2013-10-30

生命ふたたび

生命ふたたび(9)
─ある頸椎症患者の記録─

それから数日後のことである。たまたま私たちが留守にした日に突然訪ねて来た彼女は、私たちの集会所のある団地5階の、踊り場から下に身を投げた。本当に悲惨な状態であった。母親から緊急の知らせを聞いて、北里大学病院の救急医療センターに駆けつけた。一度目の自殺未遂の時には、私が持たせた十字架を握り締めていたという。しかし、二度目の奇跡は起きなかった。それから3日後の2000年(平成12年)9月29日(金)夜、午後10時31分、息をひきとった。24歳であった。

母親は顔をそむけて、遺体安置室に決して入ろうとはしなかった。私は胸が締め付けられ、苦しく、再び目をあけることのない彼女を、救えなかったことへの無念さに、強く唇をかみ締めていた。北里大学病院では、死亡診断書が書けないという。霊柩車に乗せられたMちゃんの遺体が運ばれた先が、今回私が手術を受けた、おか脳神経外科の一階の部屋であった。

Mちゃんの検死をしてくださった医師が、山下弘一先生であった。秋の夜の寒さつらさを、私は決して忘れてはいない。運命の不思議なめぐり合い、4月10日の手術は、岡伸夫院長先生とその山下弘一先生の手で行われ、私が救われたのである。天に帰ったあのMちゃんの私への恩返しかもしれないと、私は胸の奥底からこみ上げてくる熱いものを感じていた。

愛の樹ふるさとの家 日田の、日当たりのよい庭に、Mちゃんのための乙女の祈りの彫像が置かれ、その下に小さなお墓がある。私たちはここを、「Mちゃんのお花畑」と呼んでいる。天に帰ったMちゃんの、愛のメモリーである。
合掌


−治りました−

まず顕著な症状を以下に記します。

1、 両手足に生じていたあの恐ろしい激痛がウソのように消えた。
2、 両手の指のふるえがピタリと止まった。
3、 下着がまともに着られるようになった。
4、 胃の圧迫感が消えて働きがスムーズになった。温もりが出てきた。
5、 便秘がなくなった。
6、 両手両足の関節痛が消えた。
7、 右目の視力が回復してきた。
8、 血小板が増えた。
9、 水で手が洗えるようになった。

次にまだ改善されていない症状

1、 左右両手の感覚障害、冷感がある。
2、 両手の小指と薬指の痺れがあり、天候に左右される。
3、 左肩の筋肉痛が若干残っている。
4、 手術後に全身の骨が痛む。
以上
5月1日(術後20日)現在 あいかわ

(つづく)

「生命ふたたび」 2003年6月1日 発行 より

2013-10-28

エリさんへ

主にあるエリさんへ

今月12日の事故の件はどうなりましたか?

2つのことをオショチは心配しています。

先ず一つは、エリさんが加害者になっていないか?

二つ目は、リベラ牧師の引退はどうなったか?

この2つが解決しないと、エリさんも先へ進めないでしょう。

我が主は言われました。「解決は同時に行える」

問題はエリさんの覚悟です。
エリさんが引き起こした事故なら、保険会社がどうあろうとも
きちんと被害者に対する始末をすること。

次に、リベラ牧師、ダド牧師を含めた心からなる和解が与えられているかどうか。

2つの事態の解決へのキーポイントは、ただエリさんの誠意にある。

道は険しくても、後ろ指を差されないようにきちんとした対策を取ること。
その決意があれば、主がエリさんに『勇気と力と知恵』を
与えて下さいます。

以上 簡潔にまとめて出来るだけ早く(1週間以内に)オショチ宛てに返信して下さい。
教会内の細かい処理、手続きなどは、此方には不要です。

今回の警告を通して、エリさんが立ち直ることを信じています。

今回のエリさんの体験は、霊的成長に欠かせない神からの最高の贈り物と、受け止めてください。

最後に、オショチとエスピナの体調は良い方向に向かっています。エスピナの末娘のティンティンがフェイスブックを始めるかも知れません。その時は知らせます。

エリさんと家族のために主のご加護を祈ります オショチ

Dear Eli-san in the Lord,
How has it been the aftermath of the vehicular accident on 12th this month?

I am concerned about two matters.

First; If you have become an assailant in that accident or not

Second; What has become of the completion of the retirement of Rev. Marz Rivera.

I'm afraid you will not be able to step forward with these two problems unsolved.

My Lord said to me;"These two problems will be brought to settlement at the same time!"

Your resolution to carry it through is the key!

If it is you who caused the accident, it is badly necessary for you to deal with the aftermath and to take care the victims at heart by yourself, aside from the insurance company.
Are you yourself all right from the shock of the collision? We do hope so.

