2013-01-29

平和の王


今日も一日生かされました。感謝です。
星ぼしが身近に感じられます。

 【平和の王】

エッサイの株からひとつの芽が萌えいで
その根からひとつの若枝が育ち
その上に主の霊がとどまる。

知恵と識別の霊
思慮と勇気の霊
主を知り、畏れ敬う霊。
彼は主を畏れ敬う霊に満たされる。

目に見えるところによって裁きを行わず
耳にするところによって弁護することはない。

弱い人のために正当な裁きを行い
この地の貧しい人を公平に弁護する。

その口の鞭をもって地を打ち
唇の勢いをもって逆らう者を死に至らせる。

正義をその腰の帯とし
真実をその身に帯びる。

狼は子羊と共に宿り
豹は子山羊と共に伏す。

子牛は若獅子と共に育ち
小さい子供がそれらを導く。

牛も熊も共に草をはみ
その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう。

乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ
幼子は蝮の巣に手を入れる。

わたしの聖なる山においては
何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。
水が海を覆っているように
大地は主を知る知識で満たされる。

その日が来れば
エッサイの根は
すべての民の旗印として立てられ
国々はそれを求めて集う。
そのとどまるところは栄光に輝く。

(イザヤ書11章1〜10)

    愛の樹オショチ†

2013-01-27

今週の聖句 1月27日〜2月2日

詩篇79篇
アサフの歌

神よ、もろもろの異邦人はあなたの嗣業の地を侵し、
あなたの聖なる宮をけがし、
エルサレムを荒塚としました。

彼らはあなたのしもべのしかばねを
空の鳥に与えてえさとし、
あなたの聖徒の肉を地の獣に与え、

その血をエルサレムのまわりに水のように流し、
これを葬る人がありませんでした。

われらは隣り人にそしられ、
まわりの人々に侮られ、あざけられる者となりました。

主よ、いつまでなのですか。
とこしえにお怒りになられるのですか。
あなたのねたみは火のように燃えるのですか。

どうか、あなたを知らない異邦人と、
あなたの名を呼ばない国々の上に
あなたの怒りを注いでください。

彼らはヤコブを滅ぼし、
そのすみかを荒したからです。

われらの先祖たちの不義をみこころにとめられず、
あわれみをもって、すみやかにわれらを
迎えてください。
われらは、はなはだしく低くされたからです。

われらの救の神よ、
み名の栄光のためにわれらを助け、
み名のためにわれらを救い、
われらの罪をおゆるしください。

どうして異邦人は言うのでしょう、
「彼らの神はどこにいるのか」と。
あなたのしもべらの流された血の報いを
われらのまのあたりになして、
異邦人に知らせてください。

捕われ人の嘆きを
あなたのみ前にいたらせ、
あなたの大いなる力により、
死に定められた者を守りながらえさせてください。

主よ、われらの隣り人があなたをそしったそしりを
七倍にして彼らのふところに報い返してください。

そうすれば、あなたの民、あなたの牧の羊は、
とこしえにあなたに感謝し、
世々あなたをほめたたえるでしょう。

2013-01-25

エリさんから返信「新しい年が祝福の一年でありますように!」

オショチさん カズコさん 愛の樹家族のへ


メールをありがとうございました。

オショチの化学療法が功を奏しますように、願い祷ります。

祝福された1年でありますように


プレシーが来られることをまことに皆で願っていますが、まだまだ具体的にすることがあります。

プレシーが言うように「もし神がお望みなら、全ては良きに働きます」

それでも皆様方のご支援は、お願いすることになります。

次回の移民局での審問は、2014年6月4日に設定されました。

最近とみにいそがしくなってきたのが幸いして、あまり感傷的になったり、ホームシックになったりしなくてすむようになりました。

マグナカルタを、前回渡せなかった人々に渡したいので、50から100冊送って頂けたらと思います。

オショチのアドバイスに感謝します。実は既にそのようにしています。

教会の皆が驚いているのですが、今やダド牧師や他の同僚達の説教より、私の方が短いです。

そうでした!忘れない内に!伝えます。

我々のカレンダー案を2部郵送しています。マグナカルタにあるオショチの写真を載せて、愛の樹をスポンサーの中に入れさせて頂きました。ありがとうございます。全ページで50ドルです。同封してあります。

どうぞ皆様によろしく

神の祝福がありますように

エリさん


Re: May you all have a blessed New Year!

