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2009-12-17

私は夢を見ました~OMさんとのメール


私は夢を見ました。
夢の中の私は年老いていて病気です。灰色の服を着ています。友達はいません。病気に苦しみ絶望しています。 目覚めて鏡を見ました。日々を惰性で生きている初老のぼんやりした女の顔がありました。
神様が見せてくださった夢だと思います。

OMさん

添付の写真は不思議な感動を与えます。
あるがままを素直に切り取った、人間の孤独感、また切なさ、哀感を観ます。
モジリアーニ、ムンクの魂の叫びのようです。

キリストの聖像を見つめていると、人間の苦悩を一身に負われた、深い苦悩が伝わります。が、人間の苦悩と絶望の果てに救いの光りを観ます。
暗闇に光は輝いています†

OMさんとオショチたちが目指す天路歴程の道です。
夢の持つ意味をいつかメールします。楽しみにしていてください†
平安を祈ります†
オショチ
おやすみなさい
貴重なメールをありがとうございました。
老、病について私が見た夢はとても鮮明でした。
しかし誰でもが背負う試練であれば私も乗り越えます。
OM

追伸:写真はソビエトのトゥトゥノフの幼年時代・初雪 油彩画です。
リサイクル店で見つけた1975年三越現代ソビエト絵画の本のなかの絵です。孤独感があるとは気づきませんでした。自分にしっくりくる絵です。夢の意味楽しみにしています。主人が牧師さんの夢を見ました。聞いた内容からきっとおしょちです。




2009-12-16

「老年は内面性の成長期」

私は次のことを提案したい。
人が変わり、成長する可能性は、私たちが思う以上に大きい。老年は停滞の年代と思われがちだが、むしろ内面性が成長する時期である。老人は病人のように扱われるべきではないし、その隠退を社会の第一線から長く退いてしまった状態、とみてはならない。
老年期こそ、それまでに感得しそこねた高い価値、身につけられなかった洞察力、顧みなかった叡智を得させる時だ、と言ってもさしつかえない。

その時期は実に豊かな可能性をもった人格形成期である。長い人生で知らないうちに身についた愚行をやめ、生来の自己欺瞞の偽りを見抜き、人を理解し、思いやる心を深め、誠実な心の領域を広げ、公正さへの感覚を精錬することができるのだ。
年輪を重ねた人は、大局的に物事を見、失敗の経験を積んでいるから、偏見と既得権益への飽くなき執着心を捨てることができる。その時に、もはや仲間を自分の前に立ちはだかる競争者と見ることはないだろう。


 老人のための大学が必要である。その教育の目標は、老人を忙しくさせておくことではなく、一瞬一瞬が偉大になるための好機である、と気づかせることにある。内面の純化は、少なくとも趣味や娯楽と同じくらい重要である。心の中から、憎しみ、恨み、嫉妬の残渣(ざんさ)を取り除くことは、だれもが闘うべき確かな目標である。

 ほとんどの人は、老年を迎える準備を青年期の日々になすべきだ、ということを自覚していない。

 老年のために霊的備えをせよ。それをいかに深めるかを学べ。これは若いときから心すべき命題である。昔から、老いた者ほど叡智があると言われてきたが、
まさしくそうだ。しかし、年齢は叡智の保証書ではない。格言にいわく、
「賢い老人は年をとるに従って賢くなる。粗野な老人は、年をとるに従って愚かになる。」


アブラハム・ヘシェル(ユダヤ教神学者)「The Insecurity of Freedom」より

2009-08-02

天路歴程(25)老いと闘病



また入院しました。

4月半ば、右腎臓と胆嚢の摘出手術を受けて、回復期に入ってきた矢先に急性腎不全に似た症状が出ました。

明日から最後の治療、悪性リンパ腫の抗がん剤治療も始まります。

どうやら真犯人は悪性リンパ腫らしく、
その影響でやられた右腎臓の手術をしました。

4月半ばの事でした。

あの日から3ヶ月あまりで、また緊急入院です。

一見順調に体力回復して来たかに感じていましたが?
油断した隙を病魔に付け込まれたのか?と。

人間は、長い間に様々な体験をするものですね!

今、
入院先の病室の夜景を眺めながら生き物の生死について深く考えさせられています。

いろいろな出来事が瞼に浮かびます。

偶然ですが、約7年前にも当時、東京慈恵医大の消化器・
肝臓内科の戸田剛太郎教授の外来診察を受けた折り、肝臓の数値が異常に高く、即、入院となりました。

入った病室が同室でした。

15階の眼下に芝の増上寺が見えます。

また、東京タワーの夜景は幻想的な美しさです。

夜景を一人静かに眺めながら考えています。

「老いは自然の成り行き」

さんざん使わせて頂いた体が傷むのも仕方がないか、と!

