2009-07-29

天路歴程(24)運命

ふるさとの家のパウロ像

これは、宗教家としての私の独白です。

如何なる病にも振り回されたくは無い。

天運の巡る処に従う。

無論、善良な治療は大歓迎です。

私はこの命を預けて悔いなき主治医に巡り合いました。

深い信頼感があります。

その事を踏まえての闘病生活です。

人の力には限界があります。

その時に備えています。

中井に私の尊敬する聖パウロ像が長崎から来ました。

彼の信仰は並大抵ではありませんでした。

使徒としての召命感は抜きん出ています。

彼の洗礼名が私の洗礼名でもあります。

地中海のケンクレアの海岸で剃髪し、髪の毛を砂浜に埋めて、自分に別れを告げた心中は察するに余りあります。

愛は全ての命を生かす!

死んでも死なない命がある。

あらゆる人生苦を乗り越えて滅びない命が愛である。

と確信した、使徒パウロの生涯は後に続く命に困難を乗り越え、生きる力と希望、勇気を与えてくれます。

イエス・キリストに最も近かった弟子でした。

儚(はかな)い命で終わらない、わたしたちの命について、霊的に祈らされる日々の独白でした。

天路歴程(23)使命

自分の使命と向き合う!また、如何なる試練に遭遇しても、また、如何なる事情であろうとも、神のみ旨なら引き下がらない!

独立伝道に立ち上がった日に神に立てた誓願です。

ごく自然に誓願を立てました。

ある家庭で深刻な事件が突発しました。

深夜、助けを求める悲鳴、絶叫が、受話器の向こうから聞こえて来ました。

父親が娘の母親に刃物を突き付けている。

母が殺される!助けて下さい!
直ぐ!今すぐに来て下さい!

電話を切ると深夜、田舎道を必死に車を運転しました!

暫く走ると、ヘッドライトの中に若い娘の姿が浮かび上がりました!

真冬の凍り付く寒さの中、素足のまま、田んぼの中に娘が立ちすくんでいました。

ガタガタ震えて、私の到着を必死に待っていたのです。

私の姿を見た途端、失神しました。

彼女を抱き抱えて玄関に入って、目に飛び込んきたのは異様な光景でした。

刃物を妻に突き付けた男の顔も顔面蒼白です。

座敷の床の間を背にしている男を、近くに住んでいる自治会長が必死に説得していましたが、ますます男は激昂していました。

彼は私の顔を見るなり、こう言いました!

「一番会いたくない男を呼びやがったのはどいつだ?」

その時、気を取り戻した娘が叫んだのです!

「お父さん、わたしよ!

私は男に向かって単刀直入に聞きました!

「本気か?」

意表を突かれた男は答えました。

「本気だぞ!」

「では何故刺さないのだ? 茶番劇なら止めなさい!」

引っ込みがつかない男は、この言葉を聞くと、黙り込んでしまいました。

男の手がかすかに震えています。

言葉にならない緊張感が暫く続きました。

「警察に言わないか?」

男はまだ興奮状態でしたが、私に聞きました。

「刃物をおとなしく渡せば、この場限りにしよう!」

私は家族と、自治会長に同意を求めました。

その言葉を聞くと、男はほっとした表情を浮かべて、すんなりと刃物を私に差し出しました。

「この刃物は預かる!」

彼の手から刃物を取り上げた時、男が突然質問しました。

「あんたには恐怖心が無いのか?」

私は男の目を見据えて答えました。

「今、ほっとしたら怖くなったよ!」

この一言でその場の恐怖、緊張がほぐれました。

訳を聞くと他愛のない、ちょっとした言葉のやり取りが、夫婦喧嘩に火がついたのでした。

とにかく、大事に至らず「もう二度と騒ぎは起こしません」と、皆に頭を下げました。

無事に一件落着しましたが、つくづく複雑な人間の感情、言葉遣い等考えさせられる貴重な体験となりました。

誰も望まない不幸が、人の心の奥底から突如吹き出してくる。

人間の心には、神も住めば、魔物も住み着く!

複雑な気持ちを抱えながら田舎道を引き返したことでした。

神との道行きでなければ、私には解決不可能な事態でした。

今、振り返って見ると、人間は生きる困難さを、抱え込み煩悶しながらも何か幸せを求め続ける生き物だとしみじみと考えています。

生き抜いてこそ人生の喜怒哀楽も体験出来ます!

かの男も、今は懐かしい人生の友でした。彼の幸せを祈ります!

2009-07-27

天路歴程(22)暑い夏


親愛なる我が病友も、この暑さに必死に耐えています。

今年の夏は殊更厳しい夏になりそうです。

右腎臓と胆嚢摘出後、初めて迎える、3ヶ月経過中の夏です。

主治医から術後3ヶ月は気をつけて、水分の補給を十分摂るように、また休息を勧められました。

許すかぎり気をつけています…

病も、生きる友と考えて見ると、
正に生きている恵みそのものの証だと、しみじみ感じられる今日この頃です。

自然の成り行きとして受け容れています。

また、神様からの幸せの知恵を借りて、
弟子たちを幸せな人生に導く私の使命を果たす絶好のチャンスでもあります!

