2012-05-28

義人ヨブ記(job)27

"鹿を馬と言いくるめて知らぬ顔"…良寛

嘘っぱちが大手を振って罷り通る世の中を比喩を込め、簡潔な言葉で表現した越後の良寛さんに敬意を表します。

真実の言葉に飢えている現実に義人ヨブとの共通点を感じます。

「義人ヨブです」

ヨブは更に言葉をついで主張した。

わたしの権利を取り上げる神にかけて
わたしの魂を苦しめる全能者にかけて
 わたしは誓う。

神の息吹がまだわたしの鼻にあり
わたしの息がまだ残っているかぎり

この唇は決して不正を語らず
この舌は決して欺きを言わない、と。

断じて、あなたたちを正しいとはしない。
死に至るまで、わたしは潔白を主張する。

わたしは自らの正しさに固執して譲らない。
一日たりとも心に恥じるところはない。

わたしに敵対する者こそ罪に定められ
わたしに逆らう者こそ不正とされるべきだ。

神に命を断たれ、魂を取り上げられるのだから
神を無視する者にどんな望みがあろうか。

災いが彼に臨むとき
その叫びを神は聞いてくださるだろうか。

全能者によって喜びを得
常に神を呼び求めることができるだろうか。


わたしがあなたたちに神の手の業を示し
全能者について隠さずに語ろう。

あなたたち自身、それを仰いだのに
 なぜ、空しいことを繰り返すのか。

神に逆らう者が神から受ける分
暴虐な者が全能者から与えられる嗣業は
 次のとおり。

たとえ多くの息子があっても、剣にかかり
子孫は食べ物にも事欠く。

残った者が死んで葬られても
やもめたちは泣くことすらしない。

土を盛るように銀を積み
粘土を備えるように衣服を備えても

その備えた衣服は正しい人が着
その銀は潔白な人の所有となる。

家を建てても、しみの巣のよう
番人の作る仮小屋のようなものだ。

寝るときには豊かであっても、それが最後
目を開けば、もう何ひとつない。

破滅が洪水のように彼を襲い
つむじ風が夜の間にさらう。

東風に運び去られて、彼は消えうせ
その住まいから吹き払われる。

神は彼に襲いかかり、許さない。
御手から逃れようと彼はあがく。

神は彼に向かって手をたたき
その住まいから彼を吹き飛ばす。


(ヨブ記 第27章)

続きます。

愛の樹オショチ†


2012-05-27

今週の聖句 5月27日~6月2日

詩篇53篇
聖歌隊の指揮者によってマハラテのしらべにあわせてうたわせたダビデのマスキールの歌

愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。
彼らは腐れはて、憎むべき不義をおこなった。
善を行う者はない。

神は天から人の子を見おろして、
賢い者、神を尋ね求める者があるかないかを見られた。

彼らは皆そむき、みなひとしく堕落した。
善を行う者はない、ひとりもない。
悪を行う者は悟りがないのか。
彼らは物食うようにわが民を食らい、
また神を呼ぶことをしない。

彼らは恐るべきことのない時に大いに恐れた。
神はよこしまな者の骨を散らされるからである。
神が彼らを捨てられるので、
彼らは恥をこうむるであろう。

どうか、シオンからイスラエルの救が出るように。
神がその民の繁栄を回復される時、
ヤコブは喜び、イスラエルは楽しむであろう。

2012-05-20

今週の聖句 5月20日~26日

詩篇52篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデのマスキールの歌。これはエドムびとドエグがサウルにきて、「ダビデはアヒメレクの家にきた」と告げたときにダビデがよんだもの

