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2010-01-19

キリスト聖像


まだまだこれから生きる

その証がこのキリスト聖像と十字架です†

今年の初夢が、人々のために一層尽くすようにとの啓示でした。


神に従います

祈りながら†

あなたの役目は人助け、大事な存在者

苦しんでいる人々のためにこれからも身体を大事にして下さい

オショチがテレパシーでサポートが出来たらと願っています†

夢にも現れて

南の島である男性が家族を残して命を絶ちました!

また別の高齢のガン患者が自殺未遂で命は助かりましたが、まだ入院中です!

年老いた夫人はアルッハイマーにかかり、夜中に叫び声をあげます。

この苦しみを共にする道を歩いています†

オショチの道は険しくても諦めません

必ず救いの道があると信じています†

2009-12-29

寒い朝の不思議な夢ー心の旅路より


戸のすき聞から、北風がビュービュー吹き込んでくる。頭からすっぽりふとんをかぶっていても手足が冷えてなかなか寝つかれない。

この日、日本列島全体が寒気団におおわれていた。ふとんに入っていながら、この寒さだ。

「ホームレスの兄弟たちは、この寒さをどうしのいでいるのだろう」

ひどく気になった。

ウトウトしかけて、私は不思議な夢を見ていた。雪の降りしきる街角に、人影らしい姿が見えた。道端にうずくまって動こうとはしない。

「こんな夜更けに?」

私は不審に思いながら近づいてみた。

粗末なショールを頭からかぶった若い女性がそこにいた。

声をかけてみた。

「どうなさいました?」

返事がない。街灯のぼんやりした蛍光灯に照らし出されたのは、親子の姿であった。

突然のことで、びっくりした。その若い女性の腕の中に幼子がスヤスヤ眠っている。体が小刻みにふるえている。

私はとっさに、紙袋の中から夕食用に買ってきたパンを取り出すと、急いで、彼女に言った。

「どうぞ、これを食べて下さい。少しは体が温まります」

彼女は黙って手を差し出した。その横顔を見てハッと胸をつかれた。

何と美しい人なんだろう。
澄んだ瞳、清らかなその姿に、私は一瞬たじろいだ。

「有り難うございます」

彼女は懐に抱いた幼子を気づかいながら、静かにパンを食べ始めた。

人通りの絶えた夜の街。空から落ちてくる雪がサラサラと、かすかな音をたてた。

「もうーついかがですか」

「いいえ、もう充分いただきました」

透き通った声であった。私はどこへ行くのか尋ねた。

「もしよろしかったら、私の家にいらっしゃいませんか。あばらやですが、ここよりはましです。寒さもしのげますし。それに赤ちゃんのミルクも差し上げられます」

私たちは歩き始めた。しばらく行くと、彼女は急に立ち止まった。
「もう大丈夫です。お蔭様で元気になりました。ここでお別れしましょう」

私はびっくりして、
「とんでもない! とてもここでお別れするなんて、そんなことはできません。是非私の家に来て下さい。今夜一夜のお宿を」
と熱心にすすめたが、彼女は静かに微笑んで立ち止まったままである。

無理じいすることは避け、私は少し不安を感じながら歩き始めた。少し歩いて後ろを振り返ってみた。

その時である。
私は実に不思議な光景を目にした。空の一角が急に明るくなると、その光がこの若い母と子をめぐり照らした。

光は2人を包んだ。まるでいたわるように、はっきり意志を持ったもののような、厳かな光に包まれ、静かに天に昇っていくのを私はただ黙って見つめていた。

その時、天から声が聞こえた。

「貧しい者に祝福を!
神の祝福を! 」

雪は静かに空から舞い降りてくる。この夜に限って、いつも見かけているホームレスのラザロさんたちの姿が見えない。

私はふと、思った。

「今夜、ラザロさんたちは、きっと神の国で温かい食事が与えられ、この寒さをしのいでいるに違いない」
と。

空を見上げると、白い美しい雪が天からひらひら舞い降りて私のまぶたにとまった。

ふと、そこで目が覚めた。時計の針は午前4時をさしていた。私の体はすっかり冷えきって、手足は氷のように冷たい。その手足をさすりながら、今見た不思議な夢の中の、あの母と子を深く思った。