辛い、今だからこそ、
掛け値なしの真実が心の奥底から沸き上がってきます。

愛する弟子たちに、残せる言葉が与えられ、
そのままを伝えました。

先週の土曜の夜と、日曜日の朝に。

病むことで、生かされている意味が、さらに深められ生きる意味が一層理解出来るようになりました。

限り在る命の日々を思わずにはいられません。

伝える価値の在るものは見逃さず余すことなく、
伝える使命があることを確認しました。。

弟子たちの、信仰を養う以前、肉体を持った人間としての在り方。

心身の自己管理の仕方。

生活習慣の誤った過ごし方の修正など交えて。

自分で摂生が出来ず、後々思わず落ち込む病の罠の恐ろしさ等々、

我が身の健康を損ない、人の幸せを願うことも出来ましょうが、
やはり心身共に健康であるべきです!

具体的に私の、今までの体験をつぶさに語りました。

良くも悪くもなし。

これが私の事実だと伝えました。

愛の樹の使命は、私の死で終わるものでは、ありません。

これは、始まりです。

神が人の幸せを願う新しいシナリオに基づくドラマの幕開けです。

弟子たちの育成は、その大事な役目を引き継いでもらうために、
欠かせません。

私に課せられた使命です。

昨日は珍しく、教会の夏休みでした。

がらんとした、小さな礼拝堂に、残っていた3人の弟子たちを集め、キリストがその昔、弟子たちに親しく語りかけられた様に私も語り掛けました。

「人間の幸せとは何か?簡潔明瞭に!」

「人の幸せを、自分の幸せと確信して尽くすこと!

己の幸せは、人の幸せを願う、そのただ中にある。

生きる力はこの中にある!私はキリストに従い自分の生涯を閉じるが、悔いは一切ない!

尽くし切り、充足感と幸福感に浸っている!」と。

時折、自問自答します。

もし?自分だけのこと、利己的なことしか、眼中に無かったと、仮定したら?。

私の人生は、虚無感、孤独感、敗北感に襲われて、ここ迄は、
生きられなかった?と、実感しています。

改めてキリストの、僕(しもべ)で居られた事に感謝の思いは尽きません!

トルストイではありませんが「幸福とは他人のために生きることである」。

人の幸せを願い、人の幸せな姿を見て、
自分が無常の歓びによって生きられる。

生きる力と勇気を得た。険しい人生を生き貫く。

これは天の摂理だと観じます。

天界は愛の故郷です。

人の幸せを願う魂に自然に宿るそのために心を尽くす。

弟子たちは昼夜二度にわたる話を真剣に受け止めくれました。

険しい人生の峠道に差し掛かり、病を恵みと思いながらも、
まだ果たしきれない使命の一旦を伝えられ、至福のひとときでした。

40年間私に付き添い、キリストとを信じて、不肖の師を見限らずに、今も天路歴程を共にする、弟子の真心に応える道はまだ遥か彼方です!

2009-07-25

天路歴程(21)あぁー!神よ!

トリノの聖骸布(部分)

キリストのお体を包んだあま布、聖骸布に浮き出した、彫りの深いお顔の写真を拝顔しました。

あま布に包まれていたお顔がくっきり浮かび上がり、言葉にならない深い感動におそわれました。

キリストのお体の脂肪が、あま布に永年の間に染みこみ、崇高なお姿を、2000年を経て人類の受難時代に合わせるように浮き上がった。

神秘的です。

神の愛し子です。

人類救済の悲願は、まだ達成されてないないのでは?

再び、わたしたち人類の前にみ姿を表したもうた!

まだ、救い主はキリストは現役で、今も悩める魂のために生きて働いておられる!そう、確信しました。

キリストが命を賭して人類の平和共存を説かれた愛の犠牲、教えは一体何処に消えてしまったのでしょうか?

キリストを宗教家とみるか?人類の革命家と見るか?ですが?

両面を兼ね備えいなさるお方だと私は受け止めました。

キリストか語られた言葉のなかに書かれていることの真意を精査、霊読すれば解ることです。

一滴も血を流さずに平和が達成できる宗教がこの地球上に果たして、存在するのでしょうか?

キリスト教徒同士が、殺戮を繰り返してきたのは世界中が知るところです。

キリスト教徒だけでなく、裏に潜む責任者、リーダーが、キリストの教えに反するキリスト教国に、平和の礎となる平和の真理を精力的に訴える責任があります。

無関心は大きな罪です。

世界中の紛争地帯は皮肉なことに、パレスチナ一帯、旧約聖書が舞台です。

アダムとイブの血とその霊統をくむ、近親憎悪が根深いです。

宗教は平和と人々の幸せのために存在するものです!しかも宿敵は兄弟同士。

イスラエルが聞き分けのない、だだっ子なら、キリスト教会が結集して、諫めるべきです。

身内同士です。

自分たちから率先垂範すべきです。

時代は劇的変化を遂げようとしています。

政教分離はキリストの教えです。

国民を困難に突き落とす、政治に歯止めを掛けるべき時が到来していると告げられています!

ユダヤ教
キリスト教
回教徒

アダムとイブの血の流れを酌む親族関係にあります。

平和を創りだすはずが、お互い危険な敵になりました。

仏教を信じるおとなしい国まで怪しい様子です。

神仏の限界を人類は越えたのでしょうか?

今夜も神に食い付きましょう。

何故人間の愚かさを止めないのか?あなたも歳をとられ老衰したのかと?

尋ねます。もう、午前三時です!あぁー!神よ!

語り給え!

