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2009-06-15

悔い改め

密かに悪事を企み悪事を行う者の魂の救いのために、次の神の警告を贈ります!

悪しき者のはかりごとに歩まず、罪びとの道に立たず、あざける者の座にすわらぬ人はさいわいである。
このような人は主のおきてをよろこび、昼も夜もそのおきてを思う。
このような人は流れのほとりに植えられた木の時が来ると実を結び、その葉もしぼまないように、そのなすところは皆栄える。
悪しき者はそうでない、風の吹き去るもみがらのようだ。
それゆえ、悪しき者はさばきに耐えない。罪びとは正しい者のつどいに立つことができない。
主は正しい者の道を知られる。しかし、悪しき者の道は滅びる。
詩編1:1−6

もう一言、人々に伝えたいパウロの言葉を紹介します。

人類は今までの政治手法、手段、価値感に行き詰まり危機に直面しています。

人類自ら作り出した結果です。

終末の危機です。

使徒パウロの書簡は弟子テモテへ宛てたものですが、現代のわたしたちにも当てはまる警告です。

終りの時の人々の有り様
しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、とりこにしている者がある。彼女たちは、常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない。ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。 しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、多くの人に知れて来るであろう。
Ⅱテモテ3:1-9

人々の平凡で細やかな生活、人権、人間の尊厳を否定し破壊する悪人に神の公正な裁きが下ることを切に願い祈ります!

2009-06-06

神の伝道者、吉冨愛泉先生(4)後ろ姿

当時、私が50代の血気盛んな頃は、吉冨先生の真の凄さ偉さは理解していませんでした。

若く生木のままでしたから、先生がいくら火をつけても、くすぶるばかりでした。

最近、謎解きの第三の残りの人生のスタートを切り、やっと先生の伝えたかった真意が肌に感じられるようになりました。

死の谷を越え、試練の錬獄を越えて初めて体感出来たのです。

「神を知らずに危険に身を晒す人を救いたい一心」をです。

それが先生の福音伝道の基本だと気付かされました。

まだまだ使命は果たせます。

体は少し不自由になりましたが、代償の成果はネット教会の展開です!

2009-05-26

代償の真理

イエス・キリストの†字架の刑死は人類救済の代償です。

神の御子にしか出来ない大役です。

我々人間と精神構造が異なるお方の側にいて、キリストを間近に見ていたはずの直弟子ペテロさえ、キリストの本当のお姿を理解するには、あのカルバリの丘の劇的な事実を目にし、また復活の奇跡、聖霊降臨(ペンテコステ)を体験するまでは謎でした。

聖霊降臨日の体験以後、弟子たちはやっと変わりました。

私は時々夜中に迫り来る足音を聞きます。

サンダルが乾いた土を踏む足音です。

サンダルの足音は キリストと弟子達の足音です。

長旅で土ほこりと破れた衣の裾が見えます。

描写は不変です。

十字架のイエス

このブログを書くわけは

「書く」と言うのはおこがましく不遜に感じますから「書かされている」と言い直します。


今回、「代償」という言葉がすっぽり、はまりこんで来ました。

失った臓器の代わりを残された臓器が懸命に働いてくれています。

涙がでます。

健気に黙って働いています。

「代償」は医学用語だと聞きましたが、なかなか実感出来ませんでした。

やっと掴めました。

このブログは、既に信仰をお持ちのクリスチャンや、偉い先生方に見てもらうのではなく、病院で親しくなり、また私の知らない人生の友への応援歌のつもりで書かされています。

手元にあるのは聖書と小さな辞典だけ。

表現の間違い、意味の解釈などに間違いがあったらお許し下さい。

今の私に課せられているのは上から降り注ぐ言葉を書き記すことですから、校正などはしません!

リアルタイムで書かされますから、腕は痛く、体が辛くても書かされてしまいます。

時間はその時次第です。

中休みは、言葉のシャワーが止まった時だけです。

意図的にやれないのがたいへんですが、生還出来たわけは、まだ仕事が残されていたからだと、感じています。

いろいろご心配を頂き、内心じくじたる気持ちがありますが、何時か?神様からもう良い!と、お声が、かかる日を楽しみしています。