2014-03-30

今週の聖句 3月30日〜4月5日

詩篇 139篇

聖歌隊の指揮者によってうたわせたダビデの歌

主よ、あなたはわたしを探り、
わたしを知りつくされました。

あなたはわがすわるをも、立つをも知り、
遠くからわが思いをわきまえられます。

あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、
わがもろもろの道をことごとく知っておられます。

わたしの舌に一言もないのに、
主よ、あなたはことごとくそれを知られます。

あなたは後から、前からわたしを囲み、
わたしの上にみ手をおかれます。

このような知識はあまりに不思議で、
わたしには思いも及びません。
これは高くて達することはできません。

わたしはどこへ行って、
あなたのみたまを離れましょうか。
わたしはどこへ行って、
あなたのみ前をのがれましょうか。

わたしが天にのぼっても、あなたはそこにおられます。
わたしが陰府に床を設けても、
あなたはそこにおられます。

わたしがあけぼのの翼をかって海のはてに住んでも、

あなたのみ手はその所でわたしを導き、
あなたの右のみ手はわたしをささえられます。

「やみはわたしをおおい、
わたしを囲む光は夜となれ」とわたしが言っても、

あなたには、やみも暗くはなく、
夜も昼のように輝きます。
あなたには、やみも光も異なることはありません。

あなたはわが内臓をつくり、
わが母の胎内でわたしを組み立てられました。

わたしはあなたをほめたたえます。
あなたは恐るべく、くすしき方だからです。
あなたのみわざはくすしく、
あなたは最もよくわたしを知っておられます。

わたしが隠れた所で造られ、
地の深い所でつづり合されたとき、
わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。

あなたの目は、
まだできあがらないわたしのからだを見られた。
わたしのためにつくられたわがよわいの日の
まだ一日もなかったとき、
その日はことごとくあなたの書にしるされた。

神よ、あなたのもろもろのみ思いは、
なんとわたしに尊いことでしょう。
その全体はなんと広大なことでしょう。

わたしがこれを数えようとすれば、
その数は砂よりも多い。
わたしが目ざめるとき、
わたしはなおあなたと共にいます。

神よ、どうか悪しき者を殺してください。
血を流す者をわたしから離れ去らせてください。

彼らは敵意をもってあなたをあなどり、
あなたに逆らって高ぶり、悪を行う人々です。

主よ、わたしはあなたを憎む者を憎み、
あなたに逆らって起り立つ者を
いとうではありませんか。

わたしは全く彼らを憎み、
彼らをわたしの敵と思います。

神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、
わたしを試みて、わがもろもろの思いを
知ってください。

わたしに悪しき道のあるかないかを見て、
わたしをとこしえの道に導いてください。

2014-03-27

第二のノア洪水

‖第二のノアの洪水‖
わたしたちの社会は様々な困難を抱え、避けがたい過渡期にさしかかっている。「米、ロ、中、韓、エジプト、シリアなど様々な紛争地の国々の利害関係、殺梨、長引けば」ますます 神は怒り心頭に発し再びノアの大洪水を起こし給かもしれない。

誠実に非常な困難に取り組んでいる人々が居ます。神よ!彼らを神よ!ご加護ください†

嗚呼ー主なる神よ†

2014-03-23

復活祭とは

‖復活祭とは?‖

「イエス・キリストの甦りの日†」
 

復活祭の日付
2011年-2022年

*西方教会 東方教会

*2011年 4月24日
*2012年 4月8日 4月15日
*2013年 3月31日 5月5日


*2014年 4月20日


*2015年 4月5日 4月12日
*2016年 3月27日 5月1日
*2017年 4月16日
*2018年 4月1日 4月8日
*2019年 4月21日 4月28日
*2020年 4月12日 4月19日
*2021年 4月4日 5月2日
*2022年 4月17日 4月24日

*復活祭は移動祝日であり、もともと太陰暦にしたがって決められた日であったため、年によって太陽暦での日付が変わる。グレゴリオ暦を用いる西方教会では、復活祭は3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日、東方教会では、グレゴリオ暦の4月4日から5月8日の間のいずれかの日曜日に祝われる。

復活祭(復活日)の日付をどのように決定するか(いつ祝うか)については、古代に論争を経て統一されるに至ったが、16世紀に西方教会においてグレゴリオ暦が採用されてから、正教会と西方教会で復活祭の日付が異なるという現象が起きるようになり、議論が続いている。

