夢の中の回想です。
過ぎ去った幼い日々の故郷が、懐かしい、幼なじみが昨夜も、夢の中に生き生きと息づいて目の前に現れて来ました。
私の故郷は大分県日田市です。昔、徳川幕府の天領として栄えた静かな、品位と風格をたたえ、清流に囲まれた田舎町でした。日田美人で有名でした。
故郷は山々に囲まれた盆地ですから、夏は暑く、冬はとても冷え込みました。
ある朝、母から「英雄、はょうおきんね!雪がいっぱいつもちょるばい!」
母の一言で弾かれたように布団をはねのけて、裸足で庭に飛び出しました。裸足の裏がじんじんします。
その雪の冷たい感触が私の故郷の冬でした。
四季折々がはっきりした季節感が身近にありました。
新緑、麦秋、紅葉する山々、三隈川の清流、花月川の懐かしい瀬音、カジカの鳴き声、川面を飛び交うホタル。素晴らしい故郷です。
幼なじみのしげちゃんと、小川伝いに竿竹に釣り糸を垂らしてよく魚を釣りました。
しげちゃんは魚釣りの天才でした。私の目に見えない魚をまるで手品師のようににいとも簡単に釣り上げてしまいます。
同じ釣竿ですが、私は小魚一匹も釣れません。
「なして、しげちゃんばかり釣れて、おては釣れんとね?」
癇癪を起こした私は、しげちゃんの、釣糸の先の流れを引っ掻き回し、水面を叩きました。
「なにすっとか?」
しげちゃんが怒り出して、川の中で取っ組み合いが始まりました。
川底は水苔でぬるぬるしています。二人は足元をツルツル滑らせて暫く取っ組み合いの喧嘩をしていましたが、しげちゃんに言いました。
「もうやめるばい!馬鹿らしかもんね、水も飲んだし、もう、飲めんばい!」
「うんわかった!」
二人は、ずぶ濡れのまま川岸の土手に仰向けになり空を見上げました。青い空に白い雲
がぽっかり浮かんで静かに流れて行きます。
「あん
雲はどこにいくんかいな?」
「どこにいくんかいな?」と、私もしげちゃんと同じように言いました。そのうち、何故か可笑しくなって、「アッハハァー」と腹の底から笑いが込み上げて来ました!
「なして、しげちゃんは魚がよう釣れるとね?」
「おてにもようわからん?」
私は彼に脱帽しました。
「しげちゃんは魚釣りの天才じや!おてをしげちゃんの弟子にしてくれんね!」
彼は暫く考えてこう言いました。
「英ちゃん、にしゃ、遊びじゃろうが?おては魚を釣って、料亭に売りにいかにゃならんと、生活がかかっちょるけん、教えられんばい!」
真顔のしげちゃんの顔を見て、ハット!胸を突かれました。
後は声も出せず、黙って川の流れを見つめていました。
帰り道、沢山釣れた、“はや“を、しげちゃんは料亭の裏口から入り、男の人に渡すとお金を貰い嬉しそうに出てきました。
しげちゃんの笑顔を見て、うれしくて、涙が出て来ました。
「ごめんなさい!しげちゃん」
その時やっと声が出ました。
彼には生活の重荷が掛かった魚釣りだったのです。
夢うつつに、ハット!して、飛び起きました。
少年の日の故郷と、幼なじみの夢を見ていたのです。
私の四回目の闘病記にしげちゃんなりの友情出演を夢の中に現れ励ましてくれたのだと思いました。
「おての代わりに勉強してくれんね!」
しげちゃんは、年前。故郷で69年の生涯を閉じました。小学校も卒業出来なかった彼は長男の務めを立派に果たし、沢山いた弟、妹達を社会人として送り出しました。
聖書を読みながら思います。イエス・キリストは大工の息子だったと!彼も大工だったと!
人は人の価値を学歴、資格家柄、姿形、資産の有る無しで、世俗的な評価をしますが、しげちゃんの家族愛に果たして勝つのでしょうか?世俗的な意味での価値観が?
夢の回想でした。
しげちゃんの霊魂が神に祝福されていると信じています†
2010/9/17日記す。
オショチ†