ラベル 牧師 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 牧師 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2009-11-17

コント


或る薬局で、にこやかに近づいてきたご婦人が

「あのうー!、大学の教授でしょうか?」

「いいえ、違います。坊主です!」

「はあー?どちらの?」

「キリスト教会の坊主です!西洋の、日本のつまらん坊主です!

「…

いろいろな見方があるから人生は楽しい(^O^)!

終わり!

2009-11-04

「夢は神の警告」から(2)


人生のほとんどを刑務所で過ごした弟子がいます。

今も無事に生きているなら80歳代。

彼の犯した罪は、おもに窃盗、住居不法侵入でした。

心臓の持病がありました。

何時も、心臓の薬を持ち歩いていました。

出会いは、友人からのSOSでした。

ある刑務所を、出所した時が前科15犯でしたから、今生きているなら、多分かなりの犯罪歴の持ち主になっていると思います?

行き場のない彼を、私の隣部屋に寝泊まりさせ、一緒に暮らしました。

しばらく経ち、小さな本屋さんに就職先が決まりました。

アパート住にまいをする身になりました。

無論費用は生活費を含めて、アパート入居資金、すべて私が工面しました。

貧乏牧師の精一杯の気持ちでした。

彼は人を信じる心を持ちはじめてくれました。

希望がわきました。

神の御心は、彼の魂の救いに向けられていましたから。

彼に話しました。

「老いて後、このままでは寂しいから、今なら間に合う。普通の生活をはじめないか?」と。

それから3ヶ月くらい?経ったある日、忽然と姿を消してしまいました。

部屋には食べかけのカレーライスが残されていました。

何の音沙汰もなく、思案して町田警察署に失踪人捜索依頼をしましたが、牧師の立場でも、身内でないかぎり応じられない、受理不可能と言われました。

探す方法もなく、ひたすら待っていました。

そんなある日、埼玉県警から電話が来ました。

刑事さんからでした。

私が渡した教会員の身分証明書を彼が大事に持っていたのです。

唯一彼の身元保証書でした。

それから、長崎、新潟、神戸、大阪、京都の警察署から問い合わせがあり、刑務所を転々として、ついに、彼は、私の前に姿を見せることはありませんでした。

彼には住み慣れた刑務所が、安心できる、我が家同然だったのでしょう。

私の手元に彼が家族とか?話していた写真を、私が数枚預かっていました。

彼の依頼で刑務所に送りました。

その他数え切れないほど、いろいろなことがありましたが、私の力には限界があり、最後まで手を差し伸べることは出来ませんでした。

心残りです。

彼が私に残した言葉があります。

「お世話になったオショチを裏切ることはありません。恩返しをします」と?

滑稽な、しかし真面目な話ですが、彼は勝手知った私の部屋には、絶対入り込まないとの、律儀な?メッセージ、なんだと、後で気付きました。

犯罪事件を見るたびに妙に懐かしく想いだされる今日、この頃です。

犯罪事件が少しでも減ることを祈る日々です。

これからも祈りのバリヤーを張ります。

また、刑務所で人生を閉じるかもしれない、弟子のためにも祈ります†

罪を犯す人が減少することを!

アーメン†

オショチ

2009-07-02

天路歴程(8)気の長い神

ある友人の無神論者から度々絡まれたことがありました。

特に酒に酔っばらうと決まって、「おい!牧師さんよ。神様が、あんたの言うとおり本当にいるなら何故?戦争が絶えないんだ? 人間は何故不幸になるんだ? 悪人がのさばるのは何故だ? えっ!ちゃんと説明しろ!」