Next: wheather you have heartily made peace among all of you including you, Pastor Dado, Rev Rivela and others.

Your sincerity is the only key to settle these two matters.
However hard it seems to be, deal with these two problems properly not to be talked about behind your back.

If you have that resolution, the Lord surely gives you "the courage, the power and the wisdom" !

Please e-mail me your response clearly and briefly as soon as possible (in less than one week).
We don't need the explanations about the church management or administration and so on.

I believe you will regain your footing through the given warning.
Take these experiences you are now going through as the most precious gift from God for your spiritual growth.

Now I will tell you some good news; our physical condition ,both Espina and myself, is getting better.
Tintin, Espina-san's youngest daughter may get an account of the Facebook for her father. We'll let you know about it,when she does.

We pray God's grace be with you and family. Oshochi

‖エデンの園‖

‖エデンの園‖
神は東ほうにあるエデンに、一つの園をつくり、そこに人を住ませました。そこには、美しい木や、おいしい実のなる木などがしげっていました。そして園のまんなかには"命の木"と"善と悪を知る木"がはえていました。

一つの川がエデンから流れでて園をうるおし、そこからわかれて四つの川となっていました。
第一の川はピソンと呼ばれ、第二の川はギホン、第三の川はヒデケル、第四の川はユーフラテスと呼ばれていました。神はエデンの園にひとをつれていって住まわせ、園のせわをさせたり、番をさせたりしました。そして「おまえは園のどの木の実でもすきなようにたべなさい。しかし「""善と悪を知る木"の実だけは食べてはいけない。それを食べたら、きっと死ぬことになるから」と言われました。また「ひとがひとりでいるのはよくない。わたくしはひとのために相手をつくってやろうと言われました。けれどもまずはじめに、野のすべてのけもの、空のすべての鳥をひとのまえにつれてきて、ひとがけものゃ鳥になんと名づけるかごらんになりました。」

2013-10-27

今週の聖句 10月27日〜11月2日

詩篇 118篇

主に感謝せよ、主は恵みふかく、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

イスラエルは言え、
「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。

アロンの家は言え、
「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。

主をおそれる者は言え、
「そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と。

わたしが悩みのなかから主を呼ぶと、
主は答えて、わたしを広い所に置かれた。

主がわたしに味方されるので、
恐れることはない。
人はわたしに何をなし得ようか。

主はわたしに味方し、わたしを助けられるので、
わたしを憎む者についての願いを見るであろう。

主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。

主に寄り頼むはもろもろの君にたよるよりも良い。

もろもろの国民はわたしを囲んだ。
わたしは主のみ名によって彼らを滅ぼす。

彼らはわたしを囲んだ、わたしを囲んだ。
わたしは主のみ名によって彼らを滅ぼす。

彼らは蜂のようにわたしを囲み、
いばらの火のように燃えたった。
わたしは主のみ名によって彼らを滅ぼす。

わたしはひどく押されて倒れようとしたが、
主はわたしを助けられた。

主はわが力、わが歌であって、
わが救となられた。

聞け、勝利の喜ばしい歌が正しい者の天幕にある。
「主の右の手は勇ましいはたらきをなし、

主の右の手は高くあがり、
主の右の手は勇ましいはたらきをなす」。

わたしは死ぬことなく、生きながらえて、
主のみわざを物語るであろう。

主はいたくわたしを懲らされたが、
死にはわたされなかった。

わたしのために義の門を開け、
わたしはその内にはいって、主に感謝しよう。

これは主の門である。
正しい者はその内にはいるであろう。

わたしはあなたに感謝します。
あなたがわたしに答えて、わが救となられたことを。

家造りらの捨てた石は
隅のかしら石となった。

これは主のなされた事で
われらの目には驚くべき事である。

これは主が設けられた日であって、
われらはこの日に喜び楽しむであろう。

主よ、どうぞわれらをお救いください。
主よ、どうぞわれらを栄えさせてください。

主のみ名によってはいる者はさいわいである。
われらは主の家からあなたをたたえます。

主は神であって、われらを照された。
枝を携えて祭の行列を祭壇の角にまで進ませよ。

あなたはわが神、わたしはあなたに感謝します。
あなたはわが神、わたしはあなたをあがめます。

主に感謝せよ、主は恵みふかく、
そのいつくしみはとこしえに
絶えることがない。

2013-10-26

生命ふたたび�

生命ふたたび(8)
─ある頸椎症患者の記録─

−回想(2)Mちゃんの恩返し−

もうひとつ、不思議な出来事がある。私は当時、横浜の綱島で、小さな子供たちを集めて日曜学校を開いていた。その中に、Mちゃんというかわいい女の子がいた。4歳だった。私が彼女に再会したのは、それから17年後であった。それまで音信不通の彼女が、ひょっこり教会に私を訪ねて来た。