「あのお方は、もしかしたら、み子イエス・キリストと母のマリアではないか」

私たちの知らない所で確かに救いのみ手が、貧しい人苦しんでいる兄弟たちに差しのべられていることを確信した。

テレビをつけると、過去最大の寒気団がシベリアから日本に流れ込んでいるとニュースは伝えていた。北陸、東北、北海道は、かつてない豪雪だという。

肝不全を患っているこの弱し、肉体にとって、辛く、寒い朝ではあったが、その目覚めは祝福された魂の深い喜びの目覚めとなった。

「貧しい者に祝福を! 神の祝福を! 」 という、あの言葉が今も私の胸の奥底に響き続けている。


「心の旅路ー苦難の中に身を置いて知る神の愛」より

2009-12-23

聖夜

Painted by Oshochi
メリークリスマス

このスケッチは二年前に左腎臓疾患で入院した時にみた聖画をスケッチしたものです。良い新年をお迎えください!
愛の樹オショチ†

2009-12-01

アドベント、待降節

今年も、アドベント、待降節の時季になりました。

激動の時代、平和を待ち望む多くの人々に、キリスト様のご生誕の深い意味を一層強く感じます。

キリスト教と、イエス・キリスト様は切り離せませんが、キリスト様の御心が必ずしも、正しく伝えられているとは、言い難い現実、問題が多く見受けられます。

平和の君と待ち望まれながら、キリスト様のあのゴルゴタの丘の十字架の犠牲死は、一体全体誰のためだったのか?

キリスト様がお示しになられた、愛は何処に消えたのか?

人間が作り出す際限もない諸悪に、怒りを通り越して、深い絶望と哀しみに襲われることがあります。

正義の神の御名において絶えない殺しあい、略奪、搾取、暴力、謀略、等々。
大国の押し付けに反発する、途上国との争い!

見せかけの儀式、商業化してきた陳腐な、クリスマス

残念ながら哀しみの季節です。

何時の日にか、人々が心の底から真のクリスマスを、良き訪れを†共に、悦びあえる真の平和の訪れを、切に願い祈ります†

現実問題から目を逸らさずしっかり見つめて、新しい生命の芽生えのために平和の世が訪れますように†

残りの人生を賭けます。

キリスト様のしもべ

オショチ†

photo by Oshochi

2009-11-30

ゲッセマネのキリスト



米井英朗・信子さんからの寄贈。
アメリカ・ミネソタ出身の彫刻家 Brian Jekel (ブライアン・ジェックル)の作品。
オショチ†

2009-07-23

天路歴程(20)言霊

夜中に、いきなり言霊が響くことがあります。

「聞け、語れ!」

元は、シェマーイスラエル→神の預言者に語り掛けた言葉です→聞けイスラエルの意味。

体の奥底から激しく揺すられ突き上げられます。

夜中にです!眠りは吹っ飛んでしまいます!

これは幻想か?夢、幻か?

人間の脳中の生理的な働きではないだろうか?等々

寝床から起き上がり、神に尋ねます?

宗教家の視る夢は神の啓示に結び付き、警世のメッセージなら無視できません。

私の望みです。

最近ですが、地球外生物とテレパシーのやりとりが出来たら?と、真剣にかんがえるようになりました。

地球に現出している、様々な不幸な出来事が、もし優れた知恵で、解決出来たらと夢を抱いています。

わたしたちを取りまく、無限大の宇宙の何処かに、わたしたち地球人類の想像もつかない、豊かな知恵を備えた惑星が在り、高等生物が存在するなら。

テレパシーで交信して教えを請うのです。

平和な地球にしたいのです。

このままでは、何れ地球人類は互いに憎しみあい、何時の日にか、取り返しのつかない死の星になりかねません。

人類が滅亡しない保障は何処にもありません。

新しい生命体に蘇るキリストの約束が人類のせめてもの救い、希望です!

言霊があたえてくれた警告です。

祈ります!

断言出来ませんが、人類が平和で、穏やかな精神構造を持ち、進化を遂げた生命体が住む惑星があったら、と!生きている限り祈ります!