Dear Oshochi-san, Kazuko-san and my Ainoki family,

Thank you for your email. I hope and pray that Oshochi has had a successful chemical treatment.

May all of you continue to have a blessed year.

Precy and our family are hopeful that she can come over here, and we say it by faith. We have yet to work on concrete steps but "if God wills it ," as Precy said, "everything will fall in its place favorably." But I count on your support.

My hearing with the Immigration Court was scheduled on June 4, 2014.

My being a bit more busy somehow helps me not to be nostalgic or to feel homesick.

Yes, you may send 50-100 copies of the Magna Carta.. I will share it with those who have not received last time.

I appreciate Oshochi's advice. In fact I had been doing it. To the surprise of many from PAEC, Pastor Dado and other colleagues preach longer than I do now.

O' lest I forget, I am sending you two copies of our calendar-planner (by mail) in which I took the liberty of including Ainoki as one of the sponsors using Oshochi's photo from the Magna Carta booklet. Thank you. It's fifty dollars for the whole page. You may see enclosed.

My best regards to everyone there and God bless.

Blessings,

Eli-san

2013-01-20

今週の聖句 1月20日〜26日

詩篇78篇
アサフのマスキールの歌

わが民よ、わが教を聞き、
わが口の言葉に耳を傾けよ。

わたしは口を開いて、たとえを語り、
いにしえからの、なぞを語ろう。

これはわれらがさきに聞いて知ったこと、
またわれらの先祖たちが
われらに語り伝えたことである。

われらはこれを子孫に隠さず、主の光栄あるみわざと、
その力と、主のなされたくすしきみわざとを
きたるべき代に告げるであろう。

主はあかしをヤコブのうちにたて、
おきてをイスラエルのうちに定めて、
その子孫に教うべきことを
われらの先祖たちに命じられた。

これは次の代に生れる子孫がこれを知り、
みずから起って、そのまた子孫にこれを伝え、

彼らをして神に望みをおき、
神のみわざを忘れず、その戒めを守らせるためである。

またその先祖たちのようにかたくなで、
そむく者のやからとなり、その心が定まりなく、
その魂が神に忠実でないやからと
ならないためである。

エフライムの人々は武装し、弓を携えたが、
戦いの日に引き返した。

彼らは神の契約を守らず、
そのおきてにしたがって歩むことを拒み、

神がなされた事と、
彼らに示されたくすしきみわざとを忘れた。

神はエジプトの地と、ゾアンの野で
くすしきみわざを彼らの先祖たちの前に行われた。

神は海を分けて彼らを通らせ、
水を立たせて山のようにされた。

昼は雲をもって彼らを導き、
夜は、よもすがら火の光をもって彼らを導かれた。

神は荒野で岩を裂き、
淵から飲むように豊かに彼らに飲ませ、

また岩から流れを引いて、
川のように水を流れさせられた。

ところが彼らはなお神にむかって罪をかさね、
荒野でいと高き者にそむき、

おのが欲のために食物を求めて、
その心のうちに神を試みた。

また彼らは神に逆らって言った、
「神は荒野に宴を設けることができるだろうか。

見よ、神が岩を打たれると、
水はほとばしりいで、流れがあふれた。
神はまたパンを与えることができるだろうか。
民のために肉を備えることができるだろうか」と。

それゆえ、主は聞いて憤られた。