力ある者よ、何ゆえあなたは
神を敬う人に与えた災について誇るのか。
あなたはひねもす人を滅ぼすことをたくらむ。

虚偽を行う者よ、あなたの舌は鋭いかみそりのようだ。

あなたは善よりも悪を好み、
まことを語るよりも偽りを語ることを好む。〔セラ

欺きの舌よ、あなたはすべての滅ぼす言葉を好む。

しかし神はとこしえにあなたを砕き、
あなたを捕えて、その天幕から引き離し、
生ける者の地から、あなたの根を絶やされる。〔セラ

正しい者はこれを見て恐れ、彼を笑って言うであろう、

「神をおのが避け所とせず、その富の豊かなるを頼み、
その宝に寄り頼む人を見よ」と。

しかし、わたしは神の家にある
緑のオリブの木のようだ。
わたしは世々かぎりなく神のいつくしみを頼む。

あなたがこの事をなされたので、
わたしはとこしえに、あなたに感謝し、
聖徒の前であなたのみ名をふれ示そう。
これはよいことだからである。

2012-05-15

義人ヨブ記(job)26

『悩みつつ神に信じて生きること。』

生きることから生じる悩みごとの何と多きことよ!これが実感です。

生きることは、わたしたちの理解を超えた体験の連続です。

人生に悩みや不安は、つきものです。

苦しみも災いも失望も死の怖れも不安もない人生なんて実感出来ません。

しかし、それに打ち勝つ優れた希望があればとんでもない悲惨、不安からでも心は救われます。

ある癌末期の親しい患者さんから、
僕の苦しみは、死、そのものより、死を迎える過程で生じる、不安、心の葛藤と、どう向き合えばよいのでしょうか?来世とは一体どんな場所なのか?
と、聞かれました。

彼は、キリスト教の聖画の中を覗いて視ると、天国の楽園は鮮やかな色彩に彩られています。

綺麗なお花畑、大きな虹。光り輝く空。楽しげに生きている生き物たち。

生きていたときの不安様々な苦痛から解放されて、笑いさざめく人々。

あれは絵でしょうか?事実でしょうか?

すぐに答えることは出来ませんでした。

奥深い天国の神秘について一言で解きあかすことは不可能です。

率直に本質を突いてくる質問に対して単なる飾り言葉の天国論はその場しのぎの
慰めになっても本物の解決にはなりません。

死にゆく人を見送る家族の嘆き悲しみは、人間だけの力ではどうにもならないし、人々の心にどう響くか分からないのです。

わたしは答えました。


あなたはあなたの努めを立派にやり遂げました。後は、神様に信じて、あなたを神様に任せてださい。わたしはあなたを決して忘れません。わたしたちの信じる天国で再会しましょう。霊の兄弟ですから。

彼はその言葉を信じてくれました。

死の7時間前に交わした最期の言葉です†

わたしは鮮やかに想いだします。

奥深い神秘的な天国、来世の生活は肉眼では見えませんが、人間が最後に頂く至福を、それはすぐ目の前にあると!信じています†

ヨブ記に移ります。

「ヨブは答えた。」
あなた自身はどんな助けを力のない者に与え
どんな救いを無力な腕にもたらしたというのか。

どんな忠告を知恵のない者に与え
どんな策を多くの人に授けたというのか。

誰の言葉を取り次いで語っているのか。
誰の息吹があなたを通して吹いているのか。
亡者たち、陰府の淵に住む者たちは
水の底でのたうち回る。

陰府も神の前ではあらわであり
滅びの国も覆われてはいない。

神は聖なる山を茫漠としたさかいに横たわらせ
大地を空虚の上につるされた。

密雲の中に水を蓄えられても
雲の底は裂けない。

神は御自分の雲を広げて
玉座を覆い隠される。

原始の海の面に円を描いて

光と暗黒との境とされる。
天の柱は揺らぎ
その叱咤に動転する。

神は御力をもって海を制し

英知をもってラハブを打たれた。

風をもって天をぬぐい
御手は逃げる大蛇を刺し貫いた。

だが、これらは神の道のほんの一端。

神についてわたしたちの聞きえることは
なんと僅かなことか。

その雷鳴の力強さを誰が悟りえよう。 
(ヨブ記 第26章)

続きます。
愛の樹オショチ†
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵22「繁栄を回復したヨブとその家族」、1825

2012-05-13

今週の聖句 5月13日~19日

詩篇51篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌、これはダビデがバテセバに通った後預言者ナタンがきたときによんだもの

神よ、あなたのいつくしみによって、
わたしをあわれみ、
あなたの豊かなあわれみによって、
わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。

わたしの不義をことごとく洗い去り、
わたしの罪からわたしを清めてください。

わたしは自分のとがを知っています。
わたしの罪はいつもわたしの前にあります。

わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、
あなたの前に悪い事を行いました。
それゆえ、あなたが宣告をお与えになるときは正しく、
あなたが人をさばかれるときは誤りがありません。

