身の伝道者、吉冨愛泉先生のことを先に少し触れましたが、先生からお聞きしたメッセージが心に残り追伸の形で書き足します。

佐賀県鳥栖の農村地帯の質素な藁葺き屋根の本当に小さな家に、先生は黒猫と2人で住んでいました。

がらんとした家の中に目ぼしい家具類も無く、井戸と、黒ずんだ“おくどさん”(煮炊きする釜戸)と僅かな食器がぽつんと、土間の片隅に淋しそうに、ありました。

そんな生活の中で先生の支え、精神の拠り所は使い古した、一冊の聖書でした。

所々傷み、先生の細かい字がびっしり、書き込まれていたのを見ました。

先生の人生が凝縮している聖書でした。

思うに幼い日に我々の想像を超えた苛酷な生活を余儀なくされた先生の、心の深い傷を癒し、生きる力と希望をあたえてくれたのは、唯一聖書であり、キリストの生きたみ言葉ではなかっのか?と、胸を突かれた記憶が蘇って来ました。

先生は聖句を丹念にまるで何かに憑かれたように、霊読しておられたのです。

当時のキリストとお弟子たちの現実を目の当たりにしている緊張感がありました。

先生は「真理に触れられたら、この世に生を受けた深い意味と価値があります」とよく、話しておられました。

「聖書を深く読み込んで、み言葉を受肉する。

聖書の1ページ毎に噛み砕いて口の中に放り込み、それでキリストの神秘性に触れられたら?」と、真剣な眼差しで、じっと見つめられ鳥肌が立ったことがありました。

昨夜はなかなか寝付かれずに過ごしました。

これから先の教会の在り方存続、弟子たちの事などですが。

実は、吉冨先生に3人のお弟子がいました。彼らは先生と離ればなれになり、共に生活した様子はありませんでしたが。

先生は彼のお弟子達のためによく祈って居られました。キリストが弟子たちを愛したように。

ある日、3人のお弟子の2人を私に託されました。

先生はご自身の死後を考えておられたのだと!後の日、気付きましたが、私の力ではどうする事も出来ませんでした。

まだ未熟な私には重荷でした…

後に続きます。

2009-07-21

臓器の叫び

双子の兄を失った、残された弟の左の腎臓が今夜も叫ぶのです

わたしが燃え尽きるまであなたと運命を共にするのは構わないませんが

肝臓の長兄まであなたの身勝手な振る舞いで、
死の道連れには、しないで欲しいと

尿酸値、クレアチニンが高いのはわたしせいじゃない!
あなたの不始末です

静かな沈黙の長兄の肝臓は、あなたの不始末に黙々と耐えている
あなたは我々臓器の本当の働きに無知で在りすぎた

いい加減にしなさい!
わたしたちは誠実な働き者の臓器

神の使命があなたの真ならその使命をきちんと果たしなさい
わたしたち臓器の使命を真摯に学んだ上で、
独り善がりは、はた迷惑、極まりなし!



今夜、臓器からこっぴどく叱られました。
返す言葉がありません。
ここはしっかり彼らの叫びを真摯に受け止め、過ちを認め、新しい使命を全うする誓いを立てました!
伝道者に、二言無しです!

2009-06-12

死を恐れない信仰(2)使徒パウロの使命

聖書は、2000年以上の長い時を経て、なお新鮮さを失いません。

旧約聖書の記述を遡れば、膨大な時空を越えなければ理解出来ません

天地創造が出発点ですから。


新約聖書の中身を一箇所取り上げても、キリストの神秘性、聖霊の働きを人間が文字で説明することは至難の技です。

パウロの布教活動は、私の能力では100年書き続けても伝え切れません。

断片的な書き込みしか出来ませんが、
ネット教会を立ち上げた以上、責任があります。

前にも話しましたが、今回の入院がきっかけとなりました。

体力の低下は否定出来ません。


腹を真横に切ると筋肉を断ち切ることになります。また神経も切断されますから、なにも感じない部分がでます。

腹の傷跡の腫れが、ある程度引いても、神経が断ち切られていますから、なかなか元には戻りにくいです。

したがって腹に力が入らないのです。

パウロの話が脱線しましたが、何か余程の理由が無いと人間に転機は訪れないようです。

パウロの転機は前にも記述しましたが、キリスト教徒の迫害が、彼の重大な人生の転換点になりました。

彼の伝道活動範囲は、イスラエルの首都エルサレムからカイザリア、昔のマケドニア、最近までの地名ではバルカン半島、ユーゴスラビア、ルーマニア、ブルガリアからギリシヤ、クレテ、シチリア、イタリア ローマ、小アジアのアンテオケが第1回目の出発地でした。

