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2009-12-30

病友の闘魂

先ほど、Yさんから電話があった。

奥さんがアルツハイマーとパーキンソン病にかかり、自分で身動きできなくなった。

今朝ショートステイから帰宅した。

高齢者のYさんが買い物、食事など、肝臓の末期癌を抱えて孤軍奮闘している

自分の免疫力だけが頼りだと話していた。

何時倒れてもおかしくないですと。

お互い頑張って生きましょうと、励ましあった。

オショチ

2009-12-05

死への覚悟から〜OMさんからのメール(つづき)

おしょち様、メールありがとうございます。
聖日の御礼拝の許可良かったです。
でも、感染症には本当にお気をつけてくださいませ。

私のために祈ってくださいまして、ありがとうございます。
でも、そのためにおしょち様の具合が悪くなったらいけないです。
お送りいただいたキリスト様の彫像を見て、この苦悩は他人の重荷を代わりに背負ったためのものだ。
おしょち様を苦しめてはならないと思いました。

私は心が弱いので自分のなすべきことがわかっていても実践できません。
おしょち様や愛の会の方々の愛は本物で厳しさを感じます。
私の今の課題は、年老いた親のためになにをするかです。
思っているだけではいけないです。

寒いので暖かくお休みくださいませ
OM


ご両親のこと、よくわかります。
教会の皆も、オショチを含めてそれぞれ、共通問題を抱えていますから。
一人で抱え込むのは、厳しく、難しいことですが、せめて心の支えになれば、お互いに助けあえたなら?
何か少しでも役立てばと考え、病をきっかけにブログを立ち上げました。

病気、老い、等、やがて訪れる死も、避けて通れない道ですね。
仏教徒の母からは、お釈迦様の説かれた、老、病、死に直面したとき、弱い、人間救済の教えに、慈悲の眼差し、励まし、生きていく上での知恵を学びました。

わたしたち、教会の中に横たわる問題点は、人間共通の真剣な問題、課題です。
が深刻ではないです。
キリスト様のお示しになられた天国を魂の帰り行くふるさと信じていますから。

しかし、目の前の老いた親の介護を皆が同じように出来るとは限らないので、とにかく精神的な孤立、負担が少しでも減らせたらと願いながら毎日を迎えています。

生き物は、死と向き合う生を生きなければならない宿命を背負っていますね。
オショチも死の陰の谷を何度か越えて来ましたが、未だにうろうろしています。
死への覚悟が、生の目覚めになりましたが!逆説的ですが?

弱いことはオショチ†の生きる力になったのです。
おかしな体験です。
まだまだこれからいろいろな試練に遭うでしょうが?

夜更けのメールごめんなさい。
おやすみなさい
12月5日
オショチ†

2009-09-08

病は神様からの贈り物

病むことの利益?

妙な話しですが、病から得た教訓と利益!

健康な時に、うっかり見落としていた自分の健康への配慮、気遣いや、感謝の気持ちの欠如など様々な反省を込めた複雑な感情でした。

なかなか短い言葉では表現仕切れません。

何故?7年の間に、頚椎、左尿管狭窄症、右腎臓ガン、胆嚢摘出の大手術、更に悪性リンパ腫、それ以前の肝臓疾患等々、短期間に集中した襲い掛かる病魔の原因に、我が身に課せられ重荷、十字架の意味を思いました。

たとえば、身近にいる健康者に、当たり前のようで当たり前ではない、健康の大切さをメッセージとして伝えることが真剣に出来たこと。

再認識して貰ったこと!

さらに闘病生活の仲間の苦しみを共有出来たことなどです。

以前にも度々書きましたが、我が身が痛んでみてはじめて分かることが沢山ありました。

話しは変わりますが、あの、聖パウロも持病があり、苦しみながら、神から与えられた使命を全うしました。

彼は3度も神に祈りました。

「主よ!我が身の病を取り除いてください!」と。

しかし神の答えは、「我が恵み汝にたれり!」。

2009-07-25

天路歴程(21)あぁー!神よ!

トリノの聖骸布(部分)

キリストのお体を包んだあま布、聖骸布に浮き出した、彫りの深いお顔の写真を拝顔しました。

あま布に包まれていたお顔がくっきり浮かび上がり、言葉にならない深い感動におそわれました。

キリストのお体の脂肪が、あま布に永年の間に染みこみ、崇高なお姿を、2000年を経て人類の受難時代に合わせるように浮き上がった。

神秘的です。

神の愛し子です。

人類救済の悲願は、まだ達成されてないないのでは?

