まっとうに生きようとすれば様々な悪が立ちはだかり行く手を遮る。
悪は人間関係を容赦なく破壊し人々の生活生命を脅かす。
破壊された人間の心は猜疑心と憎しみに苛まれ、不信が募り、争いを引き起こす。
神は望まれないのに†
旧約聖書に登場する、予言者たちは不義を働く人間の側につかず、命懸けで、神の側に立った!
『今!神の側に立つものは誰か?』
苦しめる人々に、神は寄り添いわたしたちの魂をすべての災いから御守りくださる。
我が魂は神よ!
あなたに憧れています!
あなたの御名の業によって、わたしたちの魂を災いから引き出しでください†
オショチ†
【ヨブは答えた】
今日も、わたしは苦しみ嘆き
呻きのために、わたしの手は重い。
どうしたら、その方を見いだせるのか。
おられるところに行けるのか。
その方にわたしの訴えを差し出し
思う存分わたしの言い分を述べたいのに。
答えてくださるなら、それを悟り
話しかけてくださるなら、理解しよう。
その方は強い力を振るって
わたしと争われるだろうか。
いや、わたしを顧みてくださるだろう。
そうすれば、わたしは神の前に正しいとされ
わたしの訴えはとこしえに解決できるだろう。
だが、東に行ってもその方はおられず
西に行っても見定められない。
北にひそんでおられて、とらえることはできず
南に身を覆っておられて、見いだせない。
しかし、神はわたしの歩む道を
知っておられるはずだ。
わたしを試してくだされば
金のようであることが分かるはずだ。
わたしの足はその方に従って歩み
その道を守って、離れたことはない。
その唇が与えた命令に背かず
その口が語った言葉を胸に納めた。
神がいったん定められたなら
だれも翻すことはできない。
神は望むがままに行われる。
わたしのために定めたことを実行し
ほかにも多くのことを定めておられる。
それゆえ、わたしは御顔におびえ
考えれば考えるほど、恐れる。
神はわたしの勇気を失わせ
全能者はわたしをおびえさせる。
わたしは暗黒を前にし
目の前には闇が立ちこめているのに
なぜ、滅ぼし尽くされずにいるのか。
(ヨブ記 第23章)
後に続きます。
愛の樹オショチ†
ウィリアム・ブレイク、ヨブ記への挿絵19「ヨブの犠牲」、1825
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