‖グレゴリオ暦とは‖

グレゴリオ暦(グレゴリオれき 伊: Calendario gregoriano)は、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦法である。現行の太陽暦として世界各国で用いられている。単に新暦(ラテン語: Ornatus)と呼ばれる場合もある。現在使われている紀年法としての西暦もグレゴリオ暦と呼んでいる。

平年には1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を、365日+97/400 = 365.2425日、とすることがグレゴリオ暦の本質である。この平均日数365.2425日は、実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の 365.242 189 572日(2013年年央値)に比べて26.821秒だけ長い。

日本では明治5年(1872年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。

愛の樹教会

ヨハネによる福音書

今日は早めの復活祭を行いました。
復活祭の日付は、移動祝日が基準になり毎年変わります。
最後に、グレゴリオ暦とは何かを補足説明致します。


‖復活‖
イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

(ヨハネによる福音書11章25〜26節)



【主による鍛錬】
こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか、
信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りになったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、御自分に対する罪人たちのこのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。

あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。

「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から懲らしめられても、
力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。」

あなたがたは、これを鍛錬として忍耐しなさい。神は、あなたがたを子として取り扱っておられます。いったい、父から鍛えられない子があるでしょうか。
もしだれもが受ける鍛錬を受けていないとすれば、それこそ、あなたがたは庶子であって、実の子ではありません。更にまた、わたしたちには、鍛えてくれる肉の父があり、その父を尊敬していました。それなら、なおさら、霊の父に服従して生きるのが当然では
ないでしょうか。肉の父はしばらくの間、自分の思うままに鍛えてくれましたが、霊の父はわたしたちの益となるように、御自分の神聖にあずからせる目的でわたしたちを鍛えられるのです。およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。

(ヘブライ人への手紙12章1〜11節)

今週の聖句 3月23日〜29日

詩篇 138篇

ダビデの歌

主よ、わたしは心をつくしてあなたに感謝し、
もろもろの神の前であなたをほめ歌います。

わたしはあなたの聖なる宮にむかって伏し拝み、
あなたのいつくしみと、まこととのゆえに、
み名に感謝します。
あなたはそのみ名と、み言葉を
すべてのものにまさって高くされたからです。

あなたはわたしが呼ばわった日にわたしに答え、
わが魂の力を増し加えられました。

主よ、地のすべての王はあなたに感謝するでしょう。
彼らはあなたの口のもろもろの言葉を
聞いたからです。

彼らは主のもろもろの道について歌うでしょう。
主の栄光は大きいからです。

主は高くいらせられるが低い者をかえりみられる。
しかし高ぶる者を遠くから知られる。

たといわたしが悩みのなかを歩いても、
あなたはわたしを生かし、
み手を伸ばしてわが敵の怒りを防ぎ、
あなたの右の手はわたしを救われます。

主はわたしのために、みこころをなしとげられる。
主よ、あなたのいつくしみは
とこしえに絶えることはありません。
あなたのみ手のわざを捨てないでください。

2014-03-22

復活祭とは

‖復活祭とは?‖

「イエス・キリストの甦りの日†」
 

復活祭の日付
2011年-2022年

*西方教会 東方教会

*2011年 4月24日
*2012年 4月8日 4月15日
*2013年 3月31日 5月5日


*2014年 4月20日


*2015年 4月5日 4月12日
*2016年 3月27日 5月1日
*2017年 4月16日
*2018年 4月1日 4月8日
*2019年 4月21日 4月28日
*2020年 4月12日 4月19日
*2021年 4月4日 5月2日
*2022年 4月17日 4月24日

*復活祭は移動祝日であり、もともと太陰暦にしたがって決められた日であったため、年によって太陽暦での日付が変わる。グレゴリオ暦を用いる西方教会では、復活祭は3月22日から4月25日の間のいずれかの日曜日、東方教会では、グレゴリオ暦の4月4日から5月8日の間のいずれかの日曜日に祝われる。

復活祭(復活日)の日付をどのように決定するか(いつ祝うか)については、古代に論争を経て統一されるに至ったが、16世紀に西方教会においてグレゴリオ暦が採用されてから、正教会と西方教会で復活祭の日付が異なるという現象が起きるようになり、議論が続いている。

