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2009-12-30

新しい心を新鮮な器に


愛の樹の皆に

人を活かす本当の力とは!信仰とは!深い魂のどん底にある!

思い違い、誤解は勇気を出してとことん話し合いで解けば良い

氷解する†

失敗は成功の基

自分の欠点を長所に変えるチャンスだと受け止めて欲しい。

毎日脱皮を繰り返して、大きく育つ

自分の若い時は周りが手に負えない悪たれたった

今、考えると自分でもぞっとする。

悪たれだから良く分かる。人間の弱さが。

誰も人を咎め立てする資格は無いと思うが?

自身の矛盾を考えたら、偉そうな言葉は吐けないが。

しばしの師だから、我慢して、自分の信仰、キリストの愛をしっかり自分に根付かせてください†

それを見届けたい

新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れる

皆、天の高みを目指して欲しい。

聖霊が導く。邪悪な霊に取り憑かれないように、日々キリストを見上げ、祈って†

私は何者?ただの人間に過ぎない!

2009-11-04

「夢は神の警告」から(2)


人生のほとんどを刑務所で過ごした弟子がいます。

今も無事に生きているなら80歳代。

彼の犯した罪は、おもに窃盗、住居不法侵入でした。

心臓の持病がありました。

何時も、心臓の薬を持ち歩いていました。

出会いは、友人からのSOSでした。

ある刑務所を、出所した時が前科15犯でしたから、今生きているなら、多分かなりの犯罪歴の持ち主になっていると思います?

行き場のない彼を、私の隣部屋に寝泊まりさせ、一緒に暮らしました。

しばらく経ち、小さな本屋さんに就職先が決まりました。

アパート住にまいをする身になりました。

無論費用は生活費を含めて、アパート入居資金、すべて私が工面しました。

貧乏牧師の精一杯の気持ちでした。

彼は人を信じる心を持ちはじめてくれました。

希望がわきました。

神の御心は、彼の魂の救いに向けられていましたから。

彼に話しました。

「老いて後、このままでは寂しいから、今なら間に合う。普通の生活をはじめないか?」と。

それから3ヶ月くらい?経ったある日、忽然と姿を消してしまいました。

部屋には食べかけのカレーライスが残されていました。

何の音沙汰もなく、思案して町田警察署に失踪人捜索依頼をしましたが、牧師の立場でも、身内でないかぎり応じられない、受理不可能と言われました。

探す方法もなく、ひたすら待っていました。

そんなある日、埼玉県警から電話が来ました。

刑事さんからでした。

私が渡した教会員の身分証明書を彼が大事に持っていたのです。

唯一彼の身元保証書でした。

それから、長崎、新潟、神戸、大阪、京都の警察署から問い合わせがあり、刑務所を転々として、ついに、彼は、私の前に姿を見せることはありませんでした。

彼には住み慣れた刑務所が、安心できる、我が家同然だったのでしょう。

私の手元に彼が家族とか?話していた写真を、私が数枚預かっていました。

彼の依頼で刑務所に送りました。

その他数え切れないほど、いろいろなことがありましたが、私の力には限界があり、最後まで手を差し伸べることは出来ませんでした。

心残りです。

彼が私に残した言葉があります。

「お世話になったオショチを裏切ることはありません。恩返しをします」と?

滑稽な、しかし真面目な話ですが、彼は勝手知った私の部屋には、絶対入り込まないとの、律儀な?メッセージ、なんだと、後で気付きました。

犯罪事件を見るたびに妙に懐かしく想いだされる今日、この頃です。

犯罪事件が少しでも減ることを祈る日々です。

これからも祈りのバリヤーを張ります。

また、刑務所で人生を閉じるかもしれない、弟子のためにも祈ります†

罪を犯す人が減少することを!

アーメン†

オショチ

2009-07-27

天路歴程(22)暑い夏


親愛なる我が病友も、この暑さに必死に耐えています。

今年の夏は殊更厳しい夏になりそうです。

右腎臓と胆嚢摘出後、初めて迎える、3ヶ月経過中の夏です。

主治医から術後3ヶ月は気をつけて、水分の補給を十分摂るように、また休息を勧められました。

許すかぎり気をつけています…

病も、生きる友と考えて見ると、
正に生きている恵みそのものの証だと、しみじみ感じられる今日この頃です。

自然の成り行きとして受け容れています。

また、神様からの幸せの知恵を借りて、
弟子たちを幸せな人生に導く私の使命を果たす絶好のチャンスでもあります!

辛い、今だからこそ、
掛け値なしの真実が心の奥底から沸き上がってきます。

愛する弟子たちに、残せる言葉が与えられ、
そのままを伝えました。

先週の土曜の夜と、日曜日の朝に。

病むことで、生かされている意味が、さらに深められ生きる意味が一層理解出来るようになりました。

限り在る命の日々を思わずにはいられません。

伝える価値の在るものは見逃さず余すことなく、
伝える使命があることを確認しました。。

弟子たちの、信仰を養う以前、肉体を持った人間としての在り方。

心身の自己管理の仕方。

生活習慣の誤った過ごし方の修正など交えて。

自分で摂生が出来ず、後々思わず落ち込む病の罠の恐ろしさ等々、

我が身の健康を損ない、人の幸せを願うことも出来ましょうが、
やはり心身共に健康であるべきです!

