2013-08-31

再・シカゴのえりさんへ

主にありて†
久しぶりのメール見ました。先ずえりさんが、様々な試練を乗り越えていることに敬意を表し、健全な活躍を嬉しく思います。今年シカゴの教会から届いたカレンダーを見ました。
オショチ†(お処置?2ndニックネーム)の写真の裏側にリベラ牧師と家族の写真がありました。彼なりに複雑な思いが在ると思います。 引退の花道は、聖職らしい、神のしもべとして神と人びとに祝福されるよう、悔いが残らぬように祈ります†

跡を引き継ぐえりさんに神の祝福とご加護を併せて祈ります†

早くプレシーがアメリカに行けますように祈ります†(決まったら直ぐ、知らせください)

ミッション!
新約聖書の使徒パウロの書簡は 使徒行伝からヘブル人への書簡まで終始一貫しています。彼は如何なる逆境でも失望せず、人びとの救われることを心から願いました。彼の熾烈な試練を支えたのは、えりさんも識るとおり「聖霊の愛」でした。教会は人間関係が微妙ですね。 聖職者が信者の心を意の儘に、不純な支配欲で満たすところではありません。神の至聖所です†


使徒パウロがコリントの教会に送った書簡は教会内での醜い争いが絶えない以上、あなた方は相変わらず(エゴイスト→肉の人間)で、ただの人として歩んでいる。……。と厳しく指摘しています。仮にですが、聖職に在るものが
「過信して自分の知恵を本当の知恵在るもののように錯覚し、自分勝手な勢力、派閥作りを考えているならそれは神の前では愚かなものだ!神は知恵のある者たちをその悪賢しこさによって捕える。」(オショチ†の意訳)第一コリント:3。

えりさんの誠実さに反感を抱く人びとが居ると思いますが使徒パウロのように貫いてください!クリオン島のエスピナさんと、バタンガスの家族、えりさん、中井の皆を又結ばれた神に感謝の祈りを捧げます。エスピナさんの娘、ニーニヤとカズコにも、シャローム†
オショチ†

シカゴのえりさんへ

主にありて†
久しぶりのメール見ました。先ずえりさんが、様々な試練を乗り越えていることに敬意を表し、健全な活躍を嬉しくます。今年シカゴの教会から届いたカレンダーを見ました。
オショチ†(お処置?2ndニックネーム)の写真の裏側にリベラ牧師と家族の写真がありました。彼なりに複雑な思いが在ると思います。 引退の花道は、聖職らしい、神のしもべとして神と人びとに祝福されるよう、悔いが残らぬように祈ります†

跡を引き継ぐえりさんに神の祝福とご加護を併せて祈ります†

早くプレシーがアメリカに行けますように祈ります†(決まったら直ぐ、知らせください)

ミッション!
新約聖書の使徒パウロの書簡は 使徒行伝からヘブル人への書簡まで終始一貫しています。彼は如何なる逆境でも失望せず、人びとの救われることを心から願いました。彼の熾烈な試練を支えたのは、えりさんも識るとおり「聖霊の愛」でした。教会は人間関係が微妙ですね。 聖職者が信者の心を意の儘に、不純な支配欲で満たすところではありません。神の至聖所です†


使徒パウロがコリントの教会に送った書簡は教会内での醜い争いが絶えない以上、あなた方は相変わらず(エゴイスト→肉の人間)で、ただの人として歩んでいる。……。と厳しく指摘しています。仮にですが、聖職に在るものが
「過信して自分の知恵を本当の知恵在るもののように錯覚し、自分勝手な勢力、派閥作りを考えているならそれは神の前では愚かなものだ!神は知恵のある者たちをその悪賢しこさによって捕える。」(オショチ†の意訳)第一コリント:3。

えりさんの誠実さに反感を抱く人びとが居ると思いますが使徒パウロのように貫いてください!クリオン島のエスピナさんと、バタンガスの家族、えりさん、中井の皆を又結ばれた神に感謝の祈りを捧げます。エスピナさんの娘、ニーニヤとカズコにも、シャローム†
オショチ†

シカゴのえりさんへ

主にありて†
久しぶりのメール見ました。先ずえりさんが、様々な試練を乗り越えていることに敬意を表し、健全な活躍を嬉しくます。今年シカゴの教会から届いたカレンダーを見ました。
オショチ†(お処置?2ndニックネーム)の写真の裏側にリベラ牧師と家族の写真がありました。彼なりに複雑な思いが在ると思います。 引退の花道は、聖職らしい、神のしもべとして神と人びとに祝福されるよう、悔いが残らぬように祈ります†

跡を引き継ぐえりさんに神の祝福とご加護を併せて祈ります†

早くプレシーがアメリカに行けますように祈ります†(決まったら直ぐ、知らせください)

ミッション!
新約聖書の使徒パウロの書簡は 使徒行伝からヘブル人への書簡まで終始一貫しています。彼は如何なる逆境でも失望せず、人びとの救われることを心から願いました。彼の熾烈な試練を支えたのは、えりさんも識るとおり「聖霊の愛」でした。教会は人間関係が微妙ですね。 聖職者が信者の心を意の儘に、不純な支配欲で満たすところではありません。神の至聖所です†