言霊が虚しい響きを破壊され尽くした死の惑星地球に響く!

あぁー堪りません、耐え難い悲劇です。

まだ間に合うのです。

地球人類に争いのない、屁理屈のつかない、幸せである地球の再生を!

神よ守りたまえ!

あなたが創造された、この宇宙の掛け替えのない美しい惑星地球の全ての命に祝福を!

2009-06-11

死を恐れない信仰(1)

国籍を天に持つ、と信じた信徒には、ローマの皇帝ヘロデさえ驚きました。

内心、恐怖心を覚えたはずです。

我が国でも長崎の26殉教者、聖人の中には、幼い少年まで含まれていました。

さすがに見かねた死刑立ち合いの役人が、少年に死刑になることをやめて欲しいと懇願したと言い伝えられています。

幼い少年の、死を恐れぬ態度に戸惑いを隠せなかった役人たちの驚きの声が聞こえてくるようです。

あのダビデ大王でさえ、迫りくる身の危険死を恐れました。

「主よ、立ち帰りわたしの魂を助け出してください。あなたの慈しみにふさわしくわたしを救ってください」

死の国へ行けば、誰もあなたの名を唱えず陰府(よみ)
に入ればだれもあなたに感謝をささげません」(詩編6:5-6)

神に向かってずいぶんはっきりしたもの言いです。


まだこの時代にはヤーウエの神は恐ろしく厳しい裁きの神のようでし
た。

しかし、このダビデの末裔から神の御子キリストが出現しました。

ダビデとの血縁関係はありませんでしたが、神の予言による誕生でした。

このキリストの出現により、死の恐怖を越える力がキリストを信じる
者たちに宿り、支えになりました。

死を恐れない者はいない時代に、信じるお方に全身全霊を捧げて、殉教をものともしなかった人々は何故?信じる力信仰心がこれほど強いのか?

当時のイスラエルの司祭たち、またイスラエルを支配した強国ローマ帝国の支配者たちには理解不能、脅威でした。

聖パウロ(以下パウロと呼びます)の伝道活動は広範囲でした。
(つづく)

究極は魂の救済

いろいろ人間を生きて見ると、最後は人間の死にたどり着きます。

如何に優れた人物でも、死と時間は人間に平等にあたえられますから、避けては通れません。

怖いからと言って、目をつぶっても、容赦なく時間は進み、死が訪れます

「若い日にあなたのつくり主を覚えよ」です。

御子キリストの出現は、驚天動地の出来事です。

他人の罪を被り、他人の悪の為に†字架にはりつけになる、考えられない出来事でした。

イエス・キリストの昇天、復活後、キリスト教徒に対する猛烈な迫害、大量殺戮が起きますが、彼らは屈しなかったばかりか、勇敢に死に就きました。

2009-05-29

敵を愛しなさい

しかしわたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。
敵を愛しあながたを憎む者に親切にしなさい。
悪口をいう者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう片方の頬をも向けなさい。
上着を奪い取る者には下着をも拒んではならない。
求める者には、だれにでも与えなさい。
あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。
自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたにどんな恵みがあろうか。
罪人でも、愛してくれる人を愛している。
また、自分に良くよくしてくれる人に善いことをしたところでで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。
返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。
罪人さえ、同じものを返してもらうとして、罪人に貸すのである。
しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。
人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。
そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。
いと高き方は、恩を知らない者にも、悪人にも、情け深いからである。
あなたがたをの父が憐れみ深いように、あなたがたにも憐れみ深い者となりなさい。
ルカ6:27-36

厳しい教訓

普通人には理解しがたい、実行不可能と思える難題です。

とてもキリストについて行けないと感じます。

私も深く悩み抜いた聖句の一つでした。

困難な要求。平凡な人間には実現不可能なことです!

おっしゃることは頭で理解出来ますが、いざとなると出来ません。

無理難題を何故?キリストは弟子たちに語られたのか?

