2012-07-19

義人ヨブ記(job)31

「わたしは自分の目と契約を結んでいるのに
どうしておとめに目を注いだりしようか。

上から神がくださる分は何か
高きにいます全能者のお与えになるものは何か。

不正を行う者には災いを
悪を行う者には外敵をお与えになるではないか。

神はわたしの道を見張り
わたしの歩みをすべて数えておられるではないか。

わたしがむなしいものと共に歩き
この足が欺きの道を急いだことは、決してない。

もしあるというなら
正義を秤として量ってもらいたい。
神にわたしの潔白を知っていただきたい。

わたしの歩みが道を外れ
目の向くままに心が動いたことは、決してない。
この手には、決して汚れはない。

もしあるというなら
わたしの蒔いたものを他人が食べてもよい。

わたしの子孫は根絶やしにされてもよい。

わたしが隣人の妻に心奪われたり
門で待ち伏せたりしたことは、決してない。

もしあるというなら
わたしの妻が他人のために粉をひき
よその男に犯されてもよい。

それは恥ずべき行為であり

裁かれるべき罪なのだから

滅びの国までも焼き尽くす火が
  わたしの収穫を根まで焼き尽くしてもよい。

わたしが奴隷たちの言い分を聞かず
はしための権利を拒んだことは、決してない。

もしあるというなら
神が裁きに立たれるとき
  わたしが何をなしえよう。

神が調べられるとき何と答えられよう。

わたしを胎内に造ってくださった方が
  彼らをもお造りになり
我々は同じ方によって
  母の胎に置かれたのだから。

わたしが貧しい人々を失望させ
やもめが目を泣きつぶしても顧みず

食べ物を独り占めにし
みなしごを飢えさせたことは、決してない。

いや、わたしは若いころから
 父となって彼らを育て

母の胎を出たときから
  やもめたちを導く者であった。

着る物もなく弱り果てている人や
からだを覆う物もない貧しい人を
わたしが見過ごしにしたことは、決してない。

彼らは常にわたしの羊の毛でからだを暖めて
  感謝したのだ。

わたしが裁きの座で味方の多いのをいいことにして

みなしごに手を振り上げたことは、決してない。

もしあるというなら
わたしの腕は肩から抜け落ちてもよい。
肘が砕けてもよい。

神の下される災いをわたしは恐れる。
その怒りには堪えられない。

わたしが黄金を頼みとし
純金があれば安心だと思い

財宝の多いことを喜び
自分の力を強大だと思ったことは、決してない。

太陽の輝き、満ち欠ける月を仰いで
ひそかに心を迷わせ

口づけを投げたことは、決してない。

もしあるというなら
これもまた、裁かれるべき罪である。

天にいます神を否んだことになるのだから。

わたしを憎む者の不幸を喜び
彼が災いに遭うのを見て
  わたしがはやしたてたことは、決してない。

呪いをかけて人の命を求めることによって

自分の口が罪を犯すのを許したことは
  決してない。

わたしの天幕に住んでいた人々が

「彼が腹いっぱい肉をくれればよいのに」
  と言ったことは決してない。

見知らぬ人さえ野宿させたことはない。

わが家の扉はいつも旅人に開かれていた。

わたしがアダムのように自分の罪を隠し

咎を胸の内に秘めていたことは、決してない。

もしあるというなら
群衆の前に震え、一族の侮りにおののき
黙して門の内にこもっていただろう。

どうか、わたしの言うことを聞いてください。

見よ、わたしはここに署名する。

全能者よ、答えてください。
わたしと争う者が書いた告訴状を

わたしはしかと肩に担い
冠のようにして頭に結び付けよう。

わたしの歩みの一歩一歩を彼に示し
君主のように彼と対決しよう。

わたしの畑がわたしに対して叫び声をあげ
その畝が泣き

わたしが金を払わずに収穫を奪って食べ

持ち主を死に至らしめたことは、決してない。

もしあるというなら
小麦の代わりに茨が生え
大麦の代わりに雑草が生えてもよい。

ヨブは語り尽くした。

(ヨブ記 第31章)

続きます。

愛の樹オショチ†

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