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2009-12-06

AUさんからのメール

オショチ様

こんばんは。いつもお祈りいただいてどうもありがとうございます。ゲッセマネのキリスト様像はすばらしいと思いました。

今朝夢にオショチが出てきて下さいました。あちこち案内していただいているような不思議な夢でした。

おかげさまでこちら皆元気です。先だって子どもたちがインフルエンザA型になり、不覚にも一緒に私もかかってしまい、一時3人で寝ていました。幸い夫は大丈夫でした。子どもたちは熱が下がるとすぐぴんぴん元気になったので、夫に食事のことなどしてもらいました。私は2日間熱で寝込んでいました。もうすっかり元気です。

ご報告ですが、以前ご相談した虫垂ガンの友人は、11月半ばに腹膜播種の転移を除去する手術を受ける決意で入院しました。先週メールが来て、手術は成功して年内に帰れる予定とのことでした。たくさん祈ってくれてありがとうと書いてありました。

これから再発せずにリハビリが進むようがんばると気持ちは大変前向きでした。まだまだこれから多難かもしれませんけれど、ともかく一つの山を越えたようです。オショチにも祈っていただき、どうもありがとうございます。

いろいろオショチご自身が大変なときに、いつもお願いするばかりで恐縮です。ホームページもブログも毎日読ませていただいております。感謝です。

どうぞくれぐれもお大事なさって下さい。
とりいそぎご報告と御礼まで。
12月5日
AU

2009-07-02

天路歴程(8)気の長い神

ある友人の無神論者から度々絡まれたことがありました。

特に酒に酔っばらうと決まって、「おい!牧師さんよ。神様が、あんたの言うとおり本当にいるなら何故?戦争が絶えないんだ? 人間は何故不幸になるんだ? 悪人がのさばるのは何故だ? えっ!ちゃんと説明しろ!」

彼の言葉を聞きながら、何だか彼の寂しい、やるせなさを感じて、妙に納得したものでした。

「俺は神様を信じないぞ、人間死んだらおしまいよ!どうせ死ぬなら好き勝手に生きるさ!俺に干渉するなよ!おい!わかったか?」

こんな調子の彼が酔いが醒めると別人のような姿で目の前に立っていました。

人生を捨て鉢な気持ちで生きることは、本人も心の奥底では納得していないことが良く伝わってくるのでした。

地道に生活していた友人の荒れた生活と家庭環境の変化に戸惑いながら、酒に逃げ込み彼の果てしない愚痴。

他人を呪咀する彼を、何故か憎めず、かえって、見放すことは出来ませんでした。

ある日の事でした。

珍しく素面の彼から意外な言葉を聞きました。

「牧師さんよ、俺は考えた。

あんたは黙って俺の言いたい放題を聞いてくれた。

あんたは俺を責めなかった。

あんたの神様は気が長いね。

すぐにではないがいつか死ぬ前に信じるよ。」

独立伝道を始めた頃の話でした。

2009-05-10

心の旅路〜あとがきから

さて話は変わりますが、愛の樹のホームページに拙著が並んでいます。

その中の北海道伝道旅行を記した『心の旅路-苦難の中に身をおいて知る 神の愛』の最後に、こんな気持ちを書きました。
今回の北海道伝道旅行に、弟子の飯田ヤコブ士郎兄が群馬県の伽葉山まで往路アイン号を運転し、見送りを兼ねてついて来てくれた。彼はこの小旅行の ノートの冒頭に「清浄、透明感につつまれる。何かが生まれ育つ予感!」と 書き残し、沼田駅で別れた。
私はかけがえのない多くの友を神から与えられた。もし人が愛し合うことをやめたら、すべての世界が、敵対するかのように思えたら、私などとても生きてはいけない。
心身共に疲れ果ててしまう。
おそらく、そのために生命を全うすることは出来ないと思う。死出の旅路は唯一人だけで寂しく、はるか遠くに行かなければならない。だが私はキリストというお方に出会ったときから、本当に変えられてしまった。
敬愛し、助け合い、慰め合うことを、主の†字架に視た。私がもしキリストに出会うことがなければ、手のつけられぬ悪人になりさがっていたかもしれない。
我が内に恨みが残り、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻みつけてしまい、生を死に変え、ズタズタな傷付いていたと思うとそら恐ろしくなる。
又、愛欲の世界に溺れ、煉獄の中に、地獄の業火に身を焦がし、救われず、その苦しみに己一人であたらなければなかった筈である。それが全く違った結果になってしまった。
キリストを知り、神の慈愛の世界にその光の中に導かれた時、私の目の前に真実の道が光り輝いてみえた。
この世は慌ただしく去って行く、私たちの目に頼りと見えたもの、力になると感じたものは私の錯覚に過ぎなかった。
私は今回の伝道旅行を通して、更に深い神のみこころにに触れた思いがする。弱い体は、恐れ、苦痛から逃げようとした。 しかし、私の内なる霊は神のみ声に従った。
私は今、改めて、あのハンセン病者、ラザロの姉、マルタに言われた、イエス様のみことばを思いおこす。
「わたしはゆみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」
(ヨハネによる福音書11章25-26)
「はい、しもべは信じます。
これが 私の道である」
アーメン!
筆者合掌

「あとがきにかえて−キリストと私」より
心の旅路


2009-05-08

わたしの出発点 その1


これから体と相談しながら、ぼちぼちブログを掲載したいと考えています!

話は昔に遡りますが、神様から召命を受けた日が出発点です!

通い始めた神学校は、少し変わった、しかし此処だから学ぶことが出来た、真理を受肉しえた、学舎(まなびや)でした。

どちらかと言えば カトリックでもなく プロテスタント教会でもなく、むしろ、ユダヤ教に近いところでした。

ヘブル語、ギリシャ語を理解出来る学友に囲まれ、わたしは“ちんぷんかんぷん”でしたが、信仰の神髄に肉薄する、学友たちの真剣な姿に圧倒されました!

さらに深い感動に全身、鳥肌が立ちました!


そこがわたしの、これからお話したい、全てのスタートラインです!

その前に実は、ある教団の神学校に入学するように熱心に薦められましたが、宗教家の道はわたしの関心外でした。

すでに建築家になり、たくさんの作品を手掛けていましたし、それに見合う、そこそこの収入も得て生活に満足していたのです!

しかし、神様のみ手は怠惰に過ごしていた、わたしを見逃さず、襟首をむんずと鷲掴みにし、大空高く舞い上がり、そこから空中に放り投げ出す、荒業に出ました!

気絶寸前に、翼が目の前に現れ、死をまぬがれたのです!もう、観念しました!逆らえないと!