火はヤコブにむかって燃えあがり、
怒りはイスラエルにむかって立ちのぼった。

これは彼らが神を信ぜず、
その救の力を信用しなかったからである。

しかし神は上なる大空に命じて天の戸を開き、

彼らの上にマナを降らせて食べさせ、
天の穀物を彼らに与えられた。

人は天使のパンを食べた。
神は彼らに食物をおくって飽き足らせられた。

神は天に東風を吹かせ、
み力をもって南風を導かれた。

神は彼らの上に肉をちりのように降らせ、
翼ある鳥を海の砂のように降らせて、

その宿営のなか、そのすまいのまわりに落された。

こうして彼らは食べて、飽き足ることができた。
神が彼らにその望んだものを与えられたからである。

ところが彼らがまだその欲を離れず、
食物がなお口の中にあるうちに、

神の怒りが彼らにむかって立ちのぼり、
彼らのうちの最も強い者を殺し、
イスラエルのうちのえり抜きの者を打ち倒された。

すべてこれらの事があったにもかかわらず、
彼らはなお罪を犯し、
そのくすしきみわざを信じなかった。

それゆえ神は彼らの日を息のように消えさせ、
彼らの年を恐れをもって過ごさせられた。

神が彼らを殺されたとき、彼らは神をたずね、
悔いて神を熱心に求めた。

こうして彼らは、神は彼らの岩、いと高き神は
彼らのあがないぬしであることを思い出した。

しかし彼らはその口をもって神にへつらい、
その舌をもって神に偽りを言った。

彼らの心は神にむかって堅実でなく、
神の契約に真実でなかった。

しかし神はあわれみに富まれるので、
彼らの不義をゆるして滅ぼさず、
しばしばその怒りをおさえて、
その憤りをことごとくふり起されなかった。

また神は、彼らがただ肉であって、
過ぎ去れば再び帰りこぬ風であることを
思い出された。

幾たび彼らは野で神にそむき、
荒野で神を悲しませたことであろうか。

彼らはかさねがさね神を試み、
イスラエルの聖者を怒らせた。

彼らは神の力をも、
神が彼らをあだからあがなわれた日をも
思い出さなかった。

神はエジプトでもろもろのしるしをおこない、
ゾアンの野でもろもろの奇跡をおこない、

彼らの川を血に変らせて、
その流れを飲むことができないようにされた。

神ははえの群れを彼らのうちに送って彼らを食わせ、
かえるを送って彼らを滅ぼされた。

また神は彼らの作物を青虫にわたし、
彼らの勤労の実をいなごにわたされた。

神はひょうをもって彼らのぶどうの木を枯らし、
霜をもって彼らのいちじく桑の木を枯らされた。

神は彼らの家畜をひょうにわたし、
彼らの群れを燃えるいなずまにわたされた。

神は彼らの上に激しい怒りと、憤りと、
恨みと、悩みと、滅ぼす天使の群れとを放たれた。

神はその怒りのために道を設け、
彼らの魂を死から免れさせず、
そのいのちを疫病にわたされた。

神はエジプトですべてのういごを撃ち、
ハムの天幕で彼らの力の初めの子を撃たれた。

こうして神はおのれの民を羊のように引き出し、
彼らを荒野で羊の群れのように導き、

彼らを安らかに導かれたので
彼らは恐れることがなかった。
しかし海は彼らの敵をのみつくした。

神は彼らをその聖地に伴い、
その右の手をもって獲たこの山に伴いこられた。

神は彼らの前からもろもろの国民を追い出し、
その地を分けて嗣業とし、
イスラエルの諸族を彼らの天幕に住まわせられた。

しかし彼らはいと高き神を試み、これにそむいて、
そのもろもろのあかしを守らず、

そむき去って、先祖たちのように真実を失い、
狂った弓のようにねじれた。

彼らは高き所を設けて神を怒らせ、
刻んだ像をもって神のねたみを起した。

神は聞いて大いに怒り、
イスラエルを全くしりぞけられた。

神は人々のなかに設けた幕屋なる
シロのすまいを捨て、

その力をとりことならせ、
その栄光をあだの手にわたされた。

神はその民をつるぎにわたし、
その嗣業にむかって大いなる怒りをもらされた。

火は彼らの若者たちを焼きつくし、
彼らのおとめたちは婚姻の歌を失い、

彼らの祭司たちはつるぎによって倒れ、
彼らのやもめたちは嘆き悲しむことさえしなかった。

そのとき主は眠った者のさめたように、
勇士が酒によって叫ぶように目をさまして、

そのあだを撃ち退け、
とこしえの恥を彼らに負わせられた。

神はヨセフの天幕をしりぞけ、
エフライムの部族を選ばず、

ユダの部族を選び、
神の愛するシオンの山を選ばれた。

神はその聖所を高い天のように建て、
とこしえに基を定められた地のように建てられた。

神はそのしもべダビデを選んで、
羊のおりから取り、

乳を与える雌羊の番をするところからつれて来て、
その民ヤコブ、その嗣業イスラエルの牧者とされた。

こうして彼は直き心をもって彼らを牧し、
巧みな手をもって彼らを導いた。

2013-01-16

復活の体・天路歴程・地路歴程28

年をとるほど衰えるのが、自然の姿です。耳は遠くなり、

目も支障が出てきます。歯はなんとか保っていますが!