使徒パウロがコリントの教会に送った書簡は教会内での醜い争いが絶えない以上、あなた方は相変わらず(エゴイスト→肉の人間)で、ただの人として歩んでいる。……。と厳しく指摘しています。仮にですが、聖職に在るものが
「過信して自分の知恵を本当の知恵在るもののように錯覚し、自分勝手な勢力、派閥作りを考えているならそれは神の前では愚かなものだ!神は知恵のある者たちをその悪賢しこさによって捕える。」(オショチ†の意訳)第一コリント:3。

えりさんの誠実さに反感を抱く人びとが居ると思いますが使徒パウロのように貫いてください!クリオン島のエスピナさんと、バタンガスの家族、えりさん、中井の皆を又結ばれた神に感謝の祈りを捧げます。エスピナさんの娘、ニーニヤとカズコにも、シャローム†
オショチ†

2013-08-29

聖書に書かれた利子の話し

これは牧師になる過程で学んだことですが、。「利子」 イスラエル人の理想的社会意識では、同胞から利子を取ることは反対されていました。 しかし外国人からは利子を取ることを認めていました。早期から商業文化に移行したバビロニヤでは、ハンムラビ法典第100-107条において、実業界における金融組織を認め、利子の規定がありました。バビロニヤでは33-40%、新帝国時代には20%。新約時代、イスラエル人の間にも金融組織による 利潤が認められていました。当時の利率は10%程度でした。 利殖の始まりは羊の繁殖が原点のようです。
オショチ†

クリオン島助ける愛の会メーンバ

2013-08-27

心の旅路

−父の死−
少し離れた父の会社の事務所を通り過ぎて、駅前に客待ちしているタクシーのドライバーに、まず父の安否を確かめようと考えた。いきなり父に逢うには、せっかちすぎる。父にも心の余裕を与えなくてはと思ったからだ。

以前、父の会社の名前は「池田観光、池田ハイヤー」といった。今のようにマイカーが普及していない時代だったから、大型ハイヤーやバスを使って、観光客の求めに応じては全道一周をやっていた。一度、車庫を出ると、そのまま10日も半月も帰って来なかったという。その間、無線でやりとりしていた。旅館も経営していた。その会社の名前が池田町のワインにちなんで「ワインTAXI」に変わっていた。

年の頃、40歳前後のドライバーに父の事をそれとなく聞いてみた。「社長はお元気ですか?」。彼は「いや、今、体を悪くして入院中」だという。若い奥さんが社長の代理だと説明してくれた。何かおかしい。ふと、不吉な予感が、胸さわぎがした。

さらによく確かめてみると、今から2年前の1990年(平成2年)7月31日、83歳でこの世を去ったという。
「もう三回忌ですね」
と、こともなげにドライバーは教えてくれた。

「えっ!」
私の全身からすーっと血が引いていくのがわかる。もうあとの言葉が続かなかった。体が小刻みにふるえている。背中に冷たいものを感じた。思いがけない返事に、私は自分の感情を必死に抑えた。私は抱いていたアイに一人つぶやくように話しかけた。

「アイ、アイの父ちゃん、死んだんだって。もうこの池田にいないんだって。天国にいったんだって。アイ、どうしよう……。黙ってこのまま町田へすぐ帰ろうか?」

アイは、私の心を察したのか、悲しそうな目でじっと私を見つめている。
「ああ、人生は何と無情なんだろう」
思わず空を見上げた。

列車が到着して、駅からアナウンスが流れて来た。乗客がひとかたまりになって降りて来た。皆、若者ばかりだった。それぞれラフなスタイルで手に荷物を持ち、その笑顔にくったくがない。楽しそうに、はしゃいで私とアイの前を通り過ぎて行った。

父の会社のタクシードライバーに父が市民墓地に眠っていると聞いて、急いでアイン号を走らせた。十勝平野の広い原野の小高い所に市民墓地があった。

日差しは強く、めまいを感じた。3時間経っても父の墓が一向に見つからない。まだ、ほんの少ししか見てはいないのに。何千とある墓の中から、どうしたら一体、父に会えるのか気が遠くなる。

私は叫んだ。
「どこにいるのか応えて下さい! あなたの息子が遠くからはるばる会いに来たんですよ。何故黙っているのです。私の心が通じたなら、何でもよい。サインを送ってください。『息子よ、オレはここにいるぞ』って」

その時、不思議な事が起きた。車のクラクションが鳴った。振り返ってみると先ほどのドライバーがいた。
「まだ、見つかりませんか?」
「何の手応えもなくて……」
「じゃあ、無線で聞いて見ましょう」
と、親切に言ってくれた。
「もしもし、○号車です。先代のお墓はどこですかね」
「えっ、何」
「先代のお墓、あっ、オジイチャンね」
「ガンケイ寺よ」
若い女性の声であった。ドライバーはすまなそうな顔付で「いいかげんな事を教えてゴメンなさい」とあやまった。

真宗大谷派、雲松山「願慶寺」。ここの立派な納骨堂に父は眠っていた。中央に釈迦如来が慈顔をたたえ、その最前列の右手の一番奥に、父はひっそり眠っていた。

「法名、徹修院釈隆道
享年83歳 俗名 古後道夫」
私は母の死を父に報せた。又、私たち親子を助けてくれた優しい愛川の父の事。1966年(昭和41年)5月7日、54歳の若さで死んだことなど。母の死からもう、26年も経っていた。