しかし文字通り、完全にみ言葉に従い通した人物がいます。

最近では、インドのカルカッタのスラム街に身を投じたマザーテレサです。

記憶に新しい愛の使徒でした。

また、ハワイのモロカイ島のハンセン病の人々に生涯を賭けた、ダミアン神父。

あのアウシュビッッで友の身代りなり餓死したコルベ神父。

聖霊が働くとき人は捨て身になれると言う実証です。

使命感を受けた時に、平凡な人でも変えられて、人のために喜んで身を捧げます。

現世の肉の打算、人間の思惑、それらの予想を遥かに越えた力が人間に働くのです。

愛の奇跡です。

あの使徒パウロが成し遂げた、愛に根ざした伝道も、聖霊の愛に助けられた証しです。

クオ・ヴァデス? 主よ何処へ?

ローマのバチカン宮殿は、弟子のペテロが逆さ磔つけにされた死刑場の後に建立されました。

ペテロが恐怖心に襲われ逃げて行く途中、キリストに逢いました。

「ペテロよ何処に行くのか?お前が死を恐れて逃げるならわたしが身代わりになろう」

「わたしが†字架の死につく」と言われて、彼はアッビア街道を引き返し、ローマの兵士に捕われ、有罪となり刑死を遂げました。

キリストに出会わなければければ、逃亡者として彼の名は闇に葬り去られたかも知れないのです。

今でこそ 「聖ペテロ(サン・ピエトロ)寺院」大聖堂に祀られていますが、キリストの聖霊抜きに有り得ない奇跡の証しです。

日本人が初めて触れた宣教師たちの命賭けの伝道がなければ、わたしたちにはキリストの福音は伝わらなかったかも知れないのです。

私も救いに預かりました。

絶望の日々から!身を捨てる勇気を与えられました!

2009-05-26

代償の真理

イエス・キリストの†字架の刑死は人類救済の代償です。

神の御子にしか出来ない大役です。

我々人間と精神構造が異なるお方の側にいて、キリストを間近に見ていたはずの直弟子ペテロさえ、キリストの本当のお姿を理解するには、あのカルバリの丘の劇的な事実を目にし、また復活の奇跡、聖霊降臨(ペンテコステ)を体験するまでは謎でした。

聖霊降臨日の体験以後、弟子たちはやっと変わりました。

私は時々夜中に迫り来る足音を聞きます。

サンダルが乾いた土を踏む足音です。

サンダルの足音は キリストと弟子達の足音です。

長旅で土ほこりと破れた衣の裾が見えます。

描写は不変です。

十字架のイエス

パウロの役目〜大祭司たちの画策

伝説によればパウロは背丈が低くやせていて、ひどい持病に悩まされていたと伝えられています。


私の洗礼名もパウロです。

2000年も前に生きていた、彼に親しみを感じています。

これが実感です。


パウロは、地中海に面したケンクレアの海岸で誓願を立てました。

髪の毛を剃り落とし、その髪の毛を海岸の砂浜に埋めて、キリストの弟子の決意を固め、長い苦難に満ちた伝道(布教)の旅に出ました。

彼の手によりユダヤの一寒村ナザレ村の大工の息子、イエスがキリストとなり、歴史始まって以来の人類救済に立ち上がった、その事実を、聖霊の助けにより世界中に広めたのは、他ならぬパウロでした。

キリストの霊光に射たれて大変貌を遂げた、パウロの波乱万丈の人生は彼の予想外の出来事だったのです。


人間の運命は大きな力、目に見えない力の中で活かされている。

果てしなく広がる大宇宙に、呼べば答えて下さるお方、ご意思が存在するのです。

私観ですが、他の宗教でも、人類救済が本物ならそれを認めても、なんのさしさわりはないはずです!

一神教と言われる、旧約の神エホバ(ヤアヴエ)の掟は、聖なるシナイ山で、モーセが受けた「十戒」に詳しく述べ伝えられていますが、厳しいものてす。

しかしイエス・キリストの出現で変化しました。

厳しい掟、律法一点ばりのユダヤに「愛、許し救い」の、福音をもたらしたのです。

当然既成権力にあぐらをかき傲慢、不遜に振る舞い、聖なる神殿で商いをさせ、不正と汚濁の中にどっぷり浸り切っていた、当時の大祭司、司祭たちには、キリストは脅威の対象、絶対殺さなければならない大敵でした。