2009-07-23

天路歴程(20)言霊

夜中に、いきなり言霊が響くことがあります。

「聞け、語れ!」

元は、シェマーイスラエル→神の預言者に語り掛けた言葉です→聞けイスラエルの意味。

体の奥底から激しく揺すられ突き上げられます。

夜中にです!眠りは吹っ飛んでしまいます!

これは幻想か?夢、幻か?

人間の脳中の生理的な働きではないだろうか?等々

寝床から起き上がり、神に尋ねます?

宗教家の視る夢は神の啓示に結び付き、警世のメッセージなら無視できません。

私の望みです。

最近ですが、地球外生物とテレパシーのやりとりが出来たら?と、真剣にかんがえるようになりました。

地球に現出している、様々な不幸な出来事が、もし優れた知恵で、解決出来たらと夢を抱いています。

わたしたちを取りまく、無限大の宇宙の何処かに、わたしたち地球人類の想像もつかない、豊かな知恵を備えた惑星が在り、高等生物が存在するなら。

テレパシーで交信して教えを請うのです。

平和な地球にしたいのです。

このままでは、何れ地球人類は互いに憎しみあい、何時の日にか、取り返しのつかない死の星になりかねません。

人類が滅亡しない保障は何処にもありません。

新しい生命体に蘇るキリストの約束が人類のせめてもの救い、希望です!

言霊があたえてくれた警告です。

祈ります!

断言出来ませんが、人類が平和で、穏やかな精神構造を持ち、進化を遂げた生命体が住む惑星があったら、と!生きている限り祈ります!

言霊が虚しい響きを破壊され尽くした死の惑星地球に響く!

あぁー堪りません、耐え難い悲劇です。

まだ間に合うのです。

地球人類に争いのない、屁理屈のつかない、幸せである地球の再生を!

神よ守りたまえ!

あなたが創造された、この宇宙の掛け替えのない美しい惑星地球の全ての命に祝福を!

2009-07-22

天路歴程(19)1冊の聖書(2)

吉冨先生のご生涯は神一筋でしたから、俗人が求めるものとは、生活の質が根本的に異なりました。

むしろ非常識に近い存在者でした。

頼まれたお弟子もかなり変り者でした。

細かい説明は省きますが、余程の素質、何より神の使命を帯びて居いないと、人間の思い込みでは、信仰的に狂う危険な実体を目の当たりにしました。

明らかに師と弟子たちの信仰の質が違いました。

先生は、それを承知の上で、私に弟子たちを託されたのだと思います。

真理に根差した信仰には、打算、狂信、狂気、盲信は無関係です。

純粋です。

やたら、自己的な熱心に、“何かに”、のめり込んで、人為的に(作為的に)作り上げたものは、キリストの説かれた信仰の道筋とは全く似て非なるものです。

化け物です。

聖霊が働かない状態で、自分に特別なカリスマが在ると錯覚しますと、サタンの虜、手先に変質します。

ルシェフル、落ちた天使、サタンと化します!

あの旧約聖書の創世記に登場する、アダムとイブの子、カインとアベルの大きな違いは、信仰心の質の違いでした。

同じ行為に似ていながら彼らの隠された人の本質が試され、神の捧げ物に現れました。

神は真心からの捧げ物を祝福されたのです。

真心から出たものは神の祝福を受け、見せ掛けは否定されます。

吉冨先生の晩年は、自ら育てた弟子たちの行く末を案じて、危惧の念でした。

カインとアベルは、同じ親から生まれたにも関わらず、全く霊質が違いました。

創世記に詳しく記述されているとおりです。

「神はいるのか?いないのか?いるとすれば、どうしたら解るのか?」と、よく質問されますが、私はキリストのみ言葉をそのまま伝えます。

「神は→神の国は、あなたの心のただ中に在る」と!

聖霊に満たされた人々、神の愛に導かれた先人たちの死は、困難に打ち勝ち、苦難を乗り越えるに必要な希望と勇気を与えてくれます。

雲の垣間、日食(中井にて)

天路歴程(18)1冊の聖書(1)


鹿児島出身の伝道者、吉冨愛泉先生のことを先に少し触れましたが、先生からお聞きしたメッセージが心に残り追伸の形で書き足します。

佐賀県鳥栖の農村地帯の質素な藁葺き屋根の本当に小さな家に、先生は黒猫と2人で住んでいました。

がらんとした家の中に目ぼしい家具類も無く、井戸と、黒ずんだ“おくどさん”(煮炊きする釜戸)と僅かな食器がぽつんと、土間の片隅に淋しそうに、ありました。

そんな生活の中で先生の支え、精神の拠り所は使い古した、一冊の聖書でした。

所々傷み、先生の細かい字がびっしり、書き込まれていたのを見ました。

先生の人生が凝縮している聖書でした。

思うに幼い日に我々の想像を超えた苛酷な生活を余儀なくされた先生の、心の深い傷を癒し、生きる力と希望をあたえてくれたのは、唯一聖書であり、キリストの生きたみ言葉ではなかっのか?と、胸を突かれた記憶が蘇って来ました。