父の死に立ち合えなかったのは残念である。だが、私は父に向かって話しかけた。

「お父さん。あなたと母の縁は薄かった。それも仕方ありません。でもね、喜んで下さい。あなたと母の二人分の生命が、確かに私というこの存在の中に、しっかり生きているんです。この事実は厳粛です。私は今、あなたの前にしっかり立っています」

「親子の縁も悲しいけど薄かった。しかし私にとってお父さん。あなたは天にも地にもかけがえのない大切なお父さんでした。私の生命を生み出してくれて、本当に有難うございます」

私は父の仏壇の中に納められている位牌に向かって呼びかけた。

はらはらと熱い泪が頬を伝わり、ぬらしていく。一人静かに父と語らい、私は池田町に別れを告げた。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

2013-08-25

聖日の朝

皆さんおはようございます。聖日の朝、久しぶりの雨です。気温も下がりました。FBをはじめて良かったと感謝しています。イングループ(教会)だけでは、心の視野狭窄になります。私の心の拠り所は、イエスであり聖書ですが、肉体的には、様々な病と共存しています。皆さんと本音の、心の交流は私に大切な事柄を示してくれれました。牧師は 神からの任命ですから生涯変わりません。ですが生きてこその使命遂行です。FBの皆さんに人間味豊かな楽しさを、いろいろ教えていただきました。又、人間の尊厳にも触れました。これからもよろしくお願いします†
愛の樹オショチ†

今週の聖句 8月25日〜31日

詩篇109篇

聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌

わたしのほめたたえる神よ、もださないでください。

彼らは悪しき口と欺きの口をあけて、わたしにむかい、
偽りの舌をもってわたしに語り、

恨みの言葉をもってわたしを囲み、
ゆえなくわたしを攻めるのです。

彼らはわが愛にむくいて、わたしを非難します。
しかしわたしは彼らのために祈ります。

彼らは悪をもってわが善に報い、
恨みをもってわが愛に報いるのです。

彼の上に悪しき人を立て、
訴える者に彼を訴えさせてください。

彼がさばかれるとき、彼を罪ある者とし、
その祈を罪に変えてください。

その日を少なくし、
その財産をほかの人にとらせ、

その子らをみなしごにし、
その妻をやもめにしてください。

その子らを放浪者として施しをこわせ、
その荒れたすまいから追い出させてください。

彼が持っているすべての物を債主に奪わせ、
その勤労の実をほかの人にかすめさせてください。

彼にいつくしみを施す者はひとりもなく、
またそのみなしごをあわれむ者もなく、

その子孫を絶えさせ、
その名を次の代に消し去ってください。

その父たちの不義は主のみ前に覚えられ、
その母の罪を消し去らないでください。

それらを常に主のみ前に置き、
彼の記憶を地から断ってください。

これは彼がいつくしみを施すことを思わず、
かえって貧しい者、乏しい者を責め、
心の痛める者を殺そうとしたからです。

彼はのろうことを好んだ。
のろいを彼に臨ませてください。
彼は恵むことを喜ばなかった。
恵みを彼から遠ざけてください。

彼はのろいを衣のように着た。
のろいを水のようにその身にしみこませ、
油のようにその骨にしみこませてください。

またそれを自分の着る着物のようにならせ、
常に締める帯のようにならせてください。

これがわたしを非難する者と、
わたしに逆らって悪いことを言う者の
主からうける報いとしてください。

しかし、わが主なる神よ、
あなたはみ名のために、わたしを顧みてください。
あなたのいつくしみの深きにより、
わたしをお助けください。

わたしは貧しく、かつ乏しいのです。
わたしの心はわがうちに傷ついています。

わたしは夕日の影のように去りゆき、
いなごのように追い払われます。

わたしのひざは断食によってよろめき、
わたしの肉はやせ衰え、

わたしは彼らにそしられる者となりました。
彼らはわたしを見ると、頭を振ります。

わが神、主よ、わたしをお助けください。
あなたのいつくしみにしたがって、
わたしをお救いください。

主よ、これがあなたのみ手のわざであること、
あなたがそれをなされたことを、
彼らに知らせてください。

彼らはのろうけれども、あなたは祝福されます。
わたしを攻める者をはずかしめ、
あなたのしもべを喜ばせてください。

わたしを非難する者にはずかしめを着せ、
おのが恥を上着のようにまとわせてください。

わたしはわが口をもって大いに主に感謝し、
多くの人のなかで主をほめたたえます。

主は貧しい者の右に立って、
死罪にさだめようとする者から
彼を救われるからです。

2013-08-23

三遊亭多歌介師匠②

愛川 おしょち
師匠は癌治療の専門家ですね〓ある人が言いました。癌治療に四通りのメニューがあります。一番目、医師に任せる。二番目、何もしない。三番目、ひたすら歩く。四番目、落語家の噺を聞いて、腹の底から(笑)う。お薦めは(笑)うでした。
これならテレビ放送時間を予約すれば、通院の手間が省けて、一石二鳥です。ありがとうございます〓


三遊亭 多歌介
正直,生で聴くのが一番効果があるかと(^O^) 私も実は癌の患者さんではないんですが,透析,等糖尿病の施設にてほぼ,ボランティアで年に数回,回っております,
ちなみにうちのカミサンもミッション系学校出身でして,渋谷の教会で毎月コンサート,CD制作のお手伝いやっております,(*^o^*)
一応,劇場四季出身のミュージカル女優で,シャンソンの歌手もやっておりますよ〜(^O^)