Mちゃんは、私が胸にかけていた十字架に目をやると、どうしてもそれがほしいとおねだりした。Mちゃんの首に私の十字架をかけてやると、満面に喜びをたたえて「ありがとう、おしょうさん」と礼を述べ帰っていった。それから間もなくのことである。自宅近くのマンションの三階から彼女は飛び降り、重症だという知らせを母親から受けた。びっくりして病院に飛んでいった。

教会の弟子を連れて行き、朝方まで待合室で彼女の回復を祈り続けた。それから何日かたって、また病室に来て欲しいと言う連絡があった。母親とMちゃんが私を待っていた。彼女は「おしょうさん、私は洗礼を受けたい」と言い出した。母親も同意した。私はMちゃんにはっきり言った。「もう二度とこういうことはしない、と約束するなら、洗礼式をしましょう」。彼女は「はい!もう絶対に自殺はしません」と誓いを立ててくれた。

弟子立会いの、小さな5人だけの洗礼式となった。場所は横浜労災病院の上階の個室であった。受洗日は1998年(平成10年)3月4日(水)午後である。それまで彼女は、キリスト教の新興宗教の○○教の熱心な信者であったという。いろんな宗教に首を突っ込んでいたらしい。母親が「この子のために随分出費がある」とこぼしていた。わけもなく得体の知れない診療所に行き、治療を受けて帰ってきて、カウンセラーの指導料が一回につき数万円だという。

日を追うにしたがって彼女は回復し、ようやく普通の明るい娘になってきた。集会に来ては、カレーライスやカマンベールチーズがおいしいと言って、目を輝かせていた。

ある日、暗い顔をして彼女が集会に来た。聞くと、今朝母親と言い争いをしたという。精神科のドクターから薬を飲め飲めと言われた。薬の服用がつらいのに、母親がドクターの言いつけ通り、「私のつらさにおかまいなく薬を飲ませるので苦しい」と訴えた。トイレか洗面所で薬を吐き出しているところを母親に見つかり、いっそう監視の目が厳しくなったと涙をこぼした。その時うかつにも、私たちは彼女の本当のつらさを見逃していた。

(つづく)

「生命ふたたび」 2003年6月1日 発行 より

2013-10-24

クリオン島エスピナさんと会話出来た

〓くれて嬉しい〓
ととても喜んで
とてもいい声でした。

腎臓の方は良くはないようだけれど、落ち着いてはいる様子。

息子は代わりの人がまだいなくて、離れられないので、10月帰国は無理で、多分11月に延期になる。
マニラに迎えに行ったインダイ達は土曜日朝帰ってくる。

看護師になった末娘のティンティンはインターネットが得意なので、エスピナさんのためにfacebookへの登録は、どうもニーニャからティンティンにバトンタッチされた様子。

ティンティンはいつも愛の樹に感謝している。アガペ教育プログラムのお陰でカレッジまで行かれて看護師になれた。

最初の2年間はクリオンの病院に奉職。
そのあとは?日本で!と、エスピナさんの夢!

エスピナさんがオショチの夢で、オショチの隣に寝ていて、会えてとても喜んでいた、こと話したら

そうだろう、いつもいつも祈っているから。
オショチはきっと長生きして下さる!ずっと祷り続けている†から

と。

中井のイエスさまの十字架の鐘〓の話をして、今日はそのために中井に行って来た、と話したら、
あの庭に!
覚えている覚えている!
鐘〓が付いたら是非、見て音色を聴きに来てね!と話しました。
嬉しそうでした。

何しろ話せたこと
心底とてもとても喜んでいました。

元気な声でホッとしました(^O^)

みんなによろしく伝えて下さいm(__)m


カズコ

2013-10-23

ミッション

生命ふたたび(7)
─ある頸椎症患者の記録─

−回想(1)−

つくづく思うことがある。小さな家庭にしろ、会社あるいは国家にしろ、先頭に立つ人の人間性、人はこれに深い影響を受けている。よくも悪くもである。たとえそれがどういうところであっても、人の目の届かないところに、痛む者へのやさしい心づかい、息づかいがあれば、それは全体の人格を表す。

痛みは、悪いことばかりではなかった。この体の中から、深いところから湧き上がる、確かな手ごたえがあった。それは愛の樹ふるさとの家 日田の、そして私たちが近い将来実現を願っている、「愛の樹ふるさとの家診療所」の開設への一歩となった。