先生は聖句を丹念にまるで何かに憑かれたように、霊読しておられたのです。

当時のキリストとお弟子たちの現実を目の当たりにしている緊張感がありました。

先生は「真理に触れられたら、この世に生を受けた深い意味と価値があります」とよく、話しておられました。

「聖書を深く読み込んで、み言葉を受肉する。

聖書の1ページ毎に噛み砕いて口の中に放り込み、それでキリストの神秘性に触れられたら?」と、真剣な眼差しで、じっと見つめられ鳥肌が立ったことがありました。

昨夜はなかなか寝付かれずに過ごしました。

これから先の教会の在り方存続、弟子たちの事などですが。

実は、吉冨先生に3人のお弟子がいました。彼らは先生と離ればなれになり、共に生活した様子はありませんでしたが。

先生は彼のお弟子達のためによく祈って居られました。キリストが弟子たちを愛したように。

ある日、3人のお弟子の2人を私に託されました。

先生はご自身の死後を考えておられたのだと!後の日、気付きましたが、私の力ではどうする事も出来ませんでした。

まだ未熟な私には重荷でした…

後に続きます。

2009-07-21

臓器の叫び

双子の兄を失った、残された弟の左の腎臓が今夜も叫ぶのです

わたしが燃え尽きるまであなたと運命を共にするのは構わないませんが

肝臓の長兄まであなたの身勝手な振る舞いで、
死の道連れには、しないで欲しいと

尿酸値、クレアチニンが高いのはわたしせいじゃない!
あなたの不始末です

静かな沈黙の長兄の肝臓は、あなたの不始末に黙々と耐えている
あなたは我々臓器の本当の働きに無知で在りすぎた

いい加減にしなさい!
わたしたちは誠実な働き者の臓器

神の使命があなたの真ならその使命をきちんと果たしなさい
わたしたち臓器の使命を真摯に学んだ上で、
独り善がりは、はた迷惑、極まりなし!



今夜、臓器からこっぴどく叱られました。
返す言葉がありません。
ここはしっかり彼らの叫びを真摯に受け止め、過ちを認め、新しい使命を全うする誓いを立てました!
伝道者に、二言無しです!

2009-07-20

弟子へ



身体は本当に大変だが、心は別だよ。

時に神は黙して語らずだから。

応答が無いときは静かにしていればよい。

必要は要求しなくても与えられる。

身体の苦しみは、精神的な苦しみから見たら、たいした問題じゃないと思う。

オショチは最近初めて、無理やりな、自分流の生き方にとどめをさして、身体の叫びに耳を傾けるようになった。

これが自然の生き方だと、遅まきながら、気が付いたから。

神様さえ見失うことがなければ、必ずや聖霊が働き知恵と力を与えてくださる。

自信を無くしても聖霊がまた力を取り戻しくださる。

聖霊は困難にある人を助けたい、何とかその人のために役立ちたいと願っている。

助け主、キリストの力を信じて疑わないオショチより

アーメン・ハレルヤ†

2009-07-16

天路歴程(17)天に帰った獣医

極楽死を望む

四国の何処かのお寺に、極楽往生をお願いに行くツアーがあると聞きました。

歳を取ったら誰にも迷惑を掛けず、“ポックリ”あの世に行きたいと、誰もが密かに抱いている、世俗的な願望だと思います。

特に心身を痛めると、自分の往生際が気になるものです。

念仏を唱えてポックリあの世の旅に出掛けられたら!苦しまずに最高の人生をむかえられるでしょうか?

このお寺の住職に一度会いゆっくり話を聞きたいものです。

情けが仇に!

ある生活者がいました。

元、腕の立つ獣医師でしたが、ある時、北国の酪農家の家畜の健康状態を調べるために派遣されました。

偶然立ち寄った農家の一頭の牛に、蹄(ひずめ)の病気が見つかりました。

彼の役目は辛いものでした。

放置すると、健康な牛にも伝染します。

彼は規則に従い、役所に報告しました。

当然、薬殺の指示が出ました。

彼は情け深い人物でしたから、ためらいました。

家畜を育てる苦労と、飼い主の愛情を思い、薬殺に踏み切れないで悩みました。

「今すぐに薬殺する必要はなかろう?少し様子を見てからでも遅くはあるまいと自問自答しました」

さらに、農家のおばーさんが両手を合わせて必死に牛の命ごいをしました

泣きながらです!