愛川 おしょち
嬉しいです。神の引き合わせでしょう† 奥様によろ

三遊亭多歌介師匠①

三遊亭 多歌介
一級建築士さんで牧師さんですか〜,
我が家の近くに元,暴力団組長で牧師さんがいらっしゃいました,映画にもなり,何度か教会にも伺い,落語もやらせて頂きました,
残念ながら…今はどこにやら?,
1時間前

愛川 おしょち
ピアドロロサ(悲しみの道→嘆きの道)を、 十字架を担いで行くイエス。ユダヤ人の死刑は石打の刑、ユダヤ人の大祭司カヤパは恐れて、直接関係のない、ローマ軍の総督ピラトに裁判を委ねます。周りのユダヤ人の扇動にローマの総督は、負けたのです。ずる賢いやり方で、ローマの政治力を借りて、イエスを死刑にしたのです。 当時ローマの死刑は十字架の磔付けでした。

愛川 おしょち
師匠の行かれた教会は消えましたか?奥様は多分ご存知だと思いますが?昔ヤクザをしていた方々が、改心してどういう経緯か分かりませんが、刺青を見せて、神に救われた三人組で、 バラバ、ミッションを始めました。マスコミが飛び付きました。バラバとはゴルゴタの丘 (頭骸骨の意味)で、イエスと磔付けになった、強盗団の頭です。三人の死刑囚の一人がイエスに皮肉を言います。あなたが神の子なら自分自身を救え!十字架から降りて見せろ!その時、バラバが嗜めました。我々は死刑に値する罪を犯した。しかし、このお方に罪はない!バラバはイエスに縋りました。「主よ!あなたが天国にお入りにならる時、わたしを覚えてください!」 イエスは言われた。「今日、あなたは、わたしと共に、パラダイスに入るでしょう†」
こうして息が絶えました。バラバはただの強盗団の頭ではなく最期はイエスに救われたのです。簡単にバラバは名乗れないのです。

リーダー

【リーダー】

徳望のある人物が、その国のリーダーとなり、国民も又、そのリーダーに絶大な信頼を与えて国家の運営を任せる。

彼は地球国家と人類、国民の幸せのために全力を尽くす。『ユートピア』の世界である。私が夢見ているリーダー像である。


インドのガンジー、英国のチャーチル、アメリカ三代大統領で独立宣言の起草者、ジェファーソン、それに奴隷解放をやってのけたリンカーン、彼らは少年時代の私の心をとらえて放さなかった。

それから、日本の地図を作成した伊能忠敬、探検家の間宮林蔵、そして熱帯医学の権威であり、病に倒れたあの野口英世に私の心はときめいた。中国の孫文も偉かった。

彼らはその時々の歴史の中で、非常な困難と戦い、それを乗り越えた人生の勇者たちである。哲人ベルグソンの言葉をかりれば、進化の壁を突き破って、彷徨変異を遂げた人々である。

単に最善を尽くしただけではない。国家的、あるいは人類の危機に立ち向かった彼らには、熱い熱い愛があった。それゆえ、私心を捨てて人類に、国家に、社会に身を捧げることが出来たのだった。

今の青少年たちに、このような偉大な人格に接し、その優れた影響を受ける教育が是非必要であると、私は痛感している。

今、はびこっている、私益、省益に目の色を変え、又、党利、党略にうつつをぬかす官僚や政治家たちのようなダメ人間ではなく、高潔な、高邁なしっかりしたビジョンをもったリーダーが待ち望まれる。

私が少年の頃あこがれた偉人たちには、人々の心をひきつける特徴的な共通性があった。それは自己の利益のために何かをしたということではない。天命というか、天の声に動かされ、その使命に全身全霊を捧げた人々である。殉教者である。とにかく立派だった。私は単純思考の人間であるから、この先人たちの純粋な生き様に深い感動を覚える。

彼らは、神や仏ではなかった。イエス・キリストや釈迦とは違う。
しかし、その生き様は、まさに聖者を彷彿とさせるものがある。

もし、一国を自分の思いのままにあやつろうとする邪な人物がいたとしても、真実でないもの、神に祝福されないものの栄華の時世は長続きせず、たちまち過ぎ去る。

人間が欲のために作り出したものは、何一つ永続するものはない。
心に深く思うことがないから、ただ目先の利益や権威におぼれる。

すべては移り変ることを彼らはうっかり忘れているのだ。彼らを待ち受けているものは敗北である。過去のリーダーの中で、財貨や色欲を貪り、眼前の快楽におぼれた人物やその国家、社会は滅びた。

私たちは真実の道を求める。健全な道を求める。それは朽ちることのない永遠の生命を願うからである。人間の浅はかな煩悩にふりまわされて、困っている人を助けず、その国を見捨て、神の恵みを分かち合うことを知らない私たちで終わりたくはない。

この愛する国、日本が、そこに住む私たちが、いつでも、苦しんでいる人々に手を差しのべるような国でありたい。また率先してそのことを大胆に実行出来るリーダーを持つ国になりたい。


「舞いおりた天使たち」より抜粋

2013-08-22

中村泰治さんのお茶③

中でも高級な玉露はアミノ酸が多く含まれており、それが旨み甘みでもあり、高級茶たる所以ですが、現実は、農家が茶葉を出荷する際、あるいは取りまとめ業者によって、茶葉にグルタミン酸ナトリウムつまり、味の素を添加します。

また鮮やかな緑色を出すために、重炭酸アンモニウムや炭酸水素ナトリウム(重曹)も混ぜ込んでいるのです。

お茶まで、食品添加物で味や色を付けるとは、暴挙でしかありません!