具体的に私の、今までの体験をつぶさに語りました。

良くも悪くもなし。

これが私の事実だと伝えました。

愛の樹の使命は、私の死で終わるものでは、ありません。

これは、始まりです。

神が人の幸せを願う新しいシナリオに基づくドラマの幕開けです。

弟子たちの育成は、その大事な役目を引き継いでもらうために、
欠かせません。

私に課せられた使命です。

昨日は珍しく、教会の夏休みでした。

がらんとした、小さな礼拝堂に、残っていた3人の弟子たちを集め、キリストがその昔、弟子たちに親しく語りかけられた様に私も語り掛けました。

「人間の幸せとは何か?簡潔明瞭に!」

「人の幸せを、自分の幸せと確信して尽くすこと!

己の幸せは、人の幸せを願う、そのただ中にある。

生きる力はこの中にある!私はキリストに従い自分の生涯を閉じるが、悔いは一切ない!

尽くし切り、充足感と幸福感に浸っている!」と。

時折、自問自答します。

もし?自分だけのこと、利己的なことしか、眼中に無かったと、仮定したら?。

私の人生は、虚無感、孤独感、敗北感に襲われて、ここ迄は、
生きられなかった?と、実感しています。

改めてキリストの、僕(しもべ)で居られた事に感謝の思いは尽きません!

トルストイではありませんが「幸福とは他人のために生きることである」。

人の幸せを願い、人の幸せな姿を見て、
自分が無常の歓びによって生きられる。

生きる力と勇気を得た。険しい人生を生き貫く。

これは天の摂理だと観じます。

天界は愛の故郷です。

人の幸せを願う魂に自然に宿るそのために心を尽くす。

弟子たちは昼夜二度にわたる話を真剣に受け止めくれました。

険しい人生の峠道に差し掛かり、病を恵みと思いながらも、
まだ果たしきれない使命の一旦を伝えられ、至福のひとときでした。

40年間私に付き添い、キリストとを信じて、不肖の師を見限らずに、今も天路歴程を共にする、弟子の真心に応える道はまだ遥か彼方です!

2009-07-22

天路歴程(19)1冊の聖書(2)

吉冨先生のご生涯は神一筋でしたから、俗人が求めるものとは、生活の質が根本的に異なりました。

むしろ非常識に近い存在者でした。

頼まれたお弟子もかなり変り者でした。

細かい説明は省きますが、余程の素質、何より神の使命を帯びて居いないと、人間の思い込みでは、信仰的に狂う危険な実体を目の当たりにしました。

明らかに師と弟子たちの信仰の質が違いました。

先生は、それを承知の上で、私に弟子たちを託されたのだと思います。

真理に根差した信仰には、打算、狂信、狂気、盲信は無関係です。

純粋です。

やたら、自己的な熱心に、“何かに”、のめり込んで、人為的に(作為的に)作り上げたものは、キリストの説かれた信仰の道筋とは全く似て非なるものです。

化け物です。

聖霊が働かない状態で、自分に特別なカリスマが在ると錯覚しますと、サタンの虜、手先に変質します。

ルシェフル、落ちた天使、サタンと化します!

あの旧約聖書の創世記に登場する、アダムとイブの子、カインとアベルの大きな違いは、信仰心の質の違いでした。

同じ行為に似ていながら彼らの隠された人の本質が試され、神の捧げ物に現れました。

神は真心からの捧げ物を祝福されたのです。

真心から出たものは神の祝福を受け、見せ掛けは否定されます。

吉冨先生の晩年は、自ら育てた弟子たちの行く末を案じて、危惧の念でした。

カインとアベルは、同じ親から生まれたにも関わらず、全く霊質が違いました。

創世記に詳しく記述されているとおりです。

「神はいるのか?いないのか?いるとすれば、どうしたら解るのか?」と、よく質問されますが、私はキリストのみ言葉をそのまま伝えます。

「神は→神の国は、あなたの心のただ中に在る」と!

聖霊に満たされた人々、神の愛に導かれた先人たちの死は、困難に打ち勝ち、苦難を乗り越えるに必要な希望と勇気を与えてくれます。

雲の垣間、日食(中井にて)

2009-07-20

弟子へ



身体は本当に大変だが、心は別だよ。

時に神は黙して語らずだから。

応答が無いときは静かにしていればよい。

必要は要求しなくても与えられる。

身体の苦しみは、精神的な苦しみから見たら、たいした問題じゃないと思う。

オショチは最近初めて、無理やりな、自分流の生き方にとどめをさして、身体の叫びに耳を傾けるようになった。

これが自然の生き方だと、遅まきながら、気が付いたから。

神様さえ見失うことがなければ、必ずや聖霊が働き知恵と力を与えてくださる。

自信を無くしても聖霊がまた力を取り戻しくださる。

聖霊は困難にある人を助けたい、何とかその人のために役立ちたいと願っている。

助け主、キリストの力を信じて疑わないオショチより

アーメン・ハレルヤ†

2009-05-26

代償の真理

イエス・キリストの†字架の刑死は人類救済の代償です。

神の御子にしか出来ない大役です。

我々人間と精神構造が異なるお方の側にいて、キリストを間近に見ていたはずの直弟子ペテロさえ、キリストの本当のお姿を理解するには、あのカルバリの丘の劇的な事実を目にし、また復活の奇跡、聖霊降臨(ペンテコステ)を体験するまでは謎でした。

聖霊降臨日の体験以後、弟子たちはやっと変わりました。

私は時々夜中に迫り来る足音を聞きます。

サンダルが乾いた土を踏む足音です。

サンダルの足音は キリストと弟子達の足音です。

長旅で土ほこりと破れた衣の裾が見えます。

描写は不変です。

十字架のイエス