‖グレゴリオ暦とは‖

グレゴリオ暦(グレゴリオれき 伊: Calendario gregoriano)は、1582年にローマ教皇グレゴリウス13世がユリウス暦を改良して制定した暦法である。現行の太陽暦として世界各国で用いられている。単に新暦(ラテン語: Ornatus)と呼ばれる場合もある。現在使われている紀年法としての西暦もグレゴリオ暦と呼んでいる。

平年には1年を365日とするが、400年間に(100回ではなく)97回の閏年を置いてその年を366日とすることにより、400年間における1年の平均日数を、365日+97/400 = 365.2425日、とすることがグレゴリオ暦の本質である。この平均日数365.2425日は、実際に観測で求められる平均太陽年(回帰年)の 365.242 189 572日(2013年年央値)に比べて26.821秒だけ長い。

日本では明治5年(1872年)に採用され、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦の1873年1月1日)とした。

愛の樹教会

2014-03-21

夢の中の聖地巡礼†

度々、聖地巡礼の夢を見る。時代をさかのぼり、古代パレスチナを旅する自身の姿である。まだイエスを知らない人々。


黙々と杖をついて町から町へ歩く人々に混じって歩く。


ひどい土ぼこりのたつ道である。

羊の群れを見た。羊飼いがいなければ羊を野獣から守れない。羊はバラバラに散らされ食い殺されてしまう。


ロバがいなないた。
見ると、ロバの背に跨がっている老人と目が合った。日焼けと土ぼこりの顔に巡礼者の信仰心を感じた。


変わった風習ゃ馴染みのない言葉がそのまま理解出来たのは不思議である。


元々、異文化の言語に疎い自分であるが、実用的な知識もないのに?夢の中では十分旅は楽しめた。なにやら安心と、安らぎがあった。


古代パレスチナ人の心。
突然、タイムスリップし、古代に踏み込んだ自身の心にも違和感がない?うまく説明はつかないが、彼らは全身に愛をみなぎらせ、私を受け入れくれた。


人間を創られた神の愛の眼から見れば当たり前のことかもしれない?と、納得した。

信仰生活に理屈はいらない。土ぼこりのたつ道を歩けば自ずとわかる。


私は思った。現代人は、物事を新しい切り口で見るためには一歩も二歩も下がってちょっと離れたところから眺めるのが一番良いと。
例え夢でも。
これは役に立つと思う。

私は何者で?なぜここに居るのか?分からなくなったこともある。巡礼者について町から町へ歩く内にこれから始まる天路歴程・地路歴程の姿がおぼろげながら見えてきた。


(サンダルと衣)

足音が聞こえる。数人の足音が、振り返ると土ぼこりのついた破れた衣が見えた。辺りは麦畑、なだらかな丘陵地帯に麦畑が果てしなく広がり、
黄色く色づいた麦が刈り入れを待っていた。 数人の人々が手で麦の穂をしごき口に入れている。


小さな群れのリーダーの顔を見た。小麦色の肌、少し、ちぢれた黒髪、小柄なお方であった。長旅が衣に染み付いている。 眼差しを見たとたん私は吸い込まれて行く自分を感じた。