暗殺も密かに謀られたと思います。


しかし神のみ心により天から地上に姿を現した、キリストに立ち向かう手段を持ち得なかった彼がが考えたことは卑劣極まりないものでした。

キリストの12人の弟子の中で、会計係のユダに目をつけ裏切り行為を画策しました。

愛の導き手使徒パウロ

聖なるお方に出会い、人生が、劇的に、がらっと変わった人物がいました。

イエス・キリストを信じる、キリスト教徒を迫害した、タルソ(小アジアのキリキア州の首都)産まれのパウロです。

彼はベニヤ民族に属し、産まれて8日目に割礼を受け、ユダヤ教信仰の訓練を受けて育ちました。

彼はユダヤ(イスラエル)の首都、エルサレムにのぼり、当時の碩学ガマリエルのもとで律法について学んだ熱烈なユダヤ教徒でした。

したがって彼は、新興宗教と思われた、キリスト教徒が律法を軽んじ、神殿を無視することに憤り、キリスト教徒の迫害に乗りだしました。

キリスト教徒の殉教者ステパノの処刑にも立ち会いました。

パウロはキリスト教徒迫の目的で、ダマスコに行く途上、キリストの霊光に射たれます。

あなたは何故わたしを迫害するのか?

パウロは驚愕し、恐れのあまりその場に打ち倒されます。

彼は失明し、3日間、口もきけずにいました。

この聖なる体験こそ、パウロが愛の使徒に産まれ変わる大転換点になったのでした。

パウロは迫害したキリスト教徒のアナニヤという人物から、バプテスマ(洗礼)を受けます。

その後の活躍は、新約聖書に詳しく述べ伝えられていますから割愛しますが、彼の使徒としての働きは、聖霊が人々を愛に導きだすと説いたことにあります。

神の愛!愛に燃え立つ使徒でした。

2009-05-23

信じる心の受信機能

キリストの復活が世界中のキリスト教徒に今も、根強く信じられているのは、史実に裏打ちされた劇的な出来事、奇跡の伝承を人々が素直に受け入れた結果だと思います。

信じるか?信じないかは個人の自由です。

確かなたとえがあります。
人間は神無しで生きられても神無しでは死ねない
人間の限界を端的に表現した言葉だと思います。

何かに?すがりつきたい時には、あるがままの弱い自分を晒けだしてすがれば、救いの手が伸びてくるのです。

孤独に自分を閉じ込めて、苦悶しないで、わたしのもとに来なさい!あなたを助けようと、待ち構えておられるお方が確かに実在します。

信じる心に受信機能が与えられます。

受信機が無くては宇宙を飛び交う様々な情報や見たい映像が見られないのと、原理は同じだと、わたしは考えています。

波長を神様に合わせる事が大切なんです!
難しい事ではありません。

教会に行かなくても、聖地巡礼の旅に出掛ける必要もありません。

あなたが今おられる、その場所で、神様に(天に)呼び掛けて見て下さい!

ただし途中で、何の反応も無い!これは駄目だ!嘘だと、思わないで頂きたいのです!

必ずあなたに、神様が希望の御手を差し延べて下さいます!信じて!

