これを以て最後の締めくくりにさせていただきます。
私が望んだ人生と重なった生き方に共感したのが、上田敏訳「春の朝」の作者、ロバート・ブラウニング作「ラビ・ベン・エズラ」でした。
難解な文語体に加え現代の、当用漢字にも掲載されていない古語もありますが。
日本語の乱れの中で、是非とも今一度、この優れた「詩」を美しい日本語を私なりに残したいと願いました。。
難解な詩ですがわたし達が失った大切な高い精神性が詩の中にうたわれています。
混乱に巻き込まれた人類の一助になればと切望する次第です!
ロバート・ブラウニング作
「ラビ・ベン・エズラ」
(二十七)
馬鹿な! いやしくも在(あ)りとしあるもの全ては、永久に存して 取り消し難し。
地は変わる、しかし 汝の魂と神とは確(かた)く立つ。
汝に入ったところのもの、
その在りしものは 今あり、また在らん。
時の轆轤は逆転も 休止もしよう、
しかし 陶工と土塊(つちくれ)とは存続する。
(二十八)
この円舞する 可塑性(プラスチック)の環境の
ただ中に 神は汝を固定した、
実に汝が好んで把(とら)えようとする この現在こそは、
汝の魂に性向を与え
汝を試練し 充分に刻印して
汝を送り出すために
意図せられた機械に 外ならない。
(二十九)
たとえ 当初の紋条が 底辺に
ほほえむ愛をきざみゆきて
最早とぎれず 印さずとも 何であろう?
たとえ 汝の縁のまわりに
凄(すご)い様子で 髑髏(どくろ)の形が次々と
あらわれ より厳粛な気分で
峻刻(しゅんこく)に彫り込まれるにまかすとも 何であろう?
(三十)
汝、下を見ずして 上を仰ぎ見よ!
盃(さかずき)の御用を 仰ぎ見よ!
饗宴の筵(むしろ)、ランプの閃(ひらめ)き、ラッパの響き、
新しき酒 泡立ち溢れ、
主の聖唇は もえて映(は)ゆ!
汝、天の完き盃よ、
いかで 汝に地の轆轤(ろくろ)が要ろうか?
(三十一)
されど かの時の如く今も私は 貴神(なんじ)を要す
人を造型し給う神よ。爾(じ)来、
その旋回が 最悪の時期にすらも、━━
人生の轆轤にしばられて
おびただしい形や色に 目くらみつつも━━
貴神の渇きをいやすべき
わが目的を 私は誤らなかった。
(三十二)
されば 貴神(なんじ)の作品を取りて 用い給え、
修正なし給え、潜める瑕瑾(きず)を、
素地の無理を、御意図をこえたひずみを!
わが時は 貴神の御手にあり!
御計画の如く 盃を完成なし給え!
老年をして 若き年を肯定せしめ、
死をして 老年を完からしめよ!
以上で終わらせて頂きます。
2012年11月18日
愛の樹教会
愛川英雄
追記:オショチブログは愛の樹ホームページに引き続き掲載いたします。
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