2012-04-29

義人ヨブ記(job)25

『炎』

血気盛んなころ、わが身を焦がすほどに燃え盛った炎は静かに消えていきます。

けれど天路歴程の神との道行きの炎は静かに燃えています。かすかな灯火ですが、まだ暗がりの道は灯せます。

【ヨブ記25章】
シュア人ビルダドは答えた。

恐るべき支配の力を神は御もとにそなえ
天の最も高いところに平和を打ち立てられる。

まことにその軍勢は数限りなく
その光はすべての人の上に昇る。

どうして、人が神の前に正しくありえよう。
どうして、女から生まれた者が清くありえよう。

月すらも神の前では輝かず
星も神の目には清らかではない。

まして人間は蛆虫
人の子は虫けらにすぎない。

続きます。
愛の樹オショチ†

ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵21「ヨブと娘たち」、1825

今週の聖句 4月29日〜5月5日

詩篇49篇
聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子の歌

もろもろの民よ、これを聞け、
すべて世に住む者よ、耳を傾けよ。

低きも高きも、富めるも貧しきも、共に耳を傾けよ。

わが口は知恵を語り、わが心は知識を思う。

わたしは耳をたとえに傾け、
琴を鳴らして、わたしのなぞを解き明かそう。

わたしをしえたげる者の不義が
わたしを取り囲む悩みの日に、
どうして恐れなければならないのか。

彼らはおのが富をたのみ、
そのたからの多いのを誇る人々である。

まことに人はだれも自分をあがなうことはできない。
そのいのちの価を神に払うことはできない。

とこしえに生きながらえて、墓を見ないために
そのいのちをあがなうには、あまりに価高くて、
それを満足に払うことができないからである。

まことに賢い人も死に、
愚かな者も、獣のような者も、ひとしく滅んで、
その富を他人に残すことは人の見るところである。

たとい彼らはその地を自分の名をもって呼んでも、
墓こそ彼らのとこしえのすまい、
世々彼らのすみかである。

人は栄華のうちに長くとどまることはできない、
滅びうせる獣にひとしい。

これぞ自分をたのむ愚かな者どもの成りゆき、
自分の分け前を喜ぶ者どもの果である。〔セラ

彼らは陰府に定められた羊のように
死が彼らを牧するであろう。
彼らはまっすぐに墓に下り、そのかたちは消えうせ、
陰府が彼らのすまいとなるであろう。

しかし神はわたしを受けられるゆえ、
わたしの魂を陰府の力からあがなわれる。〔セラ

人が富を得るときも、
その家の栄えが増し加わるときも、恐れてはならない。

彼が死ぬときは何ひとつ携え行くことができず、
その栄えも彼に従って下って行くことは
ないからである。

たとい彼が生きながらえる間、自分を幸福と思っても、
またみずから幸な時に、人々から称賛されても、

彼はついにおのれの先祖の仲間に連なる。
彼らは絶えて光を見ることがない。

人は栄華のうちに長くとどまることはできない。
滅びうせる獣にひとしい。

2012-04-28

老師のかつら

"腹の据わった伝道者"

田舎のどさ回りの役者のように、吉冨泉先生は、古びた聖書一冊を大事な商売道具じゃと言うて、神様の生きた芝居を見せるために、四国、九州の片田舎を巡り歩き、神の伝道者として、九十年の人生の旅路を伝道一筋で閉じました。

孤高な人生でした。

後に知りましたが、養子の息子さんに残した言葉は「自分の死は誰にも告げるな!」でした。

師には、いつ頃からか、変人奇人、ほら吹きの形容詞がついて回るようになりましたがいっこう気に掛ける様子もなく平然としていました。

ある時「宗教の嘘ほど質が悪く罪深いものはないでしょう~が、あんたは、どげん思いますか?」と、聞かれました。

黙っていると、

神様の言われた言葉と人間の考えた言葉の境界線は文字化けするから信用できんでしょうが? 
神様のみ言葉をきわめるには、馬鹿面して人の心の中に入り込むと、ようわかります。 
神様が働いてくだされば、うわべの態度と違う本物が現れるですたい!

師はどこかで拾ってきたと言う、女性用の金髪のかつらをヒョイトハゲ頭にかぶせてにっこり笑ってくれました。

師が去ったあとで浅学なわれを静かに戒めてくださった純朴な魂の持ち主の、奥深さを感じる昨今です!