 ■尋常ではない割合で、味の素茶が出回っています!

人工旨みのグルタミン酸ナトリウムを混ぜ込んだお茶は、高く売れるようです。安くて全く旨みのない安い茶葉でも、業者によって味の素が入れられると、「高級日本茶」として10倍もの高級品に生まれ変わってしまうそうです!

お茶の自然な旨みが分かる関係者や、こうした食品添加物が入っていることを知っている人でない限り、内緒でグルタミン酸ナトリウムを入れられたら分かりにくいと言います。

良いお茶は、低温のお湯でゆっくりいれると旨みが出ますが、普通のお茶に熱湯を注いで、妙な甘みを感じれば味の素の疑いがあります。また袋を開けた時、茶葉にキラキラ光る粒子が付いていれば、食品添加物の可能性があります。

なお本来、食品添加物は表示義務がありますが、茶業界は全く違法状態ですから業者はやりたい放題にしています!

こんなお茶がどのくらい出回っているかは明らかではないものの、業界団体上部が自主規制を掛けたり、厚労省の指摘があるくらいなので、尋常ではない割合のようです!

自分の味覚で、確かめるしかないようです。お茶をゆっくり冷まし、渋味以外の不自然な旨みや後味がいつまでも残るようなら、味の素の疑いがあります。  

苦めでさっぱりした味を選べば、食品添加物の可能性はないといえます。


 ■会社のお茶に味の素が入っている可能性は?

ご自宅のお茶は、自分が選べば本物のお茶を購入できます。しかし、あなたの会社で毎日飲んでいる職場用のお茶は、食品添加物と農薬の両方とも一番危険なのです。

大きな組識ほど経費節減が厳しいので、安い価格で仕入れる職場用茶に味の素入り茶が蔓延しているのです。

原価が安いお茶は当然美味しくないので、食品添加物で味付けする訳です。会社にもよりますが、一応あなたの会社のお茶も疑ってみることです。
 
 ■毎日味の素茶を飲み続けると味覚が狂ってしま

中村泰士さんのお茶②

「玉露入り」のお茶は、玉露のクズの粉状になったものをホンの少々使っているに過ぎません。

味の素〜グルタミン酸ナトリウムを大量に入れることによって、玉露のような甘みを出しているだけなのです。

そもそも高級茶の玉露が、100円玉で飲める訳がありません!

京都・宇治や各地の茶所のイメージで宣伝しても、所詮、ペットボトル茶の成分は茎茶に過ぎません。

一般的なペットボトル茶が毒々しいほどに不自然な緑色を保ち続けているのは、着色料を加えた上に酸化防止用に化学物質のビタミンCが添加されているためなのです。

炭酸飲料でもないのに蓋を開けるとプシュと音が出るのは、さらに窒素を充填して酸化を防いでいるからなのです。

ペットボトル茶が、いつまでも色が変らないことに怪しいと認識すべきです。

国産茶葉使用の表示だからといって、安心してはいけません。主成分は、何と全て中国の茶葉を摘み取った後の茎の部分です。

国産茶葉が少量でも入っているので、「国産茶葉100%」の表示は間違いありません。

狙いは、国産茶葉使用を見せ掛けるためだけに、お体裁に入れているだけです。ペットボトル茶は、お茶ではなく、着色料や香料を加えた単なる色付き液なのです。

こんな液体を飲むと、却って咽が渇いたり胸焼けを起こします。極めて不健全なので、普通のお茶を飲みましょう。(注)烏龍茶・麦茶なども、ペットボトル入り・缶入りは同様です。

 ■味の素で旨みや甘みを付けた"まやかし高級茶!

日本人が長年飲み続けてきた「お茶」だけに、まさか不純物の挿入や、インチキ品はないと長年思っていましたが、驚くことに、味の素(食品添加物)がたっぷり含まれているお茶(茶葉やペットボトル茶)が蔓延しているのですから驚いてしまいますし、厚生労働省はどのような検査をして許可をしているのでしょうか?

味の素茶・中国から輸入される緑茶の残留農薬・ペットボトル茶の酷さについて説明します。

お茶を始め日本の伝統食品でさえ、メーカーに倫理観などありません!

醤油・みりん・日本酒・漬物など、「まやかし品」のほうが多いのです。

誰もが信じて疑っていない食品だけに、メーカーはやりたい放題なのです。お茶にどうして味の素が入っているのかをお伝えしますと、本来、お茶の旨みは、

グルタミン酸、テアニンなど20種類ほどの自然のアミノ酸によるものです。

中村泰治さんのお茶①

中村 泰士
【 防腐剤入りペットボトル茶どころか!放射能入りペットボトル茶! 】

 ■ペットボトル茶・缶茶はお茶ではありません!

健康・和食ブームから、年輩の方はもとより若い方も「お茶」が見直されていますが、ペットボトル茶・缶茶は、飲んではいけません!