満身創痍です。


歳月はどんどん流れて行きます。

時の流れが残酷に奪っていったもの。若さ、肉体、健康、家族、否それだけでなく、

もっとも大切なもの
(信仰心)まで奪おうとします。

親しい兄弟姉妹がいました。彼らは大切なものを奪われ生きる力を失いました。今更嘆いてもどうにもなりません。


しかし他の信仰深い人が得たものも、
沢山あります。

跡継ぎ、エッサイの切り株から萌出た新芽。若い命、その新芽の夢は。劣悪な境遇に負けないたくましいい命です!。
他者への優しさを持ち合わせています。

私は、時が奪い、与えてくれたものなど、
最近じっくりと「吟味、見直し」ています。


話しは変わりますが、 今日、同年輩の映画監督 大島 渚氏が逝去されたとテレビ放送で知りました。八十歳でした。死因は肺炎でした。

一度、脳梗塞で倒れ
立ち直ったと聞き、
安心していましただけに残念です。。

監督とは面識はありません。ただ作品を通してしか、知りませんが、同じ戦争体験者、同じ年齢ですからなんとなく親しみを感じていました。

彼の優れた作品に
「戦場のクリスマス」がありますが。その他
彼ならではの世間に問い掛けた、性風刺的作品もあります、

死を機会に作品の真価が再評価されると思います。

躊躇わず、己が信じ、困難に堂々と突き進んだ姿に感銘しました。

死や、苦しみ、幻滅、落胆が避けられないと悟ったときわたしたちは、精神的に、それにどう立ち向かえば
良いでのでしょうか?

課題を突き付けられました。
じっくり考えてみる必要性がありそうです!
大島 渚監督とは異なりますが、

聖書をお薦めします。
【新共同約聖書】
を使用します。

【復活の体】

しかし、死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか、と聞く者がいるかもしれません。

愚かな人だ。あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは、後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です。

神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。

どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。

また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きとは異なっています。

太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります。

死者の復活もこれと同じです。蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。

つまり、自然の命の体が蒔かれて、霊の体が復活するのです。自然の命の体があるのですから、霊の体もあるわけです。

「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。

最初に霊の体があったのではありません。自然の命の体があり、次いで霊の体があるのです。

最初の人は土ででき、地に属する者であり、第二の人は天に属する者です。土からできた者たちはすべて、土からできたその人に等しく、天に属する者たちはすべて、天に属するその人に等しいのです。

わたしたちは、土からできたその人の似姿となっているように、天に属するその人の似姿にもなるのです。

兄弟たち、わたしはこう言いたいのです。肉と血は神の国を受け継ぐことはできず、朽ちるものが朽ちないものを受け継ぐことはできません。

わたしはあなたがたに神秘を告げます。わたしたちは皆、眠りにつくわけではありません。わたしたちは皆、今とは異なる状態に変えられます。

最後のラッパが鳴るとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。

この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。

この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次のように書かれている言葉が実現するのです。

「死は勝利にのみ込まれた。
死よ、お前の勝利はどこにあるのか。
死よ、お前のとげはどこにあるのか。」

死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。

わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。

主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。


(コリントの信徒への手紙 一 15.35-58)