オショチ†


2012-04-22

今週の聖句 4月22日〜28日

詩篇48篇
コラの子の歌、さんび

主は大いなる神であって、
われらの神の都、その聖なる山で、
大いにほめたたえらるべき方である。

シオンの山は北の端が高くて、うるわしく、
全地の喜びであり、大いなる王の都である。

そのもろもろの殿のうちに神はみずからを
高きやぐらとして現された。

見よ、王らは相会して共に進んできたが、

彼らは都を見るや驚き、
あわてふためき、急ぎ逃げ去った。

おののきは彼らに臨み、
その苦しみは産みの苦しみをする女のようであった。

あなたは東風を起してタルシシの舟を破られた。

さきにわれらが聞いたように、
今われらは万軍の主の都、
われらの神の都でこれを見ることができた。
神はとこしえにこの都を堅くされる。〔セラ

神よ、われらはあなたの宮のうちで
あなたのいつくしみを思いました。

神よ、あなたの誉は、あなたのみ名のように、
地のはてにまで及びます。
あなたの右の手は勝利で満ちています。

あなたのさばきのゆえに、
シオンの山を喜ばせ、ユダの娘を楽しませてください。

シオンのまわりを歩き、あまねくめぐって、
そのやぐらを数え、

その城壁に心をとめ、そのもろもろの殿をしらべよ。
これはあなたがたが後の代に語り伝えるためである。

これこそ神であり、
世々かぎりなくわれらの神であって、
とこしえにわれらを導かれるであろう。

2012-04-18

義人ヨブ記(job)24

『最近願うこと』

人間に、深い心の安らぎが与えられること。

人間、自分の人生に意義と目的があると言う自覚から生まれる安らぎ。

そこから更に生まれる他者への思いやり!

人間、永遠に生きる運命であると知って得られる安らぎ。

しかし人間は何故か、反対方向を向く。

不治の病を宣告されるまでなかなか生活習慣をかえられなかったのは何故か?命を粗末にしたのは他でもない。自分自身。

心に深い傷を負わせ、恐ろしい思いをさせる非情な人間もいる。

性懲りもなく過ちを犯し命の軽んじる輩。

人生の方向を修正できない人間とは如何なる生き物の集団なのか?

こんなことでは、神が願われた天国で生きる喜びを人類は、死ぬまでお預けだ。

わたしたちは神が用意してくださった気高い人生の道を平和と喜びと安らぎに満ちてたどりたい願うのみ†。

オショチ†

【義人ヨブ記】
なぜ、全能者のもとには
 さまざまな時が蓄えられていないのか。

なぜ、神を愛する者が
 神の日を見ることができないのか。

人は地境を移し
家畜の群れを奪って自分のものとし

みなしごのろばを連れ去り

やもめの牛を質草に取る。

乏しい人々は道から押しのけられ
この地の貧しい人々は身を隠す。

彼らは野ろばのように
 荒れ野に出て労し、食べ物を求め
荒れ地で子に食べさせるパンを捜す。

自分のものでもない畑で刈り入れをさせられ
悪人のぶどう畑で残った房を集める。

着る物もなく裸で夜を過ごし
寒さを防ぐための覆いもない。

山で激しい雨にぬれても
身を避ける所もなく、岩にすがる。

父のない子は母の胸から引き離され
貧しい人の乳飲み子は人質に取られる。

彼らは身にまとう物もなく、裸で歩き
麦束を運びながらも自分は飢え

並び立つオリーブの間で油を搾り
搾り場でぶどうを踏みながらも渇く。

町では、死にゆく人々が呻き
刺し貫かれた人々があえいでいるが
神はその惨状に心を留めてくださらない。

光に背く人々がいる。
彼らは光の道を認めず
光の射すところにとどまろうとしない。

人殺しは夜明け前に起き
貧しい者、乏しい者を殺し

夜になれば盗みを働く。

姦淫する者の目は、夕暮れを待ち
だれにも見られないように、と言って顔を覆う。

暗黒に紛れて家々に忍び入り
日中は閉じこもって、光を避ける。

このような者には、朝が死の闇だ。
朝を破滅の死の闇と認めているのだ。

「大水に遭えば彼はたちまち消え去る。
この地で彼の嗣業は呪われ

そのぶどう畑に
向かう者もいなくなる。

暑さと乾燥が雪解け水をも消し去るように
陰府は罪人を消し去るだろう。

母の胎も彼を忘れ
蛆が彼を好んで食い
彼を思い出す者もなくなる

不正な行いは
木のように折れ砕ける。

彼は不妊の女を不幸に落とし
やもめに幸福を与えることはなかった。

権力者が力を振るい、成功したとしても
その人生は確かではない。

安穏に生かされているようでも
その歩む道に目を注いでおられる方がある。

だから、しばらくは栄えるが、消え去る。

すべて衰えてゆくものと共に倒され
麦の穂のように刈り取られるのだ。」

だが、そうなってはいないのだから
誰が、わたしをうそつきと呼び
わたしの言葉をむなしいものと
 断じることができようか。

(ヨブ記 第24章)