彼はバルナバとマルコを伴いました。

使徒行伝には、エーゲ海を渡り、ヨーロッパに上陸し、マケドニアからギリシャのアテネから地中海沿岸を精力的に伝道活動しています。

幾多の迫害に遭ってもめげず、キリストの真理を確信して、30年に及ぶ伝道旅行に明け暮れました。

彼は天幕作りで生計を支えました。


伝説によると、人間的には健康に恵まれず、またその容貌もみすぼらしく、しかし信仰の豊かさにおいて人間的な欠陥は解決されたと。(コリントⅡ10:10、使徒行伝18:3、ピリピ4:11-13)に記述されています。
(つづく)
デューラー「四使徒(部分)」右がパウロ

2009-06-06

神の伝道者、吉冨愛泉先生(4)後ろ姿

当時、私が50代の血気盛んな頃は、吉冨先生の真の凄さ偉さは理解していませんでした。

若く生木のままでしたから、先生がいくら火をつけても、くすぶるばかりでした。

最近、謎解きの第三の残りの人生のスタートを切り、やっと先生の伝えたかった真意が肌に感じられるようになりました。

死の谷を越え、試練の錬獄を越えて初めて体感出来たのです。

神を知らずに危険に身を晒す人を救いたい一心」をです。

それが先生の福音伝道の基本だと気付かされました。

まだまだ使命は果たせます。

体は少し不自由になりましたが、代償の成果はネット教会の展開です

神の伝道者、吉冨愛泉先生(3)吉冨先生の死

先生は婿養子の方に遺言をしたと後でお聞きしました。
吉冨はひっそり死にたい。
誰にも通知してはならない。
私は虫の知らせで、息子さんに手紙を出しました。

受けとった返事に先生が91歳で静かに天に召されたとしたためてありました。

私への遺言は特にありませんでしたが、
もし連絡が来たら、吉冨は先に行く
と書かれていました。

思い返せば孤児同然の先生の生きざまは壮絶の一語に尽きます。

幼い日、空腹のあまり畑の土を食べて、飢えを凌ぎ、神に生涯を捧げた神の愛の伝道者でした。

私の生きざまは吉冨先生を抜きにしては語れないのです!

神の伝道者、吉冨愛泉先生(2)我が使命

九州伝道の時の吉冨先生の言葉です。
大きな教会堂
ステンドグラス
聖歌隊も
パイプオルガンも要りません。
有名な信者さんは、吉冨に似つかわしくありません。
素朴質素謙遜に徹した先生の生き様です。阿蘇で痛打を浴びました。
吉冨は、キリストを知らなかったです!恥ずかしい限りです。
たった今から飯田ヤコブ志朗さんの弟(おとうと)弟子にして下さい。
突然頭を下げられて一瞬言葉が出ませんでした。

90歳近い先生の一言はずしん!と腹に重く響きました。

キリスト者の歩く道を深く極めたお方に刻み込まれた貴重な一言を聞くための旅になったのです。

神は必要なお方を与えて下さいました。アーメン!ハレルヤ

神の伝道者、吉冨愛泉先生(1)

鹿児島県出身の伝道者、吉冨愛泉先生は、小学校も卒業しかなかったお方ですが、達筆で学識信仰の深いお方でした。

地の塩の箱の主催者江口榛一の親しい友人で、彼を最後まで支えた耳鼻咽喉科医の故藤原哲夫先生(日田市・藤原耳鼻咽喉科院長)とも親交を結び、藤原先生から吉冨先生紹介されました。

吉冨先生のすごいところは、四国をくまなく単身徒歩で伝道を果たしたことでした。

また農業に詳しく、当時としては珍しく一本のトマトの苗木から100個近い実を収穫したり、種無しブドウの種の作り方を農家の人々に教えて、神の福音を伝えました。

あだ名はホラ吹き愛泉でした。

彼は陰口を一向に気にせず、貧しい農民を呼び集めては、毎晩、農作物の増収の話を熱心に続けました。

少しずつ先生の話した成果が現れて来ました。

その時がお別れの時でした。

粗末な衣服貧乏のどん底を歩き続けましたから、ご自分でも「けちの吉冨」と、人々に言いふらしていましたが、先生は慕われました。

九州伝道に町田からよく行きました。

先生の質素な藁葺き屋根の小屋を訪ねた時、囲炉裏の前に座り静かに聖書を読んでいた首に黒い何か?巻き付いています。

側によって見ると黒ねこでした。

「温いばい!」質素の極みです!