これは単なる諦めではなく、これから先、
ここを人生第三のスタートラインと考えての思考です。

新たな人生計画です。

牧師と建築家を同時にこなしてきた、
私の人生計画はまだ未完成ですから!

未完成の仕事を完成させたい意欲が沸き上がります。

大概の試練には耐えられそうな気がします。

ごく当たり前のこととして、我が人生の過ぎ行く事態を、その人生計画の進行状況を、眺めている自分に気付きました。

精神的老化はしたくないですね!肉体的老化は受け入れても、
心の張りは失いたくないのが本音です。

さらに突っ込んだ話ですが!
体から霊魂が離脱する瞬間迄はしっかり生きたいと神にお願いをしています。

そんな、こんなの中で自然に、疑問も生じて来ました。

何故?7年の間に、肝臓、腎臓、
頸椎のおぺを含めて6回の入退院を繰り返したのか?

さすがに考え込んでしまいましたが、
神がお与えくださった試練だと受けとめると合点がいきます。

密かに何処かで病魔と闘い、孤独の中に身を置かれているあなた!
悩み苦しむ未知の兄弟姉の痛み苦しみを共有することの意味と価値を考えました!

さて昨夕の泌尿器科の緊急手術ですが!

(残った左腎臓の水腎症背後性腎不全)のためのステント挿入は泌尿器科の木村高弘先生の判断で麻酔薬無し、また、
術後も、座薬なしの、前提で手術台に身を横たえました。

正直な話ですが手術台に磔にされました。

左の尿管は既に一年半前に尿管狭窄症で手術をしています。

もし、
ステント挿入が成功しない場合の次善策は直に腎臓に穴を開けて管を挿入し、「命を救う!」先生のこの一言が心に響きました。

その一言で私の覚悟が出来ました。

ゴルゴタの磔刑のキリストの痛み、激痛に想いを馳せました。

短くて、とても長い30分間が過ぎました。
ステント挿入が成功したのでした。

手術室には独特な静謐が感じられます。
命のやりとりが現実に行われる聖域です。

この体験記がブログとなりあなたのお役に立てたらと祈ります。

消灯時間が過ぎました。

神の平安を祈りつつ!

アーメン・ハレルヤ†

2009-05-17

老年は内面性の成長期

アブラハム・へシェル(1907-1972)「老年は内面性の成長期」より
 私は次のことを提案したい。
 人が変わり、成長する可能性は、私たちが思う以上に大きい。老年は停滞の年代と思われがちだが、むしろ内面性が成長する時期である。老人は病人のように扱われるべきではないし、その隠退を社会の第一線から長く退いてしまった状態、と見てはならない。
 老年期こそ、それまでに感得しそこねた高い価値、身につけられなかった洞察力、頼みなかった叡智を私たちに得させるときだ、といってもさしつかえない。
 
 その時期は実に豊かな可能性をもった人格形成期である。長い人生で知らないうちに身についた愚公をやめ、将来の自己欺瞞の偽りを見抜き、人を理解し、思いやる心を深め、誠実な心の領域を広げ、公正さへの感覚を精錬することができるのだ。
 年齢を重ねた人は、大局的に物事を見、失敗の経験を積んでいるから、偏見と既得権益への飽くなき執着心を捨てることができる。その時に、もはや仲間を自分の前に立ちはだかる競争者と見ることはないだろう。
 老人のための大学が必要である。その教育の目的は、老人を忙しくさせておくことではなく、一瞬一瞬が偉大になるための好機である、と気づかせることにある。内面の純化は、少なくとも趣味や娯楽と同じくらいの重要である。心の中から、憎しみ、恨み、嫉妬の残渣(ざんさ)を取り除くことは、だれもが闘うべき確かな目標である。
 老年のために霊的備えをせよ。それをいかに深めるかを学べ。これは、若い時から心すべき命題である。昔から、老いた者ほど叡智があると言われてきたが、まさしくそうだ。しかし、年齢は叡智の保証書ではない。格言にいわく、
「賢い老人は、年をとるに従って賢くなる。粗野な老人は、年をとるに従って愚かになる」

2009-05-10

老、病、死

老いてゆく苦痛を、誰かが書きました。
青年よ
君たちには、分かるまい!老いてゆく者の苦痛が!


病に苦しむ友に
「あなたの重荷をわたしに預けなさい!あなたの重荷をわたしも負う!」
「老、病、死」から、逃れられない人間の定めから宗教が生まれました!

何教であれ!現実的な人間の苦しみを根本的に解決出来なければ?存在価値が疑われます!

拙著「オショチ句集」は死を予感した、遺書です!

これを書き上げてから、4月13日に慈恵会医科大学付属第三病院の泌尿器科・池本先生のオペに臨みました。決心が要りました!

オショチ句集