2009-05-10

心の旅路〜あとがきから

さて話は変わりますが、愛の樹のホームページに拙著が並んでいます。

その中の北海道伝道旅行を記した『心の旅路-苦難の中に身をおいて知る 神の愛』の最後に、こんな気持ちを書きました。
今回の北海道伝道旅行に、弟子の飯田ヤコブ士郎兄が群馬県の伽葉山まで往路アイン号を運転し、見送りを兼ねてついて来てくれた。彼はこの小旅行の ノートの冒頭に「清浄、透明感につつまれる。何かが生まれ育つ予感!」と 書き残し、沼田駅で別れた。
私はかけがえのない多くの友を神から与えられた。もし人が愛し合うことをやめたら、すべての世界が、敵対するかのように思えたら、私などとても生きてはいけない。
心身共に疲れ果ててしまう。
おそらく、そのために生命を全うすることは出来ないと思う。死出の旅路は唯一人だけで寂しく、はるか遠くに行かなければならない。だが私はキリストというお方に出会ったときから、本当に変えられてしまった。
敬愛し、助け合い、慰め合うことを、主の†字架に視た。私がもしキリストに出会うことがなければ、手のつけられぬ悪人になりさがっていたかもしれない。
我が内に恨みが残り、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻みつけてしまい、生を死に変え、ズタズタな傷付いていたと思うとそら恐ろしくなる。
又、愛欲の世界に溺れ、煉獄の中に、地獄の業火に身を焦がし、救われず、その苦しみに己一人であたらなければなかった筈である。それが全く違った結果になってしまった。
キリストを知り、神の慈愛の世界にその光の中に導かれた時、私の目の前に真実の道が光り輝いてみえた。
この世は慌ただしく去って行く、私たちの目に頼りと見えたもの、力になると感じたものは私の錯覚に過ぎなかった。
私は今回の伝道旅行を通して、更に深い神のみこころにに触れた思いがする。弱い体は、恐れ、苦痛から逃げようとした。 しかし、私の内なる霊は神のみ声に従った。
私は今、改めて、あのハンセン病者、ラザロの姉、マルタに言われた、イエス様のみことばを思いおこす。
「わたしはゆみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」
(ヨハネによる福音書11章25-26)
「はい、しもべは信じます。
これが 私の道である」
アーメン!
筆者合掌

「あとがきにかえて−キリストと私」より
心の旅路


2009-05-08

わたしの出発点 その3

聖書講義は、旧約36巻、新約27巻の多岐にわたりました!

字面を眺め、用語の定義、解釈ではなく、一人一人が身読することを求められました

精神を集中させ、キリスト様が弟子たちと歩かれた当時のユダヤ、イスラエルの生活にタイムスリップして行く不思議な体験の連続です!

欠かせないのが豊かなイマジネーションです!

これは唯単に想像力を働かせるのとは根元的に違います。

基本は祈り込んで行くことが必要不可欠でした。

静かに祈りながら、内面から次々に沸き上がる雑念!禅のあの無我の境地を獲得するのは大変なことと聞きましたが、修行を積む、その経験とも違いました。

「甚だ簡単な説明、お許し下さい!」
理観、悟りとも違います。

カルバリの丘は、キリストの処刑の地、丘の形が頭骸骨に似ているので“シャレコウベ”と呼ばれていました。
ここは、ユダヤ教の聖地、イスラム教の聖地、キリスト教の聖地です。

わたしたちキリスト教徒にも、決して忘れることは出来ない聖地です。

キリストは十字架の磔りつけに遭い、ローマの兵士に脇腹を槍で突かれ息絶えました!


彼が間際に叫んだ言葉があります!『エロイ エロイ ラマ サバクタニ!(父よ何ゆえわたしを見捨てるのですか?) 』

彼に救われた人々からも嘲りを受けました!

それから『復活』!死後、キリストの『復活』を疑う弟子トマスに姿を現したり、最後の晩餐の家に現れ、聖霊降臨を体験せしめたり。

キリストのご愛は信じがたい史実です!

わたしの前置きは長くなりましたが、これを抜きにして、このブログの展開は不可能です!

すでにご承知の様に、平成21年4月13日に、慈恵会医科大学付属第三病院泌尿器科で右腎臓癌?悪性リンパ腫の大きな塊と、胆のう摘出の大手術を受けました!

退院後あとわずかで一か月経ちますが、まだ傷跡に腫れがあり傷跡に熱もあります!

苦しい毎日ですが、回復の希望に向かっての癒しの痛みです

大病すると人間は優しくなる!

どうやらこれは本当です!

この6年間に大きな手術を三回も経験しますと、確かに自分に変化を感じます。


病気は悪いばかりではありません。

むしろ良い試練です。


まだ、悪性リンパ腫の疑いは消えませんが、天に何時召されても良いように、後を託す教会の兄弟姉妹に、わたしは自分の定めを見据えて、持てるすべてを伝え、残して旅立ちたいのです!

慈恵会医大に献体の手続きも済ませ
、お墓も御殿場と中井に作りました!

さぁ!何でも来いです!


今回啓示に従い、謎解きの旅に出ます。


未知の世界への旅立ちは明るいです。
カール・ブロック「復活」