我が国でも長崎の26殉教者、
さすがに見かねた死刑立ち合いの役人が、少年に死刑になることをや
幼い少年の、
あのダビデ大王でさえ、迫りくる身の危険死を恐れました。
「主よ、
死の国へ行けば、誰もあなたの名を唱えず陰府(よみ)に入ればだれもあなたに感謝をささげません」(詩編6:5-6)
神に向かってずいぶんはっきりしたもの言いです。
まだこの時代にはヤーウエの神は恐ろしく厳しい裁きの神のようでした。
しかし、このダビデの末裔から神の御子キリストが出現しました。
ダビデとの血縁関係はありませんでしたが、神の予言による誕生でした。
このキリストの出現により、死の恐怖を越える力がキリストを信じる者たちに宿り、支えになりました。
死を恐れない者はいない時代に、信じるお方に全身全霊を捧げて、殉教をものともしなかった人々は何故?信じる力信仰心がこれほど強いのか?
当時のイスラエルの司祭たち、またイスラエルを支配した強国ローマ帝国の支配者たちには理解不能、脅威でした。
聖パウロ(以下パウロと呼びます)の伝道活動は広範囲でした。
(つづく)
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