2009-07-22

天路歴程(18)1冊の聖書(1)


鹿児島出身の伝道者、吉冨愛泉先生のことを先に少し触れましたが、先生からお聞きしたメッセージが心に残り追伸の形で書き足します。

佐賀県鳥栖の農村地帯の質素な藁葺き屋根の本当に小さな家に、先生は黒猫と2人で住んでいました。

がらんとした家の中に目ぼしい家具類も無く、井戸と、黒ずんだ“おくどさん”(煮炊きする釜戸)と僅かな食器がぽつんと、土間の片隅に淋しそうに、ありました。

そんな生活の中で先生の支え、精神の拠り所は使い古した、一冊の聖書でした。

所々傷み、先生の細かい字がびっしり、書き込まれていたのを見ました。

先生の人生が凝縮している聖書でした。

思うに幼い日に我々の想像を超えた苛酷な生活を余儀なくされた先生の、心の深い傷を癒し、生きる力と希望をあたえてくれたのは、唯一聖書であり、キリストの生きたみ言葉ではなかっのか?と、胸を突かれた記憶が蘇って来ました。

先生は聖句を丹念にまるで何かに憑かれたように、霊読しておられたのです。

当時のキリストとお弟子たちの現実を目の当たりにしている緊張感がありました。

先生は「真理に触れられたら、この世に生を受けた深い意味と価値があります」とよく、話しておられました。

「聖書を深く読み込んで、み言葉を受肉する。

聖書の1ページ毎に噛み砕いて口の中に放り込み、それでキリストの神秘性に触れられたら?」と、真剣な眼差しで、じっと見つめられ鳥肌が立ったことがありました。

昨夜はなかなか寝付かれずに過ごしました。

これから先の教会の在り方存続、弟子たちの事などですが。

実は、吉冨先生に3人のお弟子がいました。彼らは先生と離ればなれになり、共に生活した様子はありませんでしたが。

先生は彼のお弟子達のためによく祈って居られました。キリストが弟子たちを愛したように。

ある日、3人のお弟子の2人を私に託されました。

先生はご自身の死後を考えておられたのだと!後の日、気付きましたが、私の力ではどうする事も出来ませんでした。

まだ未熟な私には重荷でした…

後に続きます。

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