   愛の樹オショチ†

2013-01-13

今週の聖句 1月13日〜19日

詩篇77篇
聖歌隊の指揮者によってエドトンのしらべにしたがってうたわせたアサフの歌

わたしは神にむかい声をあげて叫ぶ。
わたしが神にむかって声をあげれば、
神はわたしに聞かれる。

わたしは悩みの日に主をたずね求め、
夜はわが手を伸べてたゆむことなく、
わが魂は慰められるのを拒む。

わたしは神を思うとき、嘆き悲しみ、
深く思うとき、わが魂は衰える。〔セラ

あなたはわたしのまぶたをささえて閉じさせず、
わたしは物言うこともできないほどに悩む。

わたしは昔の日を思い、
いにしえの年を思う。

わたしは夜、わが心と親しく語り、
深く思うてわが魂を探り、言う、

「主はとこしえにわれらを捨てられるであろうか。
ふたたび、めぐみを施されないであろうか。

そのいつくしみはとこしえに絶え、
その約束は世々ながくすたれるであろうか。

神は恵みを施すことを忘れ、怒りをもって
そのあわれみを閉じられたであろうか」と。〔セラ

その時わたしは言う、「わたしの悲しみは
いと高き者の右の手が変ったことである」と。

わたしは主のみわざを思い起す。
わたしは、いにしえからの
あなたのくすしきみわざを思いいだす。

わたしは、あなたのすべてのみわざを思い、
あなたの力あるみわざを深く思う。

神よ、あなたの道は聖である。
われらの神のように大いなる神はだれか。

あなたは、くすしきみわざを行われる神である。
あなたは、もろもろの民の間に、その大能をあらわし、

その腕をもっておのれの民をあがない、
ヤコブとヨセフの子らをあがなわれた。〔セラ

神よ、大水はあなたを見た。
大水はあなたを見ておののき、淵もまた震えた。

雲は水を注ぎいだし、空は雷をとどろかし、
あなたの矢は四方にきらめいた。

あなたの雷のとどろきは、つむじ風の中にあり、
あなたのいなずまは世を照し、地は震い動いた。

あなたの大路は海の中にあり、
あなたの道は大水の中にあり、
あなたの足跡はたずねえなかった。

あなたは、その民をモーセとアロンの手によって
羊の群れのように導かれた。

2013-01-11

神の仕事・天地創造と人間の知的欲求






最近、天文学に加え宇宙物理学の進展に目を瞠ります。

創世記によれば、神は天地創造を時をかけて丁寧に行われ、七日目に休息(安息日)されたと記述されています。

神の仕事、天地創造の時間を人間の時間と比較することは不可能です。

人間の時間は肉体の時間が、前提ですから。

話しを宇宙に戻します。

宇宙を創りだしたビッグバン直前に宇宙のもとが急膨張したとされる「インフレーション理論」を人間が確立したとのニュースには驚きました。

素粒子物理学の「標準理論」では宇宙が百三十七億年前に誕生した直後は、どの素粒子も質量を持たず、光速で飛び回っていた。

その後一秒足らずの間に、膨張とともに冷めて「相転移」と呼ばれる劇的な変化が起こり、宇宙空間はヒッグス粒子で満たされた。

「神の粒子とも呼ばれる。」

温度が下がって蒸気が水になるように、相転移でそれまで目に見えなかったヒッグスが現れたというイメージだ。この状態は「ヒッグスの海」ともいわれ、光り以外の素粒子はヒッグス粒子にまとわりつかれて動きにくくなる。「動きにくさ」は物理学では質量にあたる。こうして、素粒子は質量を持ち、自由に飛び回れなくなった素粒子はお互いにくっっき合うようになり原子を作るようになったとされる。……。

(東京新聞夕刊1/8)