見よ、わたしは不義のなかに生れました。
わたしの母は罪のうちにわたしをみごもりました。


見よ、あなたは真実を心のうちに求められます。
それゆえ、わたしの隠れた心に知恵を教えてください。

ヒソプをもって、わたしを清めてください、
わたしは清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、
わたしは雪よりも白くなるでしょう。

わたしに喜びと楽しみとを満たし、
あなたが砕いた骨を喜ばせてください。

み顔をわたしの罪から隠し、
わたしの不義をことごとくぬぐい去ってください。

神よ、わたしのために清い心をつくり、
わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。

わたしをみ前から捨てないでください。
あなたの聖なる霊をわたしから取らないでください。

あなたの救の喜びをわたしに返し、
自由の霊をもって、わたしをささえてください。

そうすればわたしは、とがを犯した者に
あなたの道を教え、
罪びとはあなたに帰ってくるでしょう。

神よ、わが救の神よ、
血を流した罪からわたしを助け出してください。
わたしの舌は声高らかにあなたの義を歌うでしょう。

主よ、わたしのくちびるを開いてください。
わたしの口はあなたの誉をあらわすでしょう。

あなたはいけにえを好まれません。
たといわたしが燔祭をささげても
あなたは喜ばれないでしょう。

神の受けられるいけにえは砕けた魂です。
神よ、あなたは砕けた悔いた心を
かろしめられません。

あなたのみこころにしたがってシオンに恵みを施し、
エルサレムの城壁を築きなおしてください。

その時あなたは義のいけにえと燔祭と、
全き燔祭とを喜ばれるでしょう。
その時あなたの祭壇に雄牛がささげられるでしょう。

2012-05-06

今週の聖句 5月6日〜12日

詩篇50篇
アサフの歌

全能者なる神、主は詔して、
日の出るところから日の入るところまで
あまねく地に住む者を召し集められる。

神は麗しさのきわみであるシオンから光を放たれる。

われらの神は来て、もだされない。
み前には焼きつくす火があり、
そのまわりには、はげしい暴風がある。

神はその民をさばくために、
上なる天および地に呼ばわれる、

「いけにえをもってわたしと契約を結んだ
わが聖徒をわたしのもとに集めよ」と。

天は神の義をあらわす、
神はみずから、さばきぬしだからである。〔セラ

「わが民よ、聞け、わたしは言う。
イスラエルよ、わたしはあなたにむかって
あかしをなす。
わたしは神、あなたの神である。

わたしがあなたを責めるのは、
あなたのいけにえのゆえではない。
あなたの燔祭はいつもわたしの前にある。

わたしはあなたの家から雄牛を取らない。
またあなたのおりから雄やぎを取らない。

林のすべての獣はわたしのもの、
丘の上の千々の家畜もわたしのものである。

わたしは空の鳥をことごとく知っている。
野に動くすべてのものはわたしのものである。

たといわたしは飢えても、あなたに告げない、
世界とその中に満ちるものとは
わたしのものだからである。

わたしは雄牛の肉を食べ、
雄やぎの血を飲むだろうか。

感謝のいけにえを神にささげよ。
あなたの誓いをいと高き者に果せ。

悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、
あなたはわたしをあがめるであろう」。

しかし神は悪しき者に言われる、
「あなたはなんの権利があってわたしの定めを述べ、
わたしの契約を口にするのか。

あなたは教を憎み、わたしの言葉を捨て去った。

あなたは盗びとを見ればこれとむつみ、
姦淫を行う者と交わる。

あなたはその口を悪にわたし、
あなたの舌はたばかりを仕組む。

あなたは座してその兄弟をそしり、
自分の母の子をののしる。

あなたがこれらの事をしたのを、わたしが黙っていたので、
あなたはわたしを全く自分とひとしい者と思った。
しかしわたしはあなたを責め、
あなたの目の前にその罪をならべる。