夢は断片的で朝目覚めて記憶に残ったものを書いてみた。

三次元の世界から異次元の霊界へ脱魂した
もう一人の自分が垣間見た次の世界かもしれない? 謎解きの旅支度をはじめている私がいる†

2014-03-17

愛の樹の皆へ〓

抗がん剤ペプシドの副作用は少しずつ抜けてきた。抗がん剤ごときに負けてはいられない〓

抗がん剤は医師は身内にはあまり使わないと言う。抗がん剤ペプシドを飲みはじめて、体力消耗したが、癌で苦しんで人の相談相手に親身になれる〓良かったと感謝している〓

聖日礼拝は暫くお預けだがいずれ復活する〓

皆はその間親しく祈りと霊的交わりを欠かさないように†

〓も復活する〓遠慮無しとする〓

オショチ†

2014-03-16

今週の聖句 3月16日〜22日

詩篇 137篇

われらは
バビロンの川のほとりにすわり、
シオンを思い出して涙を流した。

われらはその中のやなぎにわれらの琴をかけた。

われらをとりこにした者が、
われらに歌を求めたからである。
われらを苦しめる者が楽しみにしようと、
「われらにシオンの歌を一つうたえ」と言った。

われらは外国にあって、
どうして主の歌をうたえようか。

エルサレムよ、もしわたしがあなたを忘れるならば、
わが右の手を衰えさせてください。

もしわたしがあなたを思い出さないならば、
もしわたしがエルサレムを
わが最高の喜びとしないならば、
わが舌をあごにつかせてください。

主よ、エドムの人々がエルサレムの日に、
「これを破壊せよ、これを破壊せよ、
その基までも破壊せよ」と
言ったことを覚えてください。

破壊者であるバビロンの娘よ、
あなたがわれらにしたことを、
あなたに仕返しする人はさいわいである。

あなたのみどりごを取って
岩になげうつ者はさいわいである。

2014-03-12

聖書物語

《創世記》

【バベルの塔】

神がノアと契約をたてられたあと、ノアの子孫はひじょうにふえて、何代も何代もたちました。

このころ、世界じゅうの人たちは、同じことばをつかっていました。人びとは東のほうに旅をして、シナルの平野につき、そこに住みつきました。

「さあ、れんがをつくってよくやこう」と人びとは石のかわりにれんがをつかい、しっくいのかわりにアスファルトをつかいました。そして「町をつくり、塔をたてて、そのてっぺんが天までとどくようにしよう。わたしたちは、世界じゅうにちりぢりにならないようにしよう」と言いました。

そのとき神は、人間がたてている町と塔を見て言われました。「地上の人間は一つの民族であり、みんな同じことばをつかっている。もし彼らが心を一つにあわせてこんなことをはじめるなら、だれもそれをとめることができなくなるだろう。わたしは地上におりて、あの人たちのことばをみだし、おたがいにことばがつうじないようにしておこう。」

こうして神は、人びとを地上にひろくちらされたので、人びとは町をたてるのをやめました。そして、その町をたてていた場所は、バベルとよばれました。というのは、この地で世界じゅうのことばをみだされ、人びとを世界じゅうにちらされたからです。

(つづく)

