義認は神の恵みによる賜物として与えられる、義とされる道は、自己義認ではなく、神のゆるしによる。
この点で、ヨブとパウロの類似点が読みとれます!
あのイエスの弟子、使徒パウロ。
パウロは、クリスチャン狩りの途上、ダマスコでイエスの霊光に射たれ回心を体験して、迫害者から宣教者に変貌します。
彼はキリストから聖霊の力を受け、聖霊の愛こそが、
身体的には持病に加え、小柄で見栄えのしない、
神の器は人間の価値とは違います。
【テマン人エリファズの議論】
呼んでみよ
あなたに答える者がいるかどうか。
聖なるものをおいて、誰に頼ろうというのか。
愚か者は怒って自ら滅び
無知な者はねたんで死に至る。
愚か者が根を張るのを見て
わたしは直ちにその家を呪った。
「その子らは安全な境遇から遠ざけられ
助ける者もなく町の門で打ち砕かれるがよい。
彼らの収穫は、飢えた人が食い尽くし
その富は、渇いた人が飲み尽くし
その財産は、やせ衰えた人が奪うがよい。」
塵からは、災いは出てこない。
土からは、苦しみは生じない。
それなのに、人間は生まれれば必ず苦しむ。
火花が必ず上に向かって飛ぶように。
わたしなら、神に訴え
神にわたしの問題を任せるだろう。
計り難く大きな業を
数知れぬ不思議な業を成し遂げられる方に。
神は地の面に雨を降らせ
野に水を送ってくださる。卑しめられている者を高く上げ
嘆く者を安全な境遇に引き上げてくださる。
こざかしい者の企てを砕いて
彼らの手の業が成功することを許されない。
知恵ある者はさかしさの罠にかかり
よこしまな者はたくらんでも熟さない。
真昼にも、暗黒に出会い
昼も、夜であるかのように手探りする。
神は貧しい人を剣の刃から
権力者の手から救い出してくださる。
だからこそ、弱い人にも希望がある。
不正はその口を閉ざすであろう。
見よ、幸いなのは
神の懲らしめを受ける人。
全能者の戒めを拒んではならない。
彼は傷つけても、包み
打っても、その御手で癒してくださる。
六度苦難が襲っても、あなたを救い
七度襲っても
災いがあなたに触れないようにしてくださる。
飢饉の時には死から
戦いの時には剣から助け出してくださる。
あなたは、陥れる舌からも守られている。
略奪する者が襲っても
恐怖を抱くことはない。
略奪や飢饉を笑っていられる。
地の獣に恐怖を抱くこともない。
野の石とは契約を結び
野の獣とは和解する。
あなたは知るだろう
あなたの天幕は安全で
牧場の群れを数えて欠けるもののないことを。
あなたは知るだろう
あなたの子孫は増え
一族は野の草のように茂ることを。
麦が実って収穫されるように
あなたは天寿を全うして墓に入ることだろう。
見よ、これが我らの究めたところ。
これこそ確かだ。
よく聞いて、悟るがよい。
(ヨブ記5:1~21)
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵5「主の御前から進んで行くサタンと、ヨブの施し」、1825