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2009-08-05

天路歴程(27)「生きる」(続)

骨髄採取の痛みは、尿管に麻酔無しでやった痛さと、比較の話しだよ。

歯を食い縛り、気絶するか?と思った。

あの痛みに比べたら痛くはない。

正直な話しだが、二度とやりたくはないね

麻酔無しでやった痛さの後日談だが!

先生、看護師方々には“凄い体験者”と言われているよ。

誰も好きこのんで痛い手術は受けたりしない

今回は例外中の例外で、瀕死の腎臓を守る手立てはこれ以外になかったからね

その痛みの記憶から逃れたい一心から、「生き延びたい」が→「生きる」に、繋がったのが本音かもしれないが。

黒澤明監督と、名優、志村喬に救われた。

ガン患者の深刻さは、ガンに無知な人間の想像を越えてる。

周りにガン患者さんがたくさんいるし、病魔との苦闘が肌身に伝わるから。

それで、ふと!脳裏に浮かんだのが、皆が知ってる、黒澤明監督の作品だった。

映画の力を借りて、病友を励ましたくて!

一番はオショチ自身かも?

今は、抗がん剤は未体験だから。

次に病棟の、仲間たちのために!

たとえフィクションでも、ガンの虜になり、ガンに負けて欲しくないから、頑張って描いた→書いた!ではない。心にイメージした。

オショチの「生きる」になった訳

ガンの事は、軽々しく書けない!

オショチの悪性リンパ腫との闘いは始まったばかりだから!

祈ってみ国、天国を想うと、不思議に心に曇りはない。

皆、お休みなさい

2009-08-04

天路歴程(26)「生きる」

昔見た、黒澤明監督の映画「生きる」のラストシーンが、瞼の裏に鮮明に焼き付いています。

名監督と名優、志村喬の出会いが生み出した映画史上に残る名作です。

映画のストーリーは、ある日、胃ガン宣告を受けた、地方公務員の住民担当課、課長が主人公ですが、志村喬の迫真の演技力は、真に、ガン患者の生きる苦悩、その不安と恐怖に苛まれる姿と深い孤独感を余すところなく描きだしました。

克明に丁寧にリアルタイムで描写されていました。

若くて健康に些(いささ)か自信がある時に見た映画と、現在自分の中で進行中のガン体験を重ね合わせて見ると、内容がガラリと変わり、その死に直面した、人間の深さ、人間の在るべき姿が、言葉ならぬ重みが、ずっしりと、現実味を帯びて、心の奥深くに突き刺さって来ました。

たとえガンでなくても、人間を襲う病原菌は地球上の至るところに、うようよいますし、生身の体にいつ病魔が襲い掛かるか、誰にも予測がつきません。

考えて見ると人間はいろいろな危険と、隣り合わせで毎日、生きているわけですから、驚く程のことは無いかも知れませんが?

しかし、突然!ある日あなたの余命は、いくばくもないと!医師に告げられて平気でいられるでしょうか?

まともな人間なら動揺し、心は千々乱れ、奈落の底に落ち込むと思います。

映画の主人公は、死の恐怖に怯えながら、「生きるための死からの脱出を必死に求めました」。

死ぬ事が避けられないと悟った時、地域住民の切なる願い、公園作りに立ち上がりました。

同じ役所でも、担当課が違えば全く意志の疎通しない壁にぶつかるのですが、死を目前にした、主人公の迫力ある決意の固さの前に縦割り行政の壁は突き破られました。

公園作りの行くてを阻むものは結果として、誰もいませんでした。

廃墟の跡に住民達の切なる願い、公園作りに奔走し、公園は立派に完成しました。

その完成した公園の新しいブランコに揺られ、静かに降る雪の中で、口ずさんだ、♪ゴンドラの歌、
命短し恋せよ乙女♪……
紅き唇失せ間に♪」
の歌に涙が流れました。

自ら作り上げた、公園のブランコに座り、雪の降りしきる深夜、一人静かに死んで行くラストシーン。

主人公の人生の終演の舞台になりましたが、病魔と苦闘しながら、使命を果たし、息絶えたその場所が!輝いている不思議な光景に見えました。

最近改めて見る機会があり、画面に釘付けにされました。

教会の結婚式の司式もやりましたが、「神の前で誓います。死が二人を別つまで、人、これを離すべからず!」

死は全てを消し去る、奪うと、考えられますが、

例え肉体は消えても霊魂は残ります。

優しさ、人のために尽くした愛が朽ちる事のない命の生の証なんですね。

主人公は死にましたが、自分の肉体を離れて、人々の心中に宿り形を変えて生き続けたのだと、この映画は人々に訴えているように、感じました。

わたしたちが生きるための、心の支えになる名作です!

機会がありましたら見て頂きたいと思います。

映画「生きる」より