その基本は、ディアコニア(奉仕)である。もっと深くは、イエス・キリストの弟子たちへの遺訓の中に含まれている。

私たち小さなグループの、第二幕が開いたのである。一人の弟子を福祉先進国の欧米に派遣し、短い期間ではあったが、現状の長所短所を学ばせた。その上でまず、数名の者たちにホームヘルパー二級の資格を取得させ、丹沢の山が見渡せる高台の、静かな環境の中に土地を求め、ふるさとの家を建設した。だが、何かが足りない。

私たちの愛の会は、発足するまでの22年間は、伝道に励んでいた。ドヤ街に身を投げた。その中で元獣医師のMKさん、愛称マーちゃん(当時60歳)を横浜・寿町のドヤ街から救い出したり、刑務所を出所したばかりのKJ兄(当時57歳)を、「地の塩の箱」の江口木綿子さんに頼まれ引き受け、起居を共にしたこともあった。そういう生活の連続の中で、私の体,肝臓は蝕まれていったのである。

ある日、マーちゃんが突然血を吐いて倒れた。町田市の伊藤病院に担ぎこんだ。そこで聖マリアンナ医科大学(今回私の手術を担当してくださった山下先生の母校でもある)から来ておられた、外科医福田護先生に出会い、同大学病院で緊急手術を受けることになった。

身寄りのない彼の、私がただ一人の身内であった。1988年(昭和63年)4月13日(水)、福田先生より電話をいただいた。マーちゃんの胃がんの手術は心臓に危険性があるため、手術の時期について検討中であると、出来れば翌月半ばに延期したいと伝えられた。

しかし、4月15日(金)、内科の外園医師から「心臓弁膜症があるが手術に耐えられる。腎臓も支障ない」と改めて言われた。2日前は不可能であった。ドクターから、マーちゃんの持っていたタバコを取り上げるように言われ、私は彼からタバコを取り上げた。

4月19日(火)、外科医福田先生に、聖マリアンナ医科大学病院の医務室に呼ばれた。福田先生は私に、「これから手術を行いますが、やはり危険が伴うので、成功するように待合室でお祈りしてください」と言われた。

先生は手術の前に牧師である私に「神癒がありますように」と感動的なメッセージをくださった。むろん、私はそのつもりであったし、この手術は成功するであろうことをその時、確信した。

数時間たって、福田先生に呼ばれた。マーちゃんの切り取った胃袋を見た。まずその第一印象は、でこぼこの胃の中に広がったイソギンチャクのようなものだと感じた。大きいので15ミリ、小さいので5ミリくらい、小さな月面クレーターのようにも見えた。私が生まれて初めて見た、恐しい胃がんの実物であった。

その福田先生は今、大学病院の外科学(乳腺内分泌外科)の教授をしておられると聞いた。

(つづく)

「生命ふたたび」2003年6月1日発行 より

2013-10-22

山羊さん

先日、テレビ、新聞記事に掲載された、雑草処理係の山羊さんに会いに行きました。早朝人気もなく近寄ってみましたら厳重な柵に囲まれていました。大きな山羊さんが四頭、これなら大食だと思います。白いテントが二ヶ所。床は二段階、下は隠れ家、上は見張り台?水飲み場らしきものがありました。


町田市山崎団地の真ん中辺りです。いずれ道路になる草ぼうぼうの予定地です〓〓
朝早く起きた甲斐がありました。写真は古い携帯電話のカメラ〓ですから不鮮明です(^^ゞ

2013-10-20

今週の聖句 10月20日〜26日

詩篇 117篇

もろもろの国よ、主をほめたたえよ。
もろもろの民よ、主をたたえまつれ。

われらに賜わるそのいつくしみは大きいからである。
主のまことはとこしえに絶えることがない。
主をほめたたえよ。

2013-10-19

遺書

生命ふたたび(6)
─ある頸椎症患者の記録─

−遺書−

博多にいる"弟"田中道孝君から聞いたこともあったし、色々考えて私は遺書をしたためた。今にして思えば「滑稽」なことであるが、3月1日以前は、手術そのものが捨て身の覚悟でなければ、私自身が納得しなかった。

遺書は、「愛の樹」グループ愛の会(教会)、NGOフィリピン・クリオン島を助ける愛の会、愛の樹ふるさとの家 日田、それぞれに関して、弟子、親しい友人、家族に対して宛てられた。

そのほかに、クリオン島のアガペ教育プログラムの教育費受給生1600人の子供たちとその家族宛て、彼らの世話をしているクリオン愛の会のリーダーである、弟子でクリオン市議のフランシスコ・エスピナ兄、また、マニラにいる息子と私が呼んでいる、エリエゼール・M・パスクア主教(フィリピン・キリスト合同教会南ルソン管区主教)などに宛てたものである。