茶葉ならまだマシで、重大なカラクリは、ペットボトル茶の主成分は茶葉を摘み取った後、捨てるしかない茎を使っているのです。

ゴミになった茎をタダ同然で買い取って、大量の泥・ゴミや針金などの混入物を中国から日本に運んで、日本で取り除くのです。しかし除去には限界があり、ペットボトル茶に溶け出した成分には多くの不純物が含まれています!

茎を、お茶にするなど、言語道断、消費者をバカにしています。

こんな茎に栄養もなく、茶本来の効用は何一つありません。茶葉を使ったペットボトル茶の原料は、中国産の緑茶です。

中国農家の個々から茶葉を集めて来る以上、農薬の把握やコントロールは不可能です。何が入っているかは解りません!

 ■お茶ではなく食品添加物の色付き液である!

国内にあるメーカーは、プール並のスペースにお湯を入れ大量の茎を煮立てます。そこに国産茶葉使用の表示をするために、お体裁程度に少量の国産茶葉を混ぜます。

味や香りがあるはずもなく、中国産の茶葉から取った「緑茶抽出物(エキス)」を入れます。成分が正体不明であり、何が混ぜられているか分かりません!

本来、お茶は粉の沈殿物にカテキンが多く含まれ、いっしょに飲むことによって栄養になるのです。しかしペットボトル茶では、異物混入と錯覚されることから、取り除かれてしまいます。

その代わりに、香料と着色料、甘さを出す味の素や、グルタミン酸ナトリウム、ビタミンCの食品添加物を混入させています!

ビタミンCといっても天然由来ではなく、石油を原料とした化学物質なのです。VCと記載される場合もあり、多くの食品や飲料に使用されています。

アスコルビン酸とも言われ、栄養のためではなく酸化防止です。緑茶が、酸化して褐色にならないために入れています。

中には、500mlボトルで100mlも注入され、却ってビタミンCの過剰摂取からガンや尿路結石になってしまいます!

このような状況でも、国産茶葉100%の表示ができ、健康的なお茶だとして店頭に並んでいます!

「玉露入り」のお茶は、玉露のクズの粉

2013-08-20

人生の試練

私がグレなかった背後に母の祈りがありました。私の告白ですが、一歩間違えると 疑い深くなります。想像力の幅が狭くなり、自分中心になりがちです。先に期待が持てません。悩みながら、読んだヒルトンの「失われた地平線」のなかの理想郷(シヤングリラ)に暮らす人間の物語りに、少し希望を持ちました。天国と同じように受け止めましたから。 試練の業火に身を焦がし、煉獄で鍛えられ人間の魂は磨かれて行くのだと思います。

愛の樹オショチ†

心の旅路

−池田町に父を訪ねて−
「アメイジング・グレイス」のジョン・ニュートンではないけれど、あの悪い船長のように、私も神に救われ、神に仕える者と変えられた。「福音を伝えるべく、生まれ変わりし者であった。神の憐れみによって」救われた。

自分が救われると、自ら進んで苦しんでいる他の人々をも救いたいという願いが起きる。人はその願いの仕事にいそしむ事になる。

聖職者の道を示された時、神に誓願を立てた。
「これから先、あなたによって与えられるもののすべてをあなたと、み子キリストと、人々に捧げます」

神の燃えさかる愛の炎のその中にこの身を焦がしつつ、この喜びを少しでも伝えたかった。

特に母と私を捨てた父に、この喜びを是非伝えたかった。この世に生まれるきっかけをつくってくれた父に一言「どうも有難うございます」と感謝を伝えたかった。その一言で父の心を救いたかったのである。

私が痛む体を引きずって「風と祈りと巡礼の旅」に出た理由の一つに父の魂を救いたいという願いが込められていた。過去のいきさつも、とらわれもない。こだわりもない。神の愛(慈悲)の前に、私は解放され、自由自在であった。

神は私に執着と過去を断ち切る力をお与え下さった。そこには、他者、己の区別がない。行くも帰るも進むも止まるも、心のあるがままに自由である。

神が「こうせよ」と仰せられたところに従って進むので、悩むこともない。キリストが愛されたように、苦しむ人々と共に、その苦しみの中にとどまることを、私は喜んで選んだ。

救われた者の姿を見て、私の魂は喜びに満たされたいと望んだ。その救いのためなら、たとえ地獄の業火もいとわない。その炎の中に分け入ってでも救いたい!

「父に対する私の気持ちにうそ偽りはない。子として親を恋い慕う気持ちは年齢に関係はないのだから」と思った。それが私の自然の心であった。

釧路に親しい人がいたが、夜中でもあったし、祈りつつ通過した。抑え難い愛慕の念から、思い切って、帯広市の池田町に父を訪ねた。

8月14日、午前10時10分、JR池田駅前のタクシー乗場に私はアイン号をとめ、アイと立っていた。根室から夜通し走って来た身に暑さがこたえた。内陸の池田町は朝から日差しが強く、じりじりとアスファルトの舗装道路を焼いていた。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

