2011-10-30

義人ヨブ記(job)9

『義人ヨブ』の苦難を見ていると、神の御心を計りかねます。
神と人間の関わりとは何か?真の信仰とは何か?深く考えさせられます。

ヨブ記は最後までハラハラします。

42章の【結び】がなければ絶望的になりそうです!

神との道行きは険しい道です!何故?人は幸せを求めながら、かくも苦しむのか?
そのヒントがヨブ記に詳しく記述されています。


最後まで神の試練に耐えた義人ヨブのその後の繁栄は、人間の及びもつかない祝福の証です!


『ヨブは答えた。』
それは確かにわたしも知っている。
神より正しいと主張できる人間があろうか。
神と論争することを望んだとしても
千に一つの答えも得られないだろう。

御心は知恵に満ち、力に秀でておられる。
神に対して頑になりながら
 なお、無傷でいられようか。

神は山をも移される。
怒りによって山を覆されるのだと誰が知ろう。

神は大地をその立つ所で揺り動かし
地の柱は揺らぐ。
神が禁じられれば太陽は昇らず
星もまた、封じ込められる。

神は自ら天を広げ、海の高波を踏み砕かれる。

神は北斗やオリオンを
すばるや、南の星座を造られた。

神は計り難く大きな業を
数知れぬ不思議な業を成し遂げられる。

神がそばを通られてもわたしは気づかず
過ぎ行かれてもそれと悟らない。

神が奪うのに誰が取り返せよう。
「何をするのだ」と誰が言いえよう。

神は怒りを抑えられることなく
ラハブに味方する者も
 神の足もとにひれ伏すであろう。


わたしのようなものがどうして神に答え
神に対して言うべき言葉を選び出せよう。

わたしの方が正しくても、答えることはできず
わたしを裁く方に憐れみを乞うだけだ。

しかし、わたしが呼びかけても返事はなさるまい。
わたしの声に耳を傾けてくださるとは思えない。

神は髪の毛一筋ほどのことでわたしを傷つけ
理由もなくわたしに傷を加えられる。
息つく暇も与えず、苦しみに苦しみを加えられる。

力に訴えても、見よ、神は強い。
正義に訴えても
 証人となってくれるものはいない。

わたしが正しいと主張しているのに
 口をもって背いたことにされる。

無垢なのに、曲がった者とされる。
無垢かどうかすら、もうわたしは知らない。
生きていたくない。

だからわたしは言う、同じことなのだ、と
神は無垢な者も逆らう者も
 同じように滅ぼし尽くされる、と。

罪もないのに、突然、鞭打たれ
 殺される人の絶望を神は嘲笑う。

この地は神に逆らう者の手にゆだねられている。
神がその裁判官の顔を覆われたのだ。
ちがうというなら、誰がそうしたのか。


わたしの人生の日々は
 飛脚よりも速く飛び去り
幸せを見ることはなかった。

葦の小舟に乗せられたかのように流れ去り
獲物を襲う鷲のように速い。

嘆きを忘れよう
この有様を離れて立ち直りたいと言ってみても
苦しみの一つ一つがわたしに危惧を抱かせ
無罪と認めてもらえないことがよく分かる。

わたしは必ず罪ありとされるのだ。
なぜ、空しく労することがあろうか。

雪解け水でからだを洗い
灰汁で手を清めても
あなたはわたしを汚物の中に沈め
着ているものさえわたしにはいとわしい。


このように、人間ともいえないような者だが
わたしはなお、あの方に言い返したい。
あの方と共に裁きの座に出ることができるなら

あの方とわたしの間を調停してくれる者
仲裁する者がいるなら
わたしの上からあの方の杖を
 取り払ってくれるものがあるなら

その時には、あの方の怒りに脅かされることなく
恐れることなくわたしは宣言するだろう
わたしは正当に扱われていない、と。

(ヨブ記第9章)