彼は、おばーさんに、こう言いました。

「今日は一先ず引き揚げますが、何か異変が起きたら、直ぐ私に知らせてください」と。

それから1週間も経たないうちに、緊急の知らせが役所から届きました。

牛の蹄の病気が村全体に蔓延し、全て病気に侵された牛を薬殺処分せよ!との、厳しい、最悪の指示でした。

当然、彼の責任が厳しく問われました。

彼は、あの時見逃した牛のこと、涙を流しながら手を合わせた、おばーさんのことが、重苦しく、心にのしかかって来ました。

村に着くと、不安顔の酪農家の人々が集まっていました。

検診の結果は悲惨なものでした。

その日のうちにかなりの牛の命が、彼の手でを断たれのです。

やがて、真相が明らかになりました。

彼は重い責任を負わされ、石を投げられ、獣医師の資格を剥奪されました。

後はお決まりの転落の道が彼を待ち受けていたのです。



初めて、彼に会ったのは身寄りのない人々の施設でした。

仏教系の施設でしたが、私は自由に立ち入りが認められていました。

6人部屋の窓際のベッドに背中を丸めている姿に強く気が惹かれました。

似つかわしくないのです。

毎日、酒に明け暮れ、無断で女性の部屋に入り込み、だれかれなしに抱きついて回る。

彼の居場所は、そこにはありませんでした。

そんなある日、公衆電話が教会にかかって来ました。横浜市寿町の、通称ドヤ街からでした。

施設も追い出された彼は、必死にすがりついて来ました。

彼を苦しめる原因が、判明しました。

あの時、自分の手で薬殺した牛たちが彼の前で涙を流したというのです

賢い牛たちは、自分が殺されることを直感的に知り、涙をながして命乞いをした。しかし僕の手で彼らを殺した。

その良心の呵責が自分を含めて人間不信に輪をかけていたのです。

酒に酔えば、「牛が泣いてる」と、頭をかきむしり、悲痛な叫び声をあげました。

彼をドヤ街から救い出し、町田市のアパートに住まわせました。

だんだん彼は心の内を打ち明けてくれるようになりました。

それからほどなく洗礼を受けて、彼の心にやっと平安が訪れたのでした。

彼は自宅のアパート暮らしを自由気ままに楽しみ、私とほぼ同じ年齢で静かにこの世を去りました。

今はわたしたちの教会の共同墓地、見晴らしのよい、静岡県御殿場市にある富士霊園に静かに眠っています。

優しい獣医師さんは天国の牧場で仲良しの牛たちと楽しく暮らしていると思います。

彼が望んだポックリ寺は、彼の身近に、優しい心の中に在りました。

天路歴程を、彼なりの仕方で過ちを償い、歩んでいきました。

安易に責任のがれを避けることをせず、自分過ちに誠実に向き合い、苦しみながら、かれなりの償いを果たして、天国に国籍を移した彼に、神の御祝福を改めて祈ります!

アーメン、ハレルヤ†
木々の緑のなかで!

2009-07-15

天路歴程(16)夢の楽しみ

hoshizora

最近、私はよく夢を見ます。

不思議なことに、目覚めた後も、夢に見た光景が脳裏にはっきり焼き付いているのです。

見知らぬ土地が懐かしく感じられたり、夢で度々会う人と、夢馴染みになったりです。

夢の中で宇宙を駆け巡り、見た光景は神秘的です。

今までいろいろ見てきた夢の中でも、脳裏に鮮明に焼き付いて離れないのが宇宙の最果ての光景です。

宇宙の最果ては暗黒です。

暗黒の最果てから見ると、遥か彼方に星々が煌めき、天地創造の創世記を事実だと感じたくなります。

神話の世界の記述、あの膨大な旧約聖書の記者は、どのようにして宇宙の誕生を知り得たのか、神秘に包まれた謎が残ります。

長年にわたる古代から、現代、未来にまたがる宇宙の観察で、わたしたち人類と似た宇宙生命に出会う可能性は高いと感じます。

非科学的だと笑われるかも知れませんが、楽しい夢は大いに見て、心に広がりを持てば、辛い闘病生活にも活力が出ます。

私が見る奇想天外な夢の話ですが、いい歳をして、夢が自由に書けるのは、人生を楽しく生きる知恵かも知れませんが? 好奇心に年齢は無関係だと私は信じています。

頭の中で感じ取り、記憶に残る何かが働いている証だと受け止めいます。

少年の頃の好奇心は76歳の今に到るまでいささかも、衰えません。

私の愛用車のカーナビには夕暮れが近づくと、様々な星座が現れる仕組みが組み込んであります。

わたしたちキリスト教徒は死後の世界の帰り行く先は天に在ると信じています。

距離的な天ではありません。

霊的な意味での天です。

今日一日のお休みなさいの挨拶です。

あなたも楽しい夢を見てください。

ではまた!

photo by hoshi (Attribution-Noncommercial-No Derivative Works 3.0 Unported)

2009-07-13

天路歴程(15)


昨日の東京都議会議員選挙で、自公両党の政策に都民が突き付けた審判には、胸の奥底のつかえが取れたと感じた人々が 多くいたのではないでしょうか?

古い手法や利権がらみの政策、既成の価値観への人々の意識の変化に対応出来ない政治に、人々→都民、国民がはっきりノーを突き付けたのです。

明快な回答でした。

いい加減なその場しのぎが通用すると、与党の連中が考えていたなら、選挙民を愚弄する馬鹿げた話です。

こんな連中に、この国の大事な政治が未来が任せられるでしょうか?

このままではとんでもない国に成り下がってしまいます。

官僚と政治家のはっきりした、役割、使命感、区別が、今一つ、スッキリしません。

もやもやした感じです。

かび臭い、古びた手法は既に機能性を喪失しています。

狭い組織、視野の狭い考え方を変えない限り、凄い勢いで変革しつつある、新しい世界に取り残されてしまいます。

この国の大事な役割は、改めて、環境破壊を食い止める手段、平和、富の偏らない公正な配分、そのための生きた経済政策などなどです。

自分たちで真剣に考えた、世界に通用する、普遍的なマニフェストを発信すべきです。

平和に役立つ文化政策も含めて、世界に提案をすべきです。

近づく衆議院議員総選挙に世界の目が集まっています。

尊敬される国作りを目指すべきです。

平和で、世界中の国々に、武力等必要としない国の姿を、示す責任があります。

世界中で初めての被爆国の大事な使命、役割です。

64年前の8月9日の長崎原爆投下のあの悲惨な光景を忘れた政策、政治は、亡くなられた人々の犠牲を冒涜するに等しい筈です。

近づく、衆議院議員総選挙の中に是非とも加えて欲しい政策に、平和国家の在り方を、政権担当する政治家に求めます!

