新約聖書・ヨハネ16章の福音書を読むと、
この世を去りゆく、イエスの弟子たちへの深い心情がしみじみと伝わって来ます。イエスがこの世を去るスケールの大きな問題、奇跡的な出来事、神の使命が、理解出来ず悲嘆にくれる弟子たちへの心中が吐露されています。
しかしイエスは必ず、悲しみが、喜びに変わると弟子たちに言い聞かせます。
わたしたちは心に苦しみ、痛手を負うと不安な気持ちに駆り立てられ打ちひしがれます。
誰にも答えがわからない問いがあります。「生まれて死ぬ迄の様々な体験。幻滅や失望、成功ゃ失敗ゃ勝利。
自分の存在意義とは何か?苦しみは何のためにあったのか?私は何故孤独なのか、何故長い間落ち込んでいたのか?等々疑問ばかりです。」 私自身、振り返って見ると考えていた方向の逆方向を進んで来たことにまだ答えは見付かりません。
しかしイエスは「何事かが起こる理由を明確に示されました。」
わたしたちは時間の中で生きています。過去、現在、未来。人生は時間の一瞬一瞬の積み重ねですから、次の瞬間に何が起きるか確かなことは、わかりません。
しかし神は違います。時間の枠の外側に居るからです。例えばわたしたち人間の人生の始まりから終わりまで全て見ています。
わたしたちが行う選択全てを考慮し、神のご計画どうり、てはずを整えています。神学者はこれを「神の摂理」と呼んでいます。
神がその摂理と人間の自由な意思をどうやって調和させたのか?
答えをイエスに見ました。わたしが去らなければわからない。「今言っておきたいことはまだたくさんあるが、今あなたがたは理解出来ない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」
ヨハネ・16:12-13
愛の樹オショチ†
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