2014-03-09

ワラシッコ

中井がワラシッコ達の心のふるさとになるよ〓良かったね。

だんだん若い命の時代になる。だから大切に守り、老いたら終の暖かい我が家になる、

神〓共にいましてわが行く道を守り〓 だよ〓〓†

オショチ†

今週の聖句 3月9日〜15日

詩篇 136篇

主に感謝せよ、主は恵みふかく、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

もろもろの神の神に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

もろもろの主の主に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

ただひとり大いなるくすしきみわざを
なされる者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

知恵をもって天を造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

地を水の上に敷かれた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

大いなる光を造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

昼をつかさどらすために日を造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

夜をつかさどらすために月と、
もろもろの星とを造られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

エジプトのういごを撃たれた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

イスラエルをエジプトびとの中から
導き出された者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

強い手と伸ばした腕とをもって、
これを救い出された者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

紅海を二つに分けられた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

イスラエルにその中を通らせられた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

パロとその軍勢とを紅海で
打ち敗られた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

その民を導いて荒野を通らせられた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

大いなる王たちを撃たれた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

名ある王たちを殺された者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

アモリびとの王シホンを殺された者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

バシャンの王オグを殺された者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

彼らの地を嗣業として与えられた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

そのしもべイスラエルに嗣業として
これを与えられた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

われらが卑しかった時に
われらをみこころにとめられた者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

われらのあだからわれらを
助け出された者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

すべての肉なる者に食物を与えられる者に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

天の神に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。

2014-03-07

血液検査結果とリツキサン治療

【血液検査結果】
のご報告です。
以下の通りです。

報告日:2014/3/6
水曜日

採取日:2014/3/6

主治医・島田 貴 先生

結果値 基準値

GOT 70〓 10〜33

GPT 39〓 6〜35

乳酸脱水素酵素 154
130〜235

コリンエステラーゼ67〓 200〜450

総ビリルビン 0.9
0.2〜1.3

γ-GT 33 12〜65

総蛋白 6.5〓 6.7〜8.3


アルブミン 3.5〓 3.5〜5.2

尿素窒素 26〓 8〜20

クレアチニン 1.37〓 0.50〜1.10

尿酸 8.0〓 3.1〜6.9

ナトリウム 143 136〜146

カリウム 4.6 3.6〜4.8

クロール 113〓 98〜109

カルシウム 8.8 8.6〜10.2

血清鉄 71 60〜165

不飽和鉄結合能
207 150〜280

総鉄結合能
278〓 290〜360

フェリチン 193 40〜360

総コレステロール 110〓 120〜219

血糖(食後) 86 65〜199


C反応性タンパク 0.07
〜0.30

白血球 2.1〓 3.3〜8.6

赤血球 3.09〓 4.10〜5.50

ヘモグロビン 10.2〓
13.5〜16.5


ヘマトクリット 30.2〓40.0〜50.0

血小板 72〓 150〜350


以上です。


追伸:
ご心配いただきました。ありがとうございます。お陰様で、今日、東京慈恵医大、腫瘍血液内科の島田 貴先生から、化学療法リツキサン治療を受けました。暫く経過を見て、変わりがなければ治療を継続します!皆様から励ましのお言葉等々、闘病の力になりました。病が寛解しなくても病の奴隷にはなりません。ご安心くださいますように(*^_^*)†感謝を込めて。

愛の樹オショチ†

 感謝!(^O^)

愛情、サマザマナ体験、病を識ることなど、そして人との、繋がりが、絶望を希望に変えるこの事実は変わらない。すべてに役立つ!

中井行きが役立つならさやちゃんの辛い治療に光が差し込んでくる〓
希望は生きるエネルギー源になり、自己免疫を高め自然治癒力も活性化する!人間困ったときに助け合える〓
医師にも資質の差があり、見抜く患者のチカラも試される。

やぶ医者の言葉は聞き流し、自分自身学びつつ諦めないで名医会う。頑張りましょう。運命に分け隔て無しです〓〓明るく考え方をあちこちから探して来ます〓 愛の樹オショチ†

2014-03-02

抗がん剤ペプシド中止

悪性リンパ腫の抗がん剤、ペプシドの副作用が生活に支障を来すようになりました。はじめは短期間の予定でいましたが半年経ちました。既に先週金曜日から服用を中止しました。(右首筋の悪性リンパ腫の腫れを抑えるカプセル抗がん剤)
ペプシドを服用すると6時間はベッドに金縛りになります。大切な使命も放棄せざるを得ません。考えに考えた末、自己責任として一つの結論を出しました。
悪性リンパ腫の、リツキサンを3ヶ月に一度点滴して、それで方策が尽きたら緩和ケアに移行する決意を固めました。理由の一番は生活の質の低下です。自分の精神力とは異質の、薬物の副作用はコントロールは不可能です。
加えて、気力喪失、吐き気、食欲不振等々があります。
生活の質の低下は私の使命遂行に支障をきたしています。

後は神のみ心、運命に従います。
オショチ†

今週の聖句 3月2日〜8日

詩篇 135篇

主をほめたたえよ、
主のみ名をほめたたえよ。
主のしもべたちよ、ほめたたえよ。

主の家に立つ者、
われらの神の家の大庭に立つ者よ、ほめたたえよ。

主は恵みふかい、主をほめたたえよ。
主は情ぶかい、そのみ名をほめ歌え。

主はおのがためにヤコブを選び、
イスラエルを選んで、おのれの所有とされた。

わたしは主の大いなることと、
われらの主のすべての神に
まさることとを知っている。

主はそのみこころにかなう事を、
天にも地にも、海にもすべての淵にも行われる。

主は地のはてから雲をのぼらせ、
雨のためにいなずまを造り、その倉から風を出される。

主は人から獣にいたるまで、
エジプトのういごを撃たれた。

エジプトよ、主はおまえの中に、
しるしと不思議とを送って、
パロとそのすべてのしもべとに臨まれた。

主は多くの国民を撃ち、
力ある王たちを殺された。

すなわちアモリびとの王シホン、バシャンの王オグ、
ならびにカナンのすべての国々である。

主は彼らの地を嗣業とし、
その民イスラエルに嗣業として与えられた。

主よ、あなたのみ名はとこしえに絶えることがない。
主よ、あなたの名声はよろずよに及ぶ。

主はその民をさばき、
そのしもべらにあわれみをかけられるからである。

もろもろの国民の偶像はしろがねと、こがねで、
人の手のわざである。

それは口があっても語ることができない。
目があっても見ることができない。

耳があっても聞くことができない。
またその口には息がない。

これを造る者と、これに信頼する者とはみな、
これと等しい者になる。

イスラエルの家よ、主をほめよ。
アロンの家よ、主をほめよ。

レビの家よ、主をほめよ。
主を恐れる者よ、主をほめまつれ。

エルサレムに住まわれる主は、
シオンからほめたたえらるべきである。
主をほめたたえよ。