続きます。

愛の樹オショチ†
 
 ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵9「ヨブの絶望」、1825

今週の聖句 10月30日〜11月5日

詩篇34篇
ダビデがアビメレクの前で狂ったさまをよそおい、追われて出ていったときの歌

わたしは常に主をほめまつる。
そのさんびはわたしの口に絶えない。

わが魂は主によって誇る。
苦しむ者はこれを聞いて喜ぶであろう。

わたしと共に主をあがめよ、
われらは共にみ名をほめたたえよう。

わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、
すべての恐れからわたしを助け出された。

主を仰ぎ見て、光を得よ、
そうすれば、あなたがたは、
恥じて顔を赤くすることはない。

この苦しむ者が呼ばわったとき、主は聞いて、
すべての悩みから救い出された。

主の使は主を恐れる者のまわりに
陣をしいて彼らを助けられる。

主の恵みふかきことを味わい知れ、
主に寄り頼む人はさいわいである。

主の聖徒よ、主を恐れよ、
主を恐れる者には乏しいことがないからである。

若きししは乏しくなって飢えることがある。
しかし主を求める者は良き物に欠けることはない。

子らよ、来てわたしに聞け、
わたしは主を恐るべきことをあなたがたに教えよう。

さいわいを見ようとして、いのちを慕い、
ながらえることを好む人はだれか。

あなたの舌をおさえて悪を言わせず、
あなたのくちびるをおさえて偽りを言わすな。

悪を離れて善をおこない、
やわらぎを求めて、これを努めよ。

主の目は正しい人をかえりみ、
その耳は彼らの叫びに傾く。

主のみ顔は悪を行う者にむかい、
その記憶を地から断ち滅ぼされる。

正しい者が助けを叫び求めるとき、主は聞いて、
彼らをそのすべての悩みから助け出される。

主は心の砕けた者に近く、
たましいの悔いくずおれた者を救われる。

正しい者には災が多い。
しかし、主はすべてその中から彼を助け出される。

主は彼の骨をことごとく守られる。
その一つだに折られることはない。

悪は悪しき者を殺す。
正しい者を憎む者は罪に定められる。

主はそのしもべらの命をあがなわれる。
主に寄り頼む者はひとりだに
罪に定められることはない。

2011-10-23

今週の聖句 10月23日〜29日

マタイ6:19~34

あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。

むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。

あなたの宝のある所には、心もあるからである。

目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。

しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。

だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。

空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。

だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。

これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。

まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。

だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である

2011-10-20

義人ヨブ記(job)8

はじめに!

義人ヨブの生涯に思いを馳せます。

時々、神に向かって大声で、さ叫びたい、気持ちに襲われます!!
神の愛がわかっていてもです!

神智学(セオソフイア)

神々の持ち給う智識である/
それは決して憶測でもなければ学説でもない/
また人間の知恵が造り出した神学や教学でもない/
それは宇宙の生成と人間の生成と両者の全事実に関する体系である
言いかえれば/
神々より啓示され、かつ不可視の世界より
人類を霊導される、
高位の存在方みずからが直接体験によって直知された、宇宙生成学と人間生成学とである/
故にそれは信仰ではなく、信仰の次元を超えた知識である/
A・E・パウエル


