2012-02-26

今週の聖句 2月26日〜3月10日

詩篇42篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子のマスキールの歌

神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
わが魂もあなたを慕いあえぐ。

わが魂はかわいているように神を慕い、
いける神を慕う。
いつ、わたしは行って神のみ顔を
見ることができるだろうか。

人々がひねもすわたしにむかって
「おまえの神はどこにいるのか」と言いつづける間は
わたしの涙は昼も夜もわたしの食物であった。

わたしはかつて祭を守る多くの人と共に
群れをなして行き、
喜びと感謝の歌をもって彼らを神の家に導いた。
今これらの事を思い起して、
わが魂をそそぎ出すのである。

わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。
わたしはなおわが助け、
わが神なる主をほめたたえるであろう。

わが魂はわたしのうちにうなだれる。
それで、わたしはヨルダンの地から、またヘルモンから、
ミザルの山からあなたを思い起す。

あなたの大滝の響きによって淵々呼びこたえ、
あなたの波、あなたの大波は
ことごとくわたしの上を越えていった。

昼には、主はそのいつくしみをほどこし、
夜には、その歌すなわちわがいのちの神にささげる
祈がわたしと共にある。

わたしはわが岩なる神に言う、
「何ゆえわたしをお忘れになりましたか。
何ゆえわたしは敵のしえたげによって
悲しみ歩くのですか」と。

わたしのあだは骨も砕けるばかりに
わたしをののしり、
ひねもすわたしにむかって
「おまえの神はどこにいるのか」と言う。

わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。
何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。
神を待ち望め。
わたしはなおわが助け、
わが神なる主をほめたたえるであろう。

2012-02-21

義人ヨブ記(job)19

"義人ヨブ記と、シラ書"を、同時掲載して見ました、、一見、
相反する、聖書の内容ですが根っこは一つです。神のご計画ですから†
ご返事お待ち致しております。

愛の樹オショチ†

【シラ書】

『晴れやかな心』
悲しみに負けて気力を失うな。
あれこれ思い悩むことはない。

朗らかな心は、人を生気にあふれさせ、
喜びは長寿をもたらす。
気分を変えて心を奮い立たせ、悲しみを遠くへ追い払え。

悲しみは多くの人を滅ぼした。
それは何の益にもならない。ねたみや、怒りは寿命を縮め、思い煩いは人を老けさせる。
快活な心は食欲を旺盛にし、
食べ物をおいしく味あわせる。
シラ書:30・21~25



【ヨブ記】

ヨブは答えた。

どこまであなたたちはわたしの魂を苦しめ
言葉をもってわたしを打ち砕くのか。

侮辱はもうこれで十分だ。

わたしを虐げて恥ずかしくないのか。

わたしが過ちを犯したのが事実だとしても
その過ちはわたし個人にとどまるのみだ。

ところが、あなたたちは
 わたしの受けている辱めを誇張して
論難しようとする。


それならば、知れ。
神がわたしに非道なふるまいをし
わたしの周囲に砦を巡らしていることを。

だから、不法だと叫んでも答えはなく
救いを求めても、裁いてもらえないのだ。

神はわたしの道をふさいで通らせず
行く手に暗黒を置かれた。

わたしの名誉を奪い
頭から冠を取り去られた。

四方から攻められてわたしは消え去る。
木であるかのように
 希望は根こそぎにされてしまった。

神はわたしに向かって怒りを燃やし
わたしを敵とされる。

その軍勢は結集し
襲おうとして道を開き
わたしの天幕を囲んで陣を敷いた。

神は兄弟をわたしから遠ざけ
知人を引き離した。

親族もわたしを見捨て
友だちもわたしを忘れた。

わたしの家に身を寄せている男や女すら
わたしをよそ者と見なし、敵視する。

僕を呼んでも答えず
わたしが彼に憐れみを乞わなければならない。

息は妻に嫌われ
子供にも憎まれる。

幼子もわたしを拒み
わたしが立ち上がると背を向ける。

親友のすべてに忌み嫌われ

愛していた人々にも背かれてしまった。

骨は皮膚と肉とにすがりつき
皮膚と歯ばかりになって
 わたしは生き延びている。


憐れんでくれ、わたしを憐れんでくれ
神の手がわたしに触れたのだ。
あなたたちはわたしの友ではないか。

なぜ、あなたたちまで神と一緒になって
 わたしを追い詰めるのか。
肉を打つだけでは足りないのか。


どうか
 わたしの言葉が書き留められるように
碑文として刻まれるように。

たがねで岩に刻まれ、鉛で黒々と記され
いつまでも残るように。

わたしは知っている
わたしを贖う方は生きておられ
ついには塵の上に立たれるであろう。

この皮膚が損なわれようとも
この身をもって
 わたしは神を仰ぎ見るであろう。

このわたしが仰ぎ見る
ほかならぬこの目で見る。腹の底から焦がれ、はらわたは絶え入る。


「我々が彼を追い詰めたりするだろうか」と
 あなたたちは言う。
この有様の根源がわたし自身にあると
あなたたちは言う。

あなたたちこそ、剣を危惧せよ。
剣による罰は厳しい。
裁きのあることを知るがよい。

(ヨブ記第19章)