神を忘れる者よ、このことを思え。
さもないとわたしはあなたをかき裂く。
そのときだれも助ける者はないであろう。

感謝のいけにえをささげる者はわたしをあがめる。
自分のおこないを慎む者にはわたしは神の救を示す」。

2012-05-05

ジョン・バニヤン「天路歴程」によせて

【天路歴程】の作者ジョン・バニヤンは1628年11月、英国ベットフォード州の一寒村エルストウの貧しい、いかけ屋の息子として生まれました。

小さな町のグラマースクール(文法学校)が、バニヤンの受けた学校教育のすべてだったと言われています。

昨今、一流企業を目指して、塾通い、習い事に子どもたちの心はゆとりを失い、他者を思いやる環境に程遠く感じられます。いたずらに競争心を煽りたてます。

大切なものを忘れています。大人たちの身勝手が豊かに育つはずの子どもたちの心から人々を思いやる優しさや痛みなどを奪いました。

子どもたちの想像力、人々のための夢作りを奪っています。

行き詰まり、出口の見えない迷路にこの国は迷い込んでしまいました。政治はどん底です。

大局を見通す叡知と実行力に欠けています。腹の据わった人材が育っていません。

悲惨な武力、核兵器、原発に代わる世界の平和共存を如何に実現するか!

現状を俯瞰すると、我が国の政、官、業、財界人の能力の欠如。我欲が目にあまります。

端的に言えば、国を愛する人材力がないのです。

これが日本人の国民性だとは思いません。

脱原発の国民運動を見れば、日本人の平和思考(志向)の強さ、意志の確かさを感じます。高邁な精神的人類貢献の糸口です!

世界で唯一、被爆国である日本人が、人類に先駆けて、人類破壊兵器、核の平和利用の美句に騙されない、先見性をテコに、はっきり物申す勇気に誇りを感じます。

人類貢献愛の証です。

標題に戻ります。

わたしがジョン・バニヤンに惹かれるのは彼の広く他者を思いやる、心が愛に根ざしているからに他なりません。

時代背景を越えて、彼の言葉、行為には普遍性があります!

他者の痛みを真に識る人は愛を大事にします。

愛は万物の生命の基です。

ジョン・バニヤン、聖バウロ、彼らの生涯は人々に仕え尽くすことでした。

主のようにです。

神のご意志は人類の幸せを願うことです。

わたしは、先達の捨て身の愛は世界を変化する力になると信じています。

最近不思議な霊的な夢をよく視ます。

愛と平和、幸せ、の中で文化、人種、国境を越え、狭い考え方を変えて幸せを共存する人々の笑顔です。虚無でないことを祈ります。

そこに至る過程で幸せを手にできず、犠牲になった多くの人々を見ました。

しかし必ず実現する、幸せの礎になることを彼らは確信していました。

肉体を殺しても霊魂を殺すことのできない輩を怖れなかったからです。

真の勇者です。

昨夜どこかの神殿に連れ込まれ、霊雲たなびく神々しい山の麓に佇んでいました。

阿鼻叫喚の声が谷底から響き渡り山々を激しく揺すっていました。

その中でも、ひたむきな天路歴程の巡礼者を見かけました。

その中に自分の姿を見てあっと!驚来ました!

地上生活から始まる天路歴程の不思議な追体験者たちは、様々なこの世の困難を乗り越えてきたと話してくれました。

数年前、右腎う癌と胆嚢を摘出したときの体験ですが、強い麻酔の影響で幻覚症状を体験しました。

自分の闘病記に奇妙な体験談を記述しました。

その中でもはっきり記憶に残ったのが、生の向こう側"死の世界"を、垣間見たとき、死後の世界が輝いて見えたことです。

臨死体験だと思います。平安と幸せに満たされた世界でした。

その体験ですが、 肉体がないので地上生活の重量がありません。体重ゼロです。
肉体がないので病の痛みもありません。
重たい肉体を脱ぎ捨てて、死の苦しみから解放された生命は、生き生きと輝いていました。

まさに背中に羽根の生えた天使のように自由自在です。

瞬時に空間移動が可能です。(バイロケーション-同時双身)心に念じれば、愛する家族、親しい友の傍に寄り添えます。

しかし地上生活者の肉体が遮るので地上生活者の人間に、霊体は見えません。語り掛けても聞こえません。

霊体はいかなる物体をも瞬時に通過します。

更に、人間の心が透けて見えます。

時折、ヨブ記に割り込みます。
アーメン・ハレルヤ†

オショチ†

「ジョン・バニヤン像」ロバート・ホワイト画