さらに別の記事では地球外生命体の探査にも触れています。

宇宙には夢があります。

人間が神から与えられた知的欲求は、ジエームズ・ヒルトンの著作「失われた地平線」のなかで、理想郷(シヤングリラ)に暮らす不老不死の人々の物語を思い起こします。

ある宇宙物理学者は「進化に十分な数十億年ほどの時間があれば、脳のような集中神経系を持つ知的生命体が生まれている可能性も考えられる」と指摘しています。

創世記では、仕事は神が始められた。

仕事は神が発明されたと理解しました。

人間を神が造られた、経緯を理解すれば、人間が仕事を作ったのではないことが分かります。

人間が仕事をする欲求は神の意志です。

アダム以後の人間がなんらかの仕事に携わる欲求(意欲、好奇心、探求心、想像力など)は、人間に最初から神様によって欲求があらかじめ組み込まれていたのです。

創世記をさかのぼると様々な神の仕事が、記述されています。

神は天地を創造し、生き物、そして人間を造った。

七日目に休まれた。

天地創造という行為は神の仕事です!

繰り返しになりますが、神は時間をかけてすべてを創造されました。
その締めくくりに「休息-安息日」をとられたとあります。

宇宙の始まりがあれば、必然的に終わりがあります。百三十七億年前に起きた、ビッグバンはいつか縮んで終わりを迎えるでしょう。

しかしキリストは別の次元に生きる高次元の生命の世界を約束されました。

気付かないだけで、わたしたちは現在、三次元の世界ではなく、既に四次元か?五次元の世界の入り口に立っているのかも知れません。

今夜も広大な夜空を感動して眺めています。

次回は【復活の体】を記述します。

愛の樹オショチ†

2013-01-06

命は粗末にしないこと‼

命は神様からの預かりもの†

例え何があっても粗末にしてはならない

食事は生きるための
大事な手段

生きて預かった、
命の役目を果す
人間の幸せは神様の望むところ

自分勝手な生き方は
神様の意に反した、
エゴイスト

本気になって食べて
活力を得て、恵まれない人々に尽くすのが
愛の樹の役目なり

心して毎日を生きること

オショチ†

今週の聖句 1月6日〜12日

詩篇76篇
聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせたアサフの歌、さんび

神はユダに知られ、
そのみ名はイスラエルにおいて偉大である。

その幕屋はサレムにあり、
そのすまいはシオンにある。

かしこで神は弓の火矢を折り、
盾とつるぎと戦いの武器をこわされた。〔セラ

あなたは永久の山々にまさって
光栄あり、威厳がある。

雄々しい者はかすめられ、彼らは眠りに沈み、
いくさびとは皆その手を施すことができなかった。

ヤコブの神よ、あなたのとがめによって、
乗り手と馬とは深い眠りに陥った。

しかし、あなたこそは恐るべき方である。
あなたが怒りを発せられるとき、
だれがみ前に立つことができよう。

あなたは天からさばきを仰せられた。
神が地のしえたげられた者を救うために、
さばきに立たれたとき、地は恐れて、沈黙した。〔セラ

まことに人の怒りはあなたをほめたたえる。
怒りの余りをあなたは帯とされる。

あなたがたの神、主に誓いを立てて、それを償え。
その周囲のすべての者は
恐るべき主に贈り物をささげよ。

主はもろもろの君たちのいのちを断たれる。
主は地の王たちの恐るべき者である。

2013-01-01

今年の祷り†


【今年の祷り†】

平和のうちに導かれて行く。
山と丘はあなたたちを迎え、
  歓声をあげて喜び歌い
野の木々も、手をたたく。
茨に代わって糸杉が
おどろに代わってミルトスが生える。
これは、主に対する記念となり、しるしとなる。
それはとこしえに消し去られることがない。
(イザヤ55:12-13)

明けましておめでとうございます。

世界中の人々が愛に目覚め、争いを寛容に切り替え平和な時代の幕開けの年となりますように祷ります。

平和憲法が貫き通せる寛容な、心の持ち主が増えて、穏やかで公平な時代の幕開けとなりますように切願します†

愛の樹教会 愛の樹オショチと一同