2009-07-11

天路歴程(14)追憶

淡路島にて在りし日の従妹、邦子と娘、奈津子

2005年10月16日。

幼い頃から仲良しの従妹が、骨ガンで帰らぬ人になりました。

65歳でした。

思いがけない死でした。

神戸に住んでいました。

一男、一女をもうけ、幸せな日々を送っているとばかり考えていましたが、その時、
ガンが静かに体をむしばんでいたのです。

訃報を受けて、神戸に駆け付けました。

幼い頃から優しかった彼女は変わらぬ、そのままの姿で白い柩の中に横たわっていました。

穏やかな顔でした。

一度患い治癒したはずのガンが、かなり歳月が経ってから、骨に転移したという話しを聞きました。

日本人の中に、ガンが増えています。

思えば昔の、お米、野菜など中心の日本人の体に馴染んだ食生活が戦後、急速に変わりましたね。

欧米人の身体の構造とは異なる、食文化の在り方が今やっと見直されて来ました。

私はガンが奪った愛する従妹の死には、誤った食生活、農薬漬けの食材、環境破壊、様々な環境ストレス、環境破壊を作り出す悪循環を断ち切ることの無視できない因果関係を感じ取りました。

ひと一人の死に隠された原因は誠実に解明されてこそ、死者も遺族も浮かばれます。

強く訴えます。

悪質な人間の意図の犠牲は真っ平ゴメンです。

このままでは、地球からやがて絶滅するでしょう生き物、絶滅生物の一番目に人類を挙げるべき事態です。

利権にかんじからめの政治家たち、その指導者たち、産業中心の在り方は、やがてわたしたち、人類の滅亡を意味し、墓標が地球の目印になりかねません。

正しい人も、そうでない人間も同じ地球船に乗り合わせた以上、運命共同体です。

愛する愛娘のまだ生きられたはずの人生を奪われた年老いた母の悲嘆にくれる日々に、その死を理解納得していない叔母の心が悲しく切ないのです。

今、94歳になり家を離れて静かに天寿を全うしようとしている叔母に、私の出来る事は、天国で再会できる希望を直に伝えることです。

深いことは年老いた叔母には理解出来なくても、今日本人が危険に曝されている誤った生活を改めて検証し直す時期が到来したと従妹も訴えます。

最後に!
昨日、退院後の私を気遣い神戸からわざわざ見舞いに来てくれた従妹の娘、奈津子から、死因を初めて知らされました。

ガンが転移した事がわかった後、他の病院に転院することが辛くなり本人の意志で、そのまま闘病生活を続けた事が分かりました。

多分、覚悟を決めていたのかも知れません。

それとは知らぬ、年老いた叔母(当時90歳)の深い嘆きの姿を見ることは心底辛いでした。

生死は誰にでも一度は訪れます。

生き物の運命ですから受け容れざるを得ません。

しかし、昨日中井の玄関に立っていたのは、従妹とみまがうばかりの娘、奈津子は、紛れもなく従妹そのものの姿でした。

人の命は確かに受け継がれしっかり生き延びていくのですね!

今朝、懐かしい従妹の生前の声を聞きました。

「あんたは、あげん勉強嫌いの筈が?なして、建築家や牧師さんになれたとね?不思議でたまらんばい?」

答えました。

「神様から尻をひっぱたかれたけん、怠けんと真剣に嫌な勉強したとよ!」

「ふうーん、そうね!」

霊魂を研ぎ澄ますと、あの世、天国は身近にあります。

「子が親に先立つこつ、こげな不幸はなかばい!」と悲嘆にくれる叔母の姿を見兼ねて、慰めの言葉も見当たらず余計な言葉が口からすべり出ました。

「叔母さん長生きして辛かっ目にあったね。天国ではもう別れはなかとよ!」

従妹とそっくりの娘、奈津子と

2009-07-09

天路歴程(13)

人間は本能的に魂の解放を、真の自由を求めます。


誰の束縛も受けたくはない生き物です。

キリストは罪の奴隷からの解放を宣言し、
神を信じる人々に霊魂の自由を与えました。

人間は古来神の掟を破らなければ、罪の束縛とは無縁の存在者のはず
でした。

創世記のエデンの園で犯した、アダムとイブの神話は人間の本質をリアルに描きだしています。

神が与えた恵みの特権を我が欲望のために捨てる。

愚かな恐ろしい
誘惑は、わたしたちの周りに毒グモの巣のように張り巡らされ、罠が仕掛けられているのです。

みすみす罪の魔手にかからないように賢く生きる知恵が求められます


人が、間違いを犯さず、清らかで、
美しいものだけを選んで生涯をまっとう出来たら幸せでしょうか?

私はそうは思いません。

キリストは自分の十字架を負いなさいと、
弟子たちにしめされました。

魂の成長は試練の火で精練されることを示唆されたのです。

様々な試練、困難を乗り越えた魂が、命の輝きを発し、人々に希望と生きる勇気を与えるのです。

話は変わりますが、聖地は立地条件の悪い険しい山岳地帯に多く見られます?


何故でしょうか?