シュア人ビルダドは話し始めた。

いつまで、そんなことを言っているのか。
あなたの口の言葉は激しい風のようだ。
神が裁きを曲げられるだろうか。
全能者が正義を曲げられるだろうか。

あなたの子らが
 神に対して過ちを犯したからこそ
彼らをその罪の手にゆだねられたのだ。

あなたが神を捜し求め
全能者に憐れみを乞うなら

また、あなたが潔白な正しい人であるなら
神は必ずあなたを顧み
あなたの権利を認めて
 あなたの家を元どおりにしてくださる。

過去のあなたは小さなものであったが
未来のあなたは非常に大きくなるであろう。

過去の世代に尋ねるがよい。
父祖の究めたところを確かめてみるがよい。
わたしたちはほんの昨日からの存在で
何も分かってはいないのだから。

地上での日々は影にすぎない。
父祖はあなたを教え導き
心に悟ったところから語りかけるであろう。

沼地でもない所で、パピルスが育とうか
水もないところで葦が茂ろうか。

芽を出すや否や、切られもしないのに
 どんな草よりも早く枯れる。

すべて神を忘れる者の道はこのようだ。
神を無視する者の望みは消えうせ
頼みの綱は断ち切られる。

よりどころはくもの巣のようなもの。
家によりかかっても家はそれに堪えず
すがりついてもそれは立ちえない。

水があれば葦は太陽にも負けず
園に若枝を芽生えさせる。根を石にまつわらせ
その石と石の奥にまで入り込み
その場所では呑み込まれたようでも
お前など知らない、と拒まれても
葦は、生き生きと道を探りほかの土から芽を出す。

そのように、無垢な人を退けることもせず
悪を行う者の手を取って
支えることもなさらない神は

なお、あなたの口に笑いを満たし
あなたの唇に歓びの叫びを与えてくださる。

あなたを憎む者は恥を被り
神に逆らう者の天幕は消えうせるであろう。
ヨブ記8:1~ 21
続きます。

愛の樹オショチ†
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵8「ヨブを慰める人たち」、1825

2011-10-16

今週の聖句 10月16日~22日

詩篇33篇

正しき者よ、主によって喜べ、
さんびは直き者にふさわしい。

琴をもって主をさんびせよ、
十弦の立琴をもって主をほめたたえよ。

新しい歌を主にむかって歌い、
喜びの声をあげて巧みに琴をかきならせ。

主のみことばは直く、
そのすべてのみわざは真実だからである。

主は正義と公平とを愛される。
地は主のいつくしみで満ちている。

もろもろの天は主のみことばによって造られ、
天の万軍は主の口の息によって造られた。

主は海の水を水がめの中に集めるように集め、
深い淵を倉におさめられた。

全地は主を恐れ、
世に住むすべての者は主を恐れかしこめ。

主が仰せられると、そのようになり、
命じられると、堅く立ったからである。

主はもろもろの国のはかりごとをむなしくし、
もろもろの民の企てをくじかれる。

主のはかりごとはとこしえに立ち、
そのみこころの思いは世々に立つ。

主をおのが神とする国はさいわいである。
主がその嗣業として選ばれた民はさいわいである。

主は天から見おろされ、
すべての人の子らを見、

そのおられる所から
地に住むすべての人をながめられる。
主はすべて彼らの心を造り、
そのすべてのわざに心をとめられる。

王はその軍勢の多きによって救を得ない。
勇士はその力の大いなるによって助けを得ない。

馬は勝利に頼みとならない。
その大いなる力も人を助けることはできない。

見よ、主の目は主を恐れる者の上にあり、
そのいつくしみを望む者の上にある。

これは主が彼らの魂を死から救い、
ききんの時にも生きながらえさせるためである。

われらの魂は主を待ち望む。
主はわれらの助け、われらの盾である。

われらは主の聖なるみ名に信頼するがゆえに、
われらの心は主にあって喜ぶ。
主よ、われらが待ち望むように、
あなたのいつくしみをわれらの上にたれてください。

2011-10-13

義人ヨブ記(Job)7

人間、死を間近にすると、今まで見えなかったものが見えたり、気がつかなかった、こまごました事に気付いたりします。

不思議に心身が研ぎ澄すまされます。

他者への、優しさが与えられます。

鬼の様な心にも、慈悲心が与えられます。

心が変化します。

覚悟が与えられます。

死の恐怖感が薄らぎます。

人間に死を与えたもう御方がそうなさるのでしょう!