私が「死んだら」いかにしてこの会を維持するか、細かいことを、運営方法、維持などについても触れた。そのためにも、「愛の樹」のマグナカルタ、仲間の兄弟姉妹の和合、ルールの厳守などを書き記した。その遺書を弟子に託し、万が一の時公表するように伝えた。それほど、私は追いつめられていたのである。

自分一人ではとても生きられない。何一つするにも、仲間の協力がなければ何も動かないということを、改めて思い知った。人間は、一人では生きられない動物だ。

−生きた一言−

少し話しは変わるが、ICUのベッドの上に横たわっている時、看護副部長さんがポツンと言われた。
「私に信仰心は無いけれど、奇跡は信じます。癒されていく奇跡を、たくさん見てきましたから」。
感動的な、生きた言葉であった。彼女は付け加えた、「自分の中にある、生きる力を信じてください」と。

翌朝自室に戻る時、心にしっかり刻みこんだこの言葉に対して、感謝の言葉を私は伝えた。すると彼女は、「いいえ、私こそ、患者さんたちから多くのことを学んでいるのですよ」と言葉を返された。

(つづく)

「生命ふたたび」 2003年6月1日発行 より

2013-10-18

アンジェラスの鐘

"祇園精舎の鐘の音。諸行無常の響きあり"。
「アンジェラスの鐘〓の響きは神えの讚美と感謝の祈り†。亡き人々へのレクイエムの響きです〓」

2013-10-16

肝臓さん

生命ふたたび(5)
─ある頸椎症患者の記録─

−肝臓さん−

手術の翌日、11日のお昼、おかゆが出た。軟らかい野菜が添えてある。少しずつ喉に流しこんだ。手術の時に喉に差しこんだ管の傷跡が痛い。飲みこむのが大変だったが、体力をつけるために必死に胃に流しこんだ。

肝臓の治療については、毎週、治療してくださっている松浦知和先生から、岡院長先生へメッセージが伝えられていた。そのメッセージが徹底されていて、「生理食塩水」100�に「強力ミノファーゲン」40�を混ぜて、朝夕2回、点滴していただいた。

手術から4日後の日曜日の夜、突然、体にひどいじん麻疹が出た。月面のクレーターのような赤いでこぼこが、全身に出た。ものすごいかゆみである。若いナースの方が、私の体の異常に気づくと、すぐ院長先生の下に走った。院長先生のすばやい処置、「生理食塩水に強力ミノファーゲンを混ぜた点滴」を、3時間かけて静脈に流しこんだ。それから少しずつかゆみが治まり、完全にじん麻疹が消えるまで10日間位かかったが、きれいに消えた。

退院前に採血した検査結果ではGOT、GPTがともに60台に、血小板7万2千に回復していた。手術による全身麻酔イコール肝不全の危険性など間接的に聞き、心配をしていたが、これは「杞憂」であった。

3月1日、岡院長先生のご説明を受けた後、麻酔科医の中田先生の部屋に呼ばれた。私の関心事は、手術での肝臓のダメージによる肝機能の低下、血小板が少ないことの出血などについて、専門医の立場から説明していただくことにあった。

私は単刀直入に先生にお聞きした。「私のような悪条件の患者の場合、このような手術は可能でしょうか?」彼は、岡院長先生と同じように、確信に満ちて「大丈夫です」と、まず答えてくださった。
「うちの院長先生の場合、頸椎症のオペではほとんど出血しません。しかしあなたの場合、ひょっとしたら100�、あるいはもう少し出血があるかもしれません」。
「事前に自己血液の保存は必要でしょうか?」「いや、大丈夫です」
「血小板の補充は?」「コストが高くつくし、その必要はありません」。
短い質問に短く、明快な回答が与えられた。

──さあ、全ての準備は整った。4月10日よ、早く来い!
待ち遠しい日になった。この日から、つまり3月1日から4月10日までの40日間が、私にとって一つの闘いになったことも事実である。
痛みに耐え切れない場合の緊急手術のことも含めて、70年間の私の人生の総決算が与えられた。我が人生の心構えを、その日が一変することになろうとは、その日以前考えつかなかった。

(つづく)

