2009-07-22

天路歴程(19)1冊の聖書(2)

吉冨先生のご生涯は神一筋でしたから、俗人が求めるものとは、生活の質が根本的に異なりました。

むしろ非常識に近い存在者でした。

頼まれたお弟子もかなり変り者でした。

細かい説明は省きますが、余程の素質、何より神の使命を帯びて居いないと、人間の思い込みでは、信仰的に狂う危険な実体を目の当たりにしました。

明らかに師と弟子たちの信仰の質が違いました。

先生は、それを承知の上で、私に弟子たちを託されたのだと思います。

真理に根差した信仰には、打算、狂信、狂気、盲信は無関係です。

純粋です。

やたら、自己的な熱心に、“何かに”、のめり込んで、人為的に(作為的に)作り上げたものは、キリストの説かれた信仰の道筋とは全く似て非なるものです。

化け物です。

聖霊が働かない状態で、自分に特別なカリスマが在ると錯覚しますと、サタンの虜、手先に変質します。

ルシェフル、落ちた天使、サタンと化します!

あの旧約聖書の創世記に登場する、アダムとイブの子、カインとアベルの大きな違いは、信仰心の質の違いでした。

同じ行為に似ていながら彼らの隠された人の本質が試され、神の捧げ物に現れました。

神は真心からの捧げ物を祝福されたのです。

真心から出たものは神の祝福を受け、見せ掛けは否定されます。

吉冨先生の晩年は、自ら育てた弟子たちの行く末を案じて、危惧の念でした。

カインとアベルは、同じ親から生まれたにも関わらず、全く霊質が違いました。

創世記に詳しく記述されているとおりです。

「神はいるのか?いないのか?いるとすれば、どうしたら解るのか?」と、よく質問されますが、私はキリストのみ言葉をそのまま伝えます。

「神は→神の国は、あなたの心のただ中に在る」と!

聖霊に満たされた人々、神の愛に導かれた先人たちの死は、困難に打ち勝ち、苦難を乗り越えるに必要な希望と勇気を与えてくれます。

雲の垣間、日食(中井にて)

1 件のコメント:

  1. 何でも、心ですね。真心ですね。ときどき邪心が、心をよぎるが、そんなときは、良くない結果で、終わりますね。すべてに、真心を以て接すれば、自分に帰ってきて、生きる希望が、頑張る勇気が持てますね。いつも、心を、奮い立たせてくれるブログありがとうございます

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