『この地上に生きる人間は兵役にあるようなもの。
傭兵のように日々を送らなければならない。

奴隷のように日の暮れるのを待ち焦がれ
傭兵のように報酬を待ち望む。

そうだ
わたしの嗣業はむなしく過ぎる月日。
労苦の夜々が定められた報酬。

横たわればいつ起き上がれるのかと思い
夜の長さに倦み
いらだって夜明けを待つ。
肉は蛆虫とかさぶたに覆われ
皮膚は割れ、うみが出ている。

わたしの一生は機の梭よりも速く望みもないままに過ぎ去る。

(注:梭→ひ。

機織りの横糸を巻いて管を入れて左右に忙しく動く船の形の道具)

忘れないでください
わたしの命は風にすぎないことを。
わたしの目は二度と幸いを見ないでしょう。

わたしを見ている目は、やがてわたしを見失い
あなたが目を注がれても
わたしはもういないでしょう。


密雲も薄れ、やがて消え去る。
そのように、人も陰府に下れば
もう、上ってくることはない。

再びその家に帰ることはなく
住みかもまた、彼を忘れてしまう。

わたしも口を閉じてはいられない。
苦悶のゆえに語り、悩み嘆いて訴えよう。

わたしは海の怪物なのか竜なのか
わたしに対して見張りを置かれるとは。

「床に入れば慰めもあろう

横たわれば嘆きも治まる」と思ったが
あなたは夢をもってわたしをおののかせ
幻をもって脅かされる。

わたしの魂は息を奪われることを願い
骨にとどまるよりも死を選ぶ。

もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。
ほうっておいてください
わたしの一生は空しいのです。


人間とは何なのか。
なぜあなたはこれを大いなるものとし
これに心を向けられるのか。

朝ごとに訪れて確かめ
絶え間なく調べられる。

いつまでもわたしから目をそらされない。
唾を飲み込む間すらも
ほうっておいてはくださらない。

人を見張っている方よ
わたしが過ちを犯したとしても
あなたにとってそれが何だというのでしょう。
なぜ、わたしに狙いを定められるのですか。
なぜ、わたしを負担とされるのですか。

なぜ、わたしの罪を赦さず
悪を取り除いてくださらないのですか。
今や、わたしは横たわって塵に返る。
あなたが捜し求めても
わたしはもういないでしょう。』

(ヨブ記7:1~21)

続きます。
愛の樹オショチ†
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵7「腫物でヨブを撃つサタン」、1825

2011-10-07

神の祝福と警告!ヨブ記 インターミッション

ヨブ記を読んでいただき、ありがとうございます。

今まで、オショチの識るかぎり教会で真面目に、真剣にヨブ記が読まれた形跡がありません。

軽くあしらわれていました。

誰かさんの天罰論とは質が違います。

人間同士の天罰論は言葉遊びとしては、在るでしょうが、ヨブ記の物語性は正しく解説をしなければと、思い立ちました。
今のままでは、人類は滅びそうです!

ヨブ記は警世の書です!
天災は昔から無知な人間に教訓として様ざな形で警告を発してきましたが、愚かな人々は神の警告は無視し、都合の良い祝福と平安と繁栄だけを求めてきました。
ヨブ記では彼の仲間同士が、自分たちは正しい、品行方正な存在者だと錯誤しているのです!

書くのはその過ちを指摘するだめです。

毎回、真剣にヨブ記を読んでいただきありがとうございます。
神の豊かな祝福を祷りつつ†
アーメン・ハレルヤ†
愛の樹オショチ†
 ヨブ記を書記官に書き取らせるグレゴリウスⅠ世

2011-10-03

義人ヨブ記(Job)6

急に寒くなりました。北の国では、昨年より早く雪が降ったり。
樹氷が見られたり。


あの猛暑から秋を飛び越え、一足飛びに冬の到来を予感します。


ヨブ記をお届けいたします!結びまであと
36回あります。
受難時代に入りました。最後まで神を信じたヨブに訪れた、
真の幸せと神の祝福をお知らせするのが掲載の目的です†