続きます。

追伸:聖書の記述された時代背景の説明は敢えてなしです!
ご意見かあれば、ご投稿お願いいたします。

愛の樹オショチ†
 
 ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵16「ベヘモトとレヴィアタン」、1825

2012-02-18

義人ヨブ記(job)18

祷告†

「神よ人類を愛と平和で満たしてください†怒り、復讐、
争いを鎮めてください†」

【義人ヨブ記】

トシュア人ビルダドは答えた。


いつまで言葉の罠の掛け合いをしているのか。
まず理解せよ、それから話し合おうではないか。

なぜ、わたしたちを獣のように見なすのか。
その目に愚か者とするのか。

怒りによって自らを引き裂く者よ
あなたのために地が見捨てられ
岩がその場所から移されるだろうか。


神に逆らう者の灯はやがて消え
その火の炎はもはや輝かず

その天幕の灯は暗黒となり
彼を照らす光は消える。

彼の力強い歩みも弱まり
自分自身の策略に倒れる。

足は網に捕えられ
落とし穴に踏み込む。

かかとは罠にかかり
仕掛けられた網に捕まる。

綱が地に隠されて張り巡らされ
行く道に仕掛けが待ち伏せている。

破滅が四方から彼を脅かし
彼の足を追い立てる。

その子は飢え
妻は災いに遭う。

死の初子が彼の肢体をむしばみ
その手足をむしばむ。

彼はよりどころとする天幕から引き出され
破滅の王に向かって一歩一歩引き寄せられる。

彼の天幕には他人が住み
その住みかには硫黄がまかれる。

下ではその根が枯れ
上では枝がしおれる。

彼の思い出は地上から失われ
その名はもう地の面にはない。

彼は光から暗黒へと追いやられ
この世から追放される。

子孫はその民の内に残らず

住んだ所には何ひとつ残らない。

未来の人々は彼の運命に慄然とし
過去になった人々すら
 身の毛のよだつ思いをする。

ああ、これが不正を行った者の住まい
これが神を知らぬ者のいた所か、と。

(ヨブ記第18章)

続きます。

愛の樹オショチ†
 
  ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵15「明の星が相共に歌う時」、1825

2012-02-08

シラ書38 神の警告

神が示された現代人への処方箋です。

心身ともに人間社会の営みが病み。やがて衰える人間社会に。

"神があたえられた処方箋です"

病んでいるとは知らぬ当事者!
政治も、経済も、法律も、軍事も、科学も、学舎も、殊に原子物理学の、取り返しの付かない過ちにたいする警告を受けました。

神不在の如き世の中に受け入れらぬ、ことを承知で、このブログを発信します†
 
愛の樹オショチ†

 【医者と薬】

医者をその仕事のゆえに敬え。
主が医者を造られたのだから。

いやしの業はいと高き方から授かり、
それによって、王からは褒美を受ける。

医者はその博識によって高い身分を与えられ、
権勢ある人々の前で驚嘆される。

主は大地から薬を造られた。
分別ある人は薬を軽んじたりしない。

一本の木によって水が甘くなり、
木に備わる力が、明らかにされたではないか。

主は自ら人々にいやしの知識を授け、
その驚嘆すべき業のゆえにあがめられる。

医者は薬によって人をいやし、痛みを取り除く。

薬屋は薬を調合する。
主の業は決して終わることなく、
健康は主から全地の人々に与えられる。

子よ、病気になったら放置せず、
主に祈れ。そうすれば、主は治してくださる。

過ちを犯すな。手を汚すな。
あらゆる罪から心を清めよ。

良い香りの献げ物と、
  質の良い小麦粉を供え物として献げよ。
余裕のあるかぎり十分に、供え物に油を注げ。

その上で、医者にも助けを求めよ。
 主が医者を造られたのだから。

彼を去らせるな。お前には彼が必要なのだ。

医者の手によって病気が治る時もある。

医者もまた主に祈り求めているのだ。
病人の苦しみを和らげ、
命を永らえさせる治療に成功することを。

創造者に対して罪を犯す者は、
病気になって医者にかかるがよい。

愛の樹オショチ†

2012-02-04

義人ヨブ記(job)17

『主の栄光を担う者』

ヨブは燃え盛る試練の炎に焼尽くされながらも、心の奥底では主を畏れ敬う熱心な魂の持ち主でした。
神に対して絶対的な救いの希望を捨てません。

一方、彼の落ちぶれた姿に、はじめは同情していた親しい友が、ヨブを非難し激しい言葉を容赦なく浴びせます。

わたしたちの身近でもヨブほどではなくても人生の失敗者にたいする、酷い仕打ちを目にします。非情な心、冷たい、蔑みです。

反面、人は時に、遠くにいる都合の良い人を愛することができます。エゴでしょうか?