「生命ふたたび」(2003年6月1日発行)より

2013-10-15

詩・色彩

(トマト)
トマトは太陽の子供/真っ赤な色の着物を着ている。
(オオイヌノフグリ)
オオイヌノフグリは/染め物屋の子供/空の蒼で体を染めている。

(あの人は)
黒染めの衣を
白衣に変えた/
神様から頂いた/天使の色。

(無色)
まだ 産まれない
命/この世の手垢に染まらない色。
(羽衣)
天女の羽衣は/
虹の松原の深みどり

(猜疑心)
幽界の色/心の晴れ間を知らず/
閉じ込められた色
(愛)
静かな色/
誰もが望む/
美くしい色

(天漏り)
ざぁー!と降り注ぐ色/説明出来ない色
詩:オショチ

詩:色彩

�トマト
�オオイヌノフグリす�あの人は墨染の衣を白衣に変えた

�無色
�天の羽衣
�猜疑心
�愛の色
�天漏り

2013-10-13

今週の聖句 10月13日〜19日

詩篇 116篇

わたしは主を愛する。
主はわが声と、わが願いとを聞かれたからである。

主はわたしに耳を傾けられたので、
わたしは生きるかぎり主を呼びまつるであろう。

死の綱がわたしを取り巻き、
陰府の苦しみがわたしを捕えた。
わたしは悩みと悲しみにあった。

その時わたしは主のみ名を呼んだ。
「主よ、どうぞわたしをお救いください」と。

主は恵みふかく、正しくいらせられ、
われらの神はあわれみに富まれる。

主は無学な者を守られる。
わたしが低くされたとき、主はわたしを救われた。

わが魂よ、おまえの平安に帰るがよい。
主は豊かにおまえをあしらわれたからである。

あなたはわたしの魂を死から、わたしの目を涙から、
わたしの足をつまずきから助け出されました。

わたしは生ける者の地で、主のみ前に歩みます。

「わたしは大いに悩んだ」と言った時にもなお信じた。

わたしは驚きあわてたときに言った、
「すべての人は当にならぬ者である」と。

わたしに賜わったもろもろの恵みについて、
どうして主に報いることができようか。

わたしは救の杯をあげて、
主のみ名を呼ぶ。

わたしはすべての民の前で、
主にわが誓いをつぐなおう。

主の聖徒の死はそのみ前において尊い。

主よ、わたしはあなたのしもべです。
わたしはあなたのしもべ、あなたのはしための子です。
あなたはわたしのなわめを解かれました。

わたしは感謝のいけにえをあなたにささげて、
主のみ名を呼びます。

わたしはすべての民の前で
主にわが誓いをつぐないます。

エルサレムよ、あなたの中で、
主の家の大庭の中で、これをつぐないます。
主をほめたたえよ。

2013-10-12

生命ふたたび�

生命ふたたび(4)
─ある頸椎症患者の記録─


私にとって今回の手術は、思いこみもあるが、大手術だと考えていた。だが翌朝、私自身、自分でも目を見張るような奇跡を体験した。

手術を受けたのが4月10日(木)の午後1時から7時半近くまで、それから一晩ICU(回復室)にいて、自室に戻るための処置を受け、試しに水を飲んで異常がないことが確かめられると、翌朝には車椅子で201号の自室に戻された。ナースの方が居なくなって、私はそろりとベッドから起き上がり、段差のある部屋の中のトイレに入ってみた。オシッコをした。激痛が走って、真っ赤な血の塊が出てきた。

それからそっと廊下に出てみた。まず、すぐ近くにあるティー・コーナーに向かった。距離にして約10メートルか。窓の外に、まぶしいほどの木々の若葉が、目に飛びこんできた。それから手すり伝いに、廊下を少しずつ歩いてみた。首の右側の傷口に、大きな絆創膏が貼ってある。保護のために、首にウレタン製の青いソフトカラーが巻いてある。3メートル位先しか下を見られないが、手すりと廊下の床の高さを、勘を頼りに歩いた。

昨夜、私がすべりこんだ手術室の前まで来て、あの電光標示板を見つめていた。ゆっくり歩いていると、「まあ、びっくり!」と若いナースの方に声をかけられた。「無理しないでくださいね」。

私がふと道孝君のことを…その痛みが、伝わったのは、その声を聞いた瞬間である(後で、私たちが取り交わしたメールの記録をお知らせしたいと思います)。
彼から来た私の携帯電話のメールの中に、「えっ、まさか! これは奇跡です」という驚きの言葉が綴られていた。第一、私自身が、あの大手術の直後に歩行可能だとは、夢にも考えていなかったのである。

注意しなければならない私自身の大切な役目を、岡院長先生から伝えられた。
「転ばないこと」。転んだら、私にとって少し大げさな言い方をすれば、一巻の終わりである。はめこんだばかりのボルトが、転んだショックで外れて、喉に突き刺さったら、そう思うと足がすくんでしまった。しかし、慣れとはすごいものである。日が経つうちに、その恐怖心はだんだん薄れてしまった。が、人が近づくと急に怖くなったりした。

もう一度、改めて思うことがある。驚異的な高度な外科医術の進歩。そして、その技術を裏付けてくださる外科医の存在がなければ、医療行為がなければ、私の現在は悲惨な結果になっていたはずである。

長時間に渡る手術、それには慎重な計画、緻密なメスの使い方、精神の集中力、体力、外科医の技量、濃密な人間性、全てが総動員される。私が経験した生々しい「奇跡」には、深い深い先生たちの「人格の裏付け」があればこそであった。