ヨブは答えた。

わたしの苦悩を秤にかけ
わたしを滅ぼそうとするものを
すべて天秤に載せるなら

今や、それは海辺の砂よりも重いだろう。
わたしは言葉を失うほどだ。

全能者の矢に射抜かれ
わたしの霊はその毒を吸う。
神はわたしに対して脅迫の陣を敷かれた。

青草があるのに野ろばが鳴くだろうか。
飼葉があるのに牛がうなるだろうか。
味のない物を塩もつけずに食べられようか。
玉子の白身に味があろうか。

わたしのパンが汚れたもののようになれば
わたしの魂は触れることを拒むだろう。

神よ、わたしの願いをかなえ
望みのとおりにしてください。

神よ、どうかわたしを打ち砕き
御手を下し、滅ぼしてください。

仮借ない苦痛の中でもだえても
なお、わたしの慰めとなるのは
聖なる方の仰せを覆わなかったということです。

わたしはなお待たなければならないのか。
そのためにどんな力があるというのか。

なお忍耐しなければならないのか。
そうすればどんな終りが待っているのか。

わたしに岩のような力があるというのか。
このからだが青銅のようだというのか。

いや、わたしにはもはや助けとなるものはない。
力も奪い去られてしまった。

絶望している者にこそ
友は忠実であるべきだ。

さもないと
全能者への畏敬を失わせることになる。

わたしの兄弟は流れのようにわたしを欺く。
流れが去った後の川床のように。

流れは氷に暗く覆われることもあり
雪が解けて流れることもある。

季節が変わればその流れも絶え
炎暑にあえば、どこかへ消えてしまう。

そのために隊商は道に迷い

混沌に踏み込んで道を失う。

テマの隊商はその流れを目当てにし
シェバの旅人はそれに望みをかけて来るが
確信していたのに、裏切られ
そこまで来て、うろたえる。

今や、あなたたちもそのようになった。
破滅を見て、恐れている。
わたしが言ったことがあろうか
「頼む、わたしのために
あなたたちの財産を割いて
苦しめる者の手から救い出し
暴虐な者の手からわたしを贖ってくれ」と。

間違っているなら分からせてくれ
教えてくれれば口を閉ざそう。
率直な話のどこが困難なのか。
あなたたちの議論は何のための議論なのか。

言葉数が議論になると思うのか。
絶望した者の言うことを風にすぎないと思うのか。

あなたたちは孤児をすらくじで取り引きし
友をさえ売り物にするのか。

だが今は、どうかわたしに顔を向けてくれ。
その顔に、偽りは言わない。

考え直してくれ
不正があってはならない。
考え直してくれ
わたしの正しさが懸っているのだ。

わたしの舌に不正があろうか
わたしの口は滅ぼすものを
わきまえていないだろうか。

(ヨブ記6:1~30)

続きます。
愛の樹オショチ†
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵6「主の御前から進んで行くサタンと、ヨブの施し」、1825

2011-10-02

今週の聖句 10月2日〜15日

詩篇32篇
ダビデのマスキールの歌

そのとががゆるされ、
その罪がおおい消される者はさいわいである。

主によって不義を負わされず、
その霊に偽りのない人はさいわいである。

わたしが自分の罪を言いあらわさなかった時は、
ひねもす苦しみうめいたので、
わたしの骨はふるび衰えた。

あなたのみ手が昼も夜も、
わたしの上に重かったからである。
わたしの力は、夏のひでりによってかれるように、
かれ果てた。〔セラ

わたしは自分の罪をあなたに知らせ、
自分の不義を隠さなかった。
わたしは言った、
「わたしのとがを主に告白しよう」と。
その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。〔セラ

このゆえに、すべて神を敬う者はあなたに祈る。
大水の押し寄せる悩みの時にも
その身に及ぶことはない。

あなたはわたしの隠れ場であって、
わたしを守って悩みを免れさせ、
救をもってわたしを囲まれる。〔セラ

わたしはあなたを教え、あなたの行くべき道を示し、
わたしの目をあなたにとめて、さとすであろう。

あなたはさとりのない馬のようであってはならない。
また騾馬のようであってはならない。
彼らはくつわ、たづなをもっておさえられなければ、
あなたに従わないであろう。

悪しき者は悲しみが多い。
しかし主に信頼する者はいつくしみで囲まれる。

正しき者よ、主によって喜び楽しめ、
すべて心の直き者よ、喜びの声を高くあげよ。