再び、わたしたち人類の前にみ姿を表したもうた!

まだ、救い主はキリストは現役で、今も悩める魂のために生きて働いておられる!そう、確信しました。

キリストが命を賭して人類の平和共存を説かれた愛の犠牲、教えは一体何処に消えてしまったのでしょうか?

キリストを宗教家とみるか?人類の革命家と見るか?ですが?

両面を兼ね備えいなさるお方だと私は受け止めました。

キリストか語られた言葉のなかに書かれていることの真意を精査、霊読すれば解ることです。

一滴も血を流さずに平和が達成できる宗教がこの地球上に果たして、存在するのでしょうか?

キリスト教徒同士が、殺戮を繰り返してきたのは世界中が知るところです。

キリスト教徒だけでなく、裏に潜む責任者、リーダーが、キリストの教えに反するキリスト教国に、平和の礎となる平和の真理を精力的に訴える責任があります。

無関心は大きな罪です。

世界中の紛争地帯は皮肉なことに、パレスチナ一帯、旧約聖書が舞台です。

アダムとイブの血とその霊統をくむ、近親憎悪が根深いです。

宗教は平和と人々の幸せのために存在するものです!しかも宿敵は兄弟同士。

イスラエルが聞き分けのない、だだっ子なら、キリスト教会が結集して、諫めるべきです。

身内同士です。

自分たちから率先垂範すべきです。

時代は劇的変化を遂げようとしています。

政教分離はキリストの教えです。

国民を困難に突き落とす、政治に歯止めを掛けるべき時が到来していると告げられています!

ユダヤ教
キリスト教
回教徒

アダムとイブの血の流れを酌む親族関係にあります。

平和を創りだすはずが、お互い危険な敵になりました。

仏教を信じるおとなしい国まで怪しい様子です。

神仏の限界を人類は越えたのでしょうか?

今夜も神に食い付きましょう。

何故人間の愚かさを止めないのか?あなたも歳をとられ老衰したのかと?

尋ねます。もう、午前三時です!あぁー!神よ!

語り給え!

2009-07-16

天路歴程(17)天に帰った獣医

極楽死を望む

四国の何処かのお寺に、極楽往生をお願いに行くツアーがあると聞きました。

歳を取ったら誰にも迷惑を掛けず、“ポックリ”あの世に行きたいと、誰もが密かに抱いている、世俗的な願望だと思います。

特に心身を痛めると、自分の往生際が気になるものです。

念仏を唱えてポックリあの世の旅に出掛けられたら!苦しまずに最高の人生をむかえられるでしょうか?

このお寺の住職に一度会いゆっくり話を聞きたいものです。

情けが仇に!

ある生活者がいました。

元、腕の立つ獣医師でしたが、ある時、北国の酪農家の家畜の健康状態を調べるために派遣されました。

偶然立ち寄った農家の一頭の牛に、蹄(ひずめ)の病気が見つかりました。

彼の役目は辛いものでした。

放置すると、健康な牛にも伝染します。

彼は規則に従い、役所に報告しました。

当然、薬殺の指示が出ました。

彼は情け深い人物でしたから、ためらいました。

家畜を育てる苦労と、飼い主の愛情を思い、薬殺に踏み切れないで悩みました。

「今すぐに薬殺する必要はなかろう?少し様子を見てからでも遅くはあるまいと自問自答しました」

さらに、農家のおばーさんが両手を合わせて必死に牛の命ごいをしました。

泣きながらです!