(つづく)

「生命ふたたび」2003年6月1日発行より抜粋

2013-10-06

今週の聖句 10月6日〜12日

詩篇 115篇

主よ、栄光を
われらにではなく、われらにではなく、
あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、
ただ、み名にのみ帰してください。

なにゆえ、もろもろの国民は言うのでしょう、
「彼らの神はどこにいるのか」と。

われらの神は天にいらせられる。
神はみこころにかなうすべての事を行われる。

彼らの偶像はしろがねと、こがねで、
人の手のわざである。

それは口があっても語ることができない。
目があっても見ることができない。

耳があっても聞くことができない。
鼻があってもかぐことができない。

手があっても取ることができない。
足があっても歩くことができない。
また、のどから声を出すこともできない。

これを造る者と、これに信頼する者とはみな、
これと等しい者になる。

イスラエルよ、主に信頼せよ。
主は彼らの助け、また彼らの盾である。

アロンの家よ、主に信頼せよ。
主は彼らの助け、また彼らの盾である。

主を恐れる者よ、主に信頼せよ。
主は彼らの助け、また彼らの盾である。

主はわれらをみこころにとめられた。
主はわれらを恵み、イスラエルの家を恵み、
アロンの家を恵み、

また、小さい者も、大いなる者も、
主を恐れる者を恵まれる。

どうか、主があなたがたを増し加え、
あなたがたと、あなたがたの子孫とを
増し加えられるように。

天地を造られた主によって
あなたがたが恵まれるように。

天は主の天である。
しかし地は人の子らに与えられた。

死んだ者も、音なき所に下る者も、
主をほめたたえることはない。

しかし、われらは今より、とこしえに至るまで、
主をほめまつるであろう。
主をほめたたえよ。

2013-10-05

孤高の伝道者�

孤高の伝道者(2)−
6歳から12歳までの間の空白を聞くことができました。先生は無賃乗車をして大阪まで行ったのです。
警察に保護された幼い少年の身元引受人は、桃谷順天堂の社長さんでした。教育の機会に恵まれぬ少年は、そこで初めて学ぶ機会を与えられたのです。生涯忘れられない恩人。「桃谷先生」と吉冨先生は事あるごとに話してくれました。
先生の学歴は小学校卒でしたが、これで十分役に立つ!と言われていました。事実、驚くほどの博識と、教養を身に付けていました。達筆でした。
吉冨先生は人様から受けた恩のすべてを、信仰者らしく神を通して形を変えて人々に返していきました。

鹿児島県肝属郡串良町の消防団長、玉木さん。(私は直接、ご主人と面識はありませんが)奥さんの玉木シツ子さんから、ご主人の回心のエピソードを聞きました。信仰の証のハーモニカを形見に譲り受けました。60年はたっている代物だと思います。私は今でもそれを大切にしています。小さな集会の時、神への感謝が込み上げてきた時、60年前のハーモニカで讃美歌を吹奏します。

ハーモニカのいわれはこうです。
町一番の頑固者、決して神を信じない男と言われた玉木シツ子さんのご主人、玉木消防団長は、先生の真心に打たれ吉冨先生から、洗礼を受けます。神に生涯を捧げ決心をしました。
町の人々が驚きました。無神論者のあの頑固オヤジが教会堂を建てた。牧師のいない教会です。神を信じる信者たちの祈りの結晶でした。ハーモニカは讃美歌の吹奏に買い求めたと言うことでした。思いがけない頂き物になりました。吉冨先生の心の奥底には、人間の常識を超えた超在的な力が働いているとしか思えませんでした。

九州伝道の折り、当時、吉冨先生が住んでおられた佐賀県鳥栖市の村の外れの小さな藁葺きの一軒家を訪ねたことがあります。

冬の寒い夜でした。しんしんと凍りつく夜、一軒家にポツンと灯がともり、部屋の中に入って行くと、裸電球の下で、囲炉裏の前で聖書を読んでいる吉冨先生の姿を目にしました。

土間付きの一部屋、土間の奥に内井戸と小さな炊事場があり、お椀が2個、目につきました。私が来たのも気が付かないようで、最初は聖書を読んでいると思ったのですが、眠っておられたのです。その肩に黒い毛皮が見えます。何だろうと?近寄ってみると、猫が吉冨先生の首を温めていたのです。

やがて目が覚めた吉冨先生は「いつ来られたとですか?」と、少し恥ずかしそうに語りかけてくれました。
「このエリマキ猫ちゃんはどうしてこう上手に吉冨先生の首に巻きついているのでしょう?」と聞くと、
「小さな捨て猫だったこの子が私の家族ですたい。この子なりに何か恩返しがしたくて、寒い夜はいつの間にか肩に乗って私の首を温めてくれる猫湯たんぽですたい。」

