2012-05-05

ジョン・バニヤン「天路歴程」によせて

【天路歴程】の作者ジョン・バニヤンは1628年11月、英国ベットフォード州の一寒村エルストウの貧しい、いかけ屋の息子として生まれました。

小さな町のグラマースクール(文法学校)が、バニヤンの受けた学校教育のすべてだったと言われています。

昨今、一流企業を目指して、塾通い、習い事に子どもたちの心はゆとりを失い、他者を思いやる環境に程遠く感じられます。いたずらに競争心を煽りたてます。

大切なものを忘れています。大人たちの身勝手が豊かに育つはずの子どもたちの心から人々を思いやる優しさや痛みなどを奪いました。

子どもたちの想像力、人々のための夢作りを奪っています。

行き詰まり、出口の見えない迷路にこの国は迷い込んでしまいました。政治はどん底です。

大局を見通す叡知と実行力に欠けています。腹の据わった人材が育っていません。

悲惨な武力、核兵器、原発に代わる世界の平和共存を如何に実現するか!

現状を俯瞰すると、我が国の政、官、業、財界人の能力の欠如。我欲が目にあまります。

端的に言えば、国を愛する人材力がないのです。

これが日本人の国民性だとは思いません。

脱原発の国民運動を見れば、日本人の平和思考(志向)の強さ、意志の確かさを感じます。高邁な精神的人類貢献の糸口です!

世界で唯一、被爆国である日本人が、人類に先駆けて、人類破壊兵器、核の平和利用の美句に騙されない、先見性をテコに、はっきり物申す勇気に誇りを感じます。

人類貢献愛の証です。

標題に戻ります。

わたしがジョン・バニヤンに惹かれるのは彼の広く他者を思いやる、心が愛に根ざしているからに他なりません。

時代背景を越えて、彼の言葉、行為には普遍性があります!

他者の痛みを真に識る人は愛を大事にします。

愛は万物の生命の基です。

ジョン・バニヤン、聖バウロ、彼らの生涯は人々に仕え尽くすことでした。

主のようにです。

神のご意志は人類の幸せを願うことです。

わたしは、先達の捨て身の愛は世界を変化する力になると信じています。

最近不思議な霊的な夢をよく視ます。

愛と平和、幸せ、の中で文化、人種、国境を越え、狭い考え方を変えて幸せを共存する人々の笑顔です。虚無でないことを祈ります。

そこに至る過程で幸せを手にできず、犠牲になった多くの人々を見ました。

しかし必ず実現する、幸せの礎になることを彼らは確信していました。

肉体を殺しても霊魂を殺すことのできない輩を怖れなかったからです。

真の勇者です。

昨夜どこかの神殿に連れ込まれ、霊雲たなびく神々しい山の麓に佇んでいました。

阿鼻叫喚の声が谷底から響き渡り山々を激しく揺すっていました。

その中でも、ひたむきな天路歴程の巡礼者を見かけました。

その中に自分の姿を見てあっと!驚来ました!

地上生活から始まる天路歴程の不思議な追体験者たちは、様々なこの世の困難を乗り越えてきたと話してくれました。

数年前、右腎う癌と胆嚢を摘出したときの体験ですが、強い麻酔の影響で幻覚症状を体験しました。

自分の闘病記に奇妙な体験談を記述しました。

その中でもはっきり記憶に残ったのが、生の向こう側"死の世界"を、垣間見たとき、死後の世界が輝いて見えたことです。

臨死体験だと思います。平安と幸せに満たされた世界でした。

その体験ですが、 肉体がないので地上生活の重量がありません。体重ゼロです。
肉体がないので病の痛みもありません。
重たい肉体を脱ぎ捨てて、死の苦しみから解放された生命は、生き生きと輝いていました。

まさに背中に羽根の生えた天使のように自由自在です。

瞬時に空間移動が可能です。(バイロケーション-同時双身)心に念じれば、愛する家族、親しい友の傍に寄り添えます。

しかし地上生活者の肉体が遮るので地上生活者の人間に、霊体は見えません。語り掛けても聞こえません。

霊体はいかなる物体をも瞬時に通過します。

更に、人間の心が透けて見えます。

時折、ヨブ記に割り込みます。
アーメン・ハレルヤ†

オショチ†

「ジョン・バニヤン像」ロバート・ホワイト画

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