高野山遠望

古代人は神々は山に住むと考えました。


人々は敢えて困難に挑戦し、
自分たちの信仰の証として険しい人里離れた場所に、神殿を築き上げました。

日本も山岳信仰が盛んな国です。

洋の東西を問わず人間は信仰を持たなければ安心できない生き物な
んですね。

生きるための知恵は神との正しい関係から与えられます。

人類に偽り無き平和が訪れますように、今日も祈りました。

高野山遠望 photo by masaaki (Attribution-Noncommercial-No Derivative Works 3.0 Unported)

天路歴程(12)

人間の生命の存在は、広大無辺の宇宙から見たら星たちの一瞬のまばたきに過ぎないかも知れません。

肉体の死は一過性。

人間の霊魂は永遠不滅。

魂の故郷は天に在る、とわたしたちキリスト教徒は、このように受け止めています。

イエスは弟子たちに語りました。

心を騒がせるな。神を信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。

行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。
こうして、わたしのいる所にあなたがたもいることになる。


わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたは知っている。
ヨハネ14:1~4)

死の恐怖に打ち勝ち、死の陰の谷を越えた信徒たち、私の胸を深く打ちます。

永遠の生命の故郷を目指す天路歴程者に死の恐れはありません。

長崎26聖人像

かの長崎は、我が国にキリストの教えがのべつたえられた聖地です。

26聖人の殉教の地です。

あの殉教者たちの表情は、天国に帰り行く深い喜びと平安に包まれています。

死を恐れぬ姿に、イエスの約束のみ言葉が甦って来ます。

長崎の殉教の史実は、苛酷な宗教弾圧に怯まなかった信徒たちの結束と信仰の奥深さ、信仰の揺るぎなの実証です。

いくら政治権力で弾圧しても真理に根ざした人々の心まで支配出来ないことを、彼らは死を賭して実証しました。

私のおぼつかない右手で、一字一句を打ち込む度に天国を目指した人々の心情に想いを馳せます。

不思議なことに、死を目の前にした時、心に平安と生きる力が来ます。

わたしたちの信仰は世の救い主が自分の中に人としての生き方、行いに確信を与えてくださる事が大きな喜び励みになります。

神の恵みを余すところなく頂き与えられた人生を心豊かにまっとうしたいと願う毎日です。

2009-07-07

天路歴程(11)

神亡き世界は滅ぶ。

これも啓示です。

今のパレスチナ問題は根深く、ユダヤ人の自分たちだけが神に選ばれたと言う選民思想の過ち、奢り、傲慢から生じています。

おかしな理屈です。

人種浄化作戦のあしき例は枚挙にいとまがないのです。

イギリスの聖書研究をしている、神学にも造詣の深い、サーリー大学のカトリック神学者マイケル・プリオル氏は聖書の名のもとで進められてきた植民地主義について、教会は懺悔すべきだと明言しています。

聖書が神を人種浄化役として描いたと言う指摘です。

その大きな錯誤を正すために、あのゴルゴタ(されこうべ=骸骨の丘)で十字架の刑死を遂げた、イエスの犠牲死は一体なんだったのか?

キリスト教会、キリスト教徒は今一度深く反省する時を迎えています。

自分たちの国、自分たちの豊かさ、贅沢の限りを尽くすおかしな生活、貧しい国民から略奪する大国。

貧しさ、偏った富の配分。

この不公平まで神のせいにしてはばからない国は必ず裁きを受けます。

わたしたちは声を上げます。

神に正義の回復に目を閉じないように!

信じる御方の裏切りは予想しません!

み子をこの世にお遣わしになられた神がふたたび、イエスを十字架に掛けるるでしょか?

神がわたしたちを裏切れば人類は地球から消え去るでしょう。

神がご自身に似せて創造された、あなたの神話は根底から崩壊します。

神の死です!

パウロたち、バニヤンの犠牲死を無駄にしないでください。

同様に圧政と貧困、暴力に苦しむ人々をお救いください。

テロリストの根絶は貧しさの排除で解決出来る可能性が高いです。

ビンラディンたちをテロの狂気に駆りたてた大国に裁きを与え、また不公平を、今取り除いてください!

祈ります。全能の神なるあなたへ!

アーメン。ハレルヤ

天路歴程(10)

静かに目を閉じて眠りにつく、まさにその時に、神が語り掛けてきました。

汝の霊よ、目覚めてわたしの語る言葉に耳を傾けなさい。

疲れ果てた体では応対不可能でしたから、霊魂の受け持ちに切り替えました。

体はすでに眠りこけています。

私が2人いて、互いに助け合う私独自のありかたです。

耳を澄ませばみ声が聞こえてきます。

神のみ声はすべて光です。

人語ではなく光です。

私の内に何か受信機が有るのかも知れません?

語れ!述べ伝えよ!

人よ!わたしに聞き正しい道に立ち返れ!お前たちの道は明らかに、我が道とは異なる滅びの道!

愚かな争い、愚かな国々の指導者よ!直ちに去りなさい!

わたしの選ぶ人を立てて、わたしの祝福の元に、人々の幸せの、国作りに、人々よ立ち上がりなりなさい!

わたしは愛と正義を重んずる人々の神、主である!

朝方まで続きます。

人目に付かない、壁がありました。

ほこりだらけです。

ほこりを払うと隠し扉がありました。

開くには何か鍵が必要です。

念じていると不思議なことにひとりでに扉が開きました。

中に収められていた書き物には先程記したみ言葉が書かれていまた

混迷を深める日本、世界の国々、神は警告を与えています。

不義、不正、不和、悪徳はやがて神の審判を受けます。

神は、神の名を語る偽物たちに裁きを下します。

偽物よ去りなさい!国師を名乗る輩よ!わたしの名をみだりに唱えてはならない!