猫ちゃんの顔を見ると私を全く気にしない様子でそのままの姿勢を保ち続けていました。一事が万事、このような有り様ですから、平凡な人間にはとても真似の出来ないことだとつくづく思いました。
「これからどこへ行きなさる?」
私は「当てがありません」と答えました。
「ほんじゃぁ、わしも一緒に連れて行ってくれませんかのう?」

「先生、この猫ちゃんはどうします?」

「この子は自分で生きる知恵を身につけておるけん、心配はいらんですたい。」
それから当てのない九州への伝道の旅が始まります。

続きます。

2013-10-02

生命ふたたび�

生命ふたたび
─ある頸椎症患者の記録─

−ICU(回復室)にて−

尿管が差しこまれているとも知らずに、オシッコが出たくて痛くて思わず声を出した。小さな子供のように、「オシッコがもれるよう!痛いよう!」
寝ずに看護を続けてくださっている看護副部長さんが「大丈夫。もれないから」と、何度も優しく説明してくださった。が、また「もれるよう! 痛いよう!」
「朝、院長先生がお見えになったら尿管がとれるかもね。それまでのがまんですよ!」

同室に、私を含めて4人いた。苦しそうなせきが一晩中聞こえた。痰が喉につまっているらしい。私も苦しい。なぜ痰がでるのか何度も質問した。「それはね。全身麻酔をしたでしょう。そのためなのよ!」「痰を出しなさいね! がんばってね! 気管支から肺に入ると大変よ!」

彼女は肺炎、感染症、肝硬変などによるあらゆる危険から私を守り続けてくださった。小さな懐中電灯で目の中を時々調べ、血液の酸素量、酸素マスク、センサーの脱落など、気が遠くなるほどの処置を朝まで続けてくださった。若いナースの方も真剣そのもの、一寸した異変に目配りをしてくださった。

痰が止まり、尿管の痛みがとれたら「どんなに幸福かなあ!」と私はひたすら、朝と院長先生の姿を待ち続けたのである。

−手術−

喉の右を8センチくらい切り開いて、手術が進められた。
「動脈、複雑な神経、食道などの様々な器官を痛めないように、左右に分けて慎重にやります。拡大スコープを使用します。患部が1ヵ所ならば3時間で済みますが、3ヵ所あるので5時間はかかります。しかし、もし何か他に異常があれば、もう少し長くなるかもしれません」
手術前に岡院長先生から、何度も何度も丁寧に説明していただいたので、「不安、恐れは皆無」であった。

執刀は脳神経外科医の院長、岡伸夫先生、それに山下弘一先生が加わった。「私も今夜お手伝いします」と、笑顔のやさしい若い女性が、手術前に声をかけてくださった。麻酔科医の中田先生の事前の説明は、手術に対する私の精神的な負担を完全に吹き飛ばしていた。

これは、手術室という名の「聖域」で行われた、わが人生の何幕目かの大ドラマでもあった。

「院長の手術は完全です。神技です」と翌朝そっと教えてくださったのは、山下弘一先生とナースの方々であった。わたしは深くうなずいた。アーメンである。

話はさかのぼるが、3月1日(土)、少し緊張気味な面持ちで初診を受けた患者の私に、岡院長先生は、全身に温かさをにじませて応対してくださった。謙虚なその態度に触れて、「このお方に出会うためにここまできたのか!」と感無量であった。

長年、C型肝炎と肝硬変の治療に熱意を注いでくださった、主治医である東京慈恵会医科大学付属病院の消化器・肝臓内科の教授、戸田剛太郎先生やスタッフの方々、特に今、身近に毎週治療を受けている松浦知和先生のお姿と、岡院長先生が重なった。

(つづく)

2013-10-01

チャップリンと政治家

ニュース番組を見ていますが、テレビ放送は各社、画一的な画面ばかり。リーダーの記者会見の政策ビジョンが、心の琴線に触れないのです。単なる批判は無責任だと思い控えます。
「しかし何故?と自問自答しています。言葉のレトリックを感じます。」

話題をガラっと変えます。喜劇王、チャップリンは、世界中の観客に幸せや感動を与えました。子供達や家族、様々人々に幸せを懸命に、映画と言う手段で伝えました。そのおどけた仕草、役者の奥に秘められた、チャップリンの努力。苦難。人間としての尊厳。深み。温もり。優しさ。誠実さに感動します。
政治家も、国民に感動を与える政策を、実現不可能だとは思いません!チャップリンに学ぶことがたくさん在ると思いますが?如何でしょうか? 独り言でした