2013-08-18

今週の聖句 8月18日〜24日

詩篇 108篇

ダビデの歌、さんび

神よ、わが心は定まりました。
わが心は定まりました。
わたしは歌い、かつほめたたえます。
わが魂よ、さめよ。

立琴よ、琴よ、さめよ。
わたしはしののめを呼びさまします。

主よ、わたしはもろもろの民の中であなたに感謝し、
もろもろの国の中であなたをほめたたえます。

あなたのいつくしみは大きく、天にまでおよび
あなたのまことは雲にまで及ぶ。

神よ、みずからを天よりも高くし、
みさかえを全地の上にあげてください。

あなたの愛される者が助けを得るために、
右のみ手をもって救をほどこし、
わたしに答えてください。

神はその聖所で言われた、
「わたしは大いなる喜びをもってシケムを分かち、
スコテの谷を分かち与えよう。

ギレアデはわたしのもの、
マナセもわたしのものである。
エフライムはわたしのかぶと、
ユダはわたしのつえである。

モアブはわたしの足だらい、
エドムにはわたしのくつを投げる。
ペリシテについては、かちどきをあげる」。

だれがわたしを堅固な町に至らせるであろうか。
だれがわたしをエドムに導くであろうか。

神よ、あなたはわれらを捨てられたではありませんか。
神よ、あなたはわれらの軍勢と共に出て行かれません。

われらに助けを与えて、あだにむかわせてください。
人の助けはむなしいからです。

われらは神によって勇ましく働きます。
われらのあだを踏みにじる者は神だからです。

2013-08-16

心の旅路

−神秘の摩周湖と全生園の青年−


相変わらず悪天候が、私たちにしつこくついてまわった。ガソリンスタンドの人に「何でこんなに北海道は雨が多いんですかね」と聞くと、何10年ぶりかの異変だという答えが返ってきた。

摩周湖に行きたいと言うと「無駄ですよ。どうせ、霧か雨かで見えっこないから」と言われた。それでも気がひかれて行ってみた。30数年前、一度訪れた事があるし、懐かしさもあった。

横なぐりの雨の中で、小さな青いテントを一生懸命にたたんでいる青年を見かけて声をかけた。筑波学園都市から来た、31歳の青年は石川と名乗ってくれた。目が優しい。お互いに写真を撮りあって、私は来道の目的をふと彼にもらした。

ところがである。石川青年が言った。「僕も東京清瀬の全生園でうまれたんです」。全生園とはハンセン病の方々の生活の場であった……。

この奇遇にびっくりした。クリオン島のトラクトを手渡すと、とても感動したらしく「旅の途中で所持金も少ないのでほんの少し献金させて下さい」と言って500円献金して下さった。まさにレプタ2枚の尊い献金であった。またまた、私の泪の種がひとしずく増えた。

この旅行は聖霊の愛に導かれ、キリストに同行していただいている「愛の道づくり」のための旅だと思い知らされた。アイと二人だけではない。

自転車で今から阿寒湖へ行くという石川青年に心を残し、心の中で再会を約束して、二人はこの神秘の湖の淵で、主のみこころならばと祈り会って左右に別れ、峠を下って行った。

摩周湖は神秘的な美しい姿を私の前に惜し気もなく、存分に見せてくれた。

(つづく)

「心の旅路」より抜粋

2013-08-14

血液検査結果

【血液検査結果】

以下の通りです。

報告日:2013/8/14
水曜日

採取日:2013/8/7

主治医・松浦知和 先生
町田 川村クリニック

結果値 基準値

血糖 149〓 70〜109

GOT 115〓 10〜40

GPT 64〓 5〜45

γ−GT 33 75イカ〜

尿素窒素 22 8〜22

クレアチニン 1.13〓 0.61〜1.04

尿酸 7.0 3.7〜7.0

ナトリウム 143 135〜147

クロール 109〓 98〜108

カリウム 3.8 3.6〜5.0

LDLコレステロール 55〓 70〜139

中性脂肪 140 35〜149

総コレステロール 110〓 130〜219

HDLコレステロール 31〓 40〜86

CK 37〓 50〜250

アルブミン 3.5〓 3.8〜5.3

ZTT 19.5〓 2.0〜12.0

総ビリルビン 0.5 0.2〜1.1

直接ビリルビン 0.3 0.4イカ〜

ALP 295 110〜360

コリンエステラーゼ76〓 235〜494

CRP定量 0.17 0.30イカ〜

鉄 63 45〜200

フェリチン 42 13〜277

白血球 2800〓 3900〜9800

赤血球 379〓 427〜570

血色素 11.7〓
13.5〜17.6


ヘマトクリット 35.7〓39.8〜51.8

血小板 8.1〓 13.0〜36.9

MCV 94 83〜102

MCH 30.9 28.0〜34.6

MCHC 32.8 31.6〜36.6

PT 11.7 9.4〜12.2

PTINR値 1.03
0.88〜1.17

PT活性 92.6
66.0〜127.6

HbA1c(NGSP) 4.8
4.6〜6.2

α−FP定量 33.7〓
10.0イカ〜

IgG 1873〓 870〜1700

ダイズ(クラス) 554.6

IL−2R 1487〓 135〜483(悪性リンパ腫)

TSH 0.094〓
0.390〜4.010

F−T3 3.0 2.2〜4.1

F−T4 1.31 0.83〜1.71

HCV定量リアルタイム法 5.9〓 1.2ミマン〜

増幅反応シグナル〓 (−)