さらに不可解な心も見ます。 それは、身近にいるものにいつでも優しいわけではありません。
愛が本物でなければなおさらです。
キリストの御心に反します。

ヨブの叫び、人間の尊厳が、いわれなく傷つけられ、犯されるとき、黙って屈辱に耐えるのは余程の人間『御子・イエス・キリスト様』にしか出来ません。精神構造がまるで違うのです。

しかし、ヨブはひたすら、神に信じる生涯を貫きます。ヨブの言葉は神に向けられた、深い信頼感の叫びです。

彼の叫びは、神の御旨を理解しえない人間に向けられた反語だとは思えないのです。

【ヨブの訴え】
『息は絶え、人生の日は尽きる。
わたしには墓があるばかり。』


人々はなお、わたしを嘲り

わたしの目は夜通し彼らの敵意を見ている。

あなた自ら保証人となってください。
ほかの誰が
わたしの味方をしてくれましょう。

彼らの心を覆って目覚めることのないようにし
彼らを高く上げないでください。


「利益のために友を裏切れば
子孫の目がつぶれる。」

この格言はわたしのことだと人は言う。
わたしは顔につばきされる者。

目は苦悩にかすみ
手足はどれも影のようだ。

正しい人よ、これに驚け。罪のない人よ
神を無視する者に対して奮い立て。

神に従う人はその道を守り

手の清い人は更に勇気をもて。

あなたたちは皆、再び集まって来るがよい。
あなたたちの中に知恵ある者はいないのか。


わたしの人生は過ぎ去り
わたしの計画も心の願いも失われた。

夜は昼となり
暗黒の後に光が近づくと人は言うが

わたしは陰府に自分のための家を求め
その暗黒に寝床を整えた。

墓穴に向かって「あなたはわたしの父」と言い
蛆虫に向かって「わたしの母、姉妹」と言う。

どこになお、わたしの希望があるのか。
誰がわたしに希望を見せてくれるのか。

それはことごとく陰府に落ちた。
すべては塵の上に横たわっている。

(ヨブ記第17章)

続きます。

愛の樹オショチ†
 ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵14「つむじ風の中からヨブに答える神」、1825


創世記ヤコブより
 「神戸で新しい朝を迎えました。」


エリさん(アメリカ.イリノイ州シカゴに政治亡命した、
フィリピン教会の牧師)の事も毎日祈っています。

神様の計画は、あまりにも壮大なドラマのようで、目先の事で、いろいろ悩んだり、考え込んでしまう小心者には図り知ることができません。

ヨブの人生も、最後の祝福がなければ、おそらくこの世に産まれて来たことを悔やむ人生になったと思います。
全宇宙を創造された神様は、自分が想像していた神様であって、幻だったと思ってしまうでしょう。
神様に見放されるより、初めから神様はいなかったと思った 方が、気持ちがましです。

でもヨブさんの人生と比較したら、自分に与えられた毎日の時間は、祝福と感謝に満ちた人生だと思います。

オショチ†のことも祈っています。

オショチ†もエリさんの人生のドラマは、まだまだ続きそうですね。

神様の脚本は、毎日が涙と笑い、そして感動です。
毎日がクライマックスです。

僕は、寅さんのような、楽しい人生を与えられたことを感謝しています。

マザーテレサは、貧困や病気と向き合いながら、神様の栄光を感じていたでしょう。

オショチ†も今は病気と向き合いながら、神様の栄光を感じていると思います。

癌の為に苦しい毎日を生きていますが、負けた日は1日も無かったですからね。
毎日が勝利!
新しい朝を迎える度に、栄光と勝利があるから感謝です。
オショチ†やエリさんが、新しい朝を迎える度に、私も感謝です。

感謝というのは、いい事だけでは感じる事はできません。

悪い事、災難、病気、様々な苦労や苦しみから、感謝の思いが湧いてくるのだと思います。

これからも毎日祈りますよ!

暖かくなったら、お会いしましょう。

お元気で

神様が、いつもお側にいてくれますように………

     ヤコブ

をしているうちに、オショチ†の弟子に対する愛の深さが溢れてきて、それが神様の祝福に代わり、感謝のになりましたが、オショチ†の思いを考えると、言葉になりません。…
胸がいっぱいです。

   ヤコブ