2011-09-04

義人ヨブ記(Job)1

聖書は新共同訳を用いました。新共同訳の言葉遣いが初めて聖書に触れるお方に理解しやすいと思いました。

微妙な言葉遣いもあります。

ヨブの思い、苦難が、より身近に親しく伝わればと考えました。

前置きはこのくらいにします。

【内容区分】

序曲はヨブ記1章から2章にかけて、友人たち(エリバズ・ビルダテ・ゾバル)との、論争から始まります。

あまり使いたくない言葉ですが、神議論です。

古代ユダヤ人の思想はキリストを攻撃した律法主義者のパリサイ人と同質の人々です。

従来は義人がなぜ苦しむのか?という、いわゆる神議論が唯一の主題であるかのように考えられてきましたが、それだけでは納得理解できないことが人生には多々あります。

簡単に割り切れませんなぜなら人間は神ではありませんから。神のなさることは、私たちの理解を越えて、到底、理解不可能です。

一例をあげれば、まだ若い子育て中の母親が幼子を残して、死んでいきます。

なぜ?神は、幼子から母を奪うのでしょうか?

無惨です。悲惨です。言葉にならない苦しみです。

まだまだこれから前途有望な若者たちが、不条理な争いに巻き込まれて命を落とします。

暗闇で謀られた得体の知れない、国家権力などの闇の権力と利権がらみの暴力が、愛国、民主主義、等々の、さもらしい大義名分の、言葉にすり替えられて悲惨な争いの種になる。

グローバル社会。

自由経済、市場原理主義、経済政策などは大国の、あるいは貪欲な人間の仕掛けた罠では?と、つい疑いたくなります。

貧しい国の弱みにつけこんだ資源の強奪!搾取のすり替えです!

以前、拙著、(舞い降りた天使たち)に、書きましたが、謀ごと、不正と暴力で栄えた国為政者、権力者は皆無です!彼らを待ち受けているのは敗北です!

わたしもイエスに従う弟子の一人です。

イエスの教えは人々の真の幸せを願うことです。

その幸せは、私たちの心から遠く離れてしまいました。

イエスが望まれた反対方向に向かっています。

義人ヨブは2400年前に人間の愚かさ罪の因果(原因と経過と結果)を、身をもって体験しました。

ヨブ記の序曲と終曲にヨブの神に対する、真実の愛、真実の礼拝、無私の善が示されています。

"正しい行いの人物が何故?苦しむのか?"

ヨブに突然襲い掛かった悲劇に対して神に、真意を問い掛ける、絶望と、神のみ知る答えを知りたいと願う、ヨブの苦しみを改めて思います。

ヨブの友人たちは神の真意を知るよしもなく、ヨブが密かに罪を犯したと言う彼らの目線、人間の常識で裁きます。

人間の因果律から抜け出せない彼らが、義人ヨブを裁くのです。

少し周り口説い説明になりました。

得体の知れない権力に対して感情的な表現は適切さを欠くおそれもありますが、ご容赦ください。

【事の起こり】

ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。七人の息子と三人の娘を持ち、羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。

息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。

ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。主はサタンに言われた。

「お前はどこから来た。」

「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。

主はサタンに言われた。

「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」

サタンは答えた。

「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」

主はサタンに言われた。

「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」

サタンは主のもとから出て行った。

ヨブの息子、娘が、長兄の家で宴会を開いていた日のことである。ヨブのもとに、一人の召使いが報告に来た。

「御報告いたします。わたしどもが、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせておりますと、シェバ人が襲いかかり、略奪していきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」

彼が話し終らないうちに、また一人が来て言った。

「御報告いたします。天から神の火が降って、羊も羊飼いも焼け死んでしまいました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」

彼が話し終らないうちに、また一人来て言った。

「御報告いたします。カルデア人が三部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」

彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」

ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。

「わたしは裸で母の胎を出た。
裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。
主の御名はほめたたえられよ。」
このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。
(ヨブ記第一章1~22)

続きます。

愛の樹オショチ†

ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵第1図「ヨブとその家族」、1825

1 件のコメント:

  1. 不条理なこと、理解できないこと、わたしにとって、兄の死です。なぜ49才で、死を迎えなければならなかったのか、いまだに理解できません。東北地震での多くの方が、亡くなったことに、不条理を感じます。苦しみと悲しみを与えています。今の自分は、生きる命をまた与えられていることに、ただただ感謝しています。

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