続きます。

愛の樹オショチ†
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵20「施しを受けるヨブ」、1825

2012-04-15

今週の聖句 4月15日〜21日

詩篇47編
聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子の歌

もろもろの民よ、手をうち、
喜びの声をあげ、神にむかって叫べ。

いと高き主は恐るべく、
全地をしろしめす大いなる王だからである。

主はもろもろの民をわれらに従わせ、
もろもろの国をわれらの足の下に従わせられた。

主はその愛されたヤコブの誇を
われらの嗣業として、われらのために選ばれた。〔セラ

神は喜び叫ぶ声と共にのぼり、
主はラッパの声と共にのぼられた。

神をほめうたえよ、ほめうたえよ、
われらの王をほめうたえよ、ほめうたえよ。

神は全地の王である。
巧みな歌をもってほめうたえよ。

神はもろもろの国民を統べ治められる。
神はその聖なるみくらに座せられる。

もろもろの民の君たちはつどい来て、
アブラハムの神の民となる。

地のもろもろの盾は神のものである。
神は大いにあがめられる。

2012-04-08

今週の聖句 4月8日〜14日

さて、一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。

そこで走って、シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、わかりません」。

そこでペテロともうひとりの弟子は出かけて、墓へむかって行った。

ふたりは一緒に走り出したが、そのもうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、

そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった。

シモン・ペテロも続いてきて、墓の中にはいった。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、

イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった。

すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた。
しかし、彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった。

それから、ふたりの弟子たちは自分の家に帰って行った。

しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、

白い衣を着たふたりの御使が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。

すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼らに言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。

そう言って、うしろをふり向くと、そこにイエスが立っておられるのを見た。しかし、それがイエスであることに気がつかなかった。

イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」。マリヤは、その人が園の番人だと思って言った、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」。

イエスは彼女に「マリヤよ」と言われた。マリヤはふり返って、イエスにむかってヘブル語で「ラボニ」と言った。それは、先生という意味である。

イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。

マグダラのマリヤは弟子たちのところに行って、自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した。

2012-04-06

義人ヨブ記(job) 23

【祷告】

まっとうに生きようとすれば様々な悪が立ちはだかり行く手を遮る。

悪は人間関係を容赦なく破壊し人々の生活生命を脅かす。

破壊された人間の心は猜疑心と憎しみに苛まれ、不信が募り、争いを引き起こす。

神は望まれないのに†

旧約聖書に登場する、予言者たちは不義を働く人間の側につかず、命懸けで、神の側に立った!

『今!神の側に立つものは誰か?』

苦しめる人々に、神は寄り添いわたしたちの魂をすべての災いから御守りくださる。

我が魂は神よ!
あなたに憧れています!

あなたの御名の業によって、わたしたちの魂を災いから引き出しでください†
オショチ†

【ヨブは答えた】

今日も、わたしは苦しみ嘆き
呻きのために、わたしの手は重い。

どうしたら、その方を見いだせるのか。
おられるところに行けるのか。

その方にわたしの訴えを差し出し
思う存分わたしの言い分を述べたいのに。

答えてくださるなら、それを悟り
話しかけてくださるなら、理解しよう。

その方は強い力を振るって

 わたしと争われるだろうか。
いや、わたしを顧みてくださるだろう。

そうすれば、わたしは神の前に正しいとされ
わたしの訴えはとこしえに解決できるだろう。

だが、東に行ってもその方はおられず
西に行っても見定められない。

北にひそんでおられて、とらえることはできず
南に身を覆っておられて、見いだせない。

しかし、神はわたしの歩む道を
 知っておられるはずだ。

わたしを試してくだされば
 金のようであることが分かるはずだ。

わたしの足はその方に従って歩み
その道を守って、離れたことはない。

その唇が与えた命令に背かず
その口が語った言葉を胸に納めた。

神がいったん定められたなら
 だれも翻すことはできない。
神は望むがままに行われる。

わたしのために定めたことを実行し
ほかにも多くのことを定めておられる。

それゆえ、わたしは御顔におびえ
考えれば考えるほど、恐れる。

神はわたしの勇気を失わせ

全能者はわたしをおびえさせる。

わたしは暗黒を前にし
目の前には闇が立ちこめているのに
なぜ、滅ぼし尽くされずにいるのか。

(ヨブ記 第23章)

後に続きます。

愛の樹オショチ†
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵19「ヨブの犠牲」、1825

2012-04-01

今週の聖句 4月1日〜7日

詩篇46
聖歌隊の指揮者によって女の声のしらべにあわせてうたわせたコラの子の歌

神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。

このゆえに、たとい地は変り、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。

たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、
そのさわぎによって山は震え動くとも、
われらは恐れない。〔セラ

一つの川がある。
その流れは神の都を喜ばせ、
いと高き者の聖なるすまいを喜ばせる。

神がその中におられるので、都はゆるがない。
神は朝はやく、これを助けられる。

もろもろの民は騒ぎたち、もろもろの国は揺れ動く、
神がその声を出されると地は溶ける。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。〔セラ

来て、主のみわざを見よ、
主は驚くべきことを地に行われた。

主は地のはてまでも戦いをやめさせ、
弓を折り、やりを断ち、戦車を火で焼かれる。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。
わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、
全地にあがめられる」。

万軍の主はわれらと共におられる、
ヤコブの神はわれらの避け所である。〔セラ