今朝、頂いた警告をその昔、神に仕え、神に従った先人に習い、語りました!

2009-07-06

天路歴程(9)

昨日の事ですが、私の今後の闘病生活にとても大事なヒントを与えてくれた、お方の訪問をうけました!

わたしたちの信仰生活の拠点でもあり、また実生活の大切な場所でもある、中井の土地を売って下った、地主のルイさんでした。

今年92歳になりますが、山坂の道を腰をかかめながらも、ゆっくり歩く健脚の持ち主です。

私の顔を見て「あんれ!久しぶりだなぁー!」と、ニコニコしながら声をかけてくれました。

自分をしっかり生きて来たルイさんです。

働き者の彼女から私は無言の教えを沢山頂きました!

無論、本人はその事に全く気付いてはいませんが…

3年くらい経ちますか?大事な一人息子さんに先立たれ。深い悲しみの日々を過ごされていました。

わたしたちも大層、胸を痛めたことでした。

ルイさんは、無類の野球好き、ルイさんの大切な生き甲斐かもしれないと思う程です。

それも長島茂雄の大フアンです。

彼の病状が気になったり、先立たれた夫人を懐かしんだりで、何か自分の若い日と重ね合わせている様子でした。

わたしたちの教会の近くに、東名高速道路中井サービスエリアがありますが、そこで働いていた時、たまたま、サービスエリアに立ち寄った俳優の杉良太郎に、お菓子をご馳走になり、親しく話を交わした様子などを生き生きと、まるで昨日のように、ルイさんは話してくれました。

これらの思い出は、彼女の心の大切宝物なんですね。

田舎の山道は危険がいっぱあります。ルイさんの護身術は、腰に差した草刈り鎌です。


最近まで腰に差していましたが、昨日は素手でした。

気丈な、ルイさんは自分の不幸に負けないのです。

明治、大正時代を、自然体で生き抜いて来た人々は芯がしっかりしていますね。

また、おかしな現代病に侵されてはいません。

よく働き自分の畑で作物を育て、収穫して食べる。

足腰を鍛え上げた彼女をの生きざまを、私は密かに敬しているのです。

退院後、梅雨にかかり、体調がいまひとつすぐれませんが、昨日、聖日礼拝のあとに訪れた、ルイさんは、曲がった腰をしっかり、両足で、大地を踏みしめ、教会から近くにある我が家に向かってゆっくり、後も振り向かずに姿を消してゆきました。

ただ、それだけの話ですが、静かに見送った私には感動的なひとときでした。

さりげない日々の、さりげない心のふれあいが神様から頂いた恵みでした。

ルイさんも天路歴程の旅人だと思わされました!

2009-07-02

天路歴程(8)気の長い神

ある友人の無神論者から度々絡まれたことがありました。

特に酒に酔っばらうと決まって、「おい!牧師さんよ。神様が、あんたの言うとおり本当にいるなら何故?戦争が絶えないんだ? 人間は何故不幸になるんだ? 悪人がのさばるのは何故だ? えっ!ちゃんと説明しろ!」

彼の言葉を聞きながら、何だか彼の寂しい、やるせなさを感じて、妙に納得したものでした。

「俺は神様を信じないぞ、人間死んだらおしまいよ!どうせ死ぬなら好き勝手に生きるさ!俺に干渉するなよ!おい!わかったか?」

こんな調子の彼が酔いが醒めると別人のような姿で目の前に立っていました。

人生を捨て鉢な気持ちで生きることは、本人も心の奥底では納得していないことが良く伝わってくるのでした。

地道に生活していた友人の荒れた生活と家庭環境の変化に戸惑いながら、酒に逃げ込み彼の果てしない愚痴。

他人を呪咀する彼を、何故か憎めず、かえって、見放すことは出来ませんでした。

ある日の事でした。

珍しく素面の彼から意外な言葉を聞きました。

「牧師さんよ、俺は考えた。

あんたは黙って俺の言いたい放題を聞いてくれた。

あんたは俺を責めなかった。

あんたの神様は気が長いね。

すぐにではないがいつか死ぬ前に信じるよ。」

独立伝道を始めた頃の話でした。

2009-07-01

天路歴程(7)

使徒パウロとバニヤン、オショチから皆さまへ

いろいろ人生の苦難と闘われているお姿を思い、深い感動を覚えます。

いまが如何に苦難に満ちていても神は必ず逃れの道を備えてくださいます。

かく言う私も身体に刺をもつ一人です。

痛み、苦難、試練を経験、体験すると、人は優しさを身につけます。

苦労は無駄にはなりません。

この小さな積み重ねが大切だと思います。

悲しいかな、人間は健康体である時より、むしろ病んでいるときに本当の自分に巡り合う機会があります。

本音が出ます。

私はこの貴重な体験を、自分1人で抱え込まずに、同じ境遇に置かれいる立場の兄弟姉妹にお伝え出来たらと祈っています。

この梅雨の季節には、健康的な人でも体調を崩しがちだと聞きます。

梅雨の恵みが植物には欠かせませんが、わたしたちも、まずは自分の健康を1日でも早く取り戻し、愛する家族、人々のために出直したいと切望しています。

神様の恵みを頂きたいです。

ネット教会の皆様の上に神様の御祝福が豊かに注がれますように、そしてあなたの切なる願いが叶います様に祈ります。アーメン・ハレルヤ

雨にけぶるふるさとの家のキリスト像
by Oshochi