人間に、深い心の安らぎが与えられること。
人間、自分の人生に意義と目的があると言う自覚から生まれる安らぎ。
そこから更に生まれる他者への思いやり!
人間、永遠に生きる運命であると知って得られる安らぎ。
しかし人間は何故か、反対方向を向く。
不治の病を宣告されるまでなかなか生活習慣をかえられなかったのは何故か?命を粗末にしたのは他でもない。自分自身。
心に深い傷を負わせ、恐ろしい思いをさせる非情な人間もいる。
性懲りもなく過ちを犯し命の軽んじる輩。
人生の方向を修正できない人間とは如何なる生き物の集団なのか?
こんなことでは、神が願われた天国で生きる喜びを人類は、死ぬまでお預けだ。
わたしたちは神が用意してくださった気高い人生の道を平和と喜びと安らぎに満ちてたどりたい願うのみ†。
オショチ†
【義人ヨブ記】
なぜ、全能者のもとには
さまざまな時が蓄えられていないのか。
なぜ、神を愛する者が
神の日を見ることができないのか。
人は地境を移し
家畜の群れを奪って自分のものとし
みなしごのろばを連れ去り
やもめの牛を質草に取る。
乏しい人々は道から押しのけられ
この地の貧しい人々は身を隠す。
彼らは野ろばのように
荒れ野に出て労し、食べ物を求め
荒れ地で子に食べさせるパンを捜す。
自分のものでもない畑で刈り入れをさせられ
悪人のぶどう畑で残った房を集める。
着る物もなく裸で夜を過ごし
寒さを防ぐための覆いもない。
山で激しい雨にぬれても
身を避ける所もなく、岩にすがる。
父のない子は母の胸から引き離され
貧しい人の乳飲み子は人質に取られる。
彼らは身にまとう物もなく、裸で歩き
麦束を運びながらも自分は飢え
並び立つオリーブの間で油を搾り
搾り場でぶどうを踏みながらも渇く。
町では、死にゆく人々が呻き
刺し貫かれた人々があえいでいるが
神はその惨状に心を留めてくださらない。
光に背く人々がいる。
彼らは光の道を認めず
光の射すところにとどまろうとしない。
人殺しは夜明け前に起き
貧しい者、乏しい者を殺し
夜になれば盗みを働く。
姦淫する者の目は、夕暮れを待ち
だれにも見られないように、と言って顔を覆う。
暗黒に紛れて家々に忍び入り
日中は閉じこもって、光を避ける。
このような者には、朝が死の闇だ。
朝を破滅の死の闇と認めているのだ。
「大水に遭えば彼はたちまち消え去る。
この地で彼の嗣業は呪われ
そのぶどう畑に
向かう者もいなくなる。
暑さと乾燥が雪解け水をも消し去るように
陰府は罪人を消し去るだろう。
母の胎も彼を忘れ
蛆が彼を好んで食い
彼を思い出す者もなくなる
不正な行いは
木のように折れ砕ける。
彼は不妊の女を不幸に落とし
やもめに幸福を与えることはなかった。
権力者が力を振るい、成功したとしても
その人生は確かではない。
安穏に生かされているようでも
その歩む道に目を注いでおられる方がある。
だから、しばらくは栄えるが、消え去る。
すべて衰えてゆくものと共に倒され
麦の穂のように刈り取られるのだ。」
だが、そうなってはいないのだから
誰が、わたしをうそつきと呼び
わたしの言葉をむなしいものと
断じることができようか。
(ヨブ記 第24章)
続きます。
愛の樹オショチ†
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵20「施しを受けるヨブ」、1825
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