先日霊的な夢を見た。二人の天使に付き添われ、聖母マリアの願いにより、イエスがはじめて奇跡を行ったカナの村に立っていた。
婚礼のたけなわ、祝いに振る舞われた葡萄酒が足りなくなった時、イエスは、母マリアの願いで、水を上等の葡萄酒に変えられた。あのカナの婚礼の土地である(ヨハネ2:1-2)。
村の背後になだらかな山が見えた。
次に連れて行かれた山は モーセが神に十戒を授けられた、シナイ山である。
頂は雲に隠れて見えなかったが、山を離れて暫らくたっと霊山が姿を現した。
荘厳の一語に尽きる。
山肌の切れ目が人間の血管に見えた。
ゴツゴツした山肌が柔らかな皮膚に感じられた。
あの山は確かに息づいている。
預言者モーセの時代と、わたしたちの時代を隔てる時空の壁はないと実感した。
【聖母マリア】
聖母マリアの消息は未だに謎だらけである。
マリアはイエスの処刑後、イエスの弟子たちと共に暮らし、イエスの教えに従い、弟子たちに加わり信仰生活を送り、死んだと伝えられているが、終焉の場所は定かではない。
繰り返しになるが、イエスの母、聖母マリアの生涯については伝説があるだけで、弟子のヨハネに伴ってエペソに住んだとか?イエスの死を看取ったのちエルサレム留まったととも、言われている。
エルサレムにはマリアの墓というものがある。
カトリック教会が主張するマリアの永遠の処女性、無原罪、昇天などについての教義は、聖書に基づくものではない。
カトリック教会の独自性からだと言われる。
聖母マリアは謎にみちた存在であり続ける。
その謎がマリアの神秘性を高める。
古典的画家たちはその謎、神秘性に魅せられて様々な宗教的名画を生み出した。
マリアとはヘブライ語で「ミリアム」である。 モーセの十戒の姉もミリアムであった。
ユダヤ人の女性にミリアムと言う名の人が多い。
話は変わるが、画家ヤン・ファン・エイクで知られる油絵の故郷ブルージュは、フーゴー・ファン・デル・グースの【聖母の死】を、世に送り出したことでも有名である。
私が見たファン・デル・グースの「聖母の死」に感動した訳は、聖母マリアの、わが子、イエスへの母の痛ましいく深い悲しみ。
目閉じるでもなく少し見開いている表情。
眼は遥か彼方の在りし日を回想している眼に見えた。
フーゴー・ファン・デル・グース「聖母の死」(1480)
【ヴィア・ドロロサ】
イエスが最後に歩かれた十字架への道、イエスは十字架を負わされ、刑場ゴルゴタの丘に向かわれた。
身体中傷つき、棘の冠を頭に載せられ、血だらけの姿は痛ましいく目を覆いたくなる。
その姿を間近に見て十字架からおろされたイエスをどんな思いで看取ったのか?
想像を絶する。
ヴィア・ドロロサ(ラテン語で悲しみの道)全長約500メートル。
この道には14のステーションがあり、イエスがローマ総督ピラトに死刑宣告を受けてから十字架に処刑され、墓に納められるまでを物語っている。
現在のヴィア・ドロロサ
母マリアの悲痛は、現在の残虐な殺傷に明け暮れる紛争地の母の嘆き悲しみに通じる。
【聖母の死】は、衝撃的である。
マリアの枕元に昇天された息子イエスの母を見守る姿が見える。
母マリアを待ち受けている天国の風景描写は、わたしたち観るものに復活の希望を与える。
死を乗り越える力になる。
ヴィア・ドロロサのキリスト
現在、私自身が病に侵され、気力を失ってもイエスに我が身を託して、仕事に励むのは来世の希望があるから。
イエスは、死して後、復活し母マリアを救い、マリアの死を悲嘆にくれ、その死を見送った人々をも救った。
さて!天使は更にイエスの変貌の山に連れて行った。(ヘルモン山?)
新約聖書に記されている。
それから六日後、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネの三人の弟子を連れて、高い山に登られた。この時、イエスの顔は太陽のように輝き、衣は光のように白くなった。そしてエリヤガモーセとともに現れて、イエスと語り会った(マタ17:1-8)
私に残された仕事は限られている。
私の拙い体験を記録しているだけであるが、何かのお役に立てたら幸せである。合掌†
愛の樹オショチ†
イエスの墓所とイエスの墓
イエスの降誕
愛の樹教会のマリア像
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