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2009-06-24

天路歴程(1)

入院中に、真剣に読んだ本があります。

ご紹介いたします。

正直な話しですが、今回はもう駄目かと内心覚悟を決めていました。

その中で聖書とジョン・バニヤンの『天路歴程』が大きな慰めになりました。

この話は病友にも少し話しました。

生い立ちが、鹿児島出身の吉冨愛泉先生によく似ていたのも私の気持ちを強く惹き付けた理由でした。

作者ジョン・バニヤンは1628年11月、英国ベッドフォード州の小さな村エルストウに生まれました。

父親の時代に家が傾き、貧しい、鋳掛(いかけ)屋でしたから、小さな学校で学んだ程度でした。

彼が育った土地は思想的に独立心が強く、ことに清教徒的信仰の熱烈な土地でした。

その北部は信仰の自由を求めてニュー・イングランドに新しい天地を開いたピルグリム・ファーザーズを最も多く出した土地でした。

このような背景の中からジョン・バニヤンは、貧しさに負けず、彼独自の信仰を深めていきました。

彼の生き方、信仰は容易には村人に受け入れてもらえませでした。

彼には生まれつきの強い想像力と、病的と思われるほどの鋭い感受性を持っていたと言われています。

それは宗教的な意味で恐怖心となり、恐ろしい夢や幻となり彼を脅かします。

私もよく夢、幻を視ますが、時には、そのせいか?

快活な気分が粉々に打ち砕かれる経験を何度もしました。

後に続きます。

2009-05-10

心の旅路〜あとがきから

さて話は変わりますが、愛の樹のホームページに拙著が並んでいます。

その中の北海道伝道旅行を記した『心の旅路-苦難の中に身をおいて知る 神の愛』の最後に、こんな気持ちを書きました。
今回の北海道伝道旅行に、弟子の飯田ヤコブ士郎兄が群馬県の伽葉山まで往路アイン号を運転し、見送りを兼ねてついて来てくれた。彼はこの小旅行の ノートの冒頭に「清浄、透明感につつまれる。何かが生まれ育つ予感!」と 書き残し、沼田駅で別れた。
私はかけがえのない多くの友を神から与えられた。もし人が愛し合うことをやめたら、すべての世界が、敵対するかのように思えたら、私などとても生きてはいけない。
心身共に疲れ果ててしまう。
おそらく、そのために生命を全うすることは出来ないと思う。死出の旅路は唯一人だけで寂しく、はるか遠くに行かなければならない。だが私はキリストというお方に出会ったときから、本当に変えられてしまった。
敬愛し、助け合い、慰め合うことを、主の†字架に視た。私がもしキリストに出会うことがなければ、手のつけられぬ悪人になりさがっていたかもしれない。
我が内に恨みが残り、毒を含み、怒りが積み重なり、憤りを心にしっかり刻みつけてしまい、生を死に変え、ズタズタな傷付いていたと思うとそら恐ろしくなる。
又、愛欲の世界に溺れ、煉獄の中に、地獄の業火に身を焦がし、救われず、その苦しみに己一人であたらなければなかった筈である。それが全く違った結果になってしまった。
キリストを知り、神の慈愛の世界にその光の中に導かれた時、私の目の前に真実の道が光り輝いてみえた。
この世は慌ただしく去って行く、私たちの目に頼りと見えたもの、力になると感じたものは私の錯覚に過ぎなかった。
私は今回の伝道旅行を通して、更に深い神のみこころにに触れた思いがする。弱い体は、恐れ、苦痛から逃げようとした。 しかし、私の内なる霊は神のみ声に従った。
私は今、改めて、あのハンセン病者、ラザロの姉、マルタに言われた、イエス様のみことばを思いおこす。
「わたしはゆみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」
(ヨハネによる福音書11章25-26)
「はい、しもべは信じます。
これが 私の道である」
アーメン!
筆者合掌

「あとがきにかえて−キリストと私」より
心の旅路