以上です。

愛川 英雄 愛の樹オショチ†

(先ほど、肝臓の強ミノと点滴を受けました。しばらくは週/2回治療をします。肝硬変、C型肝炎ウイルスは昔交通事故の輸血が原因でした)輸血は、患者確認も必要です。

Fw:Re: 暑中お見舞い〓

愛川先生

今年は異常な暑さですね。
暑さに負けずに頑張っております。
愛川先生も無理をなさらずにご養生してください。

写真ありがとうございました。
涼しくなったら当社にもお立ち寄りください。

稲村竹治




(2013/08/13 22:14), ainoki-oshochi8@docomo.ne.jp wrote:
> ご無沙汰しています。猛暑日〓ですがお変わりありませんか。
>
> 6月の御社、物故者 慰霊祭の時のスナップ写真三枚送ります。
>
> 皆様のご健康と会社のご繁栄をお祈りいたします。
> 奥様、ご家族の皆様に宜しくお伝えください!
> 私は何とか暑さに耐えています(^-^)ご安心下さい!
>
> 愛川英雄


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稲村竹治 
株式会社ニッセイトレーディング
tel: 0466-48-6818 fax: 0466-48-8177

2013-08-13

藤沢市用田、株式会社ニッセイエコ慰霊祭式典

6月10日、
ニッセイエコ本社ビル三階、物故者慰霊祭式典

式典

稲村竹治会長

稲村通雄相談役

2013-08-11

今週の聖句 8月11日〜17日

詩篇 107篇

「主に感謝せよ、主は恵みふかく、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない」と、

主にあがなわれた者は言え。
主は彼らを悩みからあがない、

もろもろの国から、
東、西、北、南から彼らを集められた。

彼らは人なき荒野にさまよい、
住むべき町にいたる道を見いださなかった。

彼らは飢え、またかわき、
その魂は彼らのうちに衰えた。

彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、
主は彼らをその悩みから助け出し、

住むべき町に行き着くまで、まっすぐな道に導かれた。

どうか、彼らが主のいつくしみと、
人の子らになされたくすしきみわざとのために、
主に感謝するように。

主はかわいた魂を満ち足らせ、
飢えた魂を良き物で満たされるからである。

暗黒と深いやみの中にいる者、
苦しみと、くろがねに縛られた者、

彼らは神の言葉にそむき、
いと高き者の勧めを軽んじたので、

主は重い労働をもって彼らの心を低くされた。
彼らはつまずき倒れても、助ける者がなかった。

彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、
主は彼らをその悩みから救い、

暗黒と深いやみから彼らを導き出して、
そのかせをこわされた。

どうか、彼らが主のいつくしみと、
人の子らになされたくすしきみわざとのために、
主に感謝するように。

主は青銅のとびらをこわし、
鉄の貫の木を断ち切られたからである。

ある者はその罪に汚れた行いによって病み、
その不義のゆえに悩んだ。

彼らはすべての食物をきらって、
死の門に近づいた。

彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、
主は彼らをその悩みから救い、

そのみ言葉をつかわして、彼らをいやし、
彼らを滅びから助け出された。

どうか、彼らが主のいつくしみと、
人の子らになされたくすしきみわざとのために、
主に感謝するように。

彼らが感謝のいけにえをささげ、
喜びの歌をもって、そのみわざを言いあらわすように。

舟で海にくだり、大海で商売をする者は、

主のみわざを見、
また深い所でそのくすしきみわざを見た。

主が命じられると暴風が起って、海の波をあげた。

彼らは天にのぼり、淵にくだり、
悩みによってその勇気は溶け去り、

酔った人のようによろめき、
よろめいて途方にくれる。

彼らはその悩みのうちに主に呼ばわったので、
主は彼らをその悩みから救い出された。

主があらしを静められると、
海の波は穏やかになった。

こうして彼らは波の静まったのを喜び、
主は彼らをその望む港へ導かれた。

どうか、彼らが主のいつくしみと、
人の子らになされたくすしきみわざとのために、
主に感謝するように。

彼らが民の集会で主をあがめ、
長老の会合で主をほめたたえるように。

主は川を野に変らせ、
泉をかわいた地に変らせ、

肥えた地をそれに住む者の悪のゆえに
塩地に変らせられる。

主は野を池に変らせ、かわいた地を泉に変らせ、

飢えた者をそこに住まわせられる。
こうして彼らはその住むべき町を建て、

畑に種をまき、ぶどう畑を設けて
多くの収穫を得た。

主が彼らを祝福されたので彼らは大いにふえ、
その家畜の減るのをゆるされなかった。

彼らがしえたげと、悩みと、悲しみとによって
減り、かつ卑しめられたとき、

主はもろもろの君に侮りをそそぎ、
道なき荒れ地にさまよわせられた。

しかし主は貧しい者を悩みのうちからあげて、
その家族を羊の群れのようにされた。

正しい者はこれを見て喜び、
もろもろの不義はその口を閉じた。

すべて賢い者はこれらの事に心をよせ、
主のいつくしみをさとるようにせよ。

2013-08-10

2013-08-07

セロ弾きのゴーシェ?


絢恵の絵
中井のふるさとの家の一階の廊下に架けてあります。描いたのは米窪絢恵。海外青年協力隊で活動し、ケニアの家畜の獣医師、神戸先生のもとで働いていました。今もケニアにいます。小さいころから可愛がっていました。ある日、「これ描いたよ」と渡されたのが、セロ弾きのゴーシェ?でした。ターバンを巻いたおじいさんと女の子でした。「誰?」 と聞いたら「オショチと私」と答えてくれました。大切な絢恵からの贈り物です。

オショチ†