2009-06-30

天路歴程(6)

イエスを慕い、彼の真理を確信した弟子たちの中でも、とりわけ使徒パウロやバニヤンのようにひたむきに生涯を賭けた生きざまに深く打たれます。

今年76歳になりながら、まだ先行く先、遥かなりの自分の姿を見ては、彼らの信仰は遥か彼方に聳え立つ霊峰です。

第一、試練、苦難の質が違います。

こればかりは自分で選べない道、神との道行きですから。

伝道をはじめたころの貧しさは今でも忘れません。

その貧しさのどん底に空腹の弟子たちが飛び込んできました。

あるだけの食事を与えましたが、彼らの腹を満たした後には、自分たちの空腹が待ち構えていました。

しかし、今、思い出します。

あの時、弟子たちの空腹を満たした幸せを!

今朝また夢に霊峰を二度視ました。

空に光り輝く白い霊峰が聳え立ち、文字がはっきり 読み取れました。

「愛、救い、平安、幸福」
と、刻まれていました。

不思議な啓示です。

私事ですが、この季節は体に負担が掛かります。

片腎臓ですから、思い通りに体は言うことを聞いてはくれません。

顔、足のむくみも気になりますが、4月の第三の人生の謎解きの始まりと、与えられた神からの使命は果たさなければなりません。

私の仕事、ネット教会の仕事は生涯賭けて取り組むものだと自覚しました。

天から私を見つめてくださるお方の存在を肌に感じます。

犠牲はつきものです。

神のご意志に従うなら!

続きます。

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