彼の言葉を聞きながら、何だか彼の寂しい、やるせなさを感じて、妙に納得したものでした。

「俺は神様を信じないぞ、人間死んだらおしまいよ!どうせ死ぬなら好き勝手に生きるさ!俺に干渉するなよ!おい!わかったか?」

こんな調子の彼が酔いが醒めると別人のような姿で目の前に立っていました。

人生を捨て鉢な気持ちで生きることは、本人も心の奥底では納得していないことが良く伝わってくるのでした。

地道に生活していた友人の荒れた生活と家庭環境の変化に戸惑いながら、酒に逃げ込み彼の果てしない愚痴。

他人を呪咀する彼を、何故か憎めず、かえって、見放すことは出来ませんでした。

ある日の事でした。

珍しく素面の彼から意外な言葉を聞きました。

「牧師さんよ、俺は考えた。

あんたは黙って俺の言いたい放題を聞いてくれた。

あんたは俺を責めなかった。

あんたの神様は気が長いね。

すぐにではないがいつか死ぬ前に信じるよ。」

独立伝道を始めた頃の話でした。

2009-06-11

人間の救済と憧れ

古代ギリシャ人は、人間性の究極を「真・善・ 美」に求めました。

人間性を昇華させて行き着いた終着点です。

ギリシャの神々には人間の憧れ、が作り出した様々な表情、彫刻を通して現代人に語りかけてきます。

ミロのビーナス、パルテノンの神殿など、人類史に残る生命の永遠性を求めた証が時代を越えて人々を惹き付けます。

現代人の前に古代への郷愁をかきたてます。

私は若い頃、密かに考古学に憧れましたが目の前の生活に追われて、諦めました。

古代人の生活に、また私の命は何処からきたのか?など、謎が知りたくてたまりませんでした。

西洋美術史に夢中になり、夜更けまで読みながら、古代の人々の生活の息遣いに触れようとしました。

建築家をめざしたのも、動機は西洋美術史が入り口でした。

わたしたち建築家が愛用した分厚い本があります。

建築家のバイブルと呼ばれた建築学便覧です。

数学から度量衡、気象、火葬場から飛行場 、港湾からホテル、宗教施設など網羅していました。

その中で、目が釘付けにされたのが教会建築の精密さでした。

大寺院の聖壇、聖人の彫像に心が奪われました。

なんとか頑張って果たせなかった古代学の片鱗に触れたい青年の情熱が全身にたぎっていたのです!

それが牧師の召命に、後年繋がりました。

神の御心は、はかりしれません。

確かに大宇宙には説明つかない現象が見られますが、ミステリーの世界こそ、神聖な神の領域なんですね。

ちっぽけな人間の知恵が届くのは、お釈迦様の手のひらの中止まり、と考えたほうが正しいのかもしれません。

我が国でも、古くは神武天皇の神話が歴史に記録され、この国の生い立ちに雄大なロマンを与えています。

大祭司の重要な役目を負われ、高千穂(宮崎県)の高峰にお立ちになり、この国の平安祈願から始まった国作りは、勇壮で神秘に満ちています。

母なる祖国の歴史を知らずして他にのめり込むにはまだ若い私なりに自分への抵抗感が芽生え苦しんだ時代がありました。

太平洋戦争(我が国では大東亜戦争と呼ばれた)日本の敗戦、戦後復興、この国は目茶苦茶にアメリカ政府の敵意剥き出しの犠牲になり破壊され、多くの尊い犠牲者が出ました。

犠牲者を出さなかった国民はいないはずです。

戦後復興の担い手を目指し建築家の道に入りましたが、好きな考古学との差に正直大きな戸惑いが生じました。

そこで西洋美術史と日本の建築史を並行して勉強しなおしたのでした。

若い情熱が推進力になりました。

キリスト様のしもべになる準備期間だったのです。

2009-05-20

山に分け入る

信仰者を集める霊山は日本にもたくさんあります。

また興味深いのは、風水(中国が本家の占いの一種)の示す、バワースポットの場所と霊山が一致することです。

わたしは魂のうめきから、神を求めて遍歴し、深山幽谷(しんざんゆうこく)に分け入り祈りました。

滝浴び、火渡りもやりました。

まるで山伏や修験者のようでしたから、山奥でばったり、彼等に出会うこともしばしば、ありました。
牧師が何故?
意気投合した修験者に聞かれました。

互いに気合いを掛け合い祈りもしました。

まともに見られない姿ではなかったのでは、と冷や汗が出ます。

次は?