地の塩の箱の主催者江口榛一の親しい友人で、彼を最後まで支えた耳鼻咽喉科医の故藤原哲夫先生(日田市・藤原耳鼻咽喉科院長) とも親交を結び、藤原先生から吉冨先生紹介されました。
吉冨先生のすごいところは、四国をくまなく単身徒歩で伝道を果たしたことでした。
また農業に詳しく、当時としては珍しく一本のトマトの苗木から100個近い実を収穫したり、種無しブドウの種の作り方を農家の人々に 教えて、神の福音を伝えました。
あだ名はホラ吹き愛泉でした。
彼は陰口を一向に気にせず、貧しい農民を呼び集めては、毎晩、農作物の増収の話を熱心に続けました。
少しずつ先生の話した成果が現れて来ました。
その時がお別れの時でした。
粗末な衣服貧乏のどん底を歩き続けましたから、ご自分でも「けちの吉冨」と、 人々に言いふらしていましたが、先生は慕われました。
九州伝道に町田からよく行きました。
先生の質素な藁葺き屋根の小屋を訪ねた時、囲炉裏の前に座り静かに聖書を読んでいた首に黒い何か? 巻き付いています。
側によって見ると黒ねこでした。
「温いばい!」質素の極みです!
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