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2009-11-04

「夢は神の警告」から(1)

オショチ様いつもありがとうございます。
ブログ拝見させて頂いています。抗癌剤治療はさぞ、たいへんでしょうが、乗り越えて頂かないといけないので、皆さんのお手本となられる方なので、よろしくお願いいたします。
私などが生意気に言えることではありませんが。

私ですが、27日のブログを拝見させて頂いて、本当におっしゃるとおり、と思って、久しぶりにメールをと考えていた翌日の28日、帰宅時間午後7時半頃にバイクでのひったくり未遂事故に遭ってしまいました。
幸いバックも取られず、かすり傷と打撲で済みました。身体が飛んだのですが、ふわっとして道路に落ちたから、ケガが軽く済んだと思います。神様が守ってくれたのだと信じています。お守り頂いて本当に有り難く思っています。

ちょうどその次の日にSちゃんから、久しぶりのメールを貰いましたが、そのきっかけはオショチからのメールだったと聞きました。オショチの凄さに、お気遣いに、本当に有り難く思っています。祈ってくださっているお陰だと思っています。ありがとうございます。

私もオショチのお身体のことお祈りさせて頂いています。

なかなか、ご連絡していないこと申し訳ないですが、これからもよろしくお願いいたします。ありがとうございます。

Y

メールありがとうございました。

大事に至らず本当によかったですね!

最近、不況の影響もあり、世の中がひどく物騒で荒々しくなりましたね。悲しいご時世です。

若い女性、年配の方を狙うひったくり等々、夜道は危険地帯になりました。

バイクのひったくり事件は後を断ちません。

軽い怪我で、盗られた物もなく、心底安堵しました。

私は何時も思うのですが、平然と犯罪を犯す者たちの生い立ちを!

犯罪に至るまでの心の葛藤、闇を、本人しか知り得ない何か鬱屈したその苦悩など、真実を是非知りたいと思い続けています。

生まれながらの犯罪者はいません。

純真無垢の赤ちゃんが育った生活環境、家族構成、性質、様々な複雑な要因が、重なりあい、気づいたら、いつの間にか自分自身の考え方希望とは、真反対の方向に行ってしまっていた?

もう、引き返せない道、悲鳴が聞こえるのです。

そんな気がしてなりません。生きることは大変なことですね。

私にも辛い思い出があります。




2009-08-29

天路歴程(35)我が友

闘病生活の中で私は、ひとつの身体を共有する、2人の私に向き合うと言うまことに奇妙な体験を繰り返す毎日です。

現実から目をそらす私と正面から向き合う私!

どちらも私です。

その有様を静かに見つめている私ではない存在者の視線を感じます。

察するに、一人じゃ生きられない弱い私を、“いざ”となったら励まし、救い、恵みの中に導くお方かもしれないと感じます。

闘病生活は私一人の力では乗り越えられません。

医師、医療関係者、仲間、家族等、様々な助けが必要です!

助けられながらも、苦しい時は目の前のことに目を奪われがちになります。

健康で自由自在に働き、何不自由なく動き回っていたときとは違います。

状況は一変して、それまでの生活から切り離されてしまいます。

この落差が、かなり堪えます。

身体だけではなく、心もです。

ややもすると、それが引き金になり、絶望に転落する危険性も否定出来ません。

毎日がそれとの闘いです。

もう一人の私の姿です。

この複雑な弱い自分を、私は見つめています。

先日、ブログに“我が道”を書きましたが、あの人物も、私です。

今日、肝臓ガン末期の病友と、電話で話しました。

彼は82歳になりますが、淡々と自分の死について語ってくれました。

一人じゃないから絶望しません!私は忘れられていないし、私は家族やあなたの記憶に生きていきます。

間もなく命が燃え尽きても怖くありません!不思議です!

「彼は自然に、新たに生きる次の命の世界を獲得した!」と感動しました。

不思議な心境の変化です!

闘病生活者にはいろいろなお方がおられます。

苦しみと向き合って、最後に人として生まれ、目に見えない未来永劫の価値を掴む人、絶望に打ひしがれる人、様々です!

これが人間のあるがままの姿でしょうか!

死の谷は誰でも一人で越えなければなりません。

彼に語りました。

「死は新しい命の出発点です!」と。

彼は理解してくれました。

励まし合う!素晴らしい体験です!

闘病の困難を乗り越える力を分かちあうことに悦びを感じます。

ジョティ・サヒ「洗足」

2009-08-22

天路歴程(34)我が道

望んだ訳でなし。

望まれた訳でもなし。

可もなく、不可もなく!

ただ、あるがままの現実を黙って見つめている我。

静かに流れて行く時に身を任せます。

諦観でもなく、さりとて気張りでもなく!

あるがままが、人生そのものだと、素直に納得できるから不思議です。

“病は人生の師”より

「†神よあなたのみ心のままに」