彼は、おばーさんに、こう言いました。

「今日は一先ず引き揚げますが、何か異変が起きたら、直ぐ私に知らせてください」と。

それから1週間も経たないうちに、緊急の知らせが役所から届きました。

牛の蹄の病気が村全体に蔓延し、全て病気に侵された牛を薬殺処分せよ!との、厳しい、最悪の指示でした。

当然、彼の責任が厳しく問われました。

彼は、あの時見逃した牛のこと、涙を流しながら手を合わせた、おばーさんのことが、重苦しく、心にのしかかって来ました。

村に着くと、不安顔の酪農家の人々が集まっていました。

検診の結果は悲惨なものでした。

その日のうちにかなりの牛の命が、彼の手でを断たれのです。

やがて、真相が明らかになりました。

彼は重い責任を負わされ、石を投げられ、獣医師の資格を剥奪されました。

後はお決まりの転落の道が彼を待ち受けていたのです。

*

初めて、彼に会ったのは身寄りのない人々の施設でした。

仏教系の施設でしたが、私は自由に立ち入りが認められていました。

6人部屋の窓際のベッドに背中を丸めている姿に強く気が惹かれました。

似つかわしくないのです。

毎日、酒に明け暮れ、無断で女性の部屋に入り込み、だれかれなしに抱きついて回る。

彼の居場所は、そこにはありませんでした。

そんなある日、公衆電話が教会にかかって来ました。横浜市寿町の、通称ドヤ街からでした。

施設も追い出された彼は、必死にすがりついて来ました。

彼を苦しめる原因が、判明しました。

あの時、自分の手で薬殺した牛たちが彼の前で涙を流したというのです。

賢い牛たちは、自分が殺されることを直感的に知り、涙をながして命乞いをした。しかし僕の手で彼らを殺した。

その良心の呵責が自分を含めて人間不信に輪をかけていたのです。

酒に酔えば、「牛が泣いてる」と、頭をかきむしり、悲痛な叫び声をあげました。

彼をドヤ街から救い出し、町田市のアパートに住まわせました。

だんだん彼は心の内を打ち明けてくれるようになりました。

それからほどなく洗礼を受けて、彼の心にやっと平安が訪れたのでした。

彼は自宅のアパート暮らしを自由気ままに楽しみ、私とほぼ同じ年齢で静かにこの世を去りました。

今はわたしたちの教会の共同墓地、見晴らしのよい、静岡県御殿場市にある富士霊園に静かに眠っています。

優しい獣医師さんは天国の牧場で仲良しの牛たちと楽しく暮らしていると思います。

彼が望んだポックリ寺は、彼の身近に、優しい心の中に在りました。

天路歴程を、彼なりの仕方で過ちを償い、歩んでいきました。

安易に責任のがれを避けることをせず、自分過ちに誠実に向き合い、苦しみながら、かれなりの償いを果たして、天国に国籍を移した彼に、神の御祝福を改めて祈ります!

アーメン、ハレルヤ†
木々の緑のなかで!

2009-07-01

天路歴程(7)

使徒パウロとバニヤン、オショチから皆さまへ

いろいろ人生の苦難と闘われているお姿を思い、深い感動を覚えます。

いまが如何に苦難に満ちていても神は必ず逃れの道を備えてくださいます。

かく言う私も身体に刺をもつ一人です。

痛み、苦難、試練を経験、体験すると、人は優しさを身につけます。

苦労は無駄にはなりません。

この小さな積み重ねが大切だと思います。

悲しいかな、人間は健康体である時より、むしろ病んでいるときに本当の自分に巡り合う機会があります。

本音が出ます。

私はこの貴重な体験を、自分1人で抱え込まずに、同じ境遇に置かれいる立場の兄弟姉妹にお伝え出来たらと祈っています。

この梅雨の季節には、健康的な人でも体調を崩しがちだと聞きます。

梅雨の恵みが植物には欠かせませんが、わたしたちも、まずは自分の健康を1日でも早く取り戻し、愛する家族、人々のために出直したいと切望しています。

神様の恵みを頂きたいです。

ネット教会の皆様の上に神様の御祝福が豊かに注がれますように、そしてあなたの切なる願いが叶います様に祈ります。アーメン・ハレルヤ

雨にけぶるふるさとの家のキリスト像
by Oshochi

2009-05-11

おーい!死ぬなよー!の意味


荒っぽい詩

年齢(76歳)に似合わない、なんだか本人の書いた詩じゃないみたいですが、オショチの精神年齢、血が騒ぐ

「おーい!死ぬなよ!」

このフレーズで、インターネットを検索する方々の、様々なことで苦しむ方々の、人生苦を共有したいたいのです。

愛の樹のネット教会の礼拝にお招きしたいのです

何かご質問は?

オショチ

誓いの言葉を

今日の命が与えられ、改めて使命感を確認いたしました!

苦難と汚濁の世の中に生きて、貴方の清らかな「命」と引き替えに、果たすべき使命について、誓願を決断しました。

命の価値に値する、わたしの仕事は、人々の日々の暮らしに、苦しみの最中にある、兄弟姉妹への責任、あなたに実際に役立つための責任を含むのだと!

だからこそ体を労り、まず、そこが大切な第3の人生の謎解きの出発点だと。

折鶴が昨夜夢に現